M.I.A
ドクの施設を出航してから四日――、アルバトロス号が目指すのは木星寄りにある小惑星帯である。行程は順調。
父親に対する反抗的な態度とは裏腹にコディは明らかに浮ついていて、正規クルーでは無い故に、ラスタチカの修理が完了してから時間ができた事も重なってか、一日の殆どを操舵室で過ごすようになっていた。
若干十五歳で火星圏にまで渡る一人旅に出てから早二ヶ月以上なのだ、なんの手掛かりもなかった所から一ヶ月の時間差にまで迫れば期待も膨らむというもの、それこそ睡眠と食事を除いて艦橋に入り浸るくらいで、儚い希望であろうと、彼がどれほど待ち望んでいたかが察せられる。食事に関して言えば、ダンに怒られなかったら操舵室でとっていただろう。
しかし待ち遠しいのは分かるが、アルバトロスの面々からすれば、どうやったってコディは客の域からでないので、他の面々を納得させる為にも礼を欠かせる訳にはいかないというダンの配慮があるのも、ヴィンセントにも理解できた。なので遅れた昼食として、コディが運んで来たターキーサンドを咀嚼していても、別段不満も無い。
最後の一口をコーヒーで流し込んでから、ヴィンセントは包み紙を丸めて適当に放って食後の一服に繋ぐ。ドクにはやめろと言われたが、診察室からかっぱらった睡眠薬のおかげか、ここ数日はじつによく眠れていて、頭もスッキリしているので煙草の本数はそのまま。
それに、前回の戦闘以来、要警戒の必要ありとダンが判断した為に常時艦橋には誰かが詰めているが、この数日レーダー画面は静かなものとくれば、煙草くらい吸いたくもなるさ。携帯音楽プレーヤーと雑誌、空のビール瓶を見れば、どれだけ退屈なのかは想像が付くだろう。しかし、退屈だけならまだマシで、黙っていても同じ空間にいると同席者の雰囲気というのは伝わってくるのである、つまり室内の半分を占めているのはコディの期待と焦燥感で、なんだか鬱陶しくなってきたヴィンセントは、イヤホンを外して話しかけたのだった。それでも目線は雑誌に向けたままだ。
黙っているより、話している方がこの気まずい雰囲気も多少は紛れるし、あわよくば追い出したい。……いや、追い出したい。
「いくら外を睨んでたって、見つかりゃしねえよ。目視で発見できる距離なら先にレーダーに掛かる、滅多に宇宙船が通る航路じゃないしな」
「知ってるけど他にやる事ないし」
「ダンの手伝いは?」
「テスト飛行が終わってからは呼ばれてない、従業員じゃないからって外された。代わりにレーダーの監視もやりたかったんだけど、ダメだって言われてさ」
「そりゃそうだ、どんだけ働こうがお前は部外者だからな。艦橋に入れてるだけでも充分譲ってる、高望みしすぎだ」
それに一度ヤラかしてるしな、とヴィンセントは棘を立てる。
刺さり具合はそこそこで、コディは話題を変えた。
「……機体はどうだった? AIとの相性が気になるんだ、自我のあるAIなんて初めてだし、どう調整していいのか不安だったから」
「セッティングは問題なかった。反応速度も上々だし、加速の伸びもいい。ただ速度が上がった分、俺のイメージと若干の誤差がある。まぁ、これはパイロットの問題だ、エンジンと一緒に慣らしていくさ」
「戦闘はできそう?」
「そればっかりはやってみねえと分からねえな、戦闘機動はその場の判断で変わるし、機体に掛かるストレスも段違いに跳ね上がるから、予期せぬトラブルが起こる。メカニックが努力してリスクを極力下げてくれるが、取り除けはしねえよ」
「やっぱり、すげぇよ……あんた達」
神妙な面持ちで、コディがぽつり呟いた。
「この前だって、死ぬかも知れないのに、あんたすぐに飛び出していっただろ? 全然ビビってなかった、あんなデブリだらけの宇宙空間で戦うのに。撃たれてもダメだし、デブリにぶつかっただけで死ぬってのに……どうしてなんだ」
そんなに疑問に思う事だろうか、ヴィンセントはあっけらかんとして答えるのだった。
「最高のメカニックが最高の機体を用意してくれてる。なら、飛ぶだけだ」
「そんな、それだけの理由で?」
「ダンの仕事は上がる前と後。飛んでる間は俺の仕事、それでくたばったとしたら性能を引き出せなかった俺の所為だ、恨みやしねえ。――お前もまあ、よくやったよ。良い腕してる、メカニックとしては有望株ってとこか」
……ん? 待てよ、褒めてどうする。
片眉を上げて自問するヴィンセントの背を、驚き見つめているコディは、恐る恐る問いかけるのだった。
「許してくれるのかよ、ヴィンセント?」
間の抜けた質問だ。
もしも根に持っているなら機体を弄らせなどしないし、そもそも船倉にブチ込んでほったらかしにしてる。或いは宇宙に浮いてるかだ。依然として雑誌に目を落としたままヴィンセントは続けた。
「その話ならもう済んでる、蒸し返すな。ただしこの先で秘密を持ってるようなら、頭に風穴開けて捨ててやるから覚悟しとけ、二度目はねえぞ」
顔は上げずに彼は続けたが、最後の一言だけはコディの背筋を寒くさせるのに充分な剣呑さを孕んでいる。
一般人であるコディでさえ感じ取れる感覚、ジワリと皮膚に染み込むようなその気配は、突き刺すようなレオナのそれとは対照的で、殺気と呼ぶにはあまりにも無感情だったにも関わらず、コディは思わず息を止めていた。
泣こうが喚こうが容赦なく撃つ。
標的は只の肉の塊。
女子供、年寄り?
だからどうした。それが撃たない理由になるのか?
敵対者、理由なんてそれだけで充分だ。
ヴィンセントの背中にはそう書いてあって、返答次第では撃たれるとコディは感じた。
「……隠し事なんかないよ、もう全部話した。約束する、嘘は付いてない」
コディが慎重に言葉を選ぶと、不意に気密扉が押し開かれて、新しい空気が入ってきた。
ウィスキーボトルと銃の清掃キットを下げてやってきたのは、レオナである。
「なにクソガキ。アンタまだここにいンのかよ、飽きないもんかねェ」
流石に気配に聡いレオナは、二人の間に漂う緊張感に気付いたが、すぐにヴィンセントが話しかけた事でうやむやになった。彼の口調は
「遅刻だぜレオナ、交替時間はとっくに過ぎて……ああ、お前こそまた銃撃ってたろ、火薬臭ぇぞ。筋トレと射撃練習以外にやる事ないのか」
「ウルセェんだよヴィンセント、アタシの勝手だろうが」
ズカズカと指定席に尻を乗せると、レオナは整備キットを拡げた。
ホルスターから抜いた50口径専用銃『雷哮』はあっという間に簡易分解されていく。レオナにとっては最早、手慣れた作業で手元など僅かも見ていない。
「うわ、すっげ……」とは呆気にとられたコディの感想である。
「そりゃまあ、そうだけどよ。長期航行用に新しい趣味増やせよ、もっと穏便なやつを。コディも同意見だろ? 朝から晩まで銃弄りくり回してるってのはどうよ?」
「女の人らしい趣味って意味? 機械弄りはおれも好きだし、いいと思うけど」
「もっと建設的な趣味だったあるだろって話だ。別に銃が好きだっていいけどよ、四六時中、彼氏みたいにべったりってのは良くないと思うぜ」
あくまでの個人の感想だ。が、小言を聞かされる側にしてみれば、鬱陶しい事この上なく、レオナは磨いていた遊底をコンソールに置いた。……強めに。
「エプロン付けて窓辺で縫い物してりゃ満足? しおらしくさ。ママの思い出にでも浸ってろ、バカが」
「縫うのは得意だったな、そういえば」
筋骨隆々でガサツ、そんなレオナが、細かい作業が得意だとは想像しにくい。コディが興味を持つのも当然だ。
「へ~、なんだか意外だ。レオナって裁縫できるんだ」
「刺し傷だって縫えるぞ、こいつ。上手いかどうかは別にして、だが」
ついに我慢できなくなって、レオナは二人の方に向き直った。
その口元からは鋭い牙が覗く。
「だからウルセェってのんだよ、ヴィンセント。それに他の趣味ならあるってのさ、映画ばっかり観てるアホたれめ。……つぅか、さっさと出てけよテメェ、交替しにきてやったんだからさ!」
「レーダー監視は仕事の内だ、恩着せがましく言うなって」
そして、持ち込んだゴミやらをまとめるヴィンセントだが、立ち去り際にもう一度レオナに声をかける。
「雑誌はどうする。読むなら置いとくけど?」
「ああ、そこら辺に投げといて」
放られた雑誌は、レオナの直ぐ横に軟着陸する。
「じゃあ後は任せたぞ、昼寝でもしてくるわ」
どうせ残ると言うだろうから、コディには聞かずに、シフトを終えたヴィンセントは、ダラダラと操舵室を後にしたのだった。
多分気まずくなるだろうが彼は気にしない。
他人の人間関係まで面倒見切れるか。




