I Wanna Secret Family(With You) 5
身支度を終えたヴィンセントは、バックパックを担いで戻ってくるや、オリガを連れて機乗。発進準備が整っていたのもあり格納庫から甲板へ、それから機体がカタパルトによってドーム都市の空へと解き放たれるまで一〇分足らず、更に二〇分後、高度を上げ続けたラスタチカは赤茶けた空から、星の瞬く漆黒の海に翼を広げていた。
機体を覆っていた金星の大気圏を抜ければ、キャノピーを震わせていた空気の振動は静まり、ゾッとするほどの静けさに聞こえるのは双発エヴォルエンジン、グッドスピードMk5の力強い息吹と……後席でオリガが嘔吐く声だった。いくら機体のG制御システムが機能していても、大気圏離脱にかかる圧力と振動によって身体をシェイクされれば、催すのも仕方がない。
『うぇっぷ……、アカン、気持ち悪いわ……』
「だぁから耐Gスーツ着とけって言ったろうが。頼むからその席で朝食と再会しないでくれよ、俺の着替えまでダメになっちまう」
ヴィンセントの荷物は後席に収まっているオリガの膝の上である、つまり姉の我慢強さに彼の荷物の運命がかかっていた。
『あんな子供サイズの服着られるかっちゅうねん! それにジブンかて服そのままやん』
「重力制御は強めにしてるし、戦闘機動する予定も今のところは無いからな」
ヘルメットの代わりに彼が装着しているのは、骨伝導スピーカー内蔵のサングラス型バイザーである。普段使用しているヘルメットと同等の機能を持ちつつも軽いのが利点だが、オリガが嘔吐く度に鮮明な音が入ってくるのはマイナス点と言えよう。
『少しくらいウチの心配してもええんちゃう? もうちょい丁寧に飛んでぇな、飛行機は古くても優しくは出来るやろ。それに姉と一緒に自分の荷物積込むってどういうこっちゃ』
「こいつは戦闘機で旅客機じゃねえ、快適さは二の次。だから荷物はオリガ姉の膝の上。あともう一つ忠告しとくと、この機体は賢いから、あんまり馬鹿にすると宇宙空間に放り出されるぞ」
冗談めかすヴィンセントに、オリガは青ざめた笑みを浮かべた。心配なのではなく、胃の中を収めるのに必死なのである。
すると、唐突に合成音声がスピーカーから話しかけてきた。
『初めまして、オリガ。私はこの機体のAI、名前をレイと言います。ヴィンセントの冗談は気にしないでください、彼の家族にお目にかかれて光栄です』
『……なんや、スラスラ流暢に喋る機械やな』
「だから賢いって言ったろ、電子の脳味噌はとんでもない容量だぞ」
会話に対するレスポンスも早く、よくできたAIだとオリガはそう思っただろう。決して間違ってはいないが、『彼女』に自我があるとは思っていない様子だった。仮に面と向かって言われたとしても機械に自我があるなんて信じないのが普通、反応としてはオリガの反応が正常だ。
『おまけに礼儀正しくてビックリやわ、マナー教えてもろたらええんちゃうか、ジブン』
「交渉はダンがやるから俺には必要ない」
『ハハッ、それもそうやな。ウチが欲しいんもあんたの腕前で交渉術とちゃうし』
「それに必要なら交渉できる、口は上手い方だ」
『お喋りなんと口達者はちゃうで? あとハジキぶん回すんは交渉とは呼ばんわ』
「その手の交渉は相棒に任せてる。さっき話してたデカい虎女がいたろ、脅かすのはあいつの得意分野だ」
目に浮かぶ光景越しにヴィンセントがバックミラーを見上げると、目が合ったオリガは楽しげに首を振っていた。
「なに笑ってんだオリガ姉」
『楽しそうにやってるやん、エエ事っちゃ。白毛玉もあんたにようけ懐いとるようやし、面倒見がええんは、あの頃のままやね。少し安心したわ」
まったりとした声音。思い出を振り返ってでもいるのだろう、オリガは瞼を閉じていた。
「自分が孤児院バックレよってから年跨いで、ウチもすっかり大人ンなったわ。今じゃ宇宙船に乗ってあっちこっちの毎日やで、あの頃はまさかウチが宇宙に出れるなんて考えてもなかった。どや、見違えたやろ? 未だに本棚の上の段に手が届かんなんて思ってもみぃひんかったし、ブラがいる日はまだ先なきがする。大きくなるんやろうな……て、誰がぺたんこ幼児体型やァ!」
「変わらねえな、オリガ姉は。それにあの頃のままだ、外見も」
「やっかましいわ!」
「ふつうは喜ぶところなんじゃねえか、女にとっちゃ若さは美徳だろ? 知らねえけど」
「うっ……イヤミな男になったなぁ自分。合法ロリやぞ、貴重なんやぞ。属性マシマシでおいしいやろがァ、舐めんなよォ!」
ニタリ口角を歪めたヴィンセントは目線を前方へと戻す、金星から遠方へと続く窓口とも呼べるコロニーがネオン眩い立体映像看板を立てていた。
コロニーの周囲には輝く立体映像看板には「金星へようこそ」と遠路はるばる金星へやってきた旅人を迎え、また旅立つ者どもには「よき旅を」と贈る言葉を連ねていた。――つまりは金星への出入り口である。
人の出入りがあるということは当然人目もあるわけで、見ている人間が全員善良な市民ばかりとは限らない。
「なんだってわざわざ、こんな目立つところで合流するんだ。狼の巣に餌放るようなモンだ。 追いはぎが見てるかもしれねえのに、〈これから大取引〉ってネオンサインで告知して、余計なトラブル背負い込むつもりなら俺は降りるぜ」
「トラブル上等いうてもわざわざこっちから呼び寄せるほどアホちゃうわ、きっちり考えてあるっちゅうの」
そうは言うが、ヴィンセントは短いリップロールで疑念をぶつける。
「怪しいモンだ、続き聞かせて貰えるんだろ?」
「ジブンは……そうやな、いわばお守りや」
「祈ったところで御利益ないと思うぜ、神様にはとことん嫌われてっから」
「安心せえ、とびきりな幸運の女神ならここにいるわ」
ニカッと歯を見せ、自信満々の笑みを浮かべてオリガは続ける。
「自分の言うとおりここは金星の玄関口やな。色んなとっから流れ着いた悪党やら、狩りに出たくてうずうずしとる狼共がひしめきあっとる危険地帯や。下手に出歩いたら怪我じゃすまんけど、そんな所をいつも一人で飛び回っとる恐れ知らずがいるんやなぁ」
「俺の事か? 買いかぶりすぎだ」
「強さは折り紙付きなのに名前はあんまし知られてへん、それに顔も性別も分からんらしい。なのに依頼はあるっちゅうのが不思議な話や」
「仲介人が優秀なのさ。ルイーズがいなきゃアルバトロス(うち)は回んねえよ」
「せやかて自分の実力ならもっと有名になっとる方が自然やん? 護衛依頼の達成率百パーセントの便利屋なんてザラもザラやなのに、悪党共に知られとるんわ自分が乗ってるこの機体だけや」
「零か百かだからな。現役の便利屋はみんな同じじゃねえ?」
「宇宙海賊共からなんて呼ばれてるか知っとるか、ジブン。けったいな二つ名付けられてんでぇ、銀の死神やってよ」
「はっ、死神ねえ……」
捻りも面白み無い、嗚呼なんと安っぽい二つ名であろうか。
ヴィンセントからは思わず乾いた笑いが漏れだしていた。
「あれ? 嬉しくないんか、強そうなのに」
「いいもんかよ。どこどこのなんちゃらなんて、またぞろダセえ仇名を……。きっと似たような奴はいるぜ。いったいどれだけの死神が宇宙にゃいるんだ」
確かに考えてみればありがちだと、オリガは肩をふるわせて笑いを堪えていた。
「ありふれてるけど、おかげでウチは助かるんや。自分めっちゃ強いやん? めっちゃ怖がられるやん? ウチの船に自分がいる事がわかればちょっかい出す奴ぁおらん。すなわち戦わずに露払いっちゅうわけや。な? お守りやろ?」
「注目されるのはきらいなんだが」
コロニーに停泊、もしくは接近している宇宙船を遠巻きに眺めてみるが、見える範囲だけでも無傷の船の方が少なく見受けられた。果たしてあの船の中に、堅気だけで航行している宇宙船は何隻あるのだろうか、大きな疑問である。
「落ち着かねえなぁ、どうも……」
不満を溢し、速度を落として緩旋回。するとネオンを受けた白銀の翼が虹色に染まる。
「ここで合流だろ? どうすんだ、いったん中に入るのか」
「ええよここで。連絡してあるし待ってりゃ拾いに来るわ。……それよかジブン、どうなん?」
オリガの質問は具体性が皆無な捉えようのないものだった。しかし、言葉を濁すにはそれだけの理由があり、姉弟だからこそ察することもあり、ヴィンセントの表情は硬さを帯びる。
「どうって、なにが……?」
「とぼけなや、あれからウチに帰っとるか訊いてんねんか。たまには顔見せたれよ、シスターも会いたがってると思うで」
「今する話かよ。それに、そう言うオリガ姉は帰ってんのか」
「ジブンに比べればな。ちゅうか、ウチよりあんたの話や。二人きりの時にしかできんやろ、誰かに聞かれたないやろうし。まっ、訊かんでも言うことはわかっとるけどな」
「…………まぁそのうち、な。行けたら行くさ」
「遊びの誘いちゃうねんぞ。それ絶対行かへんやつやん」
それでも尋ねるイヤらしさに顔を顰めるヴィンセントが機体を半ロールさせると、後席から短い悲鳴が上がったがわざとではない。接近しているオリガの宇宙船に合わせて着艦姿勢を取る必要があるのだ。
速度同調
機体姿勢良し
仏頂面で操縦に神経を傾けるヴィンセントだが、船とのコンタクトを取る前に、彼はぽつり尋ねるのだった。
「みんなは、元気にしてるか?」
「さぁ、元気なんちゃう? 知らんけど。そんなに気になるんなら会いに行ったらええがな」
「けっ。今更、どの面下げて戻れってんだよ」
「そのツラしかないやろ、あほたれ」
ぴしゃりと、オリガの言葉にはにべもなく、ヴィンセントは時間や場所が離れていても幼き頃から続く関係とは中々に変えがたいものだと思い知らされる。
哀しいかな、それが望むと、望まざるとに関わらず保たれている関係というのは存在する。
きっとそれはありがたいことだ、計りようもないくらいに感謝すべきことなのだろう。だがその温かさが時に苦痛になり得ることもある。
誘導灯に従い降下
着艦した車輪の軋みは、まるで舌打ちのようでもあった。




