12.毎日のこと
【前回のあらすじ】
妻のマーちゃんに、かっちゃんの会のことをチクられたボクは憤懣やるかたありません。先輩社員の細山田にそのことを愚痴るのですが、心の中に巣くう邪な考えを見抜かれてしまいます。
今日は義姉のところへ行く約束になっているのに、気の重いボクは途中駅で乗り換えるのを躊躇ってしまうのでした。
義姉は武蔵小金井駅からほど近いマンションに夫と住んでいる。この姉の近くで暮らしたいというマーちゃんの要望があって、ボクたちの仮住まいはこのあたりをぐるぐる衛星のようにまわっているのだった。
この姉妹の最大の武器は料理がうまいこと。手際もいいし、ちょっとした酒の肴があっという間に何品か並ぶ。台所で大騒ぎしなくても、彼女たちが談笑しながら次々に料理を出してくる様子を見ていると、義兄がボクたちは世界一の幸せ者ですよという調子のいいおだても、まんざら嘘でもない気がするのだった。
ボクはここにいる時のマーちゃんは好きだった。お酒を飲むと陽気なのはいつも通りだが、相手が姉と義兄なので気を許してもいるのだろう。ちょっとわがままだが、知り合った頃の奔放さを思い出させて懐かしい感じすらする。時々ボクに絡んで愚痴をこぼすのだが、それでストレスの発散になるのなら、義姉夫婦はとても温厚だったので、ボクも素直に悪役になれるのだった。
「まぁまぁ、遠慮なんかせずにキミも飲みたまえ」
彼女がこういう口調になると怪しい。そろそろボクへの不満を語りだすことだろう。
しかし、ボクも荻窪駅でしっかりシミュレーションしてきたから、彼女の挑発には乗らずに済むはずだ。
「先輩は相変わらず飲みますねぇ。癖悪いっすよ、ハハハ」
「ホントね、ごめんなさいね。この子相変わらず厄介なんでしょ?」
義姉は義母にそっくりな顔をしている。姉妹でこれほど顔が違うのかと思うほどマーちゃんとは似ていない。さらに、顔は母親に似ているのだが性格は全然違って義父似だ。温厚でやさしい。義母さえ思い出させなければ、義姉は本当にいい人なんだけど、などと勝手なことを思ったりしている。
「お姉ちゃん、このぶーすけはそんな柔な奴じゃないんだから、いいんだよ遠慮なんかしなくても」
「ぶーすけ、ハハハ、僕はぶーすけ、ぶ、ってか、ハハハハハハ」
義兄が昔の子供番組の歌を歌いだす。
姉夫婦がいることだし、ここは安心してストレスを発散させてやろう…… そう思った。
「浮気するんだよ、このぶーすけは」
姉と義兄が、はっ、という感じでボクの顔を同時にみた。
(冷静に…… 冷静に…… )
「そっかぁ…… 羨ましい限りだ」
「あなた、変なちゃちゃ入れないで!」
「いやいや、お姉さん、ちゃちゃ入らなきゃ、マジな話になりますから、ハハハ」
「あら、それもそうね、ハハハ」
ボクたち三人は笑ってる。彼女だけ目が据わってる。
(…… 泣くなよ)
心でそう願った。
「このぶーすけがモテると思う? おねえちゃん。どうよ」
「そりゃモテるでしょ…… マーちゃんの選んだ人だもん。ねえ」
ボクに同意を求められても困る。
「もてるわけないよ、ちびのぶーすけが……」
(ちび…… )
確かに、彼女が少し高いヒールを履くと、彼女の目線がわずかばかりボクのそれより上にある事は気にしてる……
「あ~~~、ちびのぶーすけ! 腹立つんだよ、お前最近!」
段々エスカレートしてきた。しかし、ボクはこういう方がいいのだ。黙って泣かれてしまうと、どうしていいかわからなくなるのだ。
「はいはい、どうぞどうぞ、お好きなほどおっしゃってくださいませ」
「聞くんだな…… よ〜し、それならいい。そういう姿勢が大事だ、何事も」
「そうね、聞いてあげてね。時々はね。あなたもよ」
義兄はTVの前でうとうとし始める。
ボクはニヤニヤしながらワインを飲んでいる。これ一本いくらくらいの奴だろう? そんなことを考えたりしている。
それからは、いつもの小言が続く。
朝、新聞を読みながら食事する。返事が上の空、行ってきます、ただいまを言わない、お風呂が長い、いっつも損か得か勘定してる、買ってきたネクタイを喜ばない、そもそも何をしても喜ばない、嬉しそうな顔を見たことがない、ごはんがおいしいといわない、楽しかったね、また来ようねっていっても知らん顔してる…… などなどなどなど
まぁ、それはいつものことだから、姉夫婦もどちらにも加担できずに困ってしまって、大体この辺で義兄は寝てしまう。
しかし……
今日はもうひとつ不満が加わった。
「なんで断ったんだ? 今朝…… 」
「…… 」
「ねぇ、なんで?
毎日私が送っていくのに…… そう決まってるのに……
なんで断るの!」
「…… 」
「ねぇ…… 毎日のことを止めないで……
なんでだろうってずっと考えるから止めないで!」
「…… 」
「ぶーちゃん…… 」
姉は席を立って台所の片づけを始めた。義兄は完全に寝てしまった。
「……マーちゃん、そろそろ帰ろっか」
(泣かないでくれよ、頼むから)
「ぶーちゃん…… 止めないでね」
「止めないよ。車で送ってくれるんでしょ、これからも」
ボクはこの時願った。私を愛してる? って聞くなと。愛してるよって、とても素直に言えない気がしたから。
(でも、いくら何でも考えすぎだよ)
この時はまだそう思っていた。
お読みいただきありがとうございました。
いかがでしたでしょうか。
ご意見ご感想いただけると幸いです。
次回は寂しそうに出窓に座るマーちゃんを眺め、かつて初めて愛し合った頃のことを思い出すボクの心の中を描きます。
またお読みいただけると嬉しいです。




