Do me a favor
日々の生活において重要なのは一体なんだろうか?
仕事? まぁ分からなくは無い。働かざる者喰うべからずは、ある種暗黙の認識であり、一世紀前よりも混沌とした宇宙世界において未だ生きている、数少ない世界共通のルールと言えるだろう。
だがである、仕事とは生活の為にあるのであって、つまりは生きる為に働くわけだ。この関係が崩れ、働く為に生きるのでは世に溢れる機械と同等であり、仕事一色に染まった人生では彩りも糞もなく、虚しさが募るばかりだろう。
一生遊ぶ生活は誰しもが描く夢の一つで、カジノが儲かる理由でもある。
とやかく言うが要するに、働く者には心落ち着く依り代が必要なのであって、それは様々な形で人生に彩りを与えてくれる。それは芸術だったり、家族だったり、レジャーだったりと多岐にわたり、場合に寄っては破滅をもたらすこともあるが、好きにかまけて身を滅ぼすなら、自業自得か或いは本望だろう。
例えば酒もその一つである。
どこの都市にもあるように、金星ゼロドームにも安酒場から洒落た高級店まで多くの酒場が軒を連ねている。それこそ表通りに面する一般人向けの酒場から、ピンク通りで酒と一緒に女を引っ掛けるいかがわしいバーまで何でもござれで、当然の如く路地裏の地下にひっそりと店を構えている隠れ家的バーだってある。
街灯も無く、夜間ならばおよそ通りの街灯に頼るばかりの路地裏。看板さえろくに見えないであろうその路地裏にある水溜りにブーツの靴痕を残しながら、ダンは狭い階段を下っていく。
酒場の開店時間にはまだ早い昼過ぎの来店であるが、ダンは特に躊躇わずに木製のドアを押し開けた。
地下故に窓は、無く店内はぼんやりとした薄暗さに包まれていて、葉巻とアルコールの香りが染みついた床板は、べたついたワックスの光を放っている。
カラン、と鳴ったドアベルが静まりかえった店内に響けば、蝶ネクタイもエプロンも放り投げた初老のバーテンダーが開店時間に向けて床を掃除している最中だった。
「わるいねお客さん。看板かかってたでしょう、まだ開店準備中ですぜ」
振り返らず、バーテンダーはそう言ってモップ掛けを続ける。忙しい……というよりも、真っ昼間から酒を飲みに来た客に作業を遮られるのが鬱陶しいという対応だ。
「うちは小せえ酒場であって、年中無休のチェーン店じゃあないんですよ。失礼ですが店を間違えちゃあいませんか」
「場末のキナ臭え酒場に用があってきたんだ。トーマス、景気はどうだ?」
「……んぁ?」
すると胡乱な声を漏らし、トーマスと呼ばれたバーテンダーはようやく床磨きから意識を開放すると、客が誰なのかを認識してつっけんどんな態度を軟化させる。
「誰かと思えば、ダン・マンデン。昼間から酒場巡りとは良いご身分だな、それとも便利屋稼業は相当に暇なのかね?」
「ふん、昼間に出歩く余裕くらいはあるというだけの事だ」
「見栄を張る、大して繁盛してるって話は聞かねえがな。……まあ座れよ」
モップの代わりにグラスを三つ取りだすと、トーマスはそこに琥珀色のバーボンを注いでいった。グラスの数が合わないが理由は問わずダンは待つ。
やがてボトルが置かれると並んだグラスの一つはダンが、一つはトーマスが、そして飲み手のいないあまりのグラスは――
「ギブソンに」
「ああ、ギブソンに」
さらば友よ。
軽くグラスを掲げ一息に飲み干す二人は、いっそ清々しい別れの杯を終えると短く黙祷を捧げ、アルコールに焼かれた喉から息を吐いたトーマスが言葉を続ける。
「惜しい男を亡くした。俺達の中じゃあ、お前が最初にくたばるもんだと思っていたんだが」
「しぶとく生き延びとるさ。つくづく分からんものだな、この世の中は」
「同感だ、まったく嫌気がさす。あの頃の仲間で残ってんのは二人だけか、随分と減っちまったなぁ。……死に様は?」
「戦って死んだ、家族の為に。せがれも立派になっとった、悔いは無かろうよ」
「…………だが死んじまっちゃあ、元も子もねえだろう」
何かの為に殉ずる、その生き様を無駄とは笑えないがしかし、トーマスの言葉もまた的を射ていて、二杯目と一緒についだ二の句で彼は話題を変えた。
「それで、今日はまたなんの用で来た。昔話の為か」
「ふむ、たまにかつての仲間の様子を見に来ちゃ悪いか、勘ぐりすぎだ」
「早いとこ話せよ。様子を見に来たにせよなんにせよ、なにかのついでだろうが」
何とも鋭い勘である。
古い仲に隠し事は難しい、当たらずとも遠からずの予想にダンは眉間に皺を寄せた。互いに騙し瞞されの世界を渡ってきたのだから、そう簡単には欺けないのである。
観念したダンはサングラスをかけ直すと、来店の理由を素直に話し始めた。
「別段、込み入った理由ではねえさ。様子を見て来てくれと頼まれたんでな、それだけだ」
「何の為に? どこのどいつだ、余計な気を回しやがったのは」
触らぬ神に祟り無し。他人の事情は放っておくのが賢く生きる秘訣であり、ゼロドームでは特に顕著な点の筈が、またぞろ変わり者がいたものである。
首を突っ込まれる鬱陶しさを知っているが故にトーマスは面倒そうに答えていたが、しかしダンは気に留めた様子もない。むしろ彼が気にしているのは、店内の床や壁に目立つ補修の跡、サイズからして弾痕である。しかも床にはまだ穿たれたばかりの小口径の形跡がある。
「……昨晩、なにやら揉め事があったと聞いた」
「おれも甘く見られたもんだな、この街の客がどんな連中か知らないとでも言うのか。対策はしっかりしてあるってんだ、カウンターには装甲板でガチガチ、店だって街が爆撃されようが生き残るぜ」
実際街が吹っ飛んだとしても地下にあるこの店は残るだろうし、ダンはこれぽっちも心配していていなかった。頼まれでもしなければ弔い酒の一杯で切り上げただろう。
「無事だとは思っていたが、猫ちゃんが万が一を心配しておってな、それで念の為に様子を見に来たという訳だ」
「……じゃあ、心配ってのはルイーズがしてるのか? おいおい、ドンパチなんざここじゃ日常茶飯事だってのに、あの娘、いつからそんなヤワになった?」
「言うてまだまだ娘っ子だ、彼女の胸中に理解が及ばんお前さんではなかろう。古い知り合いが一人減ったばかりでは、些細な事で不安にもなろうよ。――さて、なにが起きたのか教えてくれんか、仔細伝えると約束したものでな。俺を嘘つきにはせんでくれよ?」
「やれやれ。つくづく甘いな、あの女には」
「媚顔秋波な微笑みと、あの乙女な心で頼まれちゃ断れん」
「その微笑み絆されて様子を見に来たって? やはり便利屋稼業は暇らしいな」
呆れ加減に首を振ると、トーマスはちびりと酒をなめ、そして昨晩の出来事を語り出す。それはこの街では取り留めのない、それこそ些細な揉め事のように思える内容であったが、いざ聞き終えたダンの眼差しはサングラス越しでも苦みを噛み締めているようだった。




