Teenagers 3
食料及び消耗品が詰まったコンテナの搬入は予定よりも早く終わり、アルバトロス号が金星を発ったのは、翌日の昼過ぎだった。金星大気圏脱出時の衝撃で、コンテナの中身が一部飛び出したことを除けば、順調な出航だったと言えるだろう。
ライナスはしきりに、「おっかしぃな~」と独り言を溢し続けていたが、納品の確認をしたライナス以外にはコンテナに触れていないのだから、扉を閉め忘れたのはお前しかいないだろ。
「片付け終わりましたっス~」
積荷の一部が崩れたと言ったが、量が量なので、一部と言っても中々の数になる。ようやく艦橋にあがってきたライナスの額には汗が光っていたが、艦橋の窓から長年望んだ景色を見れば、疲れなど吹き飛ぶ。
漆黒の波間に輝く星々は幻想的だ。
彼はいま正に、便利屋として宇宙に飛び立っているのである。しかも、夢にまで見たアルバトロス号の艦橋からこの景色を拝めるなんて、疲れている暇が勿体ない。
勿論、彼を感動させるのは景色だけに留まらない。副操縦士席にいるヴィンセントも、レーダー手席のレオナも、そして操縦席で舵を取っているダンの姿にも、思わず息を吞んでしまう。
「そこまで感動するとはな。今時、宇宙空間など珍しくもなかろうに」
むしろ一切の感動を感じさせないダンの姿は、それが便利屋の常だと語っていた。
「ところで、ライナス。コンテナの様子はどうだった」
「あ、ウッス。散らばってましたけど、ダメになってるのは少なかったっッス。中身は殆ど保存食と消耗品だったんで。……ただ、瓶物が少しだけ」
背になっていたのでライナスからは見えなかったが、先輩方の表情は一瞬だけ硬直していた。瓶物が割れたとなると、誰かの嗜好品が犠牲になった可能性が高い。
どうか、他の誰かが犠牲になっていますように。そう願いながら尋ねたのはレオナである。
「なによ? 何か割れたの? 新人」
「実はビールが少々」
レオナはガッツポーズだ。彼女の好みはアルコール度数の高い酒である。四十度が酒と呼べる最低ラインというのが、レオナの感覚らしい。
「なんだそンだけ? ビールなんざ、いくら吞んだって酔えやしねえンだし。苦いだけの水だよ、わざわざ吞む奴の気が知れないね。ほっときな」
「そりゃ俺のコロナだから、お前は良いだろうよ。……はぁ、ちゃんと固定しとけってんだ」
「しましたよオドネルさん。言われた直後に忘れる訳ないっすもん、直ぐ閉めに行ったんスから。どうしてか、固定バンドも外れてるし」
首傾げてる場合ではない。今回はたまたま食料品だったから良かったようなものの、依頼で積込んだ荷をひっくり返したら大事だ。もしその状況でヘラヘラしてやがったら、タバスコを尻にブッ込んで宇宙に放り出してるところで、振り返ったヴィンセントの表情は険しい、まぁ半分は酒の恨みだが。
金星の軌道から外れて間もなく自動航行に切り替わり、各々が操縦から解放された。あとは星間移動ゲートまでは手放しで機械が運んでくれる。
大気圏離脱と再突入は非常にデリケートな操船技術が要求されるのだが、その困難さを一切感じさせないダンの技が光っていた。日常的に星間航行している旅客宇宙船よりも、安定しているくらいだ。
さて、長旅は始まったばかりなのだが、その初っぱなから呆れる質問を投げかけた奴がいた。銃撃戦が遠のくと興味が失せるにしても程がある。「そういえばさ」を枕詞に、レオナが尋ねるのだった。
「火星まで何しに行くのさ」
ダンは眉間に皺を寄せ、ヴィンセントは天を仰ぐ。二人はライナスの肩を叩いて、リビングへと一服付けに降りていった。
一言で説明するならば、人捜しが今回の依頼である。
依頼主は金星にある出版社と、行方不明者の妻だ。その記者はくだらないゴシップ記事ばかり書いている冴えないライターなのだが、今回こそは特ダネを掴んだと取材に出て、かれこれ二ヶ月。以来、音信不通になっている。金星警察に捜索願は出されているが、どうもその記者が火星圏に移動していた事が判明し、便利屋であるアルバトロス商会に白羽の矢が立ったというわけだ。大きな組織は身動きが取りづらい上に管轄争いも起きるので、フリーランスの便利屋は重宝されるってわけだ。
金星を出発してから三日目、宇宙航海は順調。
現在、アルバトロス号は巨大なリング型の星間移動ゲートをくぐりワープ空間を火星に向けて航行中。筒状のワープ空間はシャボン色した光の内壁覆われていて、長時間眺めていると酔ってしまいそうだ。
星間移動ゲートは二点間を繋ぐトンネルだと考えれば分かりやすい。つまりは宇宙船専用の高速道路であり、この星間移動ゲートの開発によって人類の活動圏は一気に拡がった。
ゲート間の空間は極度に圧縮されており、年単位で掛かっていた旅路が僅か数ヶ月まで短縮されている。地球一周の船旅よりも地球―火星間の移動時間が短いなんて驚きだ。
原理やらなんやらをエリサに理解させるのは難しく、ライナスの簡略的な説明が彼女には適当だった。
「いいっすか? 右手が金星、左手が火星のゲートっす。さて、エリサさん、この間を一番早く移動するには?」
少し考えてから、エリサは左右の掌を指先で結んだ。
「こうなの? まっすぐ行ったらいちばん早いの」
「うーん、半分正解っす。一直線に結べば最短距離なのは間違いないっすけど、二つの星はす~~~~んごく離れてるんす、一番近い時でも三ヶ月以上。惑星は太陽の周りをそれぞれ回ってますから、遠い時なんか何年もかかるっす、ゆったり旅してたらエリサさんも、すぐに大人になっちゃいますよ? さあ、どうしたらいいでしょうか!」
早く大人になる事は、はたして喜ぶべきなのか。エリサは頭を捻りながら、質問の答えを探す。
「ヒントっす。ゲートは動かせないけど、間の空間は圧縮出来るとしたら、どうすか?」
「あいだ……、えっと、こうかな?」
ライナスの掌を、上から押してパチンと合わせた。合掌したおかげで掌の隙間はミリ単位より狭い。つまりそれこそが、星間移動ゲートの作用だ。
「おお~、流石エリサさん。発想が柔らかい! 俺なんかさっぱりだったのに、大正解っす。その通り、ゲート間の距離が縮まっているから、それだけ時間も短くて済むって訳っす。いやぁ~便利っすよねー」
その時である。エリサの狐耳が足音を聞きつけたのは。
素早くライナスはキッチンの見張りに立つ、元々彼がキッチンにいたのは、エリサに頼まれての事だった。
「お前らキッチンで何やってんだ?」
「立ち入り禁止っす、オドネルさん」
「いや、ビールを……」
「関係者以外立ち入り禁止っす」
言葉の通じない歩哨さながらに、ライナスは休めの姿勢で胸を張っていた。
「俺が関係者じゃなかったら、お前は不法入国者だぜ。とりあえず邪魔だから退いてくんねえかな」
「エリサさんの許可が出ないと通せないッス。――エリサさん、いかがっすか?」
「まだダメなの!」
「ダメなのですッ!」
こいつらドンドン親密になっていくな……。ヴィンセントは尻の穴が顔面に浮かぶくらいの渋面になっている。仲が良いなんてレベル通り越して、最早癒着といえるくっつき具合だ。
「ん? おい、ライナス。なんだ、あれ?」
「――えっ?」
と、釣られて覗き込んだライナスの首根っこを引っ掴むと、ヴィンセントは強引に彼を退かせ、冷蔵庫からビールを取りだしたところで、ちょうど酒に合いそうな野菜のざく切りが目に入った。
――キャベツの漬け物か?
一口摘まんでみると、あっさりした酸味がビールと相性バッチリだった。
こんな旨い物隠そうなんて人が悪いぜ、と思い、ヴィンセントがもう一口と手を伸ばした所でエリサに怒られた。
「もう! 出来上がってから持っていこうとおもったのに!」
「もったいぶんなよ、充分美味いぜ。またレシピ増やしたな、エリサ」
褒めたところでエリサはプンプンしたまま、確かにつまみ食いしたのは悪かったが、そこまで怒ることだろうか。
勿論、エリサが気に掛けていたのはそれだけではない。
「ヴィンスってば倉庫の食べ物もたべてるでしょ? 勝手に食べたらダメなの。ひじょーしょくだってダンにも言われてるのに」
「……あぁ? 俺は知らねえぞ、倉庫なんて」
「あ、今ちょっと間があったッスね。ア痛ーッ!」
冗談の途中で口を挟むんじゃねえよ、とヴィンセントの蹴りがライナスの尻をシバく。
そもそも食料庫はエリサが管理しているので、誤魔化すのは難しい。
ヴィンセントはその上で、エリサの詰問目線を待っていたのだから。
「なぁんだよ、俺の事疑うのか? つまみに最適な塩漬けベーコンとか、オイルサーディンとか、俺は全然知らねえよ」
「ほら~、やっぱりヴィンスなの」
「元々、あの缶詰はつまみ用だって。それに、ちょろまかすならバレないようにやるさ」
「分けておいたやつも持っていったの?」
そんなもの、はたしてあったか? ヴィンセントは片眉を吊り上げて食料庫を思い出す。
「もしかして……、あれも食べちゃったの?」
「うんにゃ、手はつけてねえけど、なにかマズいのか」
マズいのは胃腸に対してである。なにしろエリサが食料庫の棚の奥深くから掘り出した件の缶詰は、賞味期限がとっくの昔に過ぎているビンテージ物だ。
「五年前だって? 俺の先輩が、アルバトロス号以外にあったなんてたまげたな。まぁ、ほっといても犯人は分かるだろ、盗み食いした奴には勝手にバチが下るさ。……噂をすりゃ、第一容疑者のお出ましだ」
「おい、ヴィンセント! 酒取って来ンのにいつまで掛かってんのさ、まだ勝負は付いてないんだよ。さっさとテーブルに戻ンな」
「……いやいや、もう詰んでるって。裸の王様だぜ? どんな軍師だってあの戦況はひっくり返せねえよ」
「おかしなゲームだよ。大体、アタシは王様が雑魚ってのが納得いかねンだけど。一番強えからキングなンじゃねえのか。ったく、あんぐらい蹴散らせってんだ」
「お前の脳味噌は古代ローマか中世で止まってんなぁ……」
リビングで行われているチェスはまさしく暇つぶし。ところが頭脳勝負が滅法苦手で、例によって負けが込んでいるレオナの機嫌は斜めだった。しかし、負けず嫌いな彼女である。勝つまで止めない、それがレオナだ。
だが、何戦も付き合ったヴィンセントは正直な所、疲れていた。なので肩を組まれてライナスが捕まったのは、幸いと言わざるおえない。
「こっち来ンだよ新人、テメェのおミソがどんなモンか試してやる」
「お前が言うと物騒極まりねえぜ。一応訊くけどチェスの勝負だよな?」
「ケッ、卑怯な手で勝って嬉しいかよ、ヴィンセント。アンタにゃ話してねえっての」
とばっちり受けたライナスは気の毒だが、とはいえ開放される分には構わない。お好きにどうぞと、ヴィンセントは肩を竦めた。
「アンタだって男だ、そうだろ新人。女が勝負しろって言ってンのに、まさかとは思うがよ、逃げたりしねえよな?」
「オドネルさん、どうしましょう。俺、チェスってやった時無いんすけど」
「なんとかなるさ、レオナだってルール知らねえんだ」
「え? それじゃどうやって……」
「おら、うだうだ言ってないで、やるんだよ新人! ヴィンセント! アンタも早く酒持ってきなッ!」
レオナの豪腕から逃れる術は無く、そしてライナスはルール無用のチェス勝負に引き摺り込まれる事となった。内容は酷いものだったが、暇つぶしには丁度いい。
エリサのつまみを突きながら、二人の勝負を眺めていると時間はゆったり過ぎていった。
ふと、いつもなら隣の席で尻尾振りながら眺めている影がない事にヴィンセントは気が付いた。
――そういや、エリサはどこ行ったんだ?




