It`s My Life 3
「あれ? ダンじゃん。ドライブじゃなかったの、アンタ」
カラスよりも短時間で汗だけ流したレオナは、タオルを肩から掛けて、呑み直す為にリビングに戻ろうとしていた。その艦内通路で、どういう訳か遊びに出たはずの雇い主と出くわしたのである。
モヒカン頭とフォックススタイルのサングラス。出っ腹を作業着で覆ったこの中年男性がダン、便利屋アルバトロス商会のボスだ。
だが、まぁ……早く戻ってきただけの話で、別段驚くような事でも無い。むしろ目を丸くしたのはダンの方である。なにしろレオナは下着一枚で上はトップレス、胸を覆っているのは肩から掛けたタオルが一枚っきりだ。毛皮で全身を覆われているとはいえ、ほぼ全裸に近い格好であるから、ダンが頓狂な声を上げたのも無理のない事だった。
「レオナよ! 艦内歩く時は服を着ろと何遍言わせる⁉」
「ケチケチすんなって。いい年なんだから女の裸ぐらいで騒ぐなっつの、シャワー浴びたばっかで熱いんだ、アタシは毛皮着込んでっからさ」
「お前さんはいい年した女だろうに、恥じらいを覚えんか」
「ハッ、マッパが恥ずくて飯が喰えンの? ――ンで、後ろで突っ立ってんのは誰よ? おいボケナス、ドコ見てやがんだ。顔はこっちだぞタコ」
ダンは生っちょろい人間の青年を連れていた。人間嫌いを公言して憚らないレオナにとっては、新顔の人間がいるだけでも虫酸が走るというのに、そいつはアホ面晒してレオナの胸を凝視していたのである。
「この坊主に関して話したい事がある。リビングで待っているから、さっさと服を着てこい」
「……それって命令?」
「会社に関わる話だ。全員参加だぞ」
私用ならすっぽかす気でいたが、仕事に関わる話ならばレオナに拒否権はない。しぶしぶといった具合に尻尾を振って、彼女は自室へと足を向けた。
腹筋を見せつけるブラウスに着替えると、レオナはリビングルームに戻った。
煙草を吹かすヴィンセントは定位置のソファで寛ぎ、エリサはせっせと客人の世話を焼いている。そして、ダンはといえば、備え付けの電話から誰かに連絡を取っていた。
「待たせた?」
「いいや、まだだ」と、ヴィンセントは肩を竦め、それから、此処はミュージシャンの控え室か? と見慣れぬ青年を見遣る。あれは仕事を持ってきた依頼人の眼付きじゃない。どうやら気に入らないのはレオナも同様らしく、一瞥くれた眼光の鋭いこと。
さて、こいつが一体何者なのか、そろそろダンに訊きたいところだ。さもないと、レオナが一悶着起こしかねない。
「よぉ、お前。目を閉じるか、後ろ向いとけ。背骨バッキバキに折られるぞ。冗談じゃなく」
「……ヒトの事ジロジロ見やがって。目ン玉引っこ抜かれてェか」
青年は命を危機を感じ取ったようで、彼が目を瞑って後ろを向いた事で、昼下がりの惨劇は免れた。ブラウス一枚で支えているレオナのバストに釘付けになるのは、男なら同意出来るところだが、せめて覗き見る程度にしておけば良いものを。
「エリサ、御苦労。もてなしはそれぐらいにして、お前さんも座るといい」
「はい、これ! ダンの分なの」
エリサは飲み物を手渡すとヴィンセントの隣に座った。ダンが追い払わないという事は、聞かせてもいい話のようだ。それはつまり……ヴィンセントとレオナにとっては、余り言い兆候とは言えないが。
「ふむ……、これからはエリサに来客の応対を任せる事にしようか。どうにも、お前さん達は接客にはむかん様だしな」
「銃ぶら下げて客商売だってさ、マジで笑えンな」
「レオナなら引く手数多だろ。いっそ用心棒にでも転職したらどうだ? ……ああ、お前に棒はなかったか」
「ハッ、役立たずは黙ってな」
ダンは溜息溢して、反抗的な従業員を見据える。二人を辟易させるのはこれからだ。なにしろ、未だに壁を向いて立っている青年について説明しなければならないだから。
「それで、ダン。そいつがどちら様なのか教えてくれよ。依頼人じゃないんだろ?」
「ドライブの途中で出会った。傷の面倒見ながら話を聞いていたら、なんとこの坊主、飛び出してきたのは故意だと言いやがってな。俺の愛車に……」
「なに、アンタ事故ったの⁉」
端的に説明するならその通りである。愛車のブルバーの傷を想い、心痛めるダンであった。
すると、何を早合点したのか、レオナの口元が残虐な笑みを刻み、上機嫌に尻尾を振る。
「ああ……分かった。車の仕返ししようってンでしょ。そういう事ならアタシは乗るよ、宇宙に連れってって捨てちまうぜ。バレやしねぇ」
――なんて非道な話なら、エリサを同席させないだろう。無論、車で跳ねた詫びに連れてきたなんて事はありえない。とすると、むしろ、この客の方が用事を持っている。……だが、依頼ではないと、ヴィンセントは確信していた。
「ヴィンセント。坊主はお前さんに用があると。なんでも、……お前さんのファンだとか」
「不安になるぜ、その台詞。今からでも病院に運んだ方がいいって。絶対、頭ぶつけてる」
「知り合いだと言っていたが?」
「知りません」
ヴィンセントの返事にはにべもない、本当に見覚えの無い顔だった。
緊張感の薄い顔つきに、チンピラにもなれない、大学生みたいな半端な服装。どこにでもいそうな青年で覚える方が難しい。……ところがである。この青年は、一仕事共にした仲であるかのように、話しかけてきたのである。
「またまたー、冗談キツいんスからオドネルさん。俺っすよ、ライナス! ほら、一緒に泥棒捕まえに行ったじゃないスか」
一ヶ月程前の話だ。
場所は金星八番ドームにそびえる、企業家ウィリアム・トランク所有の高層ビル。ヴィンセントは間違いなく、その日その場所、その泥棒事件の現場にいた。自分に化けた怪盗が企業家から宝石を盗み出すのを阻止する為に――。
完璧、とは言い難かったが、盗みを阻止する事には成功した。
その場にはヴィンセント、そしてレオナがいた。だが、このライナスと名乗る青年と行動を共にした記憶はない。
だが、ライナスの話もまた事実なのである。そう、彼も確かにその場にいた。ただし、行動を共にしていたのはヴィンセントの偽者、怪盗が化けた姿だったが。
徹頭徹尾、騙されたのだ。誰も彼も――。
馴染みの情報屋ですら、一対一で会ってさえ騙されたのだ。憧れという色眼鏡越しで人を見ていたライナスが、真実を見極めるのはより困難であった。
「それは俺じゃねえよ。お前が捕まえようとしてた泥棒の変装だ。お前は盗みを阻止しようとして、盗みの手伝いをしてたんだ。だからお前の事も知らねえ、悪いな」
互いに接点はすれ違いで話はおしまいだ。コイツの居場所はここにはない。そう教えてやると、ライナスはだが、気落ちした様子もなく背筋を伸ばして、バシッと頭を下げた。人の話を聞かない類いの人間らしい。
「ここで働かせて欲しいッス!」
突拍子もない申し込みに暫しの沈黙。最中、目配せしたヴィンセントとレオナの直感は、面倒な気配を感じ取っていた。
容易く偽者に騙され、立ち振る舞いも隙だらけ。アマチュアですらない、どう見たってこいつは素人だ。真っ当な仕事ならば、初めてである事は恥では無い。そこから積み重ね、成長していけばいい。未来は無数にある。しかし、便利屋稼業はその普通が許されないのだ。反対の声が二つあがった。
「待ちなよダン、ヴィンセントと偽者の区別もつかなかったマヌケなんだぞ? アタシにこれ以上のお守りしろっての?」
「……俺も反対だね。金稼ぎたいならバーガーショップでバイトでもしとけ。怪我しても火傷がせいぜいだ」
ライナスは一言有りそうな顔だったのでヴィンセントは付けたしてやった。「エリサは別だ」と。
「エリサも、レオナも。どちらも船に連れてきたのはお前さんだと言う事を忘れていやしないか、ヴィンセント」
「ああ、俺の目は正しかったろ?」
レオナは鉄火場に滅法強く、エリサは子供ながらに家庭的でアルバトロス号に癒やしをもたらした。どちらも希有で得がたい能力と才能だ。
――しかし、ライナスには何がある? この間の抜けた青年に。
「来る者は拒まず、去る者は追わん。何人であろうと、真面目に働く気があるのなら俺は迎え入れよう。能力はあるにこした事はないが、最も必要とされるのは意志だ、そうだろうヴィンセント」
サングラス越しの視線が、ヴィンセントを捉える。そう、意見は出来るが、最終的な決定権は彼には無い。こぼせるのは皮肉くらいのものなので、諸手を挙げて降参の意を示す。
「お優しいこって。まるで教会だな」
「それ程でもないさ、働きいかんで放り出すからな」
ダンはそう言うと、ライナスを呼びつけた。
「坊主に一つ仕事を回そう、お前さんの覚悟の程を試させてもらう。なに、そう危険なものではない。分かっているだろうが、快く思わん連中もいる、こいつ等を納得させてみろ」
渋面の便利屋二人。
対してライナスは、緊張と興奮に胸を躍らせていた。
先行き不安でヴィンセントは、頭を振る。まだ採用試験だというのに、浮かれすぎだ。それに既に、試験は始まっているんだぜ?




