Edge of Seventeen 7
通りの向かいの喧噪は未だ静まる気配がなく、狂気体験を求めて集まり続ける野次馬達は妖花に群がる昆虫に似ていた。狂気は人を、興味を集める。怖い物見たさとでも言えばいいが、端から見ればそんな必要無いようにルイーズには思えた、殺人現場を積極的に体験したがる思考が既に狂っているだろうに。
ルイーズは狂人予備軍に背を向けて愛車のボンネットに腰掛けて、手持ち無沙汰に紙くずを掌で転がして腕時計に目を落とす。黒のセダンで乗り付けてきたスーツ姿の男達は、おそらく本物の捜査官達だろう。彼女の予想よりも少し早い到着だった。
捜査官達が路地に消えてから十分が経っているが、まだヴィンセントは戻ってこない。信頼はしていても、命令して潜入させた手前やはり心配ではある。鉢合わせていたら最悪だ。野次馬の隙間から奥が見えないかと目を凝らしたが、路地を塞ぐ警官さえ見えない。ケータイを鳴らすことも考えたが、ヴィンセントの邪魔になってしまうかも知れないので、やきもきしながらも彼女は結局待つしかないのが現状だ。
混成街とはいえ情勢が情勢で、たまに通る人間が向ける厭悪の眼差しはルイーズのストレスを高め、押し出された彼女の視線は指先へと向かう。ヴィンセントを抓りあげた二指の爪は鋭く、赤色灯が反射してより鋭利に見えた。毛むくじゃらで人間とは異なる手。本当に軽く抓っただけだった、それでも彼の痛がり様は本物だったのかも知れないとざわつく心、やはり自分は人間ではないのだと――
「おい、ルイーズ?」
「きひゃァッ⁉」
肩を跳ねさせてルイーズは頓狂な悲鳴を上げる。吃驚したのはお互い様で、ヴィンセントも少し仰け反った。
「な、なんだ、どうした?」
「いいえ、気にしないで少し考え事をしていたの。――心配していたのよ、本物の捜査官達が入っていったから」
「そうなんだよ、いやー焦った焦った。ってか見てたんなら連絡しろよな」
からからと笑うヴィンセントがルーフに寄り掛かると車体が揺れる。どこか変だなとルイーズは感じたが、神経質になりすぎているだけだと考え直した。
「ごめんなさいネェ、邪魔になるかと思って。どうだったの、成果は?」
「もちバッチリよ」眼鏡と一緒に隠し持っていた記録装置を渡すが、ルイーズが受け取ってもヴィンセントは手を離さなかった。「見るのは食前にしとけ、ダイエットになる」
「ご忠告ありがとう、心しておくわ」
巫山戯てこそいるがヴィンセントの声音は真摯で、つまり記録装置の中身はアパートの現場に匹敵するかそれ以上ということだ。しかしそれでも観なければ。
「いい身分だよなぁ~、人に捜査官の真似事させといて自分は清掃のボランティアか? 暇潰すにしても他にやることあんだろ」
ルイーズの掌で転がる紙くずをヴィンセントは見逃さない。
「これのことかしらァ?」
摘まんで眺める紙くずは水玉模様の小さなものだ。
「そこに落ちていたのよネェ、何故だか気になってしまって」
「助手よりも街の清掃を取りますか」
ボランティアとは勿論違い、ルイーズとて呆然と時間を過ごしていたわけでなかった。別件の電話を掛けるついでに車から降り、気を揉みながらヴィンセントの帰りを待っている間に見つけたのだ、路傍の石に等しく転がっていた紙くずを。しかしこの紙くずには情報屋としての勘に告げる物があって、だというのに記憶に埋没している手がかりをすんなり掘り出せないのがもどかしいかったりもした。
「どこかで見た気がしない? 貴方はどう思う?」
返事は簡潔であった。見たことあるぜ、とヴィンセント。彼は煙草に火をつけて燻る紫煙越しに不敵な笑みを向けていた。
「ああ、探すまでもねえ、俺の部屋にだってある」
「それはただのゴミでしょう」
「同じだろ。俺にはどっちも紙くずにしか見えねぇぞ」
思わせぶりな態度に期待してしまっていたルイーズは肩を落としつつも、どこか拗ねている今のヴィンセントには、何を訊いても軽口で返されそうなので、一度仕切り直しを計った。
「道端掃除するくらい綺麗好きなら俺の部屋もついでに、って思ったけどやっぱいいや」
「あら、貴方がどんな〈お宝〉を使っていても気にしないわよ?」
動揺のあまりヴィンセントは咳き込んでいた、紫煙のせいもあって盛大に噎せている。
「大抵の成人男性はそういうものでしょう」
「げっほ……、やめろって、冷静に分析されっとかえって恥ずい」
「男所帯なのだから、無い方がむしろ心配よ」
「やめろっつの、あと憐れむな!」
「心配しているだけよ。気の迷いから間違いを起こさないか」
ヴィンセントは本気で怖気を震ったらしく「勘弁してくれ」と、懇願に近い声を上げた。直接足を運んだことはないが、映像通信の際に見える彼の自室は物が散乱していて、部屋主とゴミとで主導権争いが日々続いていた。
「何度か貴方の部屋を見た時があるけれど、少しは片付けなさいな。いくらなんでもズボラがすぎるし、足の踏み場もないでしょう? あるべき所にあるべき物を置かないからよ。女性との会話の時にまでベッドの上に出しっ放しなんて信じられないわ、キチンと――」
言いさし、ルイーズはハッとした。そう思い出したのだ。
ヴィンセントも遅れてだが彼女の思考に追いつく。辱められながら、そして巫山戯ながらも考えていたらしいく、開口したままルイーズと目を合わせ、二人は同時に呟いた。
「「――ベッドの下」」
ヴィンセントが投げ捨てた煙草は排水溝へとダイブしていく。そう、男の財宝が眠る場所こそルイーズが紙くずを見かけた場所だった。
ルイーズは先に車に乗り込むと、ダッシュボードの液晶画面に先日の現場写真を映し出し、文明の進歩が恨めしくなる鮮明な画像フォルダを送って目的の一枚を探す。
「これじゃねえか、ルイーズ」
運転席に乗り込んだヴィンセントの指がアイコンの一つに触れる。死体の乗ったベッドを引きで撮った一枚が画面いっぱいに映し出された。やはり慣れないが、いま用があるのは死体ではない。
ベッドの下を拡大。自動で輪郭強調の補正が入り、拡大してもハッキリと見て取れる。
血塗れのカーペットとダブルベッドの隙間、そこには見逃してもおかしくないくらい小さな点がある。更に拡大、ぼやけた画像がくっきりするのを待ってから、ルイーズは掌の紙くずと画像とを見比べる。
「同じ物、よねぇ?」
「――に見えるが、う~ん、何とも言えねえな」
水玉模様の紙くずは果たして原石か、はたまた屑石か。二人は紙くず一つの価値を計りかねていた。画像を見る限りでは非常に似ている。
「ヴィンス、今夜はもう一カ所付き合ってもらうわよ」
既に車のエンジンは掛っていた。眠たそうな振動だが運手席のヴィンセントは構わずギアをドライブに入れている。
「行き先は?」
「三番街へ廻して頂戴、知り合いがいるわ」
緩やかな加速でキャデラックは二人を運んでいった。




