Madhouse 2
ベッドに転がったところでどのみち眠れないのなら、落ち着けるとこで考えに耽ると割り切ってしまうのも手だろう。夜の長さはここ最近、特に身に染みて知っている、瞼を閉じる事が無駄な努力ならば、時間を有効活用しようじゃないか。
そういう理由も在り、ヴィンセントは子宮より落ち着く場所に身を置いていた。彼にとっては柔らかいベッドや女性の肌の温もりよりも、狭く冷たく堅いパイロットシートの方が性に合っている。
不思議だ、コクピットに座っている間は、眠れなかった事も気にならないのだから。
それは、それとして、である……
「ええ、ええ、いいでしょう。希望通りにいたします。――Mr.ヴィンセント、起きていらっしゃいますか? 貴方に寝てしまわれるとMr.ダンに任された作業が滞ってしまうのですが」
「一分前にも同じ事訊いただろ、大丈夫だ、起きてるから。粛々と作業を進めてくれって」
「ですが、先程から声ばかりで顔を見ておりません。貴方の意識がある事を確認するには会話を続けるしかありませんので、ご了承ください」
約束通り、ソフィアは朝からラスタチカのAIを修復する為にアルバトロス号の格納庫にやってきてくれていた。そしてこれまた約束通り、ラスタチカのAIに触れるより先にヴィンセントに声をかけてくれたわけだが、問題はその頻度と内容にあった。
ひっきりなしに専門用語を並べた、会話と言うより呪文に近い言葉が立て板に水で流れ出してくるのだ、そりゃ嫌気も差すさ。
だが、それはお互い様か。
ヴィンセントは機体から降りて、ソフィアにその顔を見せた。
「俺の負けだ、満足だろ。ちゃんと見てるから黙って直してくれ」
「ありがとうございます。これで作業に集中する事ができます、暫しお待ちを」
とは言えである。横で作業を眺めていても、そもそもヴィンセントの理解が及ばぬ分野の話であって、画面上をちんぷんかんぷんな文字と数列が留まる事なく流れいっても、果たしてその意味をソフィアが理解しているのかは、ヴィンセントには察する事さえ叶わないのであった。
「……どうなんだ。直せるのか? お宅、電子工学の専門家なんだろ、ダンが頼るって事は生半可な知識じゃないはずだ」
「そうですね。Mr.ヴィンセント、結論から申しましょうか」
ソフィアは椅子をくるりと回して、ヴィンセントへと向き直る。口調はあっさりと、だが彼女が告げるのは信じがたい話であった。
「AIチップの損傷が激しく、完全な修復は不可能です」
「ああ、嘘だろ」
覚悟はしていた。だが、実際に突き付けられるとダメージは大きい。これで今まで蓄積されてきた戦闘データは消滅、ヴィンセントにとっては最も信頼の置ける相棒を失ったようなものだ。
「早合点しないでください、Mr.ヴィンセント」
「お宅は冷静でいられるだろうよ。けどなこっちは命綱が切れたも同然なんだぜ、お宅でダメなら誰が直せる? ロシア式でぶったたいて直せるならとっくにそうしてる」
「修復が不可能というのは、その必要が無いという意味なのです。理解できますか?」
――いや、全然。
ヴィンセントは真顔で首を振る。修復の必要がないのなら、ラスタチカのAIは正常な状態にあるということになるが、実際は意味不明な文字列を吐き出したまま、外部からの入力を拒絶している。現状が正常なら、これまでが異常だったというのか。
「それでは説明いたします。ですが、その前に一つお尋ねしたい事がございますので、お答え願えますか。正直にお答えいただいて結構です」
「遊びなら付き合わねえぞ」
死活問題の最中であると辛辣な返答を、ソフィアはYesと解釈したらしい。彼女は画面へと向き直った。
「ではお尋ねします。機械に魂は宿ると思いますか?」
「……藪から棒だな、おい。科学者の質問とは思えねえぞ」
「お答えいただけないのなら、修復は諦めていただくしかありません」
片方はマトモな人物かと思っていたが、どうやらソフィアも変わり者だったようだ。ダンの言葉不足を恨みながら、ヴィンセントはまた首を振った。
「他人の信仰にケチはつけねえ、自由に信じればいい。ただ俺個人の信仰について尋ねてるなら、ありえる訳がねえ」
「興味深い、それは何故ですか?」
声音は同じでも好奇心が押し寄せてくるのが分かる。なんで科学者と機械生命に関する討論をしなくちゃならないんだ。
「何故って、魂ってのは生き物に宿るものだからだ。生命ってのは死を迎える事が出来るもので、命の終着点である死があるから生がある。半永久的に稼働する機械には死って概念は当てはまらないだろ」
「果たしてそうでしょうか。感情や記憶、特に生命の特権とも言える感情さえ、脳に生じる電気信号の産物に過ぎず、それはつまり記憶や記録と同様にAIチップ上で再現、蓄積が可能であることの証明ではありませんか。また、能動、受動に関わらず感情を感知、或いは表現することが可能ならば、機械であろうと『生きている』とは言えませんか?」
ヴィンセントは言葉に詰まる。返答の予想はつくが訊かずにはいられなかった。だって、あり得るはずが無いだろう。
「……待てよ、なにが言いたい」
「ラスタチカのAIは生きています。稼働状態にある、という意味ではありません」
「はっ、まさか」
意識せず、ヴィンセントから乾いた笑いが漏れた。
「生命起源論にはいくつかの仮説がありますが、原始の生命が偶然により誕生したようにラスタチカAIに芽生えた自我は、生命の誕生と同様の天文学的確率による現象であり、『進化と呼ぶに相応しい奇跡』です。自我を有し、完全に独立した『個』を得た彼女、或いは彼にとっての故障とは、人間にとっての身体的損傷に等しく、重度の場合はその機能を喪失、つまり貴方が言うところの『死』を迎える」
「だが、データならいくらでもコピーできるだろ」
「Mr.ヴィンセント、それは人間も同様なのです。現在の技術では非常に高い危険性を伴いますが、理論上、人間の記憶を第三者や電子的記録装置に複製することは可能です。但し、ラスタチカAIに関しては、不可能だと断言できます。なぜなら、ラスタチカAIに発生した自我はエヴォル嵐によって生じた雷が機体を流れた際にAIチップの一部を変質させた事に起因していて、仮に記録データを新しいAIチップに移行したとしても、複製されたAIに自我が生じる事は絶対にあり得ません。つまり――」
それは大多数と似て非なる『個性』、やがては訪れるであろう『死』の概念を土台として、ラスタチカは『生命』を獲得した。
「あり得ない……」
「Mr.ヴィンセント、貴方がそう思うのも無理はない事です、私もこの目で見るまでは信じられませんでしたから。ですが、今の貴方の反応こそがラスタチカAIに芽生えた自我の証明となっています」
こうまで理解が追いつかないと言葉も出ない。ヴィンセントはただ口を開けたまま、ソフィアが話すのを待った。
「若干の補足は致しましたが、これまでの会話は、私を通したラスタチカAIが話していたものです。私は画面上に表示されたAIの意思を読み上げたに過ぎません。Mr.ヴィンセント、貴方はAIとの会話だと見抜けましたか?」
黒のレドーム、白銀の肢体に走る蒼き入れ墨。そのボディラインはセクシーの一言に尽きる、漆黒の宇宙を切り裂く流麗なる刃を、ヴィンセントは眺めていた。
「Mr.ヴィンセント、AIは機体に入っていませんが」
「俺にとってのラスタチカは掌サイズのチップじゃなくて、あの機体そのものなんだ、ちょっと黙ってろよ」
ヴィンセントの乾いた唇が、小さく音を立てる。重大な結論を出す大事な瞬間に、ちゃちゃ入れやがって……。
「AIは元には戻せない、そうだな?」
「不可能です、先程申し上げましたとおり」
「OK、俺が知りたいのはその先だ。今のAIを積んだとして、以前のように飛べるのかどうか。お宅の機械生命論を抜きにした技術的な話をしてくれ」
「断続的な処理を行っている為、現在の処理能力ではむしろ性能が落ちてしまいますが、機体にCPUを増設すれば性能を維持したまま飛行することは可能です。ですが、これから先も同じままであるかと問われるならば――」
「飛べるんだな?」
それだけ知れれば良い。空で起きた以上、それがどのような異常であろうと共に上がった翼は見捨てない。僚機、後席手、それが例え機体に搭載されたAIであろうともだ。
「……AIユニットを改修して積むまでどれくらいかかる」
「二十四時間、作業用ロボットの使用を許可されるならばその半分ですが、実行するには貴方の信頼が必要になります」
「信頼ね」
「その通りです、Mr.ヴィンセント」
やはりその表情は微動だにしなかった。そして彼女は続ける。
「私達に敵意はございません」
「悪いな、その台詞を聞いた後にいい思いをした記憶がないもんで」
「便利屋の性というものでしょうか、用心深くていらっしゃいますね。私としましても今後の作業効率アップの為に、誤解を解きたいのですが今は時間がありませんので、後ほどに致しましょう。作業の準備は進めておきますのでご安心ください」
「なに言ってんだ。時間ならあるだろ、まだ昼前だぞ」
と言っている間にも、ソフィアは身支度を整えて白衣の皺を伸ばしていた。
「いえ、これからMs.エリサと施設内を回る約束をしておりますので。楽しみにしておいででした、好奇心旺盛なお子様です。ああ、そうでした、昼食にはいらしてくださいね、毒などは入っておりませんのでご安心を。では、そろそろ失礼しますわ」
言うが早く、大きな尻尾で背中を隠してソフィアは船から降りていき、取り付く島も無く見送ったヴィンセントは、彼女が座っていた椅子に尻を乗せる。
煙草が入った紙パック
ライターオイルの香り
立ち上る紫煙は産声に向けて
ヴィンセントが見つめるメンテナンス用液晶画面は沈黙している、まるで自身を覗く人物を注視するかのように。




