Do me a favor 2
内容はこうだ――
時間は昨夜の午後一〇時頃、方々の酒場は客で沸く稼ぎ時であるが、獣人と人間が交わる混成街の――しかも奥まった路地にある小さなバーとなれば、稼ぎ時と言っても客はまばらなのがいつもの店内風景であった。
件の時間帯には客は五人だけ、問題を起こしたのはその内の二人だ。
二人の名は、マデラとリンチ。
ヒスパニック系と覚しき彼等は待ち合わせの為にトーマスの店を選んだらしく、しきりに時計を気にしては、苛立ち加減にグラスを傾けていたが、その積もりに積もった苛立ちがふとしたきっかけで爆発した。
酔っ払った別の客が、うっかり彼等の片方に酒を引っ掛けてしまったのである。
よくある些細な事故。しかし二人組は鬱憤を晴らす機会を得たとばかりに怒鳴るは暴れるはの大騒ぎで、あっと言う間に喧嘩に発展、他の少ない客達も物騒なゼロドームの土地柄故、面倒ごとを避けるのだけは得意で、流れ弾を喰らうのを避ける為いつの間にやら帰ってしまい、小さな店内は即席のファイトクラブ会場となってしまったのだった。
とはいえ呂律も怪しい酔っ払いと、血気盛んな男二人とでは喧嘩と言うより一方的な暴力に近く、哀れな酔っ払いただ殴られ続けていた。
普通なら止めるだろう。だがしかし、いつ何時であれ自分の身は自分で守るのがこの街の鉄則。この程度の暴力沙汰で一々取り乱していてはこの街で店など出せるはずもなく、黙ってグラスを磨き続けるトーマスが、喧嘩の行く末と修繕費をどちらからふんだくるかの算段を巡らせていると、酔っ払いがカウンターにぶつかって床に倒れ、騒動は収まりを見せる。
――あれぐらいなら平気だろう
トーマスが、横目で床に伏せた酔っ払いを眺めていると、マデラとリンチがカウンターに戻ってきた。
「チッ、馬鹿野郎め。服が濡れちまったじゃねえか」
「おい、バーテン。ビール二つだ」
と、興奮冷めやらぬマデラに脅すように注文されても、トーマスは普段と変わらぬ仕草で酒を提供するだけ。銃が出てこない暴力沙汰など可愛いものである。
「どうぞ」
「これ以上、大事にゃあしねえ、あんたが大人しくしてくれればな。そこにある受話器に手を伸ばしたりしなけりゃ、暫くしたら出て行くさ」
「はあ、そうですか」
興味も薄くトーマスは答えた。
因みにだが、カウンター下にあるのが受話器ではなく、装填済みの散弾銃だったりするのがゼロドームにある酒場のたしなみだ。
それにそもそも通報などする気も無い。今頃警察の緊急連絡は鳴りっぱなしで繋がらないだろうし、その呼びかけに応えるまともな警官はごく僅かである。
ゼロ・ドームは……特に夜のゼロ・ドームは悪党と犯罪の坩堝なのだ。類は友を呼び、犯罪者の隣人は同類であり、現在酒場にいる人間も同種の者達。お尋ね者同士の間で起きた揉め事は当事者同士の間でケリを付けるのが彼等の法なのだ。つまり下手に通報などすれば、翌日には家族まとめて川の底に沈む事になるが、独り身故の気軽さか、トーマスそこら辺は無頓着であった。
と、ガランとした店内を見渡したリンチが言う。
「随分と静かになっちまったな」
「いいじゃねえかリンチ、これなら客が来れば直ぐに分かるぜ」
そんなはた迷惑な話である。が、関わり合いになるのは面倒なので、トーマスは気配を消して散らかったグラスやらを片付け始めていた。しかし、耳だけはしっかりと二人の会話を捉えているのは、かつての職業病だろうか。
「それにしてもリンチよぉ。よかったのかよ、助っ人なんか頼んじまったら取り分が減っちまうだろ、俺達だけでやれば丸儲けだってのに」
「儲けは二の次だって言っただろうが、今回は。俺を舐めたツケはしっかり払わせる、その為に獣人を呼んでるんだからよ。――バーテン、おかわりだ!」
ジョッキが叩きつけられると殆ど同時に、トーマスは新しいビールを出していた。この手の客は酒さえ吞ましておけば大人しくしている。――というのに、また間の悪い事に倒れていた酔っぱらいがのそりと身体を起こしていて、その様子がまた運の悪い事に二人組の癪に障ったらしかった。
「ん? この野郎、まだ動きやがるのか。見てみろマデラ」
「……うざってぇな。どうする?」
「お前がやれよ」
口角を歪ませ、懐に伸ばしたマデラの手には拳銃の蠢き。
危険な輝きを孕んだ遊底の光にはトーマスも難色を示す。暴力沙汰もドンパチも好きにやればいいが、それにも限度というものがあり、一線越えた厄介事なら目の届かぬ場所で行ってもらいたいのが、正直な所である。
残念ながらトーマスの願いも虚しく銃声が轟く事となったのだが、幸いだったのは、銃弾は酔っ払いの股ぐらを掠めて床板に食い込んだ事。
人死にが避けられたのは行幸であるがしかし、災いだったのは飛んで逃げ出した酔っ払いが今夜吞んだ酒を股ぐらから垂れ流していた点である。
その無様を大笑いで眺めていたリンチ達は、アルコールも手伝って上機嫌甚だしく、さしものトーマスも我慢の限界が近づいていた。
飲ませ続けるという選択肢はとっくに消え、彼の頭には〈任意か強制〉の二択だけである。
さて、どうやってこの阿呆二人から財布を奪い取って店から蹴り出すかと考えていると、不意にドアベルが鳴った。
誰でも思うだろう、――恐ろしく運の悪い客もいるものだと。
だが、例に漏れず同様の感想を抱いていたトーマスの表情は、その客と目が合って一瞬の硬直を見せる。
そいつは犬系獣人の男だった。
オレンジ色に寄った赤の毛並み。闘犬が元である顔立ちは皮膚が垂れた独特のもので、一見すると泣きっ面のようだが、刻まれた深い皺と垂れ下がった瞼から覗く眼力を見れば、馬鹿に出来る相手では無いと子供にでも分かるだろう。
先程までの騒がしさが嘘のようにリンチ達も黙ってしまっていて、そいつは荒れた店内を見渡すと、筋骨隆々のさながらプロレスラーじみた体格で、二人の方へと歩み寄っていく。
ごとん、ごとん、と一歩一歩が重苦しい足音に、いつの間にやらリンチ達の顔からは笑みが消えていて、間近で見下ろされる段になった時には若干引き攣ってさえいた。
「………………」
「な、なにをガンつけてやがる……ッ!」
「黙ってねえでなんか言ったどうだ? アァッ⁉ 俺達に何か用か、犬野郎!」
威嚇するリンチ達と、対して黙ったままの獣人。
張り詰める空気に予感を覚えたトーマスが半歩下がると、リンチが抜いたままの拳銃を振りかざした。
……振りかざしただけだ、一瞬の間に色々と起きたのである。
まずマデラが銃を向けようとして
獣人がその銃を鷲掴みにして奪い取って放り捨てた
次に慌てたリンチが懐に手を伸ばしたが
先んじて動いた獣人が二人の首根っこを掴んでカウンターに組み伏せた
力では獣人に敵うはずもなく、リンチ達二人は頬をカウンターに押し付けられながら何かしらを喚き散らしているが言語と呼ぶには程遠いもので、獣人の唸り声の方がまだ言葉と取れるくらいだ。
彼は二人を、それからトーマスをじぃっと睨み、再びリンチ達に視線を戻した。
「お前達だな、大物を狙ってるってのは。だがよ、呼び出した助っ人にハジキ向けるとは一体どういう了見だ⁉」
マデラが何か言ったが不明瞭。しかしそれでも罵声と分かりフーチに一層首を絞められる。するとリンチは賢く抵抗を止めて会話を始めた。
「話に聞いてた特徴と違う、もっと小柄な奴だと聞いてたぞ。あんたがネルソンか」
「そいつは俺の部下だ。この俺様を人間如きが雇おうってんだ、どうせなら直接話を聞いてやろうと思ってよ」
「……あんた、名前は」
恐る恐ると言った様子でリンチが問うと、獣人は牙を見せつけて自信たっぷりに笑う。
「おめぇ等はツいてる! なんたって、この俺様が味方に付くんだからな。フーチ・フェルディナンド、この俺様の名前を知らねえとは言わせねえぜ!」
フーチ・フェルディナンド。
金星周りでは悪名高い宇宙海賊、フーチ一家のボスである。それこそ商船から客船までなんでも襲うまさに海賊であり、その行い故に首に賞金のかかった男でもある。そして商売柄、警察や軍に追われる身でもあり、また懸賞金狙いの賞金稼ぎや、アルバトロス商会のような便利屋とも正面切ってやり合うような武闘派の海賊だ。
そんな海賊の、ボスが、目の前にいる。
リンチが威厳を保ちつつ、慎重に言葉を選ぶのもごく自然な対応だった。
「……とりあえず、マデラを放せ。あんたがボスなら文句はねえ、話はそれからだ」
「ん? おお、そうだったな! 人間ってのは弱っちぃから、死んじまったら大変だ!」
豪快に笑い獣人が解放してやると、マデラは盛大に咳き込みながらもなんとか体裁を取り戻した。あんな目に会ったばかりだというのに少なくとも強がりは言えるらしい。
「おい、じじぃ。時計の見方は知ってんのか? 待ち合わせの時間はとっくに過ぎてんだぞ」
「あぁ? ンなもんは必要がねえ。時間なんざくたばるまでいくらでも使えるんだ、豪快に片付けんのが俺様のやり方よ。少しばかし待たせたようだが、その分楽しんだみてえじゃねか、丁度良かったろうが」
「……ムカつく野郎だぜ。リンチ、殺っちまおうぜ!」
「ガッハハハ! 人間の三下が俺様と勝負になる訳ねえだろうが、やめとけやめとけ!」
リンチ達のどちらに主導権があるのかは明らかで、フーチの眼中にはマデラという人間は映っていなかった。
だが、まるで子供同然にあしらわれ、脅しまでも笑い飛ばされたマデラが大人しく引き下がる筈もなく、彼は感情に任せてスツールを蹴り飛ばしフーチの胸ぐらを掴み上げた。相方がいくら止めようが聞きはしない。
「待て、マデラ!」
「うるせえ! 誰がこんな犬野郎と組むもんかよ、この野郎ブッ殺して――」
と、言いかけたところで罵声は止んで、その代わりにマデラの口からは呻き声が吐き出される。獣人の力でモロに腹を殴られれば立っている事など不可能で、膝立ちになった彼はそのままフーチに踏みつけにされてしまった。
フーチの忠告はおふざけでもなんでもない、事実の告知だったのだ。腕力の差は歴然で勝負になどなりようもない。
「ぐぅえ……、こ、この野郎……」
「黙ってろクソが!」
立ち上がろうとするマデラの背中をブーツの底で抑え付け、フーチが吼える。儲け話を持ってきた相手故に少しばかり優しくしていても、調子づくならブッ潰す、それが彼のやり方である。
「うまい話があるっつうから肥だめに呼び出されてみれば! お似合いの糞が! 生意気にも! この俺様に! 口を利きやがるッ! 巫山戯てるのはどっちだ、コラァ⁉ これでくだらねえ話を聞かせてみろ、ケツに燃料ブチ込んで火星まで飛ばしてやるぞッ!」
相手は海賊を仕切る男。
その威圧感だけでもリンチ達を圧倒するには充分で、床でもがくマデラは勿論の事、自由であるはずのリンチでさえ気迫のみで押さえ込んでいた。
「おう、てめぇ! さっさと話しやがれ! つまらねえ話なら共々ブチ殺してやるからな!」
「分かった、待ってくれ! 話す、マジでデカい獲物だ。取り分は七:三、それでもあんたに損はさせねえよ」
「半々だ。この俺様を雇おうってんだ、少なくともそれぐらいは出してもらう」
「最初の条件とちがう……! とてもじゃないが飲めない」
「その条件はネルソンが聞いただけだ(・・・・・・)、今は俺様が交渉してる。それにだ、損得は俺が見極める。余計な言葉を並べてねえで続けろ」
「くっ……! いいのか? 俺達がいなけりゃ儲けもないんだぞ、あんたの代わりだって他にもいる。最初の条件が飲めないのならこの話はナシだ」
リンチにしても完全に主導権を渡したくないのだろう。それは些細な抵抗だったが、すでに形勢は決まっていた。
「まだ頭がおっつかねえか。ネルソンが俺に持ってこなきゃ、テメェ等みてえな青二才なんざ誰が相手にするか。てめぇ等の意思なぞどうだっていい、どうするかも俺が決める。お前等にあるのは駒として働くか、それともこの店の染みになるかだ。俺が協力するんじゃなくお前等がケツを振るんだよ、即決しろ間抜け共」
フーチの言葉には否応もなく、この条件を断るならば殺すだけだと、彼の目は語っている。
もうリンチ達は手錠で繋がれたも同然だった、仮に逃げ出したとしても無事では済まないだろう事は想像に難くない。
「分かった、わかったよくそったれ」
「それでいい。――おめぇはどうだ?」
フーチが足元へ目をやると、マデラが潰れた蛙一歩手前の状態で何度も頷いていた。
「そうこなくちゃあな! これで俺達はビジネスパートナーって訳だ、さぁ吞もうじゃねえか。俺達の仕事の成功を祈ってなぁ!」
するとフーチは二人を解放し、カウンターの隅で行く末を眺めていたトーマスを呼んだ。いっそ清々しく悪い気はしない声かけである。
「バーテンダー、この店一番の酒をくれ。代金はこいつ等が払う!」
それからトーマスは、彼等が店を出るまで言われるがままにグラスに酒を注ぎ続けるのだった。




