M.I.A 15
外部への連絡手段は不通のまま。しかし、アルバトロス号船内の通信がまだ生きているおかげで、キッチンで作業していたエリサも、無事にライナスが帰ってきた事を知れた。
大変な時なのは、幼くも死線を潜った経験のある少女には充分に分かっていて、だからこそ普段通りに振る舞うことの大切さは、ダンをはじめとしたアルバトロスクルーからエリサが感じ取り、学び取ったことでもある。
突然のトラブルに見舞われても、慌てこそすれパニックには陥らない。慌てふためくみんなの姿を、エリサは一度も見た事が無かった。
危険なのはみんな同じ、どこにいても、なにをしていても。
いくら身に危険が迫っていても慌てているだけでは、なんの解決にもならない。どれだけ危険な目に遭ってもダン達が切り抜けられてきたのは、めまぐるしくても、逆に状況が掴めず不安な時でも冷静さを保っているからだ。
だからダンはヴィンセントが行方不明になった時も彼を探す事が出来たし、ヴィンセントも船に戻ってくる事ができ、レオナが不安を表わさずに堂々としてくれていたからこそ、エリサもまた落ち着いていられた。なのに――
コーヒーを入れたポットを持つ手が震えているのに気が付いて、エリサは細く息を吐く。
どうしたって不安は拭えない。
ライナスが戻ってきた事をダンは知らせてくれた。
けれど、それだけだった。
きっと大丈夫だと信じているけどヴィンセントも、レオナどうなったか分からない。いつだって不安は数多の片隅に居座り、じぃっと少女を見据えている。静かな場所に一人でいると、その視線をひしひしと感じ、囁き声が不安を煽りにかかる。
――だいじょうぶ? 本当に?
――コディもそう思ってたのに?
――いくらヴィンスでも
――もしかしたら、もう
「だいじょーぶ、だいじょうぶなの」
パタパタと振られた狐耳が囁き声を振り払う。絶対に大丈夫だと信じて待つ、それこそがエリサに唯一出来る事だというのに、それさえも止めてしまったら、自ら希望を捨てる事になる。
だから諦めない、絶対に。
萎びた尻尾を立て直してからエリサが艦橋に戻っていくと、そこではダン達が束の間の休憩を取っていた。休憩と言っても身体に限った話であってあくまでも頭は回転している、緊張感を保った顔つきでこれからの対応について話し合っていた。
「ありがたい。丁度、喉が渇いてきたところでな」
「えっと……、あ、うんなの……」
「あれ? エリサ、コーヒーはどうしたんだよ」
言い淀むエリサを見据えたダンの口髭が柔和にひしゃげる、少女の手は空だった。
「誰にでも出来る事と出来ない事がある、俺にもお前さんにも。だがその無力さは罪ではない、時と共に可能性は広がっていくものだ。エリサよ、お前さんはよくやっている。強さは何も肉体に限った事ではないと知っているはずだ、心の強さはそう簡単に鍛えられるものではないぞ、そして心の強さでいうならお前さんは十二分に強い、頼りにしているよ」
厳しい視点になるかも知れないが、子供であるエリサを子供扱い(・・・・)する者はアルバトロスクルーにはいなかった。
幼い狐獣人の少女、エリサとして認め接している。それはエリサ本人にとっても、とても嬉しい事実なのだが、少女そこかは上の空でライナス達の方を見つめていた。
そして、まるで怯えるかのように慎重な声でコディを呼ぶ。
「お兄ちゃん、こっち来てなの」
「え? おれ?」
コディとしても自分が呼ばれるなんて意外だった、なにしろこの中では一番の部外者で頼るべき相手は隣にいるライナスの方が先のはず。なのにエリサは声を顰めて執拗に彼を呼びつける。
「お兄ちゃん、はやくなの」
「でも、おれより――」
ライナスの方が良いんじゃないか、そう言いかけた矢先だ。はち切れそうな緊張感を、エリサはついに吐きだす。
艦橋に入った時から彼女は、いや彼女だけが艦橋を満たしている違和感に気が付いていた。はじめは半信半疑だったが、獣ならではの嗅覚と本能が少女に危険を悟らせ、疑念はすでに確信に変わっている。
だからこそ、エリサは必死だった。
「お兄ちゃん、はやくこっちに来てなの……ッ! その人、ライナスじゃないのッ!」
空気が、固まる。ライナスは無表情に佇むだけ。
何を馬鹿なと否定しつつ、そしてまさかと瞬間の疑い。
その一瞬で全てが変わった。
次の瞬間、コディはライナスの拳を顔に受け殴り飛ばされていた。
割れた額から舞い飛ぶ鮮血。
「気でも違ったか、小僧!」
弾かれるようにダンが飛びかかったが、いとも容易く振り払われる。その力はあまりに強くダンの老体では抗う術もない。なんとか一撃を返すがライナスはまんじりともせず、むしろダンの拳の方がダメージを受け、あまりに堅い感触が彼にもついに悟らせた。こいつは人間では無いと。
「いかん! エリサ、逃げろ!」
「でも……!」
「はやく逃げ――、ぐぅっ!」
気を逸らした隙に首を掴まれ、ダンの身体がコンソールに投げつけられる。次いでライナスは首を機械的に回すと、逃げ遅れたエリサに狙いを付けた。
まるでクレーンのアームが資材を掴むように、ライナスの腕が伸びてきてもエリサは動けなかった。彼の手が少女を縊り殺そうと細い首に掛かる刹那、銃声が響いた。
吼えたのはコンソール下に貼り付けてあった短銃身の散弾銃、最早躊躇いなくライナスの顔面目掛けて銃爪を落としたダンは必殺の狙いを定めていたが、8ゲージの散弾をまともに受けたというのに、ライナスはまだ両足で立っている。
彼の顔は右半分の肉が吹き飛び、光沢眩しい金属骨格が覗いていた。
「伏せていろ、エリサ。――俺が相手だ、かかってこい」
エリサから注意を逸らすと、ダンは散弾銃を捨てて腰の回転式拳銃に手を添えた。そしてきっちり正対するのを待ってから素早く抜き撃つ。
甲高い着弾音。肉が弾けた。
銃弾は確かにライナスの眉間に命中したが、その前進を止めるには357マグナム弾でも威力不足だった。
だというのにダンはなんとも冷静に呟く。
「……ふむ、硬いな」
正面から銃撃を受けてもライナスは怯みさえせず距離を詰める、力比べでの勝敗は着いている以上、接近戦は御法度だ。にもかかわらずダンが退いたのは右足一歩分だけで、更に彼はスピン一つでホルスターに銃を収めたのだった。
「ダン、逃げてなの!」
「コディの傍にいろ。確かに硬いがそれだけだ、鈍すぎる」
重心を落とした右半身の構えは、早撃ちと精度を両立させたかつての西部に生きたガンマンのそれで、戻したばかりの銃身が一瞬のうちに姿を現していた。
狙いは正確、そして神速。
どんなに頑丈なものでも構造上の弱点というのは存在し、ダンはその弱点を的確に狙い撃った。金属骨格がいくら頑丈であれ、人型を模している以上防ぎきれない部分がある。その一つが眼底に収まっているカメラ。
放たれた弾丸はライナスの防御をすり抜けて、剥き出しの右目を貫通した。
どうやら活動に必要な部分も、人間と同じく頭に納められていたようで、鉛弾のスプーンで鋼鉄の頭蓋を攪拌されたライナスは、悲鳴の一つもあげずグシャリと潰れるのだった。
ショートした回路が火花を散らしている。
ライナスが動かなくなった事を確かめてから、ダンは銃をしまった。
「操り人形で欺き葬ろうとは悪趣味極まる。――エリサよ、コディの具合は?」
「おれなら平気……、どうなったんだ」
そう言って額を拭うコディの手は紅く染まっている。そして散った焦点を合わせると、倒れ伏した身体に息を吞んだ。
「……死んでるんだよな。これ、ライナスなんだよな」
「安心せい小僧、見た目だけ似せたロボットだ、まんまと騙されたがな。――お前さんがいなければ危ないところだった、エリサよ、良く気が付いたな」
「ダンはケガしてないの?」
「俺よりも小僧を診てやれ。それにしても何故、偽者だと分かった」
エリサは言われるより先にコディの傷口を拭っている。毛皮は、特に白い毛皮は血を吸うと目立つが、彼女は気にした素振りもなく介抱してあげていた。コディが大丈夫だと言っても彼女は譲らず、傷口を診ながらダンに答える。
「あのね、においがね、しなかったの」
「ほう、においとな」
「たばこなの。ヴィンスが吸ってるたばこのにおいが全然しなかったから、おかしいなって。でもエリサ、ロボットだなんて思わなかったの」
「誰も分からなかったよ、ほんとにそっくりだった。おれもまだ、信じられないけどさ……」
そしてコディが見下ろすロボットは、見開いた片目に彼の姿を写している。死人の眼とは異なる無表情は、もう動かないと分かっていても気味が悪い。
「なあダン。こいつがその……、偽者ってことは、ライナスはまだ中にいるんだよな」
「そうなるな、恐らくはヴィンセントと共に行動しているはずだ」
「無事だよな、あいつ等」
不安も明らかにコディが呟くが、明るいエリサの声が不穏な空気に満たされかけている艦橋を照らす。
「だいじょーぶだよ、みんなすぐに戻ってくるの、ぜったいに。そうだよねダン?」
「その通りだ、全員が戻り次第脱出する。この船は俺の家だ、誰一人欠けさせはせん。心を強く持て小僧、絶望は自らが敗北した時に訪れるぞ。お前さんは帰らなければならない、理由は判るな」
「分かってる、おれだってこんなところで死ぬ気はない。ただ、心配なんだ、それだけだよ。無線もまた通じなくなったし、ヴィンセントもどうなったか全然わからない。それにあのロボットだ、もう何がなにやら――……」
血塗れの額を抑え、ふらつく視界で立ち上がるコディはドックを見渡し唖然とした。
照明が水面の様に反射している。
しかし、波音に代わって聞こえてくるのは鉄踵の足音だ。
群れ、群れ、群れ。
ロボットの大群が群れを成して進行してきていた。
しかもだ、船側を伝い登った数体が既に甲板に上がってきている。
「あぁぁ、大変だ……ダン!」
すぐさまダンがスイッチを操作して艦橋の窓を覆うシールド下ろした。デブリの衝突にも耐えるように設計されたシールドならば破られる心配はないが、船内に入られた場合は話が異なる。
「小僧、格納庫のゲートは閉めたな」
「ああ、確かめた。閉まってるよ、でも……」
「でも、なんだ? なにが気になっている」
「乗員用の乗り込み口は他に比べて薄い、突破されるかも。一度船内に入られたらどうしようもない」
「そうか、ならばどうする?」
コディが欲したのは決定権では無く対応策だ、降って湧いた明暗を分ける選択に冷静でいる方が難しく、ダンは納得したように頷いた。
「万が一突破された時に備え銃器を集めるだけ集めて、乗り込み口から便所に至るまで全ての扉をロックし、ヴィンセント達からの連絡を待つ」
「でもダン、それじゃあ……」
大きな問題が残るのはエリサにも想像できた。
「分かっている、だがヴィンセントがゲートを開け、レオナがハッカーを排除したとして、この場での回収は不可能だ。船を出し、別の出入り口で回収する。これだけ巨大な船体だ、他にも船を付けられる場所があるだろう。……遅滞戦術、家族が帰る場所を守るのが俺達に出来る戦いだ。コディは俺と一緒に来い」
「エリサは? エリサもいっしょに行くの」
「いや、ここで待っていろ。無線機を一つ預ける、二人からの連絡を受けてくれ」
「エリサも物運んだりもできるの、たくさんいるんでしょ」
「船体状況を把握する為に一人は艦橋に残っている必要がある、お前さんにしか頼めん。俺達が戻る前に、ここの機械が点滅したら無線で知らせてくれ」
コディを伴い、ダンは走り出す。そして通路に出てから、もう一度念を押す。
「いいか、扉は閉めておくんだ、合い言葉を確認するまでは絶対に開けるな、誰の声で何を言われてもだ、出来るか?」
碧眼をしばたたかせ頷くエリサ。
「良い子だ。直ぐに戻る」
彼女ならば大丈夫だと確信してから、その頭を一撫でし、ダンは扉を固く閉じる。
アルバトロス号は家も同然、ダンとコディの移動は実にスムーズで、あっという間に格納庫にある武器庫まで走り下りた。
「あれで、正解だったね」
バッグにありったけの弾薬を詰め込みながらコディが言った。
「なんの話だ」
「エリサだよ、無線番だなんて、上手く安全な場所に残したじゃないか」
「彼女には、彼女に出来る役割を与えたにすぎん。幼さに反して肝が据わっているエリサだからこそ任せられた、そうでなければ船室に閉じ込めておく方が安全だ」
「……やっぱり、みんなどうかしてる」
そう溢すコディだが、口調は自嘲気でありつつも笑っている。
「ヴィンセントも、レオナも、ダンも、イカレてる。良い意味で」
「ふっ、便利屋をやっている理由が分かったか」
「ああ。おれには無理だってこともわかったよ。……前に、親父に言った事があるんだ、おれも仕事に連れて行ってくれってさ。でも連れてってくれなかった、信じてくれなかった訳じゃない。親父にはわかってたんだ、おれじゃあ生き残れないって」
悔しさが滲む。
コディは唇を固く結んで、バッグを投げ渡した。
「……それはちがう」
「どうして?」
「お前さんが生まれた時、言っていた。便利屋も賞金稼ぎも、職業として立派とは到底言い難い。危険と伴い、恨みを買い、眠れない夜もある。俺も奴も何度も死にかけた、足を洗ったと聞いた時は嬉しかったよ。キツい経験をしてきた、だから自分と同じ生活は送らせたくないと、まともな……、普通の人生を歩ませてやりたいと」
「期待通りにはいかなかった」
「奴の息子だからな、血は争えんというやつだ」
「そうだね。へへ……」
弾薬も銃も担げるだけ担ぐダン。
だが、いざ艦橋に戻ろうとする二人に知らせが届いたのだった。無線機が歪んだエリサの声を喚き散らしている。
『ダン、大変なの! ランプが付いたの!』
「どのランプだ、なんと書いてある」
「乗り込み口の、えっと……きみつれべるていか?」
「了解した、そこにいるんだぞエリサ。またなにか起きたら知らせてくれ」
思っていたよりも早い。無線を切ってからダンは言う。
決壊が近いのは言葉にされずともコディには事態が分かっていて、彼は背負っていたバッグをダンに押し付け、代わりに工具ベルトに手を伸ばす。
「小僧、何を考えている」
「二手に別れよう。おれが後部、ダンは前部の扉を閉めて回るんだ。その方が効率がいいだろ? 一度突破されたら止めようがない、時間を稼ぐには多くの扉を閉めなくちゃ」
「いかん。その方法ではお前さんが取り残される、戻ってこれられんぞ」
「分かってる。おれはそのまま、エンジンルームに行くよ、手動で動かせないか試してみる。一基でも作動すれば、とにかく船は出せるんだ。せっかく動いてもあんたが艦橋にいなくちゃ船は出せないだろ」
「……危険だぞ」
「どこにいても安全な場所なんてない。生き残る為に、これがおれに出来る事だから」
強がっていても怖かろう、コディの身体は小刻み震えている。
だが臆してはいなかった。
「ならば小僧、これを持っていけ」
「……なにこれ、スプレー?」
「金属用簡易結合材だ、閉鎖した扉に向けて吹き付ければ時間を稼げる」
「終わってから開けるの大変そう」
「なに構わんさ、笑い話になるならむしろ歓迎だ。だが間違っても退路を塞ぐんじゃないぞ」
格納庫の積込み用ゲートが、豪雨に打たれるように鳴り続け焦燥感を煽る。金属船体の外にはロボットの大群が列を成しているかと思うと、この場に留まる危険さが途端に圧を増してきて、その緊張感はさながらゾンビパニック映画のワンシーンに近い物がある。
となれば、会話は悠長だ。ロボットでもゾンビでも、目的が襲撃である事に変わりなく、決して友好的とは言い難いのだから。
だが、成すべき行動を起こす前に、またも無線機が急を告げる。
今度はレオナからの通信だった。




