Balaclava 6
~金星四番ドーム~
時代が変わり、場所が移っても彼等はどこからともなく芽吹く。そう、DNAに速度を求める因子が埋め込まれた連中は、どれだけ厳しく法で縛ろうと雑草並みにタフで、何度根絶やしにしてもくじけること無く生えてくる。
今夜も寝静まった街の外れに、彩とりどりの改造車が集まってきていた。鮮やかなカスタムカーが集う工場区画は、ダンスクラブさながらの賑わいで輝く。性能面は勿論のこと、装飾にも一台一台オーナーの拘りが窺えるので、車好きでなくとも眺めているだけで至福の時となることだろう。
並んだ四台のマシンが合図と同時に走り出すのを、バックス達は通りを跨ぐ足場から見物していた。興奮している観客の歓声とも怒号ともつかぬ声がそこら中から上がっている。
「トロイの観察眼を疑うわけじゃないけど、ストリートレースで運転手捜しか。本当に大丈夫なのか?」
「請け合うよ。年がら年中警察と追いかけっこしてるんだ、金星で逃がし屋を雇うならこいつが最適だ。まあ見てろって、面白くなるぞ~」
「ふぅ…………どのマシンだって?」
ハッキングした監視カメラの映像でレース観戦と洒落込む。トロイが推している運転手は三番手に付けているラメ入りキャンディ塗装の日本車に乗っていた。クランクコーナーで一台抜き去り、順位を上げている。
難しいオーバーテイクにバックスも思わず唸っていた。
「な、だから言ったろ、イナバ」
「一位になれなきゃ再選考さ。脱出の要だって理解してるよな、他に候補は?」
「こいつだけだ、信じろ」
勝負はここから。二人は画面に眼を戻す。
レースは既に終盤、最終コーナーでの駆け引きが始まっている。トップのマシンが追撃を許さぬ懸命なブロック、しかし後ろを気にしすぎた所為でブレーキが遅れ、僅かに外へ膨らんだ。――勝負所でイン側に差込み、クロスラインでついに順位が入れ替わる。
そのままホイームストレッチを駆け抜け、決着。
勝者のマシンが停まるやいなや、観客が一斉に群がり始めた。勝者を讃える彼等の礼儀である。だが沸き立つ彼等を眺める二人は、冷静に評価を下していた。
「さてイナバ、感想聞かせてくれ」
「ああ、文句なし。合格だね」
「じゃあ、口説きに行こう」
騒ぎが一段落して次のレースが始まる頃に、二人は件のレーサーに声を掛けた。
セクシーなココア色の肌。黒髪から笹葉耳が覗く彼女は愛馬に寄り添うようにして、マシンのボンネットにキュートなお尻を預けている。ショートノースリーブが醸すヘソ出しルックがこれまたいい感じだ。
「ナンパかと思ったら、突然現れて『仕事を頼みたい』か……。トロイ? 変な名前だ。誰からあたしのことを?」
名刺に警戒心を抱いているところも好印象である。疑いもなくあっさり引き受けるような相手とは仕事したくない。
「おめでとう。見事なレースだった、見応えあった。楽しませてもらったよ、うん。俺達は怪しいモンじゃない」
「そう? ……怪しく見えるけどね」
バックスとトロイは、お前の方が浮いてると目配せしたが、バックスは白のカクテルスーツ、トロイは半袖シャツにハーフパンツである。
この場においては、バックスが明らかに浮いていた。
「怪しい……、けど、サツには見えないね。あたしに何させたいの?」
「善良な泥棒だ、税金は盗んでねえ」
すると一体何を思ったのか、横合いからバックスが彼女の手を取って、恭しく口付けを送った。キザな挨拶である。
「こんばんわ、お嬢さん。僕はブラン・バックス。レース、観戦させてもらったよ。これは正式なオファーさ、きみの腕を見込んでのね。お名前をお聞かせ願えますかな、お嬢様」
「ユニコーン……、仲間はそう呼んでる」
彼女はすぐに手を払う。
あくまでも『口説く』は比喩のつもりだったのだが、バックスは本格的にお近づきになろうとしている。美人と見ると見境無く言い寄る悪癖は、数年程度じゃ治りはしなかったようだ。話を取り持つトロイは毎度余計な心配をする羽目になるのである。
「逃がし屋の仕事をしてるな。ユニコーン、俺達も君のドライバーとしての腕を買いたい」
「悪いけど、他当たって」
一度断られてもトロイは簡単には引き下がらない。彼女以上の運転手はそう簡単には見つからないし、撤収手段の要である運転手が不在では計画自体が立ち消えになる。もしも、そのまま計画を強行すれば、お縄に掛かるのはトロイ自身となってしまう。
なんとしてもユニコーンから返事を貰わなければならない。次いで彼女の心を唆したのは、バックスの囁きだ。
「ラスベガスは遠い、このままじゃ。その事実は、誰よりもきみ自身が一番よく分かっているはずだ」
「……調べたの?」
「顔に書いてあるから。ベガスで毎年開かれているモータースポーツの大会を目指してるね。昼間は整備工場で働き、夜はレーサー。夢に向かって邁進していて、素晴らしい。問題は、ストリートレースでいくら小遣いを稼いでも、きみの夢は宇宙の向こうで光るだけ。一歩一歩を大切にしているからこそ、回ってきたチャンスを活かすべきじゃないかと、僕は思うんだけど。この仕事が成功すれば、夢は夢でなくなる」
ユニコーンは、短く頭を振った。ぶら下がっているニンジンを見極めているようだ。
「千載一遇だ。燻り続けるか、燃え尽きるか。道の先を見たくないか、お嬢さん?」
くすぐるのが上手い。
顔を上げたユニコーンが力強く見据えるのは、夢の大舞台だ。
「次にお嬢さんって呼んだら、喉にエンジンオイル流し込んでやる。いいかい、ウサ公」
「へへッ、よろしくな、ユニコーン」
トロイは彼女と握手を交わし、残りの人選を考える。
運転手は確保したが、他の人選もプロフェッショナルを揃える必要があるのだ。全員が最高の能力を発揮することで、最高の仕事を行うことが叶うのだから。
金星、八番ドームの空き倉庫に構えた隠れ家へ場所を移し、会議は続く。
「次は金庫破りか?」
「爆薬関係。ナインがこっちに来てるよな。こっちで何してる?」
「カミさんつくって足洗った、二年前だったかな。いまは堅気の人間だ、技術を生かして真っ当に解体業をしてる。引退した奴を引き込むつもりか」
「ナインって、そいつ何者なの?」
ユニコーンには初耳の話ばかりである。説明はバックスが引き継いだ。
「爆薬の専門家で、八歳の時に洗剤と砂糖で造った爆薬で自宅の納屋を吹っ飛ばした、それも粉々に。その時の爆発で、一緒に小指もバイバイさ」
「七歳、七歳だよ」
甘い記憶を正したのはトロイだ。
「本当に? じゃあナインは、僕たちがスリの練習してた頃に爆薬調合してたのか?」
「待てよイナバ。俺はまだ普通に学校に通ってた。泥棒一家のサラブレッドと一緒にしないでもらいたいね。――こいつが一番最初に盗んだもの聞いたらたまげるぞ、ユニコーン」
「へぇ何盗んだの?」
「親父からお袋を盗んだ。僕にゾッコンさ……あ~、なんの話してんだっけ」
「爆薬関係でしょ」
呆れるあまりに首を振り、話題を引き戻したのはユニコーンである。探している人物の名前の由来に合点がいったところで彼女は尋ねた。
「一本足りナインだ」
「「…………」」
うっかり韻を踏んだだけだが、じっとりとした目で捉えられたユニコーンは、「見んなよ」と居心地悪そうに椅子に座り直した。にやにやと吊上がったバックスの口角に腹が立つ。
すると、ふぅと小さく息を吐き、バックスの表情が真剣味を帯びた。友人の腹を探るのは余り心地の良いものではない。
「ナインの経済状況はどう? 正直な話」
「新しい人生には金が掛かる……芳しくない、正直なところ」
「そのマニアックは引退してるんだろ。代わりを探すわけ?」
さて、怪盗と名が通っていても、詰まるところは強盗である。求められる技術の一つに爆薬に関する知識も含まれる。金庫だろうがショーケースだろうが、問答無用で突破する破壊力は様々な現場で重宝される。それは堅気の世界でも同様だ。
緻密な計算により仕掛けられた爆薬が、ビルの支柱を爆砕し、立派なビルが一瞬のうちに折りたたまれるようにして真下へ潰れた。人口密集地での解体作業は、周囲への被害を抑える為に非常に高い技術が求められる。当然、そこで働く人材は、貴重な戦力となるのだ。
――誰にとって?
無論、彼等にとって。
安全ヘルメットを外したナインが、仕事終わりのコーヒーを飲んでいると、通りの向こうで見慣れた兎耳が揺れているのを見つけた。
手を軽く上げてバックスが挨拶。
それから二言、三言の会話だけで、承諾が取れたのはありがたく、同時に悲しくもあった。起業の為の致し方ない借金が交渉の材料となるのは、友人としては残念である。
運動不足の青白い肌。眼鏡を掛けたその青年は神経質に辺りを見回している。
蒸し暑いドームの昼間とはいえ多すぎる汗は、冷却塔の役割を果たしていて、気温に対してその身体は恐ろしいくらいに冷たい。
金星一番ドームのアパート通りを、急ぎ足で青年は歩いていた。
車は持ってない。運動に近しいもの全般、全てに縁がない彼にとってのスポーツは、徒歩で移動すること。まだ一ブロックしか移動していないのに、息切れが始まっていた。
やっぱりタクシーを拾おう。
そう思った彼の前に急停止したのは、イエローキャブではなく飾り気のないバン。突然サイドドアが開き、青年は飛び出してきた男達に力尽くで車内へと押し込まれた。
無抵抗を示しても、どもりながら色々いい訳しても、彼等には通じない。ジャングルのゴリラの方が言葉が通じる可能性がある。
なにせ彼等はカンカン(・・・・)だ。言語中枢がショートするくらいに頭にきてる。
暴力的な紳士達にかかれば、青年の命は長くて一日。彼等はタイムリミットまで目一杯、この青年を痛めつけて、最後は宇宙に捨てるだろう。或いは、余計なことを覗き見た脳味噌を後頭部からズドンで、路地に捨てるか。
とにかく先行きは真っ暗。
どこに向かっているかも不明。
手足は自由でも青年は現実世界において、あまりに無力。力による実力行使の経験は皆無で、子供ですら脅せない。
つまり、奥歯をがちがち鳴らしながら死ぬしかない。
ふと青年は違和感を覚えた――なんだか様子がヘンだった。
バンの速度が急に上がったのである。
速度と一緒に男達の怒声ばかりが強くなる。バンが曲がる度に青年は、そこら中に頭をぶつけまくっていた。運転は次第に荒くなる、誰かに追われているようだ。
だが、助けが来たとは到底考えられない。
追っ手も青年が目的だ。だがしかし、その表情には安堵の色の欠片すらないのであった、どちらに捕まっても待っている結果は同じだからだ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。……もしかしたら、細い可能性はあるかも。もう片方に捕まったのならば一生刑務所暮らしになるかもしれない。死ぬよりマシと考えれば、救いはあると思った矢先だ。
目と歯を食いしばって彼は感じた。――可能性、ないかもしれない!
車の後部から小突かれたような衝撃があってバンがスリップし、街灯に激突したのである。
衝撃でフロントはひしゃげクラクションは鳴りっぱなし。多分運転手と助手席の男は気を失っているだろう。青年がなんとか無事でいられたのは、衝突で吹き飛ばされた時に、自分を抑えつけていた男がクッションになったからだった。
逃げ出すなら今だけ。青年が頭に響く鈍痛に振っていると、サイドドアが開き、今度は車外へ引きずり出された。
足腰立たない状態で歩かされ、またも青年は車に押し込められる。幸いなことに、乗せられたのはトランクではなく助手席だ。まだ目の焦点が定まらないが、青年はシートベルトで身体を固定され、加速度に押し潰されそうになる。
赤色灯とサイレンがそこら中から聞こえてくる。
青年は絶叫しながら運転席を見た。
そこには救いの騎士が座っている。だが、すぐにそうとは信じられなかった。
なにせその騎士は、白馬の代わりに日本製の鉄馬を駆り、
鎧の代わりに黒のタンクトップを着て、
なにより男ではなく褐色肌の女性だった。




