Balaclava 9
~再び時間は戻る。
御高く止まったダウンタウンにも物好きってのはいるらしい。ホワイトカラーってのは鼻持ちならない連中ばかりだと思っていたが、少なくとも例外はあるようだ。つまり、そう――唸る札束を内側のカスタムに注ぎ込む連中だ。
スーツ姿をしてるからって中身がマトモとは限らない。金さえ積めば、外見は好きなように変えることが出来る。ガワが整った変質者がいるように、内側は読めないのだ。
外面という覆面の下に本能、高級車の内側に魔改造エンジン。風評を気にしてストリートマシンに乗れない連中は内側だけを弄くり回して愉しむって訳だ。否定はしないよ、楽しみ方は人それぞれだからね。
成金趣味で車を買った客がマシンに疎いことを良いことに、荒稼ぎしていた割には、この店のメカニックは腕が良かった。
商売は上手くいっていても、彼の技術欲は対等に――ストリートの魂を持って話し合える――相手に餓えていたらしく、ユニコーンのマシンを見るなりメカニックは顔を綻ばせた。「これだよ、これこれ! このドームじゃ改造しても走らせない奴ばかりでね、どの車も可哀想だった。檻に入れられた動物を見てる気分になっちまってさ? 車は走らなきゃ。改造から塗装まで、何でもやるぜ」
ユニコーンの愛車は、正に幻獣ユニコーンと言って差し支えない性能の改造車である。そのマシンを弄れるのだから、腕が鳴るという物だ。
改造内容と値段交渉の席にはどういうわけかチップも同席していた。妙に自信があるというか、他人を下に見る話し方はどうやら生来の物らしく一々気に障る。
「当然、カメレオン塗装は知ってるよね? もちろん。電源用のバッテリーは五個で、トランクに積んでおいて。ああ、それから――」
釈迦に説法してる様を端から見てると呆れ返る。メカニックが信頼に足る技術を有している事は、改造途中のマシンを見れば確信が持てた。ならば細かい要求よりも、こちらが求めるスペックを提示すれば最良の選択をしてくれる。
チップを黙らせると、ユニコーンは一つだけ要求を出した。助手席の臭いは取ってもらわなければならない、念入りに。
あとは前金で全額払って、固い握手で契約成立だ。
それから二日後
立体映像の発明は実に素晴らしい。何でも作り出せる。模型を組み立てる手間は省けるし、電子データであるから持ち運びも楽チン、そして何より、複雑な設計図を読み解く専門知識が無くても、建物内部を知ることが可能になった。またそのデータを用いた仮想現実内を主観視点で移動出来るのもありがたい。
さて、トロイが仮想空間上でトランクタワーを歩き回っていると、チップから呻き声が上がった。彼はビルの設備について調べる為に、設計会社にハッキングを仕掛けているところだったが、出し抜けに「誰か魔法が使える人っているかな?」と尋ねる、電子世界の住人が幻想に縋るなんて、ピザのトッピングに練乳を選ぶようなものだ。
トロイはバイザーを外して現実世界――倉庫に構えた隠れ家――に帰ってきた。
「おいおい、俺達には充分お前も魔法使いだぜ。何を見つけたんだ」
「これさ。展示フロアの設計図。警報装置は解除出来ても、ケースを開けるには暗証番号と指紋認証が必要なんだよ。忍び込めても、鍵がないんじゃあ盗めない。どうやってこのケース開ける気なのか誰か教えてよ」
「そこで爆薬だ」
離れた作業場で試験管を振っているナインが口を挟む。二つの液体を別々のスプレーボトルに詰めると、ご機嫌な様子で彼は話し込んでいる二人に近づいてきた。スプレーボトルの他に硝子板を脇に挟んでいる。
「ま、爆薬っつっても吹っ飛ばすわけじゃないが」
「かわりに銃で撃つ? 言っとくけど防弾使用の強化硝子だよ」
「品がないな。俺達は世紀の大仕事をやるんだ、お上品にいこうぜ」
そう言ってナインは手近にあった紙切れを一枚掴んで、持っていた液体の片方を吹きかけ、チップの眼前で振った。それだけでは何も起こらない。
「見ての通り、この液体は片方だけなら安全だ。ところが二つ混ぜると――」
シュッとするなり、火が上がってチップは思わず悲鳴を上げた。なにか起きるだろうと予想していたトロイは笑っていたが、前髪を焦がされたチップは怒り心頭である。
「な、なにするんだよ⁉ 危ないじゃないかッ!」
「おっと、悪いな」
同じくニヤケながらナインは言った。それから今度は持ってきた硝子板に注目を集める。
「強化硝子は製造過程の最終段階で表面を圧縮して造られる。製造方法は複数あるけど、どれも表面を固めるって部分は同じだ。――この硝子板は展示室のと同じグレードの強化硝子。モチ、めちゃくちゃ頑丈。銃で壊すなら大口径のライフルがいる」
むっすりとした顔つきでチップは話を聞いている。相槌を打つ気は無いらしい。ナインが洗剤の実演販売みたく、今度は硝子板を使って実際に解説しはじめる。
「さっきの薬品は混ぜ合わせると科学反応が起きて高温になるんだ。片方をクリーム状にして表面に塗り込み、上から液体をスプレーするとあら不思議――」
今度は驚くまいとチップはあらかじめ距離を取って見守る。
一秒、二秒、三秒――、「何も起きないじゃないか」そう言いさした矢先に、軋む音がして硝子板が粉々に砕け散った。
実は強化硝子は衝撃に強くなっても、急激な熱の変化に弱いままだ。ナインは、冷えたグラスに熱湯を注ぐと割れるのと同じ現象を、より大きな熱量の変化で起こしたというわけである。
確かにこれなら暗証番号を手に入れる手間が省ける。が――
「停電するのは二〇秒だけ、撤収にだってギリギリで作業工程は減るどころかむしろ増えてる。無茶苦茶なスケジュールで喜んで働くのは日本人くらいだよ? どうやって塗るつもりなのさ」
クリームを塗り込む為には、どうしたってケースに近づく必要がある。全行程を完了させるには二〇秒では足りない。クリームだけでも先に塗り込んでおく必要がある。
こいつは確かに問題だが、不可能な問題ってわけじゃない。方法はいくらでもある。
――それよりも、いま気になるのは、だ。
「……なに? 僕なにかした」
トロイとナインに注視され、チップはしどろもどろだ。ベテランの泥棒二人の観察眼にはお見通し(・・・・)である。
「いやぁ、どうなのかなって思って。ホットだし、なあトロイ?」
「いいと思うぜ。向こうに気があるかは……微妙なトコだけど」
チップの心臓がドキンと跳ねた。身体も一緒に跳ねるくらいに。彼はしきりに眼鏡を上げ下げしてどもりながら否定したが、素人の嘘で、巧者二人を騙せる訳がない。
やがて観念し「どど、どうしてわかったの⁉」とチップは言ったが、トロイ達にしてみれば言動全てが肯定してるようなものだった。
車の改造の為ガレージに向かう時も、チップが付いていく必要は無かった。それに粗相かました車の持ち主の隣に座る必要もだ。普通なら、わるいと思って距離を取る。
――いいじゃないか。命を救われ、あのスタイルだ。気持ちはよく分かる。
気持ちがあるなら次は行動だ。とはナインの弁だ。
その気持ちをぶつけてやるんだ。とはトロイの弁だ。
悪事の合間にお悩み相談教室だ。
そういった経験から遠い人生を歩んできたチップには、この手の助言を正しく受け止める術がなかった。セキュリティソフトのないパソコンみたいなもので、言われたことを鵜呑みにするばかりである。
――と、近頃よく耳にするエンジン音が倉庫に入ってきた。
相変わらず派手な塗装のままの改造車から、ユニコーンとバックスが降りてくる。車の受け取りついでに昼食の買い出しに行った二人の手にはピザの箱が乗っている。
時間も惜しいので、そのままランチミーティングに移行した。
議題は美女のガードを如何にして緩めるかである。トロイ達は実に自然な席取りで、ユニコーンの隣席だけを空けておいた。
「どう思う、トロイ」
「さっき、ナインに爆薬の効果を見せてもらったよ。反応時間を見るかぎり、石を取るまで五秒はかかるから、先にクリームだけでも塗っておければ時短になってありがたい。その場合、問題は出るか?」
マルゲリータを咀嚼中だったナインは、待ってくれと指を立てた。
「だいじょうだ、数日放置しておいても威力に支障は出ない。魔法のスプレー一吹きしてやれば、彼女はたちまち真っ裸だぜ。――わりぃ、ユニコーン」
「奥さんとはご無沙汰? 溜まってんなら右手の恋人に頼みなよ」
多少品がない冗談程度ではユニコーンは怯まない。カウンター気味に決まったキツい返しに、皆が笑った。
話を戻したのはバックスだ。
「どうやっても本番前に忍び込む必要があるね。さてと、どうしたもんかな」
「バックス、みんな、これ見て。丁度いい手がある」
食事中でもPCを手放さないチップの指先が宙を舞い、ホワイトボードに新しい画面が表示された。その画面を黙々とピザを摘まみながら眺める面々は、それぞれの脳内で案を練っていく。
最初にいけそうだな、と結論付けたのはトロイだ。その視線はナインへ、ナインからバックスへ、そしてバックスからユニコーンへと流れた。
「……なに? あたし?」
「問題ないんじゃないか? 難しい作業でもないし、ユニコーンならできるよ」
困惑しているユニコーンを尻目に、トロイとバックスが話を進めていく。
ユニコーンは食べかけのマルゲリータを放り投げた。なんだか嫌な予感がする。




