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16.変わりゆく妻

【前回のあらすじ】

2回目のかっちゃんの会ですっかり打ち解けたボクとハル。ハルはその時の様子を恋愛相談を受けていると表現し、周囲にもそう伝えました。それは、ボクとハルが親密であることが妻のマーちゃんに漏れ伝わっても、恋愛相談を受けているだけだ、そう言い逃れするカモフラージュだったのです。

 相性の良し悪しというのは厳然とある。意識しないのに会話がスムーズに運んだり、何かを観たり聴いたりして同じ感想を持つと、この人とは相性がよい? と思ったりする。


 だが、この相性というのは本当に客観的に判断してのことなんだろうか?


 ある人には初めから何かを期待して近づき、逆にある人には、初めから否定的な態度で臨んでいることがあるような気もする。


 つまり、相性などと言うのは後付けの理屈で、本当はもっと違う本能的な感覚が、ある人は近づけ、またある人は退けているようにも思えるのだ。


 しかし、相性の実相がなんであれ、恋愛や結婚生活では、この相性というやつを常に強く意識してしまうもので、この頃のボクは、ハルには相性の良さを感じるのに、なぜかマーちゃんには全く感じなくなってしまっていた。


 ボクとマーちゃんは本当は相性が悪かったのに、無理して結婚してしまったんじゃないか…… そんなことまで考えるようになってしまっていた。


(ホントのところはどうだったんだろう…… )


 ふと、昔のことを思い起こす。






 山奥の温泉宿で彼女と初めて結ばれた夜、彼女はボクが初めての相手だと告白した。


「こんなこと言って重荷になった?」


 それまでの彼女とは打って変わってか弱く、縋るような視線にボクはやや驚いた。


「ううん、全然。気にならないよ」


「…… シュンちゃん、嫌いにならないでね」


「うん。ずっと一緒にいるよ」




 あの時、ボクは彼女と相性の悪さを感じ取っていたか?


 そんなこと、あり得ない。


 それまでのどこか掴みどころのない魔訶不可思議な先輩女性が、ごく普通の女の子だったことを知っただけだ。腕の中の彼女の軽さと儚さを実感し、この女性を守るのはボクだけだという高揚感を得ただけだ。


 大学を出たばかりで、一生という時間の長さをどれだけ意識できていたかどうかはわからない。多分に、可能な限りという程度の時間を意識したに過ぎなかっただろう。だが確かにその時は彼女への永遠を誓ってもよいと思った。


 彼女がその一晩を境に、それまでの奔放さを徐々に失い、可愛らしい女の子然とした感じに変わっていく様も、きっとボクを頼るべき人間と見定めたために、余計な虚勢を張ることなく、本来の彼女に戻れたからだろうと思った。


 愛しい…… 


 この言葉が彼女への気持ちを最も端的に現わしていた気がする。


 だから、5年の時間が経過したのち、彼女とは相性が良くないと感じ始めるのは卑怯だ。相性という言葉が曖昧な意味しか持たないとしても、ボクが人非人、つまりはろくでなしであることに、何ら変わりはないのだ。





 そんなことをボクが思い始めた頃から彼女は変わり始めた。


 まず、本当に痩せてきた。少し痩せすぎかなというレベルを超えて、ちょっとちゃんと食べないと本当に寝込むよと注意しなければならない程に痩せてきた。


 さらに、ボクが家に帰ると、まるで子供のように付きまとうようになった。それはまさに片時も離れないという感じで、ボクが普通にしていれば機嫌よくボクの顔を触ったり、首筋にキスしてきたりするのだが、ちょっとでも嫌な顔をして、少し離れろよなどというと、途端にしょんぼりして、見るからに落ち込むのだった。


 こうなると段々煩わしくなってくる。ボクは自然と家に帰る時間が遅くなり、遅くなると彼女が益々ボクに付きまとう、そんな歪な関係になってしまった。




「ちゃんと話をしようか」


 ある晩、ボクはぴったりくっつこうとする彼女を制してそう切り出した。このままでは耐えきれぬ日が来ることを予感したのだ。


 すると彼女はとても喜んだ。


「ぶーちゃんとこうやってお話しするなんて久しぶりだね」


 などと言いながら、楽しい会話がこれから始まるかのように嬉しそうな顔になった。これから話そうとしている内容とあまりに不釣り合いな笑顔に、ボクは一瞬言い澱む。


 それでもボクは言わざるを得なくなる。


「誰に何を聞いているか知らないけど、ボクは別にハルとは何もないからね」


「うん、わかってるよ。ハルが相談してるんでしょ。ぶーちゃん優しいから」


「相談だって…… そんなにしてる訳じゃないんだよ」


「うん、知ってるよ。ぶーちゃんは優しいから、ハルの相手をしてやってるんでしょ?」


「…… 疑ってないんだったらそれでいいんだけど」


「うん、ぶーちゃんが好きだから、ハルのこととか関係ないもん」


「…… それならいいんだよ」


 確かに何かが伝わっている。彼女の背後に暗く薄汚い悪意を感じる。しかし、彼女はもうそこにも居ない。


 ボクには彼女の心の在り処が見えなくなる。


「ねえねえ、明日は私がお弁当作るから、このあいだ行った遊園地の傍の湖に連れて行ってね」


「…… うん。いいけど」


「わ〜〜、ありがとうぶーちゃん、キスしていい?」


「…… いいよ、別にしなくて」


「いいの、したいの、キス」


「…… 」


「怒ったの?」


「…… 怒るわけないよ。いいよ、明日ね。あそこね。行こうね」


「うん、楽しみ。わ~い、ぶーちゃんと一緒、ぶーちゃんと一緒、ぶーちゃんと一緒…… 」


 彼女は鼻歌交じりに明日の準備を始めた。まるで遠足を待つ小学生のようだ。


 彼女はハルのことを忘れたのではない。蓋をしたのだ……


 そう思うと、やりきれない絶望感に襲われた。




 病的に痩せ始めた彼女を連れ出す休日は以前ほど楽しくもなく、子供のように甘える彼女を疎ましく感じる日々になった。


 疎ましく思い始めれば、それまでは気にならなかったことが急に嫌な習慣に感じたりするもので、例えば、買い物で彼女が品物をカートに投げ入れることや、車のドアを足で閉めることなんかがやけに目に付き始めた。


 多少荒っぽく行儀の悪い仕草も、小さなことにチマチマしない彼女らしさを感じさせて嫌いじゃなかったはずなのに、今では彼女の雑な一面を見せ付けられているようでたまらなくなる。


 気弱になってボクに甘えるわりに、ボクが嫌う性格面はちっとも治らないんだと思うと、無性に腹立たしく感じたりするようにもなった。



 この頃のボクには人を許すという観念がない。ボクを愛するがゆえに精神のバランスを崩し始めた彼女を、自分の足で立てない弱い人間だと切って捨てようとするところがあった。


 人間には幾通りもの人がいる。何かに縋って生きる人もいる。何かに縋りたくないと頑張る人もいる。見返りのない愛に耐えられない人もいる。愛など限りなく奪うだけのものだと思う人もいる。その様々な想いを抱きながら、偶然の接点を持った者同士が、小さな屋根の下に家族という単位を作り上げていくのだという感覚が当時のボクにはまったくなかった。


 彼女と過ごす休日は、ボクにとっては軛、桎梏、重く長い鎖で否応なしに括り付けられ逃れられない暗黒、そういうものになり果てようとしていた。


 なぜあの段階で彼女がそこまでボクに拘泥したのか、何が精神が破綻するほど彼女を追いこんでいったのか、当時は皆目見当がつかなかった。


 ボクはその頃まだ浮気のウの字もしたという意識がない。確かに、ハルといると楽しい。誰よりもボクを理解してくれて、誰よりもボクの気持ちを落ち着けてくれると感じ始めていた。


 しかし、それは思っているだけの話で、誰にもそういう時期はあるんじゃないかと、ボクは自分を許していた。ハルに気持ちが移ることをそのままにしていた。


 だからこそ、マーちゃんがその事の深刻さを思って徐々に精神を患っていくのだというふうには想像していない。


 要するに、ボクは冷淡で身勝手な男でしかなかったのだ。

お読みいただきありがとうございました。

いかがでしたでしょうか。

ご意見ご感想いただけると幸いです。


次回は細山田、ハル、まっちゃんと四人だけの飲み会のことを描きます。

またお読みいただけると嬉しいです。

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ちかハナル作品集
★『ボクの選択』(縦書き)★

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