I Wanna Secret Family(With You) 4
移動中の通話で契約はほぼ完了。
アルバトロス商会のボスにしてメカニック、強面モヒカン頭のダンは着々と出発準備を進めていた。だが今回はアルバトロス号自体に役はなく、搭載している宇宙戦闘機、ラスタチカにだけお呼びがかかっているので、格納庫でダンが行っているのは『彼女』の旅支度である。
燃料を補給しながらシステムチェック。すると機体制御AIが合成音声で以て答える、これまで画面上に表示される文字列だけがラスタチカとの意思疎通方法だったが、このたびようやく音声でのコミュニケーションが可能となったのである。それもこれもAI側の判断力上昇によって可能となった事だ、ただの機械では即応性と正確性が求められる戦闘機の操縦に音声入力は不確実かつ不安が残るが、ラスタチカのAIはそこらの機体制御AIと一線を画す存在へと進化していた。
赤ん坊が生まれるのが奇跡ならば、彼女の誕生もまた奇跡と呼べる。
無謀と危険とが出会い、無限の宇宙で巻き起こる嵐の中で受精した、まさしく奇跡と呼ぶに相応しい生誕劇には聖母マリアも頭も抱えて「なんてこった」と叫ぶだろう。大天使ガブリエルも形無しだ、なんせ無機物を孕ませたも同然なのだから。
とにかくである。より高度なコミュニケーションが可能となったラスタチカは、アルバトロス商会の紅一点、或いは半ばマスコット的存在となっているエリサによって、新しい名前を与えられていた。少女曰く――
「『ラスタチカ』は飛行機の名前なの、だからエリサが名前を付けてあげるの」
MGF―29 ラスタチカ
正確な読み方は『ラースタチュカ』であるが、今は置いておこう。エリサが問題としているのはラスタチカとはMGF―29の期待全てを指すものであって、アルバトロス号の機体を指すものでは無いという点だ。誰かを呼ぶのに、人間とか、獣人とか、白だ黒だと呼ぶのと同じで、曖昧だし失礼だという。
その考え方は理解できるし、別段拒む理由もないので命名権はエリサに委ねられ、そして現在はコクピットの横に個別愛称として一筆加えられていた。
白銀のボディには黒の筆文字が良く栄える。日本的センスで綴られたアルファベットが、『彼女』の流麗さと同時に、奥底に秘めている野性的戦闘性を表わしていた。
――RAY
エリサが与え、ダンが書き加えたその三文字からは力が伝わってくる。
「全システムチェック完了しました、発艦に支障ありません」
「そのまま待機していてくれ。どうやらヴィンセントが戻ってきたようだ、となれば次は向こうの準備を進めねばな」
スロープを乗り越え格納庫に戻ってきたダッジ・ラムは所定の場所に収まると、運転手と同乗者を吐きだす。車高に戸惑いながらも、後部座席から飛んだ客人は着地でよろめいたものの持ち直し、早足でダンの元へと向かうのだった。
勿論、社交辞令的挨拶と雑談が交わる至極変わり映えの無いものだから、ヴィンセントも加わるつもりはなく、準備がどれだけ進んでいるのかだけを確かめるが、ダンが工具類を片付け始めているところを見ると、殆ど終わっていると考えて良いだろう。
残すは自身の身支度だけ。
そう思って自室足を向けようとしたヴィンセントを留めたのは、丸太みたいに屈強な虎獣人の二の腕。音も無く忍び寄ってきた彼女――レオナに、ヘッドロック気味に首を絞め寄せられては身動きなど取りようも無く、硬さと柔らかの間に埋もれたヴィンセントからは潰れるだけだった。
しかし、レオナはそんなことは気にしない。それよりも彼女にとって衝撃の光景が広がっていたからである。
「ヴィンセント!」
格納庫がライブ会場になってしまうくらいにレオナが響き、そして――彼女にしては珍しく――二言目には声を潜めた。それでも彼女が発している興奮は、ありありとヴィンセントに伝わっていた。
「……なんだいあのチビッ子は⁉」
しかし気道まで塞がれていては話せるはずが無い、呼吸するのが精一杯。だからヴィンセントは、――答えてやるから、まず解放しろと、未だに首を締め付けているレオナを睨付けながら、彼女の腕をタップする。
解放された時には若干酸欠気味だった。
「げほっ……、馬鹿かお前は⁉ 加減しろよ」
「大袈裟な奴だね、ちっと苦しいくらいで騒ぐンじゃないよ、ったく」
「俺がグラムで計ってるところに、お前はトンの重石を持ってくる。そのちっとの加減で俺の首は折れるんだ、いい加減自覚してくれねえか」
だが、この女版ハルクは気になどしていないだろうし、この先もするつもりがないのだろう。不満を漏らすヴィンセントに辟易するかのように彼女は尻尾を振り、それよりも、と話を続けた。
「あのチビッ子はなによ? どっから連れてきたのさ。アンタまさか、また――」
「――攫ったわけじゃないし、厄介事に首を突っ込んだわけでもない」
「先読みすンじゃないよ、つまらないじゃないか」
「オリガの何が気になるんだ。そわそわしやがって、気味悪いぞ」
取り繕っているが、獣人とは人間以上に素直な感情が表れやすい。例えば耳、例えば尻尾だ。今のレオナの尻尾加減を見るに、明らかな興味をオリガに向けていた。
成人男性の頭頂部さえ見下ろせる屈強な体躯、そして虎のDNAを受け継いだレオナは紛れもない強面で、そんな彼女が自分のウエストより小さな女の子に熱い視線を向けているとなれば、ヴィンセントの眉間にも皺が寄る。
「レオナ……」
「ンぁ? なにさ?」
「よだれかけしなくて良いのか?」
冷静にヴィンセントが皮肉ってやるが、どうもレオナの心境はそれぐらいじゃ動じないくらいに昂ぶっていたらしく、じっくりと遠巻きから、さながら美術館で絵画を鑑賞するようにオリガを観察していた。
そして、彼女がぽつり溢した単に、ヴィンセントは目を丸くする。
「可愛い……」
感想としてはまっとうだし妥当である、この点は誰しもの意見が一致することだろう。だが、そのごくごく当たり前の感想が、猛獣の口から零れてきたとなると話は別だ。しかも、つらつらと評価点まで並べ出す始末に、ヴィンセントは暫し開口したまま聞いていた。
「あの金髪、最っ高! マジ、サラサラじゃん! 肌も白くて、人の入ってないゲレンデみたいだし、服もバッチリ決まってる。ピンクがいい、アタシは他の着せてみたいけど。けど一番イケてるのは、あの眼だね。くっきりしてて、少し吊り目だろ? 完璧、ぞくぞくくるよ。それに透き通ってるし、ロシア人形みたいじゃないか?」
最後の一言は、意見を聞かれたのだろうか。レオナを見上げて、一瞬だけヴィンセントは考えたが、最初に出たのはやはりというか皮肉だった。
「レオナ、その流れはさっきやった」
「……はぁ?」
怪訝そうな声である。レオナは続けて「いつ?」かと尋ねた。
「ルイーズの事務所。お前、エリサと同じ事言ってるぞ、子供並みの脳味噌だな」
「アレ見て仏頂面でいるアンタがおかしいんだよ」
それには理由があるが、説明は他所から飛んできた。具体的に言うと、二人の言い合いを笑顔で楽しんでいたエリサからである。
「エリサね、ヴィンスが黙ってる理由知ってるの。……ヴィンス、教えてあげてもいい?」
「話したくて仕方ないんだろ? お好きにどうぞ」
エリサは歯を見せて笑うと、胸を張って宣言した。
「オリガは、ヴィンスのお姉ちゃんなんだって!」
「…………」
レオナの視線がエリサから、ヴィンセントへ、オリガへと移る。その間も脳味噌はフル回転し、口角から覗く牙と共に一つの結論を導き出した。
「ふ……、エリサ、それは有り得ないよ。この盆暗と、あんな可愛い子が姉弟だなんて。アンタ、担がれたのさ。ヴィンセントは口だけは達者だからね」
レオナがそう思ったのも無理はない。実際、エリサも同じ感想を持ったし、事実、姉弟にはとても見えないからだ。だが、まんじりともせずレオナを捉える二つの視線が、彼女にこれは真実だと告げていた。
となれば、銃声以外でレオナが発した中でずば抜けて大きく、トンチキな声を上げたのは無理からぬ事だったし、「信じられない」やらなんやら叫び散らすのも仕方のないこと。
しかし、捲し立てるレオナに対して、ヴィンセントは冷静にこう返す。
「……それもさっきやった」
「なんだよ一々ウルセェ野郎だね、他人の感動に水指して楽しいかよ」
「お前の場合は特に」
レオナが苛立ち加減に喉を鳴らすと、エリサからは我慢しきれなかった笑い声が漏れ聞こえる。しかし、同じ反応を喜んでいる少女の遠く背後には、腕時計を叩くダンの姿があったので、ヴィンセントも無駄口を切り上げた。
「じゃあ、俺は荷造りしてくるから。後は好きに感動に浸っててくれて構わないぜ」
「あっ、エリサも手伝うの!」
そう言うと、二人は会話しながらラッタルを上がるとハッチの向こうへと消えて行き、消化不良でもやもやしているレオナだけが渋面で取り残されるが、そんな彼女に興味を示す人物が格納口には残っていた。
小さな歩幅で早足
勝ち気な視線をレオナに送っているオリガは、彼女の横を通り過ぎると、すぐ傍のラッタルを数段上がってから振り返る。気持ちは眼に現れるもの、つまり、今のオリガはかなり強気だった。
「なんの用や、おぉ? 見せ物ちゃうぞ、ジロジロ見られんの嫌いやねん」
仕事のやりとりをする間柄だからとはいえ、必ずしも良好な関係であるとは限らない。舐められたら終いである便利屋稼業に身を置けば、オリガの挑発的な態度は挨拶代わりも同然である。
とはいえ、失礼な態度は癪に障るもので、レオナも眼光鋭く睨みを返していた。それは自然と、喉笛を噛み千切る野獣の輝きを放っていて、男でも水漏れ必死の形相と気迫を孕んでいたのに、オリガはたじろいだ様子も無く同じ目線から視線をぶつける。
「こっからの眺めはさぞ気持ちええんやろ、けどなぁ、チビでもデカ物を上から見れんねん」
「フン、ケンカ上等ってワケかい。ケガじゃ済まないよ、妖精ちゃん」
「無駄なデカパイぶら下げて吼えなや、外れた顎を胸で支える気かい」
猛獣が放つ殺意の視線に晒されて、キチンと両足で立っているだけでも大した物だ。
口元を真一文字に結んだオリガを観察すると、レオナは牙を口角を歪めて牙を見せる。笑みにしては攻撃的であるが、その表情は彼女がある種認めた相手にしか見せないものである。
「……肝座ってやがンね、アンタ。小さい癖に大した肝っ玉だ」
「見かけより頭には脳味噌が詰まっとるようやな。けど次にチビ呼ばわりしたら許さへんで」
悪態とひねくれの混ざった、何とも便利屋らしい挨拶と言えるだろう。スケール感の異なる掌を交えると、一転して落ち着いた雰囲気に変わった。
「オリガや。オリガ・カラシニコヴァ、運び屋をやっとる。よろしゅうな。あんたはレオナやろ? 噂はよぉけ聞いてるで、どこまでホンマか教えてぇな」
「薬中から聞いたんじゃなけりゃ事実だろうさ。それよか、信じられないンだけど――」
「――そうや」
内容を言う前にオリガが首肯したので、なるほど、この割り込み方には馴染みがある。したくはないが納得だとレオナは眉間に皺を寄せた。
「なんやねんその顔、ぶっさいくやな~。ウチとアレが姉弟っちゅう話やろ? セットで会うと皆、口揃えて同じことしか言わへんもん、なに聞きたいかは予想できるわ」
「その割には似てない」
「そらそうよ。姉弟言うても育った施設が同じだけで、父親も母親も別やし」
「いや、そうじゃなくてさ」
「――なんや?」
「ヴィンセントのタマは小さい」
オリガが吹き出す。
図体ある割に慎重と臆病の間を歩いているような男だ、オリガみたいな肝っ玉がどうして彼に付いていないのかレオナは不思議でしょうがなかったが、爆笑しているオリガの笑い声に彼女の要望は吹き飛ばされてしまう。
「アンタの方がまだ肝が据わってる、象のイチモツ並みだ」
「アッハハハハ、アカンて! 笑わせんといてッ!」
どうやらオリガのツボに入ってしまったらしく、彼女はひとしきり笑い倒してから、なんとか呼吸を整えて顔を上げた。それでもまだ後を引いているらしく、顔は赤みを帯びている。
「分かるわぁ~、それに、アレは心配性やからな~。とやかく口出してくるやろ? 細っかいこともネチネチネチネチ……」
「そうそう、そうなのさ! アタシのやることに文句ばっか言いやがンだよ。隠し事はばっかだし、口うるさいしで、時々ぶん殴って太陽まで飛ばしてやろうかと思うくらいさね」
レオナは八割本気であったが、むしろそれがオリガにはウケたらしく、彼女はまたしても笑いの坂を転がり落ちていく。そしてその穴は、どうもかなりの深さだったらしく、オリガが持ち直すのには、これまたそれなりの時間がかかったが、それでも残っている笑い涙を拭き取ると、小さな姉はこう口にする。
「それでもアレと組んでんねやろ? ひねくれ者と仕事しようなんて、言うとくけどアンタも相当変わりモンやで」
「別にほっぽといてもいいンだけど、目ェ離した隙にくたばってそうだからね。死なれちまっても気分ワリィし、どうせならアタシがとどめを刺してやろうと思ってンの。堪りまくった文句を最後にブチ込んでやるのさ。…………なに?」
オリガの表情は強気な同業者が仕事中に浮かべるには不似合いな温厚さであった。それは正に弟を心配する姉が見せる憂いである。
「アレは隠し事ばっかしや。人に頼らず何でも抱えて、自分で片付けようとする悪い癖があんねんよ。そのくせ、他人の揉め事には助け船を出してまう」
「……アンタにゃ話すでしょ、一応姉弟なんだし」
「いんや、あの頑固者ときたらウチにも黙りや。無理もないわ、十年以上会っとらんかったからのう。元からの性分やし変わらんとは思とったけど、酷なってる気がするわ。……面倒やろうけど、あんじょう仲良うしたってや」
はにかみで言葉をはぐらかされ、「よろしくなぁ」と気さくに肩を叩かれたレオナ。しかし、竹を割ったような彼女には珍しく、二種類以上の思考が入り交じった彼女はフン詰まった喉なりで返すだけだった。
色々考えるには時間が足りなかったのである。




