Do me a favor 7
それから十二時間後――、テドとテッドの足音が格納庫に戻ってくる。
一晩経ってもわだかまりは消化されておらず、テドは切れの悪い小便のように不満を垂れ続けていた。
「だからさぁ、やっぱり気に入らねえって! 姐さんに言って撤回してもらおうぜ!」
「……兄さん、昨日から同じ事の繰り返しじゃないか」
おそらく昨晩から一番神経を使っているのはテッドだろう。同室故に逃げ場も無く、同じ台詞を何度も聞かされ、反論しても聞く耳持たずでずっと同意を求められ続けていれば、彼の返事だって似た台詞の繰り返しになるのも致し方ないことだった。
「もう諦めなよ、オリガの姐さんが決めたんだからさ。それに、悪いことなんてないじゃないか、鍛えてもらえるんだし」
「テッド、お前は俺の話を聞いてなかったのかよ⁉」
「聞いてたよ? 兄さんこそ、僕が言ってたこと聞いてた?」
「だぁ~かぁ~らぁ~、損得の話じゃねえの! プライドの話をしてんの、俺は! 全然耳に入ってねえじゃねえか」
「……兄さんもね」
「あ、何か言ったか?」
「別に?」
催眠音声さながらに同じ話を聞かされ続けたせいなのか、脊髄反射と思えるくらい殆ど無表情でテッドは答えていた。表情どころか、感情も無くしてしまったかの様でもある。
「つーか悔しくないのかよ、テッドは⁉ 姉弟かなんだか知らないけど、いきなり現れて俺達の姐さんと仲良くしてるんだぜ。ベタベタしやがって、あいつ」
「そんなに目くじら立てることかな~、普通でしょ姉弟なんだから」
「甘えよテッド! 事態の重要さが分かってないのかよ。二人は血縁ってワケじゃないんだぞ、つまり一緒になる(・・・・・)可能性だってあるんだ。俺達の姐さんが奪われる危機だぞ、見逃せるかっての!」
熱く語るテドであるが、対するテッドからは深い溜息が漏れていた。
「はぁ……。確かに仲は良さそうに見えたけど、そんなに深い関係には見えなかったってば。考えすぎだよ兄さん」
「いいや、考えなきゃいけないのはお前の方だ。いいか? 小さい頃に別れた義姉弟が再会して結ばれるなんて、王道も王道の展開じゃねえか。一人寂しく引出物食べるバームクーヘンエンドなんて俺は絶対ゴメンだからな! ……ってかテッド、兄貴を応援しろよ!」
「してるよ? してるけど、兄さん僕の言うこと聞かないじゃないか。それに、兄さんがオドネルさんを嫌ってる理由って、姐さんだけとは思えないし。僕はオドネルさんの事、別に嫌いじゃないから」
「こンの裏切り者ぉ!」
と、怒鳴られてもテッドはあくまで中立、というより無関心に近く、相変わらず涼しい顔をしているので、テドは余計に熱くなっていた。
「あんないけ好かねえ野郎のどこがいいんだよ⁉ 姐さんの弟だっつっても、小馬鹿にしたような上から目線で喋りやがってマジでムカつくぜ」
「ほら、やっぱり個人的な感情じゃんか」
「う、うるせぇな、お前はどっちの味方なんだよ! しかも相部屋だって聞いた途端、別のとこで寝るって言い出したじゃねえか。――お前だってムカついただろ」
「実際、二人がかりで手も足も出なかったし、寝床にしたって、僕たちの部屋狭いから丁度良かったじゃない。いい加減認めようよ、みっともない」
「あんなのマグレに決まってるだろ? ……それか、機体になんか秘密があるんだよ」
歴戦の戦闘機ラスタチカ。金星周辺で数々の空戦を繰り広げた白銀の翼は、世代が変わっても尚その輝きを失わず、並ぶ者には守護を与え、対する者には破滅を与える燕として知られている。
寒気さえする美しさ、孕んでいるのは生か死か。
相反する狂気が照明によって反射する。
その破滅的な美に魅了され、テドは思わず手を伸ばしていた。だが、彼の手が機体に触れる直前、横合いから毛むくじゃらの手にその腕を掴まれる。
「……テディ、なんだよ?」
「…………」
口を噤んで仏頂面、そしてテディはゆっくりと首を振っていた。
「触るなってか? お前まであいつの肩持つのかよ」
「マシンは誰にも触られたくないでしょ、テディが正しいよ」
「かぁ~弟たちよ、兄ちゃんは情けないぞ。揃ってあいつの番犬になっちまうなんて! 兄弟の絆はどうした⁉」
「だからテディは止めてるんでしょ、兄さん。八つ当たりはやめなってば」
首肯するテディはテドを放し、ついとラスタチカの機体下を指さした。そこには毛布と荷物が一緒くたになって置かれている。
「おいおい、もしかしてだけど、あいつここで寝てんの?」
「――みたいだね、道理で姿が見えない訳だ」
「チッ、冷たい床で寝るより、俺達と相部屋ってのがイヤなのか。ムカつく奴だぜ」
「というより、オドネルさんは煙草吸いたいだけなんじゃない? 姐さん、格納庫でしか喫煙許可出してないみたいだし」
空き缶を使った急造の灰皿が毛布の横に置いてある。
テッドの予想は正しく、明らかに格納庫には煙草のにおいが残っているのだが、それでも長男は納得していない様子で、唇を突き出してむくれていた。意固地になってしまっているから、どうやっても納得はしないだろう。テッドがそう思っていると、或いは覆してくれそうな人物がやってきた。
「おっ、おはようさん。二人も集まっとるな」
「ウッス」
「おはよう、姐さん」
「おう今日も元気やな。――あれ? ウチの可愛い弟はドコ行ったん、便所か?」
テドの表情が少し険しくなった、まぁ誰にも悟られなかったが。
「俺等も探してるんすよ。朝飯も食わずに来いって言われて来てみれば、本人いねえし」
「さっきまでおったんやけどなぁ~、テディ知らん?」
「…………」
問われテディはゆっくり目線を上げた。彼が見上げるのはキャノピー開きっぱなしのラスタチカのコクピットである。テド達に――というより主にテドにだが――気まずい空気が流れたのは言うまでもないだろう、結構デカい声で話してたのだから。
そしてテドの気まずさは加速する。オリガが数度呼びかけると誰もいないと思っていたコクピットからすっ、と手が上がったのだから。
「なんや、ジブンそこにおったんかいや。準備できてるで、はよ始めようや」
気軽なオリガだが、テドの表情は緊張に硬くなっていた。しかし彼の心配とは裏腹に、ヴィンセントは飄々とした所作で機体から降りてくると、これまた飄々としたまま言う。
「テドと、テッドだよな。良く休めたか? 初日だからキツく感じるかも知れねえけど、まぁ慣れるはずだからとりあえずやっていこうか。――えーと、テド?」
「僕はテッド、こっちが兄のテドだよ」
「おっと悪いな。それにしてもよく似た兄弟だ、全然見分けが付かねえ」
「いいんですよ。顔が似てるせいか、よく間違われるから」
そう言ってもらえると気が楽で、ヴィンセントは眉を吊り上げて見せた。そっくりもそっくりで、よく見分けられるものだとオリガには感心せざるおえないが――
「ほんで、何から始めるん?」
――せっかちな姉である。
しかしヴィンセントは気に留めず、気ままな雰囲気のままで彼女にメモを渡すのだった。
「う~ん、こりゃあごっついのぅ……」
上から下までざっと読み、オリガから零れた感想がこれである。短期間の集中訓練故、かなり濃い内容となっているのは、書上げたヴィンセントが一番よく知っているが、頼み込んできたのはオリガなので、彼女の希望に応えたに過ぎない。
「じゃあ、ちょっと頼むわ、オリガ姉。先に始めててくれ」
「え⁉ いやいやどこ行くねん。ジブンが見とらんと意味ないやんか」
「糞してくる間だけだって」
ヴィンセントは変わらず剽げた調子で答え皆に背を向ける。だが、去り際に振り返った彼の意味深な笑みに、背筋を寒くする者がいた。
「なんや? ニヤニヤして気持ち悪いやっちゃな……、のうテド?」
「え……っ⁉ ああ、そっすね……」
「ジブンまでどしたん? 顔色悪いで?」
「き、気のせいっすよ。さ、始めましょう。最初はなにをすればいいんです、姐さん?」
一度首を傾げたが、オリガはメモへと視線を落とす。
そこには訂正線の上から書き殴られた、訓練メニューが記されていた。
「えっと最初はなぁ、ランニングやって四時間」
「「……え?」」
何かの聞き間違えか? テドとテッドは目を丸くしているが、オリガはもう一度繰り返す。
「四時間。ほな始めよか」
天使を思わせるオリガの笑み、それが訓練開始の合図となった。




