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008 「うじうじ自分に言い訳してる方が男らしくねぇじゃねぇか」

「いやあ、いまが休憩時間でほんとよかったねえ。じゃなかったら、愛子センセのサンドバックだったよ」

 と言ったのは、長い前髪を横に流した大人っぽい女で、バテた美咲をむりやり、服部と鼻血少女の輪に引きずりこんだ張本人だ。「ほら、これでも飲んどきな」と、強引にペットボトルを口に突っこまれて、美咲はしぶしぶ、スポーツドリンクを嚥下する。

「あたしは花奈子。新見花奈子。よろしく、新入り」

「べつに……おれはまだ、入るって決めたわけじゃ」

「よろしくお願いします! 新入り!」

「てめぇに〝新入り〟って言われんのは、なんかムカつくなっ、服部!」

「なに言ってるんですか。もう腹くくってくださいよ、美咲くん。ここまで来たら、もう逃げられませんよ」

「ぐっ」

 そうなのだ。美咲は言葉に詰まった。バレエに心惹かれている自分がいるのはもう自覚済みだが、でもやっぱり踏ん切りがつかない。それほど美咲にとって〝男らしくあること〟とは重要で、なくしちゃいけないものなのだ。

『美咲? もう素直になっちゃいなよ! やりたいならやる、それでいいと思うけどなあ』

『ほら、みーとめろ! みーとめろ!』

『おまえらがそうやって茶々入れるから、受け入れらんねえんだよっ』

 天使みさきと悪魔みさきの冷やかしに、心折れた美咲は深いため息をついてうなだれた。こうも周りに味方がいないと、自分が駄々をこねる子どもに感じる。

「う、うちもっ、自己紹介していいかな!?」

 と、くいぎみに言ったのは鼻血少女で、我に返った美咲は慌ててガクガク頷いた。いくら可愛い女でも、迫られたら怖い。

「う、うちは相田姫子! さ、さっきはごめんねっ! うち、いっつも可愛い子見るとあんななっちゃって」

「だぁれが可愛いってぇ!」

「まあまあ。落ち着いてください、美咲くん」

「おまえはややこしくなるから入ってくんなっ」

「そんな邪険にしないでくださいよ。わたしと美咲くんの仲じゃないですか」

「どんな仲だよ! きのう会ったばっかりだろ!」

「親密な関係になるのに、時間は関係ありません。要は心が――」

「うるせぇっ」

 まるでBGMのように、高速で鳴り響くシャッター音。視界の隅には携帯を構える鼻血少女もとい相田の姿。

「撮るなぁっ」

「大丈夫。心配しなくても、美咲くんは怒っても美少女ですよ」

「おれは女じゃねぇええぇえぇぇ」

「あはははは」と、ハスキーな笑い声が響いて、美咲と服部は口を閉ざした。新見が「仲いいねえ」と腹を抱えて笑っていた。

「仲良くねぇよっ」

「いや、いいんじゃないの? ねえ、姫子」

「う、うん! 律っちゃんがあんなに生き生きしてるとこ、うち、初めて見たし!」

「そうですか?」

「そ、そうだよ! うん、すごく、いいと思う」

「だから、仲良くねぇって!」

 必死に弁解するが、この場にいるどの女も話を聞かない人種だった。男のダチの方がずっと、一緒にいて気が楽だ。「こんなとこ、長居できるかっ」と、輪から抜けだそうとすれば、右隣の新見に、いい笑顔で首根っこ掴まれて連れ戻される。

「あ、その体勢も可愛いっ! 花奈ちゃん、そのまま、そのまま」

「あいよ、早く写メ撮んな」

「もうやだ……帰りたいっ」

 必死の思いで逃れようと手を伸ばした先には服部がいた。彼女はすぐに、美咲の意図を理解したかのようにうんうん頷いて――ぎゅっと力強く手を握ってきた。

「って、そうじゃねぇだろ!」

「ありがと、花奈ちゃん。可愛いの撮れた」

「おーよかったなあ」

「え? わたしにも見せてください」

「いい加減にしろよ、おまえらぁっ」

 するとここで、『諦めた方がいいんじゃないかなあ』と天使みさきが苦笑して、『だな』と、悪魔みさきが賛同した。

 これは常々思っていることだが、天使と悪魔はいつも対立しているもんじゃないだろうか。

 しかし、美咲んちの天使みさきくんと悪魔みさきくんは、対立するどころかどんなときでも共闘にはしる。だからなおさらタチが悪い。

「あ、でもねっ、みさちゃんは、さ、さっきのトイレの方がエロ可愛かった」

「へえ」

「そうなんですかっ」

「み、みさ、ちゃん……」

 また、不名誉なあだなが付いてしまった。美咲は燃え尽きた灰のような気分になった。つまりは、すっからかんだ。〝みさちゃん〟。悲しすぎて怒る気力もない。女どもの喰いつきっぷりにだって、ツッコミを入れる元気もない。

「そ、そうなの! な、生足じゃないの、残念だったけど、Tシャツに下、タイツだよ! 恰好がもうエロいのに、びっくりして固まってたときのポーズがまたあざとくて、み、みさちゃん、うちのこと萌え殺しにきてるのかと……ぶはぁっ」

 思い出し鼻血で仰向けにひっくり返る相田。「死ぬな、姫子ォ」と、その力なく床に投げ出された体を揺さぶる新見に、「先生、この患者はもうだめですっ」と叫ぶ服部。

 もう女のノリにはついていけない。これを見て「茶番はやめろよ!」以外になんと声をかければいいのか。きょう一日で、美咲は、上級者スキル『スルー』と秘技『諦める』を覚えた。

「そ、そういえばみさちゃん、パンツはトランクス派なんだね!」

「へえ、そうなんですか? 美咲くん」

「うるせぇっ、もう黙れよお前ら! んだよ、わるいかっ」

「いいえ、グッジョブです!」

「服部ィ!」

「休憩おわり。始めるから並びなさい」

 そう愛子さんの声がかかったのはこのすぐあとで、美咲は反応してだだっ広い真っ白なダンススペースを見やった。相も変わらず白すぎて目が痛いくらいだ。

 前のクラスのレッスンのつづきが始まった。きのう見学したときと同じように、前半はストレッチや基本レッスン、振り付けの指導なんかをして、後半は曲に合わせて踊るらしい。和風な音楽が流れて、女たちが舞い始めた。

「行きますよ、美咲くん」

 服部が肩を叩きつつ、そう言った。その声音は、先ほどのふざけていた名残はなく、落ち着いていて凛とした、真摯な響きを内包していた。

 バレエに対する服部の向き合い方が、表れているような音だった。

「は、早く行こ、みさちゃん」

「自分たちのレッスンの前に、ストレッチとバーレッスンは終わらせとかないと、愛子センセにどやされるよ」

 美咲を見つめる六つの瞳は真っ直ぐだった。

『みんな本当にバレエ、一生懸命やってるんだね』

 天使みさきの言葉に、美咲は素直に頷く。

『こいつらの前で、いつまでも、バレエやりたくねえって自分に嘘つきつづけるの、恥ずかしくねえ?』

『…………そうかもな』

 美咲は戸惑うように目を伏せる。しかし、それも一瞬のことだ。

 美咲は覚悟を決めて立ち上がった。「うじうじ自分に言い訳してる方が男らしくねぇじゃねぇか」と思う。

「行こうぜ、服部」

 服部は力強く頷いて、きょう一番のいい顔で「はい!」と笑った。

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