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星間のハンディマン  作者: 空戸之間
3rd Verse Edge of Seventeen
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Edge of Seventeen 3


 振り出しに戻らなかっただけでも儲けもの、はてさて狙撃地点とおぼしき廃ビルを見上げヴィンセントは煙草に火をつけた。防音用のフェンスの中は静かで、作業している様子がない。業者の都合か何かで解体作業が中断されているのだとしたら、人目に付かないこの建物は狙撃地点にうってつけといえる、最上階まで上がらなくても高さも足りそうだ。


 問題はどこから侵入するかだが、悩む必要は無さそうだった。ヴィンセントは地面に落ちている壊れた南京錠を拾い上げると、鏡面かと思えるほど滑らかな切断面を撫でる。鍵は開いていた、賞金首もここから入ったのだろう。


 狙撃があったのは昨日。すでに現場から引き払ってはいるだろうが念には念をである。ヴィンセントは右腰のバックホルスターから銃を抜き、遊底を軽く引く。黒いポリマーフレームの隙間から初弾が装填されていることを確認すると、親指で安全装置を外す。


 準備こそしているがこいつを使うような展開は避けたいのが本音、ナイフ使いの殺し屋と接近戦なんて御免だ。――そう思いつつ、埃でざらついた廃ビルの階段を上っていくヴィンセントの足音が、冷たいコンクリートの静寂に不気味な反響を鳴らしていた。


 まず目指すは最上階、探索は上から下へと行う。遠くを狙うには高所から撃ち降ろした方がいいはずだから、上からという選択肢は間違いない。その為には当然最上階まで上がることになるのだが、解体作業中の廃ビルにエレベーターなどあるはずもなく……。


「これで……空振りだったら、笑えねえな、マジで」


 吸い殻は階段の途中で吐き捨てた。ようやく昇りきり、ヴィンセントは額の汗を拭う。工事は初期段階で中断されたようで、中途半端に解体された最上階にはまだ壁が残り、部屋を成していた。一応の警戒を保ったまま南側の部屋を見て回る。最初に調べたのは通りに面した南東の角部屋だ。がらんどうのその部屋は素晴らしい見通しで、教会もよく見える。


 ――ここにきてやっと運が向いてきたらしい。


 汚れた床に頬をすりつけんばかりにしゃがみ、ほくそ笑むヴィンセント。窓から少し下がった室内で彼が見つけたのは、床面に残された、重たい荷物を引き摺ったような真新しい擦痕(さっこん)である。思い出してみれば、あの虎女が持っていたギターケースは楽器を入れているだけにしては重量感がおかしかった。それにあのサイズ――分解したライフルをしまうくらいの余裕はある。ともすればこの擦痕はやはりギターケースを置いた時のものか。


 当時の状況が目に浮かぶよう。ケースを支えに銃を構え、伏せ撃ち状態から狙ったか、しかし、高低差がある分比較的狙いやすいとはいえだ……。


「教会まで四ブロック半、九〇〇メートルちょいってとこか……。よくこっから狙ったもんだ、すげぇな。人なんか見えやしねえ」


 教会前を通る車でさえ米粒以下の大きさで、これでは人の頭はおろか、そもそも個人判別すら困難なのではないか。本当に狙えるかどうか、実際の距離を体感すれば疑いも湧き、失敗したとはいえ、この距離から狙おうと考えつくだけでも狙撃手の自信が窺えた。


 一歩、いや半歩か?


 とにかく前に進んでいるのだがヴィンセントの表情はどこか浮かない。こう……腑に落ちないというか、どうにも気に入らなかった。狙撃に関しては素人だが何かがおかしいと、そう感じる。ここから撃ったのは間違いない。命中の自信があるからこそ、教会が指の陰に隠れるこの距離から狙った――しかし、何故……。


 ピリリリッ――


「うぉッ――――⁉」


 思案に沈み始めたヴィンセントだが、突然の着信に肩を震わせた。考え事の最中の着信は心臓に悪い。まったく空気を読めよと、銃をホルスターに戻して彼は電話を受ける。


「はいよ、ヴィンセントでござい」

『どうしたのヴィンス? 何かあったのかしら』


 ヴィンセントには若干の怒気があり、電話越しにルイーズの困惑が伝わってきた。反省に頭を掻きながらなんの気なしに教会の方へと目をやると、小さくて真っ赤な点が教会の前に転がっている。相も変わらず目立つ色だ。


「なんでもねえよ、そっちこそどうした? トラブルか」

『いえ、私の用事は済んだから合流しようと思ったのよ。今どこにいるの? 貴方』

「お前が見えるとこ」

『ふふっ、どこなのよ一体』


 九〇〇メートル北。そう伝えるとヴィンセントはからかうように鼻を鳴らす。


「真っ赤な車だぜ。これなら、マジで狙えるかもな」

『本当に見えているの?』

「当たり前だ、本職がパイロットだって事忘れてもらっちゃあ困る、目が悪くちゃ話になんねぇって。ところでルイーズ、馬鹿と煙以外で高いところが好きなものと言えば?」

『貴方でしょう?』


 ルイーズは冷静に答えた。


「それは飛行機に乗ってる時に限る、高いところは好きだけどよ。ってかノータイムか」

『ふふっ、うそよ』微笑の中にルイーズは確信を得たのか、続けて訊いた。『――狙撃手。なにか見つけたわね』

「とりあえず場所だけな。協会から四ブロック北へ行った廃ビルの最上階、南東の部屋だ。手ぇ振ってるの見えるか?」


 ヴィンセントは気怠く立ったまま。左手はポケット、右手はケータイ、振る気はない。


『いいえ、ビルは見えるけれど。どうパイロットさん? 手がかりはありそうかしら』

「うーん、どうだろうな。痕跡はあるが手がかりは難しそうだ」

『残念だわ。期待していたのだけれど』

「専門家じゃないんだ、しょうがねえだろ。ただつい最近誰かが入ったのは確かだ、廃ビルの上でキャンプした物好きがいる。場所が分かっただけでも良しとしてくれよ」

『そうね……』

「安心しろ、これから気合いれて調べるって。ここまで来たんだ、なにか見つけねえと……それに気を落とすのはまだ早い。ルイーズ、収獲は他にもあるんだ」


 勿体振るヴィンセントにルイーズは食い付いた。


『聞かせてもらえる? ヴィンス』

「あ~、それが長くなりそうなんだよな。合流してからでいいか」

『構わないわよ、しっかり報告挙げてもらえればネェ』

「OK、ほんじゃあ調べてから下りるから、ビルの前で待っててくれ」

『分かったわ。ああ、ヴィンス、現場の写真忘れないようにネェ』

「分かってるよ」


 何が役に立つか分からないので、写真は撮っておいて損がない。もしこれで写真を撮り忘れたりしたら、本気でルイーズを怒らせることになるだろう。もしくはもう一度、階段をダッシュで上るかだ。


 ヴィンセントはケータイをしまい、上着のどこかにあるはずのカメラを探す。コンパクトなのは結構だが軽すぎてどこにしまったか分かり辛いのは、何でもかんでも小さく出来るようになった技術の弊害で、パタパタと上着を探る彼は、さしずめダサいダンスを踊っているかのようだったが、ふいに感じた違和感にその動きを止めた。



 ――――?



 薄い気配。感じるそれは離れた虫の羽音を聞いたような錯覚に似ていた。

 ゆっくり目線を上げて外の景色を眺める。隣のビル、遠くのビル、人影蠢く無数の窓に索敵の目を這わせていた。一瞬前まで、嫌がりながらも捜査を楽しんでいた筈なのに、今のヴィンセントからは一切のゆとりがなくなっている。


 頬を撫でる風に混じり、乾いた視線を感じる――。


 思い過ごしだろうか、それとも単に自意識過剰? ――そんなわけがあるか。ヴィンセントの面持ちは銃口に晒された緊張に充ち満ちていた。

 あるはずのない可能性を即座に否定、危機に瀕している感覚を間違えるようでは今頃宇宙の藻屑と成り果てている。


 息を潜めた照準の気配、聞こえるはずのない槓桿操作の動作音、致命的な瞬間に心臓が早鐘を打ち、「離脱セヨ」と本能が囁く。廊下まで十数歩……悟られないように彼が右足を下げた瞬間だった。


 ぞくりと――、ヴィンセントは肌が粟立つ感覚に襲われる。柔い風など最早感じず、押しつぶすような圧倒的気配が部屋を支配していた。この粘つくオイルのようで、氷よりも冷たい視線は間違いない敵意と殺気。垂れ落ちる汗は身体に反して冷たく、ヴィンセントの背を撫ぜるのは震えんばかりの寒気だ。前を向いたままで背後を確認しようと、彼の目玉は裏返らんばかりに横を向いていた。そう――その敵意は背後からヴィンセントを狙っている。


 コンクリートうちっぱなしのこの部屋は、狂獣が捕らえられた檻にでも変わったようだ。

 脳内に響くアラート。今にも食い殺される状況のただ中にあるのに、ヴィンセントはだが動かない。いや、動けなかった。生身で受けるには凄まじい殺気が、恐怖が彼を縛り付ける。


 ――ならばその檻の中にいる自分はなんだ? 


 どれだけ目を横に向けても背後は見えず、すぐそこにいる狂獣に背を晒し続けるプレッシャーはヴィンセントを押しつぶさんばかりだが、それでも反撃の意志を折られた訳ではない。


 右手の指先を緊張に固め、ヴィンセントは銃をしまったことを悔やむ。利き手で銃を抜きたいが、右のホルスターは背後、抜こうとすれば即座にバレる。となると右脇のショルダーホルスターから左手で抜くしかない。丁度相手からは死角。ぬるり、蛇が忍び寄るように――カメラを探したまま宙ぶらりんだった――左手が伸びる。


 正対どころか不利な状況からの早撃ち勝負になるとは、望むところではないが、そっちがやる気ならやってやる。

 にじみ出た覚悟が薄い膜となって、まとわりつく恐怖を遠ざける。ヴィンセントの動きからは硬さがなくなっていった。


 必要なのは速さと正確さ、人差し指が銃把に触れる。


 ごくり、喉を鳴らす。

 一瞬が勝負。


 開いた指先は銃把を掴む時を待ち、見開いた目を照準の時を待つ。


 無限のような時が流れる中で彫刻が如く不動、きっかけになったのは床に弾けた汗だった。耐えられなかっただけかも知れないが、ヴィンセントは素早く銃を抜くと同時に背後へと照準を向け、銃声が轟く――はずだった。だが、室内はしん、と静か。


 振り返ったヴィンセントの前には誰もいないが、それでも彼は僅かも集中を解かず、廊下側の壁を凝視する。見えないだけでそこにいると確信出来るのだ、刺し殺すような殺気は衰えていないのだから。


「その図体でかくれんぼは似合わねえぞ」


 到底人間が放つものとは思えないプレッシャーと、静寂がヴィンセントの精神を圧迫する。

 渇いた喉で軽口を叩く間にヴィンセントの右手も銃把に伸び、二挺揃いの拳銃が並ぶ。二つの銃口で警戒しつつ一歩を踏み出した。いっそ銃爪を引きたい衝動に駆られるが、厚いコンクリートの壁は抜けないのでここは我慢だ。


「出てこいよミス・タイガー、一勝負と行こうぜ」


 唸るヴィンセント。瞬きすら危険な気がした。零コンマのシャッターで命が狩り落とされかねない緊張が胸を締め付けるが、彼は僅かも下がらない。第一何処にも逃げ場がないのだ、無事に地上に降りるには見えざる敵を撃ち倒すほかなく、銃を持つ手に力が入り、浅く速い呼吸が繰り返される。照準の微細な上下は呼吸と連動していた。


 ――………


 銃爪は軽い。まだ拳銃の距離で捉えれば即座にブチ込める。一瞬を逃さぬ為に視神経と指先が直接繋がっていくようだった。


 ――――……


 まだ仕掛けてこないのか、いっそこっちから仕掛けるべきか。いつまでも壁に銃を向けていたところでどうにもならない。


「………………?」


 長すぎる沈黙にヴィンセントは眉根を寄せる。まるで潮が引くかのように、いつの間にか部屋を満たしていた、圧倒的気配が消えていた。


 逃げた、のか? いやその必要は無いはずだ。壁越しでさえヴィンセントは気圧されていたのだから、そのまま始まっていたら被害者リストに名前が増えていたことだろう。同じ名前が載るなら、賞金の受け取りリストの方がいい。


 ――仕掛けるなら先手必勝だ。


 そろり、と廊下側の壁に張り付くヴィンセント。ここは角部屋で、廊下は階段のある西側へと延びているだけだ。一呼吸の集中で廊下へと飛び出しクリアリング、彼の銃が標的を求めるが、冷たい灰色一色の廊下には誰もいない。だがそれでも、ヴィンセントは銃をしばらくの間構えたままだった。


 姿こそ見えなかったが、確かに〈いた〉。生半可な賞金首ではなく、殺気だけで人を殺しかねない、正しく化物がここにいたのである。ようやく危機を脱したとヴィンセントが銃を下ろしたのは、それから数分後のことで、大きな安堵の息を漏らしていた。


「おお、震えてらぁ……」


 見下ろせば右手の銃が小刻みに音を立てている。戦闘状態画から解放された為か、今になってやってきた身震いに、何が可笑しいのか彼にも分からなかったが、乾いた笑い声がヴィンセントの口からは漏れていた。

 生きていることが不思議でならない。正面切ってやり合っていたらどうなっていたことか。気まぐれで生かされたようにも思え、ヴィンセントは無人の廊下を見つめる。


「……戦闘機飛ばしてる方がマシだぜ、まったくよ」


 深呼吸してから額を拭えば、冷たい汗が気持ち悪い。左の銃をしまってから部屋に戻る。現場写真を撮らなければならないし、それに――。


 ヴィンセントは部屋には行ってすぐ、入り口脇に置かれていた真鍮製の小さな筒を摘まみ上げる。今し方の独り相撲で気付いたのだ、最初に部屋に入った時に見逃したのは、退室する時でないと見えない位置に置かれていたから。


 日光を煌めくそれは空薬莢。長さは五センチほどの、ライフルの空薬莢だ。一応の物証として胸ポケットに放り込むと、ヴィンセントはカード型カメラを取り出し現場を収めていく。

 さっさと終わらせてルイーズと合流しよう。

 右手に拳銃を携えたままで、彼はシャッターを切っていくのだった。


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