11.愚痴
【前回のあらすじ】
「ハルのことは好きじゃないから」この一言でマーちゃんに対する日頃の微妙なズレを意識せざるを得なくなったボクは、翌朝、機嫌が悪いままです。彼女がいつも通りであろうとする会話も満足に受け答えできません。
とうとう、彼女が先輩社員のフジさんを嫌っている話まで持ち出して、日頃の不満をぶつけてしまいます。
ひたすら謝るマーちゃん……
その顔を見ながら、かつては大好きだった彼女のことを、一体どこで不満に思うようになってしまったのか、そんなことを考えるのでした。
早く帰るという約束などすっかり忘れて、ボクは細山田と会社近くの交差点角にある中華料理店でビールを飲み始めていた。展示会の準備で駆り出された休日出勤がすっかり長引いてしまったのは事実としても、細山田の顔を見ていると、昨夜のことを黙って胸の内に収めておくことができなくなってしまったのだ。ボクは細山田を相手に思いっきり愚痴るつもりでいた。
「誰なんだろ…… あいつに陰で仕込むやつは」
「裏目に出たな、いつかこういう日が来ると思ったんだよ」
所詮他人事の細山田は傍観者的態度を変えない。ここはお前の奢りか? と確認して角煮を追加注文した。
「裏目も何も、そんなこと考えないじゃないですか。
別にやましいことなんかないのに、さも何かあるような話に仕立て上げてて……
クソ腹が立つ!!」
「なんて言われてるんだよ」
「いや、その…… ハルが一緒だろってことだけですけど」
「なんだよ、それだけかよ。つまんねぇな、アハハハハ」
「…… つまんないって」
会社近くの中華料理店で、休日中とはいえまだ明るいうちからいきなり2杯目の生ビールを飲むのは少し気が引けたが、気分はすっかり居酒屋モード。ひとりで飲むのも気が引けたので、追加はピッチャーで頼んだ。
「まぁ、ハル絡みの話だからな、面白おかしく尾ひれはつくわな。
快く思ってない奴もいるだろうし」
「そうなんですか? ハルって全方位外交に見えてたけど」
「お前はホントお気楽でいいよ。あいつらがみんな仲良しで一枚岩だとでも思ったの?
ハルもああ見えて真正直なところがあるからな。時々窮屈に感じる奴もいるよ」
さも事情通のように語る。細山田ってそういう奴だったのか?
「そりゃそうかもしれませんけど、そんな裏でコソコソ嫌がらせするとか思わないじゃないですかっ!」
「ハハハ、お前はいいよ、ホント、お気楽で」
こりゃ話にならんとでも思ったのか、細山田は黙々と料理を平らげ始める。
「誰ですかね…… 細山田さんの女性情報網に何かそれらしい話が引っかかってきませんか?」
「お前ね、随分人聞き悪い言い方するね。
俺は少なくともお前よりは品行方正だと思うよ。女子とは一線を画しておる」
「なんですか? それ?」
「お前、昨日飲んだ連中と、チャンスがあればなんとかなろうって思ってるだろ? ん?」
あまりに当たり前の質問をされて逆に驚いた。
「…… そりゃ思うでしょ誰だって。細山田さんは思わないんですか? あれだけ女性陣からちやほやされて。ちょっと食べちゃおっかなぁ~、とか全然思わないんですか?」
「思わない」
「なんで?」
「金がない」
「…… そこかい、ハハ」
社内預金を使い込むほどだ。わからないでもない。
「お前が毎月10万ずつ無条件に投資するなら、考える」
「じゃあ、投資をするとして、その場合の相手は誰ですか、相手は」
「う~ん、誰かな……
そういうお前は誰だよ」
「…… 」
「わかってんだよ。お前の相手は。
みんなそれとなくわかってるよ。だから、そうやってチクられるんだよ」
「…… 安住さん、って?」
ちょっと言い澱んだ。
「まぁ、俺にも隠すくらいだから、自覚はしてるんだな」
嫌な話の展開になった。そんなにわかりやすいのだろうか?
ちょっと自分の振る舞いに自信がなくなってきた。
「いいじゃないですか、ハル…… やっぱ一番いいと思うわ」
細山田相手に隠しても仕方ない。ボクは開き直って正直に告白した。
「まあな。確かにハルはいい。一緒にいて違和感ないもんな。自然でいられるというか、楽なんだよな。変に気を使わなくていいし。
でもな、それはお前、ハルと付き合う資格のあるやつのいうセリフだよ。それか、マーケティング部のおっさん連中のように、ハルが本気で相手しそうにない連中ならいいよ。
お前はどうだ? どっちだ? 有資格者か? それともおっさんか? 」
言わんとするところはわかる。だが、別にその中間の関係があってもいいじゃないか、そう反論したかったがやめておいた。
「少なくとも隠すなら最後まで隠してやれ。お前、いくらなんでもマーちゃんが気の毒だぞ」
細山田は給与明細を偽造するほどの人間であったし、女好きなところはボクとそう変わらないはずだ。だが、こういうセリフをしれっと吐くところがボクとは大きく違い、女子社員に絶大な人気を誇る理由なのかもしれない。
この細山田の奥さんが新興宗教に走るとは…… 何かまだほかに隠された重大な秘密でもあるのか…… 呑気に角煮を頬張る細山田がフリーメイソンでもあるような気がした(…… あほくさ)。
丸の内線に乗ると土曜日の夕刻だからか席が空いている。一旦座ってしまうと四ツ谷で乗り換える気がしなくなり、そのまま荻窪まで乗り越してしまった。そこでも乗り換える気になれず、ホームのベンチに座り込んでいる。
(細山田に愚痴ったのはまずかったかな…… )
彼にそうと指摘されると、かえってハルを意識してしまう。他の人間にそういうふうに見られているというのが急に気になりだす。
(そんなに露骨かなぁ…… )
確かに、彼女からキンちゃん、キンちゃん、と言われて悪い気はしなかった。お前、生意気なんだよと言い返すこともあったが、本気で怒ったことなど一度もない。彼女がベリーショートに刈り上げてきたときは、刈り上げを触って、じょりじょりだな、チューボーみたい、と笑ってやった。ボクには大したことではなかったが、そう言えば彼女の刈り上げを平気で触ってたのはボクだけだったかもしれない。
だが、フロア全体の打ち上げとか、正式な行事としての新年会、忘年会を除けば、いわゆる飲み会に彼女を誘ったこともなければ、偶然でも一緒になったことなど一度もない。昨日が本当に最初なのだ。
確かに昨日はボクの隣にずっとハルが座ってた。でもそれは、彼女がその日の幹事役みたいな役割りになっていたからで、そもそも、かっちゃんを囲む会はボクが実質的には幹事なんだから、下座に幹事が並ぶのは当然の席順だった気もする。それをあれこれ言われても……
(確かに好みのタイプだが、だからなんだ…… )
細山田の指摘はほぼ当たっていた。事実、ボクは酒席で一緒になった女性を隙あらば口説こうとしている、それは認めよう。さらに、ハルに対して抱いている感情も指摘されたとおりだ。もっというと、理不尽な要求には、たとえそれが本部長であっても真正面から反論をしてしまうハルに対して、ボクはフジさんに対して抱くのと同様のシンパシーすら感じていた。
しかし、その時はまだ、ハルを意識している自分のことを考えるより、マーちゃんに陰口されたことの方に神経が集中していた。犯人を割り出さなければ気が済まない、そんな気分が勝っていたのだった。
お読みいただきありがとうございました。
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次回は義姉夫婦と食卓を囲んだ際の様子を描きます。
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