Teenagers 12
ホワイトアウトした視界、轟音に晒された所為で耳鳴りが止まらない。それでも操縦席に押し付けられる加速度を感じるのなら飛行している事は確かだ。両手は所定の位置にあって、両足はラダーペダルに乗っている。
目を瞬くと、ぼんやりと視界がキャノピーの輪郭を、そして外の景色を捉え出す。先程よりは明るい、灰色の景色。キャノピーに張り付いた水滴が後ろへ流れていった。
パタパタと雨粒が機体をたたく、耳鳴りも治まり始めた。
――これは雲の中、か?
『スケイルリードより全機、状況を知らせ』
唐突に無線機が鳴り、各機がそれぞれ応答していくが、3番機の後には沈黙が続いた。
ふと、雲を抜けて視界が広がる。
山間部の地平線までも見透せる青空がヴィンセントを迎え、そして左前方には彼の他に三機の戦闘機が編隊を組んで飛んでいた。
無機質な灰色の塗装の制空戦闘機は、全ての機体が尾翼に天秤をモチーフにした部隊マークを付けている。
『スケイル2より4へ。どうしたんだ、作戦前に居眠りか?』
『寝首掻かれてもあたしは助けないかんね、あんたが面倒見てやんなよ』
『後にしろ二人共、スケイル4状況は』
「……計器正常、作戦に支障なし」
即座に機体状況を確認したヴィンセントは、そのままを報告していた。最早、反射的でさえある行動に、彼は疑問を感じない。
ふと違和感を感じた時にはレーダーに敵性反応を捉え、考えるよりも先に身体が操縦桿を操り戦闘機動を始めていた。隊長機に続いて高度を取り、敵爆撃機編隊に襲いかかる。
敵の護衛機戦闘機が迎撃に向かってくる。
こちらは二機ずつに別れて散開。ヴィンセントは二番機の援護位置に付いた。
ものの数分で護衛機を撃破し、爆撃機への攻撃を開始。
爆散する爆撃機の火焔をヴィンセントが突っ切ると、海に面する都市の上空に出た。
何十機もの戦闘機の航跡、敵味方がそこかしこで激しく入り乱れ、都市部上空での大空中戦を演じている。戦闘機が密集している所為か、空が狭い。
混線した無線から誰かの悲鳴、ミサイルを受けて爆散したのはどちらの機体か。
「誰が残ってるんだ」
『スケイル4、チェックシックス。ブレイク、ナウ』
「了解、オルトロス2」
味方機からの警告。六時方向からのレーダー照射に急旋回で対応し、背後を確認すると機銃弾が尾翼を掠めていくところだった。
直下ダイブから引き起こして低空飛行。海面を嘗めるギリギリの高度で、味方の援護を待つ。攻撃の気配を感じ急旋回、左の主翼が波飛沫を切り裂き、艦砲射撃が立てた水柱に風穴を開ける。
抜けた先には岸壁、急上昇。
後方の敵機が姿を変える。外装が剥がれ、禍々しい形に変わっていき、容赦なくヴィンセントを追い立てる。追尾は激しく、こちらの回避機動が通じない。二手、三手と手を交わすうちに悟ってしまう、掌で転がされているような絶望感、圧倒的な実力差を味わわされる。
繰り返す急旋回、加速度の圧力に削られる精神力。
どれだけの時間、逃げ続けただろう。手は痺れだし、操縦桿の握っているのかも怪しい。
逃れられぬ死――、背後に迫るのは戦闘機の形を模した終焉か。
しかし、その攻撃を遮るように間を飛び抜けた機影があった。
『臆するな! 恐怖に怯めば喰われるぞ、共に空に上がった者を私は決して置き去りにはしない。強く飛べ、生き残るぞ!』
隊長機が敵機との戦闘に入った。
二機の軌跡は幾重にも絡み合い、一つ機動する度に攻守が入れ替わっていく。それはまるで、戦場の空でワルツを踊るように――華麗で美しくさえあり、戦闘中であることを忘れて見入ってしまう。隊長機が追い込まれているにも関わらず、援護するという発想さえ起きない程に。
機銃の射程内に隊長機が追い詰められる。
左緩旋回
撃たれる
ところが隊長機の機首は急減速と共に跳ね上がり、風に舞う花弁さながらに機を翻す。戦闘機を操る者を惹き付けてやまない威風。
恐怖を制し、そして空を制する者。
――あの、姿に俺は惹かれたんだ。
◆
「……ヴィンスたち見つかったの?」
もう何度目か分からないエリサの問いかけに、ダンは静かに首を振った。
アルバトロス号がデブリ帯から脱出してから一〇時間以上経つが、いまだにラスタチカからの連絡が無い。もちろん、戦闘が長引いていると考える楽観主義者は一人もおらず、最悪の事態が脳裏をよぎるのは当然の事だった。
「探しに、いかないの?」
「進展があれば呼ぶ。エリサ、部屋に行っていろ」
操舵席に背を預けるダンは、望遠カメラで捉えている宇宙嵐の映像に瞬間、目を落とした。発生場所はデブリベルトの中心部だ、ラスタチカを迎えに行こうにも、アルバトロス号の船体では嵐に巻き込まれたが最後、脱出不可能である。座して、嵐が収まるのを待つしかない。
「コディはどうしている」
「レオナがみはってるの、ヘンなことしないようにって。……ねぇ、ダン。お兄ちゃんのこと怒らないであげてほしいの」
「それは事情を聞いて判断するが、まずはヴィンセント達を探さねば」
ダンとて希望は持っている。船体はとっくに回頭済みで嵐が収まり次第、捜索に出向ける体勢だ。無駄に時間がある分だけ、むしろ彼は落ち着けていたが、幼いエリサにも同じ冷静さを求めるのは酷な要求である。心配なのは痛いほどに伝わるが、此処にいても心労が貯まる一方だ。かといって休めと言って素直に聞くような子でもない。
「エリサよ、すまんがコディと話をしてきてくれんか。レオナじゃ冷静に話をするのは難しいだろうし、お前さんも奴さんに聞きたい事があるだろう」
「…………うん」
「何か見つけたら呼ぶ、頼まれてくれるな」
「うんなの」
こんなことをした理由をエリサも知りたかった。尻尾は項垂れているが、彼女は涙を堪えてコディが閉じ込められている部屋に向かう。ライナスとの相部屋の前では、苛立ちに奥歯を噛むレオナが鬼の形相で立っていた。
エリサに気が付いても、彼女は険しい表情を崩さない。
「……連中、見つかった?」
「ううん、まだなの。お兄ちゃんはお部屋いるの?」
「ああ。親父がどうこう言ってばっかでラチがあきやしねぇ。ダチの息子だろうがウチら嵌めた野郎を生かしとくダンの気が知れねェよ」
扉を睨む三白眼は猛獣の眼。その凶相にエリサの毛並みは怖気立ったが、退かない頑固さと決意がエリサにはある。
「ううん、エリサね、お兄ちゃんとお話ししにきたの。だから開けてなの」
「話すって何を話すのさ。やめときな、時間の無駄だ。似たようなガキの言い訳聞かされるだけで嫌気がさすよ」
頭ごなしに否定するレオナに、だがエリサはぷるぷると頭を振る。
「……エリサ、お兄ちゃんの気持ち分かるきがするの。たいせつな人がいなくなっちゃうのって、すごくこわくてしんぱいなの。だから、お兄ちゃんにもきっと理由があるの、それをね、おしえてもらいたいの」
話さないと分からないから――、エリサはそう言って、少しだけ笑った。
その強がった笑顔には、不安の色がありありと見えるが、それでも強情に頼み込む姿にレオナの方が折れた。呆れるやら感心するやら、とにかく彼女は部屋の扉を開けた。
「はぁ、アンタって子はさ……。じゃあアタシはここにいっから、野郎が馬鹿な真似しやがったら声出しなよ、いいね」
「うん、ありがとうなの」
コディは項垂れてベッドに腰掛けていて、エリサは彼の隣にそっと座る。扉が閉まると重苦しい沈黙がしばらくの間続いた。
やがてコディが顔を上げる。泣き腫れた両目と震える両の手、事の重大さに押し潰されそうになっているようだった。
「お兄ちゃん、だいじょーぶなの?」
「ごめんよ、おれ……こんな事になるなんて思ってなかったんだ。わざとじゃないんだよ、おれ、おれはただ……くそぉ……」
涙ながらの訴えにどうしたらいいのか、エリサは戸惑った。聞きたい事があったはずなのに、傷だらけのコディに掛けるべき言葉が分からない。どう尋ねても責めてしまうような気がしてしまい、エリサは慣れない所作で、でも優しくコディの肩をぽんぽんと叩いてあげた。
「よしよし、なの。だいじょーぶなの」
「大丈夫なもんか……、なんでこんな目に遭うんだ、おれはただ……」
「だいじょーぶなの、ヴィンスはねとっても強いの。ラスタチカでね、ブーンって飛んでるとね誰にも負けないんだよ。だからね、だいじょーぶなの」
自分にも言い聞かせるように、エリサは口にする。そう、ヴィンセントは絶対に帰ってくるのだと信じているからこそ、泣かずにいられる。信じているからこそコディと話し合う事が出来た。
「ねえ、お兄ちゃん。エリサとねお話ししてほしいの」
「何を教えろっていうんだよ、もうほっといてくれよ!」
エリサはぷるぷる首を振る。
「イヤなの、かなしい時に一人でいるとね、もっとかなしくなっちゃうの。お兄ちゃん、とってもかなしそうなの、レオナに怒られたからじゃなくてね、かなしそうなの。だからね、お話ししてほしいの、お兄ちゃん話したくないかもしれないけど、きっとね、お話ししたら元気になると思うから」
それでもコディは頑なに顔を伏せていて、唇も重かった。だからといって放ってはおけないのがエリサである。言葉を選びながら、彼女は訊きたかった質問を口にした。きっとそれが、お互いにとって大事な事だと思ったから。
「あのね、お兄ちゃんはどうしてここに来ようと思ったの? あぶない場所だって、お兄ちゃんもしらなかったんでしょ?」
「…………来いって言われたんだ、親父に」
「お兄ちゃんのパパ? どうしてなの?」
「そんなの俺が知るかよ! いきなり座標が送られてきたんだ、ここに来いって。だから自動航行装置弄って船動かしたんだ、みんなに話したとこで聞いてもらえないだろうし」
またぷるぷると、エリサは頭を振った。きちんと話せば皆、話を聞いてくれたはずだ。
不信と秘密は、溝を深めるばかりである。
◆
――世界があやふやだ。
ヴィンセントは思考を覆う靄を瞬きで少しずつ晴らしていった。今がどういう状況か把握するのには時間が掛かったが、まず一つ確かなのは今のところ息はしているという事だ。次いで機体の状態を確認する。
エンジンは沈黙、通信もダメ、操縦系統も反応なし。強固に保護されている生命維持装置だけが稼働しているようだ。もう一つ幸いな事に、緊急用の救難ビーコンも保護区画に入っている為、機能に障害はなかった。
「くそ……、おい新人、生きてっか?」
「…………」
ベルトを外し、無重力下の狭いコクピットで身を捩ったヴィンセントは、すっかりまいっているライナスの顔を平手で張った。
「ったく、シャキッとしろ、この!」
「んぁ⁉ いったぁ……、オドネルさん、何するんすか⁉」
「呼んでんのにいつまでも寝てっからだ、怪我はねえみたいだな」
「ああぁ、うっす平気っす。。なんでか知らないけど不思議とさっぱりしてるっすよ。生き残ったんすね。ところでぇ、オドネルさん……」
ライナスは言葉を句切り、キャノピーの外を見回す。戦闘中はそこら中にあったデブリは一つ残らず無くなっていて、不安になるぐらいに綺麗な宇宙空間に包み込まれている。
「ここってドコなんすかね?」
「さぁな。神様との面会はまだ先みたいだがよ」
ヴィンセントは煙草を燻らせると、戦闘後の一服を付け始める。静かに瞑想するような吐息と共に吐き出される紫煙がコクピットの空気を濁らせる。
「生きてるだけめっけもんすかね、嵐の中飛び回って切り抜けたんスから。うわっ、こんなに時間経ってる⁉ とにかく帰りましょ、皆さん心配してるッスよ、きっと」
そして、真っ暗なディスプレイを見てライナスは黙った。
スイッチを操作する音が虚しく響く。メンテナンス用のキーボードを引っ張り出して、なんとか原因を探ろうとしているらしかった。
「これって、ラスタチカのAIがダウンしてる所為で、機体制御と通信系が死んでるんスか。いやいやそんな……うまく再起動さえ出来れば、もしかしたら」
「その通りだが、おまえ出来るのか?」
「どうでしょう、とにかくやってみるッス」
かれこれ一時間は経ったろうか、ライナスの復旧作業は苦戦を強いられているらしかった。バックミラー越しの彼の表情は時間と共に渋くなっていくが、それを眺めるヴィンセントは現状に対して、危機感を感じていない。
諦めよりも、達観している様でさえあった。
「冷静っすね、オドネルさん。俺、不安でたまんないんスけど」
「ちぃとばかし考える事があってな、それに慌てたってどうにもならねえよ。――……にしてもお前、戦闘中にレーダーフィルター掛けたのには驚いたぜ、電子系のスキル持ってんならアピールしろよな、もったいねえ」
「ありがとうございます。なんつーか、閃いたんッスよね。こう一瞬で、パッと? 自分でもあんな才能があるなんて驚きっス」
「能ある鷹だったか。説明書だけであそこまで操作出来る奴はそうそういねえよ」
「へへっ、でもホントッすよ?」
晴れやかな表情に戻り、ライナスは作業を再開し、手元から目を離さず会話を続けた。
「今、どこら辺にいるんスかね」
「見当もつかねえ」
高濃度エヴォルに太陽風がぶつかる事によって発生する現象は、星間移動ゲートの空間圧縮技術に応用されており、逆に言えば宇宙嵐は制御されていない星間移動ゲートとも表わす事が出来る。つまり――
「現在位置はデブリ帯じゃなくて、もっと遠くに移動してるかもって事スか」
「星間移動ゲートの空間圧縮率は12倍、これは安全に制御出来る範囲でゲートが設計されてるからだ。宇宙嵐はその制御が一切利いてない。人類の一歩が別宇宙への一歩になってる可能性もある、一足飛びで外宇宙への旅立ちってこった。まぁこの光が太陽光なら、俺達がいるのは太陽系のどっかだな。……そうしょげんな、いいニュースもあるぞ」
「なんスか? 見習い卒業とかだったら嬉しいッス」
「ふん、童貞捨てたくらいで甘えんな。くたばるにしても一人じゃねえって話だ。一緒に上がった奴ァ見捨てねえよ、俺ァ」
「あはは、訊かなきゃ良かったッス」
落ち着き払ったブラックジョークに思わず笑い、そしてライナスはもう一つ尋ねる、その権利がある質問を。
「オドネルさん、訊いときたい事があるんスけどいいっすか? もしかしたら、最後になるかもしれないし」
「……答えるかは内容による」
「さっきの戦闘機のパイロットって、オドネルさんの知ってる人だったりするんスか」
「便利屋の常識は?」
「作業に戻るッス」
踏みかけた地雷からすっと足を外して、ライナスは画面との睨めっこを再開した。AIの復旧が困難でも、操縦系統を直接コクピットに接続さえ出来れば、或いはラスタチカを飛ばす事が出来るかもしれなかった。ただしその場合、AIによる補助を受けられない為、機体全ての操作をマニュアルでやることになる。だが――
「…………その必要はなさそうだ、見てみろ」
そしてヴィンセントは九時方向を指さした。
遠くでリズミカルな輝きが、星々の合間ながら主張している。それは時間と共に近づき、二色の飛行灯も確認出来るようになってきた。
塗装の剥げたオンボロ宇宙船である。
「アルバトロス号っす……あぁ~助かった~ッ!」
「あのボロ船見つけて嬉しい日が来るなんてな。新人、発光信号でこっちの状況教えてやれ、さぁ家に帰ろう」




