Welcome To The Black Parade 5
なんとも妙ちきりんな事があるものだ。例えば、そう、右に投げたボールが左から飛んできたような不意打ちに遭い、レオナは理解が追いつかないとばかりにあんぐり口を開けている。留守電の再生が終わって暫くしてから、彼女は怪訝に尋ねるのだった。
「オネスト・ミドルって、アタシ等が探してた記者だろ。……なんで此処にいる? つぅかよ、エリサの親父は一体何モンなんだ」
と、訊かれたところでヴィンセントにも知る由はなく、肩を竦めるばかりだが、明らかになった事もある。無論、伝言が残されている日付から鑑みるに、会う事は叶わなかったろうが、アルバトロス商会が探している記者――オネスト・ミドル――は金星に持ち込まれたと噂になっていた危険物に関して、エリサの父親が何らかの、そして重大な情報を持っていると確信し接触を図った。
『ブラック・パレード』この単語にどれ程の意味があるは分からない。だが、ヴィンセントは、どこかで訊いた事があるような気がしてならなかった。
記憶野の奥底にまで木霊する単語の残響。
ふんわりとした曖昧な感覚だが間違いなく聞き覚えがあり、しかも一度きりではないと断言出来るのだ。なのに、まるで夢の中で見たワンシーンのように捉えようがなく、触れようとすればするほどイメージは霧散していく。どこで耳にしたのか思い出す事が出来ない。
と、ヴィンセントは腹に衝撃を感じて我に返る。レオナが放った本が床に落ちた。
「シカトすンなよ、ヴィンセント。アタシの言った事聞いてた?」
「焦るなよ。俺も頭が追いつかなくなってきた、船に戻ってからゆっくり考えようぜ。記者がこのコロニーにいたんだ、まだいるかもしれない」
知りたい事は、記者を見つければ全部ハッキリするだろう。
しかし、レオナは鼻で嗤って立ち上がるのだった。警戒心を露わにしながら。
「そうじゃねえよタコ、早いトコ引き上げるっつったの」
今度はヴィンセントが質問側に回る番だ、どうやら大事な部分を聞き逃していたらしく、リビングの窓から外を覗くレオナに付いて、「なんで?」と阿呆らしい口調で問う。
「盗みってのは入る時と出る時が一番神経使うのさ、見られちまったら一発だからね。けど鍵は壊されちゃいなかった、八桁の暗証番号なんて解読しようとしたら時間かかってしょうがないってのに」
「……盗みに関して詳しいな」
「アンタの皮肉ってマジでムカつくな」
だが、レオナの言う事にも一理ある。色々と不審な点がある盗みだが、確かにその第一手、どうやって素早く、他の住民に怪しまれずに忍び込んだのか、ヴィンセントは考えを巡らせた。そして行き着くのは、この部屋に付いている暗証番号式錠前と、この部屋が賃貸であるという事実である。
この手のアパートは低所得者層向けに造られていて、鍵の交換など一々しない。八桁の暗証番号は借り主が自由に設定可能だが、万が一――例えば、家賃を滞納した借り主が夜逃げした場合などの備えもある。
思い至ったヴィンセントから漏れたのは、これまた阿呆らしい、母音一音であった。
「そういう事さ、見てみな。あの女、アタシ等の車調べてやがる」
言われて、隠れつつ通りを見れば、買い物袋を抱いた四十代半ば、人間の女性が、アパートの前に停めてある黒塗りのダッジ・ラムを怪訝そうに眺め、それからこの部屋の窓を見上げると、急ぎ足でアパートの入っていった。
辺りを気にしながらも、それを隠したあの振る舞い。
交わした視線、レオナも同意見らしい。
管理人を締め上げて誰から頼まれたのか聞き出すべきだろうが、エリサ連れて撃合いは御免だ、客が来る前にずらかった方が良い。
「エリサ、出れるか? ちょいと事情が変わった、急ぐぞ」
すぐさま二人は子供部屋へと取って返し、まだ空のままのボストンバッグに、あれやこれやと詰め込んでいく。いきなり顔色変えてやってきた二人にエリサが驚くのも当然だ。
「え? え? どうしたの? おしえてなの、エリサまだ――」
「悪い奴らが来る、ここにいるのが知られた。目的は分かんねえけど、逃げた方が良い」
「でも、ここエリサのお家なの、パパとくらしてた」
別れを惜しむ時を与えてやりたいのは山々だが、そんな時間はどこにもないと、冷酷ながらレオナが告げる、キツい真実とセットで。
「管理人ってババアでしょ、歳は? 四十?」
「エ、エリサわからないけど、わるい風に言わないでなの。おばちゃん、いい人なの」
「大方、金でも掴まされたんだろうよ。所詮、人間さ、簡単に靡きやがる。そのババアが、アタシ等の車調べてやがったのさ、泥棒を部屋に上げたのも同じだよ」
「やめろってレオナ!」
この部屋にある、いや、このコロニーの全てがエリサの思い出だ。買収云々についてはレオナと同意見のヴィンセントだが、わざわざ踏みにじる必要はないだろうに。
「エリサ、言いたい事もあるだろうけど話の続きは船に戻ってからだ」
緊急事態だと語る二人の気配は、鬼気迫るものがあり、その意味を違わずに受け取ったエリサは「……うん」と静かに頷く。けれど――「でもね、少しだけまってなの」
エリサはリビングに立ち、しっかと前を見た。
ダンに頼み込んだ時から分かっていた、この部屋に帰ってくるのはこれが最後になると。だからせめて、沢山の思い出を持っていこうと思っていたのだ。けれど……。
少女の碧眼に写るのは、在りし日の日常。
本当にしたかったのは、そうじゃない。手に取れる思い出よりも、もっと大切な物はすでに胸の内にあったから。だからエリサはその瞳を通じて、かつての自分の姿を見る。
楽しげに笑う自分と、パパとの日々を。
笑顔に溢れ、幸せだったあの日々を。
楽しかった、嬉しかった。その全ては過去形だ、けれど確かに幸せだった。
だから寂しくなんかないよ? エリサはだいじょうぶなの。
そこにいた二人に微笑むと、くるりと彼女は振り返った。
「ヴィンス、行こうなの!」
ぎゅうぎゅうに膨れたボストンバッグを抱えて、彼等は裏口を通って慌ただしくアパートを後にする。
いってらっしゃい
いってきます
旅立ちの挨拶は、エリサの心に響いて――




