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星間のハンディマン  作者: 空戸之間
3rd Verse Edge of Seventeen
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Edge of Seventeen 6

 眩しい赤色に染まる街路には、死の匂いを嗅ぎ付けた野次馬が群がっていた。好奇心と比べたら、知覚不能な死の恐怖など些細な物になるらしく、警官に阻まれようとも首を伸ばし、彼等は暗闇の先にある地獄を覗こうとしていた。


「失礼、通してくれ」

 そんな野次馬を掻き分けて、スーツ姿の男が路地を塞ぐ警官に向かいあうと、内ポケットから取り出した身分証を提示する。

 国際警察宇宙機構(ISPA)の仰々しロゴと不機嫌な証明写真。氏名欄にはチャールズ・ペック捜査官とある。黒縁眼鏡が似合っていないうえ、スーツにさえ着られている、ダサい証明写真を一瞥すると、彼は無感情に身分証をしまった。


 獣人のルイーズが現場に入ることが困難なことは重々承知だし、代わりに行くことに関しては文句もないが、捜査官に成り済ますってのはいかがなものかと思わずにはいられない。

 ヴィンセントは慣れないネクタイを軽く緩めて、現場を封鎖しているテープを潜った。


「どうぞ、ペック捜査官。お待ちしてましたよ(・・・・・・・・・・)、こちらへ」

 気持ち悪くへりくだりヴィンセントを招き入れたのは、先日ルイーズに捜査資料を売りつけていた悪徳警官である。他の警官から見えないように紙幣を掴ませると、ルイーズの物悲しい横顔が思い出された。『お金があれば大抵のことはまかり通るわ、獣人でも話を聞いて貰えるのよ』そう言った彼女の横顔が。

 だが、ヴィンセントの前を行く悪徳警官は彼女の思いなど微塵も感じていないようで、封鎖線から現場までの短い移動時間だけでも、ヴィンセントの苛立ちは天井に触れそうだった。


 嫌味な小言に、獣人がどうの人間がどうの、偏見に満ちたクソほどの価値もない弁舌など聞かされるだけ損というもの。いい加減に黙っていろとその背を睨み付けただけでは、警官の持論が止まるはずもなく、いっそのこと風穴を開けてやりたい衝動に駆られたが、ヴィンセントは聞こえよがしの舌打ちで我慢した。


 ……まぁ効果のほどは皆無で、ムカつく顔で振り返った警官の「ここだ」と言ったその声は、ヴィンセントの動揺を期待しているらしく、粘っこくウザったい。

 無視して現場に踏み入ると、ヴィンセントは眩しい照明に目を細め、明るさになれると今度は顔を顰める。ルイーズが現場に入ってこなかったのは別の意味でも正解だ。この臭いだけでも心を折るには十分、現場を見れば十二分、また食事が取れなくなっていたことだろう。それも今回は写真ではないので尚更だ。


 路地にまで漏れていた鉄の臭いで予想はしていたが、眼前に拡がる惨状はあまりに無残。輸血用の血液パックでも爆ぜたように地面だけでなく壁も一面血の海で、照明の光が反射して、ぬらぬらと不気味に赤黒く、何がどうなればこんな惨状になるのか見当もつかない。


 ヴィンセントは、ちらと周囲を観察して、確信と共に行動に移る。

 写真は撮るなと悪徳警官に釘を刺されたが、要はバレなきゃいい。この警官が嫌いなこともあり、ヴィンセントはシャッターを切ることに負い目は感じなかった。要所によっては眼鏡のつるを摘まんでかけ直すふりをする。隠しカメラなら盗撮も楽だ。

 血溜りを避けながら現場を見て回るが、その動きには一切の後ろめたさも躊躇いもない。むしろ堂々と動き待っているが案外バレないもので、悪徳警官はヴィンセントの挙動にハラハラしていた事だろう、寧ろそれが彼を調子づかせた。


「君、状況はどうだ。ガイシャは?」

 あろうことか、ヴィンセントは検死官の一人に声を掛けたのである。


 検死官は現場にどこか不釣り合いなヴィンセントを瞬間訝しみはしたものの、あまりに堂々とした彼の口調に戸惑いながらも答えた。

「は、はい……。被害者は人間の男性三名、死亡制定時刻は午後七時になります。身元ですが、遺体の損傷が激しく身分を証明する物がない為、全員の確認は取れていません」

「死因は?」と訊けば検死官は嘆息した。まるで気が滅入るとでもいうように。

「失血性ショックと脳挫傷です。死体はどれも異常ですよ……、御覧になりますか?」


 当然だ、頷くヴィンセント。案内された先には血の海に浮かぶシートが三枚。覚悟はしていたものの、遺体を目の当たりにすると、さしものヴィンセントも動揺を隠しきることは出来なかった。


 ――こいつはマトモじゃない。はたして現実なのだろうか。


 目を覆いたくなるような被害者の遺体は、一つは首が切り落とされ、一つは四肢を滅多刺しにされ、最後の一つは――これが一番強烈だったのだが――信じられないことに、頭部がまるでトラックに轢かれた蛙のように平たく潰され、砕けた頭蓋と脳みそが綯い交ぜになっていた。死体を見慣れているといっても限度があって、脳漿のぬめりには生理的嫌悪を禁じ得ない。


「頭もそうですが……」と、口ごもりながら検死官は四肢を潰された死体を指す。彼が示すのは不自然に抉れた喉だ。

「信じられますか、この傷。どうも手で抉られているようでして」

「なんだって?」

「ですから、こう……素手で、抉り取られているのです」

「イカレてんな……」

 連日、惨状とのご対面で疲れ切っている検死官に同情を覚え、ヴィンセントも思わず素に戻っていた。


 喉をやられた死体の脇には小さな肉塊が置かれている、あれがおそらく〈喉〉だろう。確かにあの虎女ならば人間三人をバラすくらい片手間でやりかねないが、それにしても素手で人間の喉を抉り取るとは狂気を具現化したようであり、さらに首を無くした死体が一番マトモというのもおかしな話だ。


「…………? こいつは……」

 死体の脇にしゃがんだヴィンセントは怪訝に呟く。それは既知の顔だった、知り合いと言うほどではないから彼自身、思い出すのに時間が掛っていた。胴体と首が泣き別れているからではなく、単純に覚えていなかっただけ。だが、思い出した。

 この首の持ち主は三日前に虎女に因縁をつけていた男だ。もう獣人を辱めることは出来そうにないが自業自得では同情の余地はない。こういう手合は大体まとまっているものだから他の死体はあの時の取り巻きか。


「……お知り合いですか、捜査官?」

 違うと答え、ヴィンセントは手袋を求めた。

 こういった状況で冷静に分析するには冷めた思考がいる。不快感だとか、憤りだとか、そういった類いの上に乗せる重石のような感情だ。銃爪を引く瞬間の冷めた目がヴィンセントから人間らしさを奪っていく。


 手袋を嵌めた手で白々しく十字を切ると、ヴィンセントはおもむろに生首を持ち上げて、一度だけ、小さく(かぶり)を振った。それからは躊躇なく、まるでボールでも扱うように生首を回して切断面に注目する。生々しい切り口は気味が悪いが、脊髄までも見事に両断され、血管どころか筋組織に神経の一本まで鮮明な、実に綺麗な切断面だった。まったくもって見事な腕前だ、人体解剖図に載っていても不思議ではない。


 他の死体にも目を向ける。頭を潰された方は肉親でも判別不可能だろうが、喉を抉られた方には見覚えがあった。

 件の三人組の一人なのは確定した、それはいいが、何かがヴィンセントの勘に引っ掛かっていた。凶器は刃物と素手だけ、死体には裂傷はあるが銃創がなかった。


 銃声を嫌ったのか? それなら分かるが、しかし――


 検分していた生首を丁寧に戻し、疑問を抱いてヴィンセントは顔を上げる。すると悪徳警官が目配せしているのに気が付いた。

 どうやら潮時らしい、現場の入り口にそれとなく目を遣ればスーツ姿の男が二人、本物の国際宇宙警察機構(ISPA)捜査官の登場である。当然鉢合わせるわけにはいかないので、ヴィンセントは自然な振る舞いで検死官を労うと、捜査官達とは反対方向の路地へ姿を消す。


「どうだ強烈だったろ、涼しい顔してるが胃袋捻れてんだろ」

 悪徳警官はまだヴィンセントが引っ掻きまわすとでも思ったのだろう、彼の後ろを付いてきていた。意趣が返しとばかりに警官が尋ねるが、ヴィンセントは答えなかった。考え事をしている時の馬鹿げた質問は鬱陶しいことこの上ない。


「なぁ、どんなもんなんだ、具合は?」

 わざとらしい訊き方をする。事の重大さがこの警官には分かっていないらしく、ヴィンセントはだんまりを通す。話すのが馬鹿馬鹿しいし、そもそも収集先に情報を逆提供したら本末転倒だ。事件について知りたいのなら職務を全うすればいいだろうに。


 だが、警官はしつこかった。

「なあ聞かせてくれ、獣人の女ってのはイイらしいじゃねぇか」

「あ?」

 意味が分からず言葉が飛び、理解が及べば憤りを過ぎて答えに詰まる。ヴィンセントが睨み付ける先には、トイレの覗きに命をかけるような莫迦野郎が突っ立っている。


「なにが言いたい」

「あの女さ、ただ使われてるわけじゃねェ、そうだろ? イイ身体してたもんなぁあの女ァ、尻尾ありなのが惜しい。獣人の雌はイイ声で鳴くって聞いてるが」

「……知りたきゃ羊とでもヤってろよ」

「はした金で動物に使われるってのはどんな気分なんだ。……アンタはヤったのかい? 情報料を身体で払わせるのも悪くねぇ、俺もいっちょ抱いてみるかね」


 ――そこまでが限界だった。

 ルイーズは取引相手であり、同時に仕事仲間でもある。微妙な距離感だが、知り合いを淫売扱いされて黙っていられるほど、今のヴィンセントには余裕がなかった。

「黙らねぇなら、黙らせるぞ(・・・・・)」

 低く唸ると馬鹿にも分かりやすく行動で示す。拳銃を抜き警官の頭に狙いを定めた。

「あいつは大事なモンが何かを弁えてるさ、少なくともお宅のクソよりくだらねえ御託聞かされるよか気が楽だぜ」


 眉間を銃口で睨まれても、だが悪徳警官は動じなかった。寧ろヴィンセントを嘲り挑発的に口元を歪める。絶対的な自信が彼にはあった、権力に使える自分に刃向かえる訳がないと。

「やめろやめろ、撃てるワケがねェ。解ってんのか? 俺ァ警官なんだぜ、近くにゃ大勢仲間もいる。獣人に熱あげて――」

「撃たれねえと、そう思うか、本当に? ブリキのバッジじゃあ弾は止まらねえぞ」

 READY―GUN 照準は外しようがない。ヴィンセントは銃爪にかけた人差し指に徐々に力を込めていく。


「ああ思うね」

 引き絞られる銃爪を、警官は確かに眺め、そしてヴィンセントの恫喝を鼻で笑った。いつまで経っても銃爪は落ちない。警察官を撃てば便利屋として終わったようなものだ、ヴィンセントが撃たないと確信を持って、警官は背を向けて現場へと戻っていく。「あの女によろしく」と、たっぷりの嘲笑でそう言い残して。


 一人、暗い路地に残されたヴィンセントは、不甲斐なさに歯噛みしながら銃を下ろす。怒りに駆られた頭でも心はしかし一部が冷静で、だからこそ撃てなかった。否、撃たなかった。利益と感情を天秤に掛け、その結果は御覧の有り様だ。腹の虫は収まらなかったがバッジの存在は大きく、星をかたどった金属板に阻まれた憤怒はどこにもぶつけようがなく――


「……くそったれが」


 誰に聞き咎められることもなく静かな罵声は闇に吞まれる、怒りに満ちた呟きは誰に向けたものなのか。

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