Do me a favor 11
なんだか、久々に一人になった気がする。
ルナー号の狭い食堂で一人、ヴィンセントは目頭を揉んでいた。やはり不休で戦闘時の精神状態を保っていれば疲れは溜まる。通常の護衛依頼ならば少なくても三人は集まり、シフトを組んで当直に当たるが、実質ワンオペ状態では息抜きさえままならない。いつどこから襲ってくるかもしれない敵に対して、備え続けることの疲労は小石を積み上げるように神経を削っていくのだった。
だがかといってぼけーっとしながら待つ訳にも当然いかず、水分と軽い食事を摂ったら格納庫に戻ろうとヴィンセントは決めていた。
――水と、あとは冷凍のピザか何かでいいか。
ところが、ヴィンセントがだらだらと冷蔵庫を漁っていると、軽い足音が近づいてきた。操縦室から降りてきたオリガである。
「お、休憩かいな?」
「少しだけな、飯喰ったら戻る。オリガ姉も休憩か」
「喉乾いてん。ついでやしジュース取ってくれへんか」
言われ、ヴィンセントはリンゴジュースのボトルを渡してやったが、オリガはボトルよりも彼の顔を見つめ表情を曇らせた。椅子に腰掛けても目線はズレているが、しかし彼女がどこを見ているかはヴィンセントにもよく分かる。
「だいじょぶか、ジブン? ごっついクマ出来てんで」
「……平気だ。最近はずっとこんな調子なんだ、ろくに寝られなくてな」
「備えてくれてんのはありがとうやけど、もっと休める場所で寝なアカンって。テド達と相部屋なんがそんなに気にいらんのか?」
「オリガ姉があいつらを信用してるのは知ってるけど、俺はあいつらの事をそこまでよくは知らない。それに信用してるのと、気を許せる相手ってのはまた別だからな、いっそ機体の傍にいた方が落ち着くんだよ」
「ピリついとるのう」
「すっかり疑り深くなった、ある意味職業病だな。おかげでまだ生きてるが」
一口、ヴィンセントは水を飲んだ。出来ることなら水の代わりにビールと行きたいのだが、吞んだら最後、疲労も相まって寝てしまうかもしれない。なにせ、気を抜くと欠伸が零れてしまうくらいだから。
「ふぁぁ……あと何日くらいなんだ、目的のコロニーまでは」
「このままやったら、明日には到着するやろ。……なぁ、ちょっとでも寝た方がええんとちゃうか? 鏡見てみぃ、パンダみたいやぞ。もう安全圏には入っとるから、問題なんておきひんって」
「俺が襲う側なら、気の抜ける瞬間を狙う。つまり今日から明日にかけてだ。あと一日だろ? 大丈夫だって」
「そうは言うけどなぁ……。あっ! そうや!」
軽快にオリガが手を打ち鳴らすと、ヴィンセントは胡乱そうに首を向ける。姉が浮かべるその笑みは、彼の相棒が「名案」を語る前に見せる表情に似ていた。
「気を許せる相手ならええんやろ? ほならウチが添い寝したるわ」
「いくつだよ……、寝言は寝て言ってくれ」
「ええやん、お姉ちゃんと一緒に寝ようや。昔みたく子守歌も歌ったるで~」
冗談めかす彼女には、ヴィンセントの表情も和らぐ。
「やめてくれ、余計寝付きが悪くなる。夢の中まで引っ掻きまわされちゃたまらねえよ」
「きっついわ~。断るにしても、恥ずかしいからとか可愛い理由で断れや」
「そこは自由意思で断らせてくれよ、姉ちゃん」
「ん? もっぺん言うてみそ?」
ああ、しまった。
言い切ってからヴィンセントは真一文字に口を結んだ。絶対言うつもりがなかったのに、うっかり、ぽろっと呼んでしまったのだ。聞き逃さなかったオリガのニンマリ顔が腹立たしいくらいである。しかも子供をあやすように撫回されては腹立たしさは倍増だ。
「はいはい、オリガおねえちゃんやで~。よーしよし、オネンネしましょうーねー」
「本当に勘弁してくれ。お互いそんな歳じゃねえだろうが」
「ウチはいくつになってもできるで、恥ずかしないし。歳を気にして出来ひん事が増えるなんておこちゃまやなー。ほーれ、よしよし~」
無表情の成人男性が、一見童女のオリガ頭を撫でられている様は、滑稽を通り越して異様だろう。構ってしまえば余計に調子に乗るのは分かりきっているので、暫く黙って撫回されていると、オリガは遂に諦めた。……かのように思えた。
彼女はしきりに動かしていた両腕をかっちり組んで、鼻を鳴らす。
「ちぇっ、まあええわ。むくれて座ってんねやったら、もうちょいそうしとき」
「いや、そろそろ戻る。テド達の宿題に答え合わせをしてやらねえと」
「あんなぁ、餓鬼とちゃうねんぞ。どんな問題だしたか知らんけど、答えが出たら向こうから来るやろ。それよりジブンの身体を心配したらな、アカンで。フラフラやん。今食べるもん使ったるさかい、待っときぃ」
「いや――」
「――でもも、だけどもナシ。すぐやから休んどき」
立ち上がろうとした鼻先を笑顔で押し戻され、ヴィンセントは椅子にケツを落とした。腹も減っていたし、少し待つぐらいなら確かに問題も無いだろう。むしろ空腹のままでいる方が困るので、彼は大人しく従うことにしてキッチンに立つオリガの後ろ姿を眺める事にした。
踏み台を使って食材を刻む後ろ姿は、過ぎ去りし時と変色無い。耳触り優しい鼻歌も、時折振り返る横顔も記憶にある姿そのままで、唯一変わった点と言えば、彼女を見つめる高さだろうか。
あの頃は自分も小さく、オリガを見上げてさえいた。
快活で明るく、面倒見の良い彼女の背中はとても大きく感じていたものだ。目を瞑れば、自然と思い出される、戻ることは敵わないと知りつつも願う時はあるのだ。
「テド達も直に上がってくるやろし、今日くらいは一緒にご飯食べようや。適当なもん摘まんで格納庫で食べてばっかりやったやろジブン? ようけ頑張ってくれてんのは知っとるけど、心配んなるわ」
鍋に具材を放り込むと、オリガは次の料理に取りかかる。話題も次へ変わっていく、彼女もまた、かつてを思い出しているようだった。
「……にしても驚いたわ~、ウチに後ろにくっついてばっかりやったジブンが、白毛玉みたいなチビッ子の面倒見とるとは。めざましい成長っぷりや、これは優れた姉ちゃんの教育の賜物やろうなぁ~。どうや、あの年頃の女の子って可愛いけど、大変やろ? ウチもきがきじゃなかったから分かるで、目ぇ離せんのよね、何か起きてからじゃ遅いし。ジブンのことやから考えはあるんやろうけど、背負い込みすぎたらアカンよ。男ってどうしてか、なんでも自分で背負い込もうとするからの。……って、さっきからウチの話聞いとるか?」
合いの手なり、ツッコミなりないと寂しいものである。だが、振り返ったオリガはかましい口を閉じて、優しく目を細めた。
「ふふっ、強がりばっか言いよってからに、ホンマ……」
眉間の皺を解き、ヴィンセントはすぅすぅと寝息を立てていて、オリガは静かに調理台に向き直る。
煮えた鍋が蓋を押し上げて、コトコトとリズムを刻んでいる。知りたくない問いをするなら今しかない、まるでそう囁いているかのようだ。
「ウチは……ウチはジブンになんて言ったらええんかな? 施設からいきなし姿くらまして十年近くや、アンタと再会した時は、ホンマは泣きたいくらい嬉しかってん。けどな? ……正直、怖さの方が大きかったんよ。ジブンのおかげで今のウチがあんねん、でもそんのかわりに、アンタの人生を滅茶苦茶にしてもうたから……。謝ったらええんかな? お礼言ったらええんか? それとも叱ったったらええんかな……、ウチにはよう分からんねんよ」
返事が無いと分かっていながら尋ねる賢しさに、我ながら嫌気がさしているオリガだが、いつまでも沈んでいる訳にもいかなかった。床板を鳴らすテド達の足音が徐々に近づいてきているのである。
「騒がしいでジブン等、静かにしいや」
「あ、姐さん! オドネルさん、見ませんでした?」
「そこにおるで、でも――」
起こしてやるな、と言うつもりが彼女は言葉を詰まらせる。
ヴィンセントはしっかり目を開けていて、駆け込んできた二人を視界に収めていた。それだけならば、オリガが緊張することもなかったろう。だが、彼の眼差しは背筋が寒くなるほどの警戒心に満ちていて、なによりも反射的に懐へ伸びていた左手が、よりオリガを不安の底へと誘うのだった。
成長か変化か――
成長は変化を伴うのが常であるが、その変わりようが必ずしも良い方向とは限らない。




