6.微かなズレ
【前回のあらすじ】
自由で、何事にも捉われず、やや奔放な感じのする彼女にボクは惹かれ始めます。
一方のマーちゃんも、それまで熱中してたウィンドサーフィンをするより、ボクと一緒にいる方を選んだと、はっきり告白するのでした。
あの頃の彼女は素敵だった。会社が終わると、平日でもどこかに出かけて夜遅くまで一緒、休日は朝から深夜まで一緒…… つまり、四六時中一緒だった。
今は、そこに深夜から朝までの時間が加わっているから、もっとずっと一緒で、もっとずっと好きになってなきゃおかしいのだが……
そんなことを思いながら、彼女の寝顔を見ているのはあまりいい気持ちではない。
ふと目覚めたマーちゃんと目が合う。
(本当に綺麗な瞳してるよな…… 作り物みたい)
「おはよう」
「おはよう」
「見惚れてた? 」
「ううん、見飽きた」
「…… ぶーちゃん、、、許さないよ、そういうの」
「アハハ、冗談冗談」
「…… キスしなさい」
(夫婦の幸せってどういう形なのかな? )
この瞬間は幸福なんだろうか? そんなことを思う。
(別に愛し合っている事実だけでいいのに。なぜ、結婚という形を選んだんだろ? マーちゃんが望んだっけ? )
ずっと一緒にいたいな、そうだね、じゃあ一緒にいる? うん、そうしよう。
そんな程度の話だった気がする。ボクには結婚を契機に特別な関係が新たに発生するという感覚がまったくなかった。教会で式は挙げたが披露宴はしていない。転勤が決まって、ふたりが離れないための方便として結婚という形を整えた、そういう感じだけだった。
(遠距離恋愛だったら続いていたかなぁ? )
ムリムリムリ、絶対無理。いまさらひとり寝などできない。
「…… ねぇ、何考えてんの? 最近、しょっちゅうそんな顔してない?」
マーちゃんはボクが考えごとをすると気になるようだった。口にこそ出さないが、ボクが思っている以上に気にしていたかもしれない。
「ん? …… エッチなこと。こーして、あーして!」
ボクはベッドの中で彼女の身体を大袈裟に触ろうとする。
「アハハハハ、やっぱりね。ぶーちゃんはそればっかだもんね!!!」
彼女は身体をくねらせてキャッキャッと笑った。こうしてれば彼女は安心する。ボクが彼女の知らない世界にほんのちょっとでも行こうとするのを、彼女は本能的に身を挺して邪魔しようとしたのかもしれない。
(夫婦にとっての愛情ってなんだろう? )
時々、この問題に突き当たる。
恋人と夫婦では愛情に違いがあるんだろうか?
10年、20年と一緒にいても、愛情は変わらないものなんだろうか?
ボクは本当に彼女でなきゃダメなのかな? 彼女も本当にボクでなきゃダメなのかな?
そういう考えても仕方のないこと、いや、むしろ考えるべきではないこと、夫婦にとって目の前の日常生活に何ら積極的な意味を与えないことを時々考えるようになった。
(なぜだろう…… 特に不満もないんだけど)
そんなことを考えていると知ってか知らずか、彼女はベッドの中でボクにぴったり身体を寄せる。足癖の悪い彼女らしく、長い足を絡ませてくる。
「ねぇ、今日はどうする? 」
「そうだなあ…… 」
「最近、出かけなくなったよ、ぶーちゃん。明らかに減った…… 」
「そう? 毎週買い物に行ってるじゃん」
「あんなのは出かけるうちに入らないの!」
「そう? 坂上部長は行かないんじゃないかな」
「おじいちゃんだからでしょ!」
「かわいそうに…… 爺さん扱いされる上司……」
「アハハハ、でも坂上さんは優しいから好きだよ」
まあ、確かにそう言われれば外出は減った。ちょっと前なら、週末、部屋でじっとしているなんてことはなかった。だが、彼女とはもう5年目になるのだ。そういつまでも新鮮な会話が続くわけはない。これまでずっと一緒だった反動なのか、時々、ひとりで図書館にでも籠ってみたいという欲求が高まる事すらある。
それに…… どこに行ったとしても
「楽しかったね~、また来たいね~」
それで終わる。
それはそれでいいはずだ。ボクも別に何かを極めたいわけでもなく、出かけた先々の歴史的意義などを探るつもりもない。そもそも、大した趣味すらない。考えていることのほぼ99%はエッチなことで、綺麗に着飾った彼女の姿も、その下の姿を思い浮かべる有様だ。大したことなど本当に考えてはいない。
だけどどこか満足しない。ボクの心の在り処と一致しないのだ。この漠とした不満の正体をボクはまだ掴めずにいるが、マーちゃんともうちょっとだけ話し込みできたら解消できたかもしれないとは思う。ボクの心の奥底に湧き上がる様々な感情や、ボクの目を通して見た景色や光景が、どのようにボクの内側で見えているのか、そういうことを話したい。聞かせたい。
そこがうまく伝わらない。マーちゃんはそういう話をしたがらない。
帰り道、どこで食事をしようか、それともワインを買って帰ろうか、いや、新しくなったターミナルビルでネクタイを探そう、そういう話になる。だけど、ボクは食べることにも着ることにも住むことにもほとんど興味がない……
綺麗な瞳でボクを見つめるマーちゃん。嫌いじゃない。ついつい機嫌を取りたくなる。
「じゃあ、海にでも行く? 」
「うん! 行く行く!」
「あ~~、でも遠いな…… 多摩川でもいい? 」
「え~~~~~っ!…… 別にいいけど…… 」
「ごめんごめん…… じゃあ…… 狭山湖とか…… あっちはあまり行かないでしょ?」
「うん! そうしよう! 遠くない? 大丈夫?」
彼女は簡単に騙される。狭山湖への道の方が混んでなさそう、たったそれだけの理由。計算高いボクが咄嗟に楽な方を選んだのに大丈夫なのかと気遣ったりする。
(マーちゃんは素直でいいんだけどな…… )
ベッドから飛び起きて、台所でピクニックの準備を始める彼女の後ろ姿を眺めた。
(もうちょっとお尻が大きくてもいいかな…… )
そんなことだ。ボクの考えていたことは。
ただ、本当は気になっていた。知り合って間もなくの頃に見せた天真爛漫さが微かに変化してきていることを。時々不機嫌になるボクを見るようになってからは、無邪気にボクの顔を覗き込んでドキドキさせるようなことも言わなくなった。どこかでボクを恐れ、ボクの機嫌が悪くならないよう、いつも気を使っている感じがした。
その感じというのが逆にボクを苦しめた。ボクに合わせようとする姿を見るのが嫌だった。ボクはちっとも彼女にそんな要求をしたことはないのに、なぜ彼女は自らの美点を失うのだろう。ひょっとして、女房という地位に収まるための我慢なんだろうか?
そんなことを考えた。
若くてバカな男というのは救いようがない。自分の変化には目を閉じ、相手の変化だけを厳しく糾弾する…… ボクはまさしくそのバカな男だった。
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次回は本社のアイドル的存在、ハルとのことを描きます。
またお読みいただけると嬉しいです。