2.出会い
【前回のあらすじ】
主人公の「ボク」は妻の「マーちゃん」と、中央線から小さな私鉄で一駅入った線路沿いのマンションに転居しました。結婚四年目で三回目の引っ越しをした部屋では、有名な教会で結婚式を挙げたふたりの写真をどこに飾ろうか真剣な表情の妻と、通勤に不便なこの場所が気に入らないボクが夫婦らしい会話を交わしていました。
マーちゃんとの出会いは5年前に遡る。
彼女はボクが最初に配属された海沿いのコンビナートにある工場にいた。年齢は同じだが、入社年次では2年先輩だった。
その頃、入社5年に満たない若手社員は週に数回、会社の会議室で英会話を学んでいた。会社主催の正式なものではなく、誰が手配するのか、講師役はどう見てもバックパッカーとしか見えない外国人たち。英会話教室というより、外国人と日常的に違和感なく接するための機会という位置づけだったのかもしれない。
新入社員のボクは当然参加。入社3年目の彼女も参加していたが、講師役はバックパッカーだけに年がら年中入れ替わっており、その都度送別会を開く。つまり、ほぼ毎月定例の飲み会が開かれていたのと同じ。彼女はその場にも必ず参加する少数派の女性だった。
彼女は細身の身体と軽やかな黒髪がとても印象的で、講師だろうが社員だろうが誰かれかまわず仲良くなるという感じの子だった。最初の印象としては、ボクなど想像もできない遊びをしまくってる遊び人。気後れしたボクは、どちらかというと遠ざけていた気がする。
ある時、仲良くなったバックパッカーのひとりがその地を離れるというので、何人かが新幹線の駅まで見送りに行こうと言い出した。彼とは、当時付き合っていた彼女が休暇を利用して会いに来た時、三人で海に行ったり、野外コンサートにも一緒に出掛けた事がある。そんな思い出もあったので、じゃあボクが車で駅まで送りますよと申し出た。
「私も途中で拾ってよ」
その話を聞いていた彼女が自然に割り込んできた。こういう何にでも顔を挟む振る舞いが嫌いという者もいたが、彼女に気後れしていたボクには、気さくでフレンドリーな一面に感じられた。
「いいですよ、どこまで迎えに行けばいいですか?」
「本町の交差点ってわかる? そこの家具屋さんの駐車場でいいよ」
「わかりますわかります。あの辺ですか。何時にします?」
「そっちが決めてくれれば出て待ってるよ」
「じゃあ…… 6時半。早いですか?」
「いいよ」
ひどくあっさりした印象だった。事実、彼女はとてもドライで気ままで奔放だった。第一印象からは少し見直して、飾らないスレンダーな美人、に格上げ。同じ年ながらちょっとカッコいい大人の雰囲気を感じ始めていた。
翌朝、待ち合わせの場所に行くと、彼女はもう駐車場の入り口にいた。手を後ろに組み、足元の石ころを蹴る仕草が送別会で見かけた彼女より随分幼く見えて、可愛い感じがした。
「待ちました?」
「う~んと…… そうでもないけど。30分待った」
「ハハ…… ウソでしょ」
彼女は真っ直ぐボクを見つめる。ドキッとするほど綺麗な目だった。
「…… マジ?」
「ウソ、アハハ、キミ、すぐ騙されるタイプ? タンジュン~」
やっぱり彼女は男の扱いに慣れてる…… 折角格上げした印象を、また下方修正する必要があるかも。そう思った。
バックパッカーたちの宿所は古いがとても広い民家で、玄関を入ると乱雑に脱ぎ棄てられた靴の数から、一体何人住んでんだ? って感じだった。
だが、7時前に彼の宿所についたときは、そこの連中の誰一人として見送りに起きてこない。挙句に、前夜見送りに行くぞと発案した者、賛同したもの、全て時間までに現われず、結局見送りはボクと彼女のふたりきりになった。
「意外と薄情だな…… みんな」
ボクが率直に思ったことを口にすると、
「キミも来ないかと思ってたよ」
彼女は助手席でそう笑った。
新幹線のホームで外国人と初めてハグをして別れた。最後に彼が何かを囁いたが、残念ながらその意味まではよく理解できなかったものの、当時付き合っていた彼女の下の名前「…… アサミ」だけはわかったから、彼女との事に関する何かだろうと想像はできた。
そう言えば、三人で海に出かけたとき、彼がボクに彼女は恋人かと聞くから、ボクは単純にYesと答えたものの、彼女が恥ずかしがって、違いますよ違いますよと手を横に振ったものだから、外国人の彼にはボクたちふたりの不一致が不可思議な印象として残っていたのかもしれない。
見送りを終え、そんな事を思いながら車に戻る。
時間はまだ早朝8時過ぎ。ここから車で1時間。9時過ぎには帰って眠れるなと思っていたら、助手席の彼女がこう言い出した。
「さて、どこ行きますか?」
あまりに自然で違和感なし。
「ん? どこかって? どこ……?」
「まだ早いよ」
例の綺麗な瞳でじっと見つめる。
「ええ、早いですね」
本気で言ってるのか? 同じ年だが先輩という意識がまだあったあの頃、彼女はカッコいい社会人に見えていた。
彼女の本心を測りかねたまま車を走らせた。
(ボクをからかってる?…… )
「そこ、右? 左?」
国道に出る交差点で彼女が選択を迫る。
「…… 右行きま〜す!」
その時のボクは、ボクたちの住む街の方角を選んではいけない気がした。それは、ボクの見栄だったり、見栄だったり…… 見栄だったりした。
お読みいただきありがとうございました。
いかがでしたでしょうか。
ご意見ご感想いただけると幸いです。
次回は社交的なマーちゃんに少しだけ窮屈な感じがしているボクと、会社での遊び仲間との話を描きます。
またお読みいただけると嬉しいです。