Welcome To The Black Parade 9
「そら、見えてきたぞ。――ライナス、発光信号の準備を」
日は変わり、昼過ぎのアルバトロス号の艦橋では、ダンが目的地への着艦作業に備え操舵席に座っていた。安全な航行とは退屈な物だが、無事ならそれが一番だ。
「無線じゃダメなんスか?」
「コミュニケーションの方法は多様だ、誰にでも通じる物などありはせんよ。時、場所、相手、様々だ、挨拶で左手が相手への侮辱になるやも知れん。メッセージは――」
…………どうするのか?
ライナスは首を向けたまま待つが、言いかけたダンの眉間には皺が寄り、つぅい~っと艦橋を見渡すのだった。
「今日は何日だ」
「火曜日ッス」
「二十日なの、十一月の」
好奇心に誘われ、レーダー手席にちょこんと座りながら外を眺めていたエリサが振り向く。褒められると、彼女ははにかみながら尻尾を軽く振った。
「ありがとうエリサ。……それからライナス、お前さんもな。メッセージは『電気羊の夢』、向こうから返信があったらそれに答えろ」
「でもドコに打てば? 船もコロニーも見当たらないッスよ」
当然だ。アルバトロス号が飛んでいるのは、正規の星間地図にも、便利屋が使うより細やかなエリア地図にも、何も存在しない平和な宇宙として載っているくらいで、艦橋から見える物と言えば、直径二キロと少しの小惑星くらいのものだが、ダンはその取るに足らない小惑星に信号を送れと指示を出す。
「あのおっきな石に行くの?」
「うむ。普通の小惑星とは多少異なるが、その通りだ」
ライナスの指先に合わせて艦橋上部の探照灯が明滅し、数秒後には小惑星がパチパチと瞬く。しかし、傍まで行って眺めていても、エリサにはどういう理屈で会話が成り立っているのか分からず、ライナスの服をちょこっと引いて尋ねる。
「ねえねえ、ライナス? どうやってお話ししてるの?」
「んえ? ああ、これっはスね、モールス信号っていうんスよ。短いトンって光方と、長いツーって光方で文字を伝えるんス。アルファベット一文字ごとに組み合わせが決まっててッスね、光以外でも――」
「エリサへの授業は後にして集中せんか、ライナス」
和やかに諭され、ヤバっとライナスは眉を上げて、エリサはおこられちゃったねと笑う。
「ダンさん、船名と責任者の名を教えろと言ってきてるッス」
「構わん、答えてやれ。それから入港許可を」
「了解っス」
するとどうだろう、突然周囲が明るくなり、小惑星からのガイドビーコンが光の道が如く現れたのである。とはいえ、これだけならばコロニーなどでもお目にかかれるので、さして驚く程の事でもないのだが、一件何の変哲も無い小惑星が、その表面に偽装したドックの入り口をぱっくりと開けたとなれば、エリサが驚きに声を上げるのも理解できるところだ。
航空機の離着陸、そして船舶の入着港は操縦士の腕の見せ所、勿論アルバトロス号のコンピューターに任せて自動で入港する事も可能だが、ことこの場においては機械よりも自らの腕の方が信頼が置け、操縦席のダンは慎重且つ的確に、船を操ってみせる。
「相対速度合わせ、入港まで三〇秒」
光の道を辿り、アルバトロス号は緩やかにその船体を、小惑星の中へと進めていく。ドックの中は見渡す限り、眩しいくらいに漂白された機械で埋め尽くされていた。
船体前部のスラスターが逆進をかけ、船が止まる。それは転がるボールが自然と止まるように静かで、周りに見とれていたエリサは、景色が止まってもまだ停船している事に気が付かないくらいだ。
「船体固定、エンジン停止確認っス」
「うむ、御苦労。――エリサ、すまんがヴィンセントの奴を起こしてきてくれんか。徹夜明けだ、おそらく、まだ寝ているだろうが」
エリサは頷くと、ぴょんと走り出してラッタルを下っていく、おしごとなのは彼女にも直ぐに分かった。狭くて広い船内も、最早エリサにとっては庭も同然で、雪が風に乗るように走り抜けてヴィンセントの部屋をノックするまで一分と掛からなかった。
「ヴィンス、おきてるの? ダンが来てっていってるの」
返事がなくてノックノック。
「ヴィンス、入っていい?」
「ああ、起きてるよ。ドアなら開いてる、入るか入らないかはお好きに」
整理から解き放たれた物達、澱んだ煙草のにおい。
ドアを開けると、ヴィンセントは雑誌を顔に乗せたままベッドに横たわっていた、普段よりも見るからに気怠く、起きるつもりも無いといった雰囲気で。
「……ヴィンス、ねむってないの」
「そりゃあ、エリサと話せてるしな。寝言の割にはしっかり話せてるだろ」
歯切れの悪い冗談にエリサはぷるぷると首を振ると、ヴィンセントの顔を覆っているポルノ雑誌をそっとどけた。
「へい、お前が読むにはまだ早い。十年早いし、ジャンルも別のにした方が良い」
「やっぱりなの」
ひどいクマ。
一日、二日……、いやそれ以上かも知れない。明らかにヴィンセントの表情には蓄積された疲労が現れていて、休んでいるようにはとても見えない。嵐に巻き込まれたあの日以来、ヴィンセントの様子は徐々に崩れてきていた。
人の身体異常は外見に限らず、においにも現れ、エリサはずっと前から異変を感じ取っていた。でも、獣人故の嗅覚で同じく感じていたはずのレオナは気にするなと言うし、ヴィンセントは聞いてくれなかったが。
「休む時は勝手に休むさ、お気遣いどーも。んで、ダンがなんだって?」
「到着したから来てって言ってたの。でもね、エリサは寝てたほうがいいと思うの、ヴィンスとってもきもちわるそう、倒れそうだよ」
「これ以上倒れようがないさ」
仰向けのまま諸手を拡げたヴィンセントに心配を一笑に伏されても、エリサは腹を立てたりしなかった。むしろ彼のどんよりとした眼が不安を加速させる。
「……はぁ、そんなツラすんなよ、只の寝不足だ。俺なら平気だってエリサ、本当に。どうせならコーヒー淹れてくれねえか。オイルみたいにドギツいエスプレッソを、眠気には一番利く。商談相手は?」
「分からないの、エリサ会ってないから」
「そうか。じゃあ……、ダンに伝えてくれ、着替えてから行くって」
そう言うなりヴィンセントはベッドから起き上がり、着替えを理由にエリサを追い出しにかかった。といっても、ヴィンセントの半裸など日常的に目にしているエリサは、は大して慌てた様子も無く尻尾を振って後ろを向いただけだった。
だが、いざ部屋を出ようとした時だ。
「……? ヴィンス、いまなにか言ったの?」
「んあ?」
上半身裸のまま新しいシャツを掴んだのヴィンセントが、素っ頓狂な顔で素っ頓狂な声の返事をし、耳を澄ませてから首を振った。
「いいや。何か聞こえたのか」
エンジンも停止している為、格納庫の会話も聞こえそうなくらい船内は静かで、聞き間違いなどあるわけがないが、エリサは聞こえた音を空耳だと信じるように笑顔を浮かべる。
「ううん、気のせいなの。えっと、ヴィンス、早く来てね」
返事も待たず、エリサは部屋を後にする。
頼まれた伝言よりも彼女の胸を占めるのは、先程聞こえた言葉である。それは確かにヴィンセントの声だった、確かに呼ばれたと思った、だからエリサは振り返ったのだ。
……でも、確かめられなかった。自分の事を呼んだのか、そして何と言ったのかを。
殆ど逃げ出したようなものだ。これは、そう、人でごった返すショッピングモールで、はぐれた父親と思って引いた手が、まるで別人の手だった時のような恐怖感そのまま。
ヴィンセントは、彼女の事を呼んでいた。
その背に向けて、
名前を呼んだ、
――エリサとは、違う名前を




