17.丸ノ内線
【前回のあらすじ】
ハルとの相性の良さを感じる反面、妻であるマーちゃんとのズレを嫌でも意識してしまうボク。過去に遡って、マーちゃんと初めて結ばれた夜のことなどを回想しています。昔からズレていたわけではない、そう思うと、目の前の現実を受け止められません。
そんなことを考え始めた頃から、マーちゃんの様子が徐々におかしくなります。彼女の精神は少しずつ蝕まれていくようでした。
マーちゃんとの重苦しい時間を避けるようにボクは帰宅を遅らせ始めた。探せば仕事などいくらでもあるもので、あれほど書けと言われていたのに放りっぱなしにしていた日報を細々と書いたり、不必要にプレゼン資料をゴテゴテ飾ったりして時間を潰した。気づけばハルも会社に残っているなんてことも増えた気がする。
仕事が終わるとフジさんや細山田を誘って飲み歩くようになった。さすがにハルを直接誘うのはやや気が引けたが、まっちゃんあたりが一緒の4,5人の飲み会が多かった。
その日は細山田と飲みに行こうと会社を出ると、偶然、ハルとまっちゃんが帰るところで、ふたりで食事をして帰るというから、それなら一緒に飲むかという話になった。
「いやぁ、あの煩い連中がいないと静かでいいねぇ。
今日は大人の会だな、うん! 乾杯!!」
さすがの細山田も20歳前後のお子ちゃま相手は少々食傷気味だったとみえて、今日はいつになく上機嫌だ。勢い余ってハルにもズバリと質問を繰り出す。
「ハーちゃん、最近はプライベート順調?
どこかの商社の担当と付き合ってるんだって? 誰の紹介?」
無神経なのか、それともボクへの牽制球なのか、細山田はいきなりストレートな質問をぶつける。ボクにはとてもできない質問だが、妻帯者が独身女性と話をするのは、このくらいの方が本当はいいのかもしれない。どうせ手出しできないんだから、遠慮して聞かないより素直に聞いて、相手が嫌がれば引けばいい。
「汎用の松崎さんから。お前と付き合いたいって言ってるけどどうする? って聞かれて、まっ、いいかと思ってさ」
「そうなんだ。いや~、おいさんも恋がしたいよ、まったく」
細山田はボクの2年先輩だが、決してオッサンぽくないのにそういう言い方をする。
「え~~~、じゃあ、私とする~?」
ハルはハルでこういう言い方をする。多分、その場の雰囲気だったり会話の勢いだろうが、どのあたりまで本気なのかわからないからついついヤキモチを妬いてしまう。
「ハーちゃんとか…… したいのは山々だけど、怒る奴が傍にいるからなあ、ハハハ」
ボクはふたりを無視してまっちゃんに話を振った。
「まっちゃん、どう、こういう男? 見かけだけの男、こういうのと付き合いたい?」
「細山田さんですか? ええ、付き合いたいです…… 独身なら」
聞いた相手が悪かった。彼女には、どうしたら彼氏ができますかと相談されて、少しハルみたくガードを下げたらと話したばかりだった。
「なんで結婚する前にゆうてくれへんねん、おっさん、まっとったに、ガハハハッ」
学生時代の数年しか京都で暮らしていないくせに、細山田は酔うと関西弁の真似をする。
「アホくさ…… 」
(細山田め! 調子に乗ってると奥さんの件、ばらすからな!)
「まっちゃん、こいつのことも褒めてやってな。
こいつマーちゃんから勘違いされてえろう弱ってるらしいし、なぁ、お前」
(殊更にマーちゃんとか言うな……)
「おふたりは仲良しなんですね」
まっちゃんがボクと細山田を指してそういう。
「仲良し? マーちゃんとこいつ?」
心臓が止まりそうなことを言う。ついついハルの反応を気にしてしまう。しかし、ハルは知らん顔してメニューを眺めている。
「いえ、細山田さんと、神原さん……」
「オレとこいつか。ハハハ、こいつとは歌舞伎町でボラれる間柄よ、トホホ」
ブッ…… 思い出し笑いで思わずビールを吹き出しそうになる。
「謎の外国人、ハハハハハハ」
細山田が片言の日本語とでたらめな外国語を話し、ボクが通訳するという、どう考えてもつまんないことでおねーちゃんを口説こうと遊びまわってた時期の話だ。
「キンちゃんならそういうことしそうだけど、細山田さんはダメ! そんなことしちゃ!」
ハルが細山田の腕を取る。
「どう思う? まっちゃん。あの態度?」
悔しさ半分でまっちゃんを巻き込んだ。
「どうって…… いいなぁって思います」
「なにが?」
「あんなふうに自然に振舞える春原さんが羨ましい……」
黙ってりゃいいのに、細山田が口を挟む。
「ほら、まっちゃん、こっちの腕、空いてるで?」
(調子に乗りやがって…… 絶対ばらす! 若手芸人追いかけ回してる女房のこと、みんなにばらす!)
こんなつまんない話題で盛り上がった。楽しい時間はあっという間に過ぎ去る。
飲み会は遅くても9時にはお開きになる。酒を飲んで議論したいボクには、まさにこれから、というところでストップだから物足りない。だが、細山田は意外にアルコールが好きではなく、このくらいが適量らしい。帰って子供を風呂に入れると嘘をついて多分、スロットでも回しに行くのだろう。
彼は有楽町線、まっちゃんは千代田線、ボクとハルは丸の内線だった。国会議事堂前駅でふたりと別れると、ボクとハルはふたりになる。
「四ツ谷乗り換えだっけ?」
「うん。ハルは?」
「三丁目。新宿線だから」
「ふ~ん」
とは言ったものの、日ごろ使わない路線のことは未だによくわかってない。やや沈黙があって、ハルがふと漏らした。
「合わないんだよね…… なんか」
「ん? 誰と?」
ボクは会社の誰かを指して言っているんだろうと思った。
「ん? だから、さっきの…… 商社の……」
「あ~あ~、あの……」
素知らぬふりをしていても、ホントは動揺している。詳しくは知らないが、ハルが誰かと付き合い始めたという話は噂で聞いていた。
「知ってたの?」
「う~ん、詳しくは知らない…… 」
「ハハ、キンちゃんはそういうとこあるよね。知らないよね、意外と」
「だって、そんなこと、誰も大っぴらには言わないからさ…… 」
「人ってさ、良く見てればわかるじゃん、この人がこの人に関心あるなぁとかさ。言わなくても大体わかるじゃん。意外に多いよ、そういう目で人を見てる人。細山田さんなんかもしっかり見てるよね。
キンちゃんとフジさんだけだよ、見てないのは。ハハハ、ホント、ふたりは似てる」
「そういうもんかなぁ」
「そういうものよ。誰と誰がどこでコソコソ話してたなんてことはもうすぐ広まっちゃうから。今日も階段の踊り場で話してるときに臼井さんが通りがかったでしょ。あの人なんかそういうの絶対見逃さないから」
「暇なんだね、みんな」
「ホント。もうすごく面倒くさい」
「じゃああれか、ボクとハルが仲がいいってこともみんなそう思ってんだ?」
「…… いまさら、ハハハ」
彼女が笑ってくれてホッとした。だからか、こんな言葉も自然に出た。
「ハル…… ?」
「ん? なに?」
「飲み足りてる?」
「ううん、飲みに行く?」
「うん。行ける?」
「いいよ」
こうして、ふたりで初めて飲みに行くことになった。初めて会ってから3年。こういう機会がなぜ今までなかったのか不思議に感じるくらいだった。
お読みいただきありがとうございました。
いかがでしたでしょうか。
ご意見ご感想いただけると幸いです。
次回はハルとふたりきりで飲みはじめた夜のことを描きます。
またお読みいただけると嬉しいです。




