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 私が彼と出逢ったのは、殆ど偶然、もしくは成り行きのことだった。

 厳密に言うとそれは誤りで、実は彼と出逢うべく画策したのは紛れもない事実だけれど、私と彼がいわゆる『深い仲』になったのは、殆ど奇跡の出来事に近い。

 それは私にとっても予期せぬ出来事だった。



 ――季節は夏。

 ネット掲示板で知り合った趣味仲間から教えられた、とあるコミュニティーサイトがきっかけだった。

 招待制のそのサイトへ登録をし、趣味仲間を着々と増やしていたとある日。

突然、見ず知らずの人からメッセージが届いた。


『貴女が好きなアーティストのKさんがお忍びで飲みに来る店を知っています』


 そんな、短いメッセージだった。

 メッセージの送り主のプロフィールを見ても、どこにも接点がない。

 趣味も、仕事も、登録しているコミュニティーの内容も。

 始めは、イタズラかと思った。

 いや、イタズラだとしか考えられない。それが第一印象だった。

 無視しようかと思ったけれど、嘘でもいいから…知りえる情報ならどんなものでも知りたいと思った。そんな逡巡を繰り返し、2日が経過した。

 思い切って、メッセージを返信することにした。

 イタズラでもいい。嘘でもいい。情報のひとつとして、得ておこう、と前向きに考えてのこと。

 今から思えば、この決断がなぜできたのか。一時の気の迷いだったのかもしれない。

 しかし、その決断は、間違いではなかった。

 返信の返信が届いたのは、3日後。

 やはり短く

『T線沿線 M駅前にある”S”という店です』

 と、殆ど伏字だけのメッセージ。

 知りうる限りで沿線、駅名を調べあげ、お店を絞り込むのに10日をかけた。

 絞り込んだ店名をメッセージすると、翌日

『ビンゴです』

 と、矢張り短く返信があった。

 胸が高揚した。

 本当に?

 彼は本当に来るのだろうか。私はメッセージの相手にからかわれているのではないのか。

 悩みながら、店へ行くことを躊躇った。

 やはり、悪質なイタズラだ。

 そう思ったが、メッセージの送り主から別のメッセージが届いた。

『実は、その店の経営者とは昔からの知り合いで、自分もよく来店します。この一年で彼とは十回程会いました』

 そんな内容のメッセージ。

 文面から読み取れた誠実さを信じ、メッセージのやり取りを何度か繰り返し、その情報が嘘ではないという確信へと変化させたのは、最初のメッセージから1ヶ月以上が経過していた頃だった。

 なんの接点もない相手からの突然降って湧いたような情報。

 まるで爆弾を抱え込んだような緊張感が、夏の間、私を支配していた。

 ――そして、来店を決めたのは、茹だる様な暑さがいつまでも消えない、初秋での出来事。


 自分の誕生日を記念に、行ってみようと覚悟を決めた。

 場所は、地図で調べてあった。

 下見もしてみた。

 しかし、店構えからやはり、あの情報は偽物では、という思いだけが募った。

 擦り硝子の扉の、冴えない雰囲気の漂う店。

 ここに本当に彼が来るのか?

 その思いが強すぎて、情報を信じることは出来なかった。

 私は悩みながら決意し、そして……。



 扉を開ける。



 店内は、店構えと同様に寂れた印象が強かった。

 客が来る気配が感じられない、冴えない設え。カウンターに並ぶスツールは6。

 4人掛けのテーブルが2セット。これだけの、狭い店内。

 壁には、黄ばんだ品書きが、所々剥がれた状態で並んでいる。

 しん、と静まり返った店内。

「いらっしゃい」

 店の奥から現れたのは、多分店主兼コック。

 店同様に、やはり冴えない印象がぬぐえない。

「お一人?」

「……あ、はい」

「じゃあ、ここ、座って」

 カウンターの一席を示されて、おずおずと座る。

 しばらくして、お絞りと水が出される。

適当にメニューを頼むと店主は姿を消した。奥の厨房で調理をする物音がする。

 所在なげに私は、ただ、店内を見渡しながら、どうしようもない不安な気持ちのまま時間がたつのを待った。

(やっぱり……イタズラだったのかも)

 失礼ながら、こんな寂れた、冴えない店に、彼が来る訳がない。やはりからかわれたのだろう。もっともらしい嘘をついて。

 本名も顔も知らない、文字だけのやりとりしかない人間の言うことを真面目に受け取ってはいけないのだ。

 今後は気をつけよう、今日のことを教訓にしよう。

 そう自分に言い聞かせ、注文したメニューを食べたらさっさと帰ろう。そう決めた。

 かなりの時間、待っていたと思ったが、時計を見て確認すると10分程度だった。あまりにも時間がゆっくり流れるので、もっと長い時間が経っているのかと思っていた。

 店主は、注文したメニューをテーブルに置くと、また姿を消した。

 気まずいまま、食事をする。味も分からなかった。



 と、その時。


 静かに扉が開いた。

 扉の影に隠れるように店内へ入ってきたのは…彼。

 ラフすぎる格好で……それは、ライブのステージやテレビでは絶対に見られないような姿だった……ふらりと、立ち寄った、という表現がぴったりくるような雰囲気で、気取ることもなく、気負った感じもなく店内に入ると、ちらと私を見、そして何も言わず、当たり前のようにカウンターの席のひとつ、私の座っている席のひとつ空けた隣に座った。

(本当に…来た)

 嘘ではなかったのだ、という思いと、あまりにも普段着のラフさで訪れた、彼のギャップで、頭の中は真っ白になっていた。

 奥から店主が現れる。彼の姿を認め破顔した。

慶司(ケイジ)くん、久し振り。元気だった?」

 明らかに常連客に対する接し方で店主は彼に向かって声をかける。

「うん」

 対する彼も、気さくな態度で応じる。

「今日は何にする?」

「…なににしようかな。おススメは?」

「じゃあ、適当に作るけど、それでいい?」

「うん」

 何気ない言葉のやり取り。それでも確実に彼がこの店を頻繁に利用しているのは、よく分かった。

 店主は「じゃあ少し待ってて」と言い置くと厨房に姿を消す。

 その背中を見送ると彼は、おもむろにポケットから携帯を取り出した。

 凝視することも出来ず、横目でチラチラと様子を伺うようにしながら私は、更に味が分からなくなったオムライスを口に運ぶ。

 もう、どうしていいか分からない。

 考えは纏まらず、ぐるぐる駆け巡るか、耳から抜け落ちていくような感覚。

 『頭の中が真っ白になる』なんて、陳腐な表現方法だと思っていたけれど、本当に真っ白になるんだ…などと、とりどめもない、意味もないことしか思考に浮かばない。

更には、真っ白になるのは頭の中だけでなく、目の前もなのだな、と、また意味のないことを内心で思っていたとき。

「君……ひとり?」

 彼が私に向かって呟くようにそう言った。

(眩暈がする……)

 何も考えられない。

 ならばいっそ…流れに任せてしまえ。

 歓喜を通り越して自暴自棄な気分で、私は彼を正面から見据えた。



               *     *     *



 はっきりと意識を取り戻したとき、そこは見知らぬ場所だった。

 見慣れぬ天井の壁紙をぼんやり眺め、自分がいる場所が何処で、いままで何をしていたのかを気だるい意識で考え始めた。

(彼に…ケイジに……本当に会えたんだ)

 まず思い出したのはそれ。

 胡散臭いと思いつつも、一縷の望みをかけて赴いた店で。

 ウソだと思いながらもウソだと断言することもできないで、わずかながらの勇気を振り絞って足を運んだその日に、本当に彼に会えたんだ。

 その喜びが、まず思い出された。

 目を閉じて、その喜びを噛み締める。そして反芻する。


 ――薄暗い店内。寂れた印象が拭えない、冴えない雰囲気の漂う店。

華々しい彼には不似合いだと思っていたその店に、気軽に…まるで溶け込むようにして馴染んだ”普段着”の彼。装わない素顔の彼は、ライブで見るより、テレビで観るより何倍も素敵だと感じた。

 常連客の一人として、当たり前のようにカウンターの一席に座っていた彼が私に声を掛けたのは、約束の相手(多分女性だろう)が来られなかったから。

 携帯画面を見つめて溜息交じりの吐息をついた姿が目に焼きついている。

 どことなく警戒心を含む声色で「君……ひとり?」と尋ねた表情が忘れられない。

 疑うような、暴くような…なのに、どこか甘えたような。

 複雑な感情が絡み合う色の瞳を真正面から見据えた途端、もうすべてがどうなってもいいと真剣に思った。

 なんと答えたかは覚えていない。もしかしたら軽く頷いただけだったかもしれない。

 しかしその答えがあったからこそ…そしてその答えが彼の意に沿っていたからこそ、今こうしているのだということは理解できた。

 夢のような…というより奇跡的な、としか形容できない、突然の出来事。

思い出すだけでも体が震える。

 ……目を開き、もう一度見慣れぬ天井を見つめ、そして緩慢な動作で首を巡らせた。


 横たわる剥き出しの背中。初めて見る彼の素肌。

滑らかな褐色の肌をぼんやり瞳に映すと、意味もなく涙が溢れた。



 そう。

 私は出逢って数時間で彼と関係を持ったのだ。

 そして今、ベッドで横になっている。

 そう、はっきり理解できたところで、私はまた困惑した。

 彼が目覚める前に帰ってしまおうか、それとも彼が起きるのを待とうか。そう悩んでいたとき、

「ん……」

 僅かに呻いて、彼は寝返りを打った。そしてゆっくりと目を開く。

 肌の色によく似た褐色の瞳はまだ焦点を結んでいない。

 ぼんやりと私を見つめ……そして焦点が合わさった瞬間、視線は鋭いものとなった。

「……誰?」

 開口一番、かすれた声で彼は言う。

 その言葉に私はなんと答えていいか分からなかった。名乗ったところで彼は知る由もなく、かといって貴方のファンです、と告げる気にはならなかった。

「…いいや。誰でもいいから…冷蔵庫から水、とってきて」

 答える前に、気怠い声でそう言って、彼は上半身を起こす。

「喉、渇いてんだ」

 私は黙って彼の言葉に従った。

 体を起こし、タオルケットを体に巻きつけて、パーティションを横切り、わずかに温んだフローリングのダイニングへ向かうと、冷蔵庫の扉を開く。

 中身は殆ど空に近かった。

 ペットボトルのミネラルウォーターを取り出して扉を閉め、コップを探したけれど見当たらず、ペットボトルだけを持ってベッドルームに戻る。

 彼は煙草をふかして待っていた。

「コップ見当たらなかったので……」

 そう言いながらミネラルウォーターを差し出すと、黙って受け取った。灰皿に煙草を押し付け揉み消し、キャップと取るとそのまま口をつけ、喉を鳴らして一気に飲み干す。

 そして大きく息を吐き出すと、短くサンキュ、と呟いた。そして、立ち尽くしている私に、ベッドに腰掛けるよう言って、

「さっきはゴメン」と小声で言った。

「寝起き悪くて……」

 そう、弁解するように言った彼はまるで、イタズラを見咎められた子供のようにあどけない。どう返事をしていいかわからず、私はぎこちない笑みを返すしか出来なかった。

「……もう一度聞くけど。君、誰?」

「昨日『ソラシド』にいた客です」

 わずかな間悩んだ末、私はそう言った。いや……それ以上のことは言えなかった。

彼はその言葉に逡巡した素振りを見せ…そして眉間に皺を寄せて考え込む仕草をした。

「もし君が……」

 ……ずいぶんと長い時間(と、私は感じた)沈黙していた彼は、不意に呟く。

「もし君がオレの素性を知らないなら、一度限りだとお互い割り切りたいけれど」

 そこで言葉を区切り、また黙り込む。

「そうでないなら……」

「そうでないなら?」

「他言しない、という条件で君の気の済むまでこの関係を続けよう。ただし」

 また言葉を区切る。その表情は真剣そのものだった。

 ステージに立った瞬間の表情だ、と私は密かに思う。

「もし君の気が済んで関係が断たれることになった時も、他言してはいけない。その代わり……」

 私は言葉を待つ。待つことしか出来ない。

「その約束さえ守るならオレは……いや、オレからはこの関係を断つことはない。ただひとつだけ言っておくとすれば、オレから関係を断つことがないという以上の期待はしないで欲しい。言葉の意味は、わかるね」

 そこまで一気に話をすると、彼は煙草に火をつけた。この1本を吸いきるまでに返答をしなければならないのだろう。

 吐き出された紫煙は不思議な形を描いて、ゆっくりと部屋に霧散していく。それを眺めながら私は、どちらかを選択しなければならないことに焦りを感じていた。

(私は……どうしたいの?)

 一夜の出来事を心の奥にそっと秘め、宝物のように大事にしていこう、と思う気持ちと、いや、もっと彼に愛されたい、と願う気持ち。その相反する気持ちが何度も私の中で行き来する。

 ――煙草はもう半分以上が灰と化した。

 答えなければならない。

 意を決して、私は息を吸い込んだ。

 そして……。




 ――彼との関係は始まった。

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