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006 生まれながらの演技者

 給食を食べおえて昼休みになると、水を得た魚みたいに途端に騒がしくなるのが男子だ。

 くっつけていた机を戻して、きょうもみんな、颯爽と教室を飛び出していく。

 美咲の教室には、うしろに生徒用のロッカーがずらりと置かれていて、余ったロッカースペースに、サッカーやバスケのボールが、ぎゅうぎゅうに詰められている。

 そこからサッカーボールを取り出しつつ、美咲は、背後に立つ真太郎に声をかけた。

「サッカー行くだろ?」

「お、いいねえ、行こう! あ、佐藤と橘も一緒にどう?」

「あ、サッカー?」

「いいじゃん! 俺らもまぜて―」

 あっという間にそろったいつものメンツで、サッカーをすることになった。ぞろぞろ連れ立って、給食のフルーツポンチの話をしながらドアへと向かう。ちなみに、きょうのフルーツポンチは史上最高の出来だった。

 この集団の一番うしろについて教室を出ようとした美咲は、しかし、そこで大変なものを見ることになった。しまった! すっかり忘れていたのだ。

 目の前には、満面の笑みを浮かべた服部が立っている。

『よぉーいっ』

 いつの間にか、体操服に着替えた天使みさきと悪魔みさきが、片方はメガホンを、もう片方は旗とホイッスルを手に、『よぉーいっ』とかけ声をかける。当然、逃走のための合図だ。  

 錆びついて油のさしていないブリキみたいに、ギギギッと上体を回転させて、美咲は逃走経路を確認した。ここでのポイントは、どこまで上手く、ひしめく有象無象のあいだを縫えるかだ。きのうの放課後のときとは違って今回は、昼休みということもあり障害物が多い。注意しなければ。

 気合いの入ったところで、二人のちび美咲が思いっきり息を吸う。

『せーのっ、ど――ん!』

「っと、そうはいきませんからね」

 手首をものすごい力でがっつり握られて、美咲は自分が詰んだことを悟った。ジ・エンドだ。

 美咲の脳内では、『GAME OVER』と『YOU LOSE』の文字が、ひっきりなしに点滅している。

「は、はっとり……」

「はいどうも、こんにちは、美咲くん。きのうぶりですね。それから何度も言わせないでください。律子です。律子。名前で呼んでくださいと、どれだけ言ったら美咲くんは、わたしのお願いを聞いてくれるんですかね?」

「うるっせぇよ! 呼ばねぇって」

「美咲―?」

 ふりむけば、数歩先でみんなが訝しげにこっちを見ていた。何人か、殺気立っているやつもいる。「なんでだ?」って思って、そいつらの視線を辿っていけば、美咲の手首をしっかり握る服部の白い手にかち合った。

「手ぇ離せよ、服部っ」

 小声で怒鳴るが、服部は心底、不思議そうな顔を見せるだけだった。わからないのはいいが、小首をかしげるのは心臓に悪いからやめてほしい。

「なぜです? 離したら絶対逃げるじゃないですか。やですよ、また追いかけっこするの」

「……だ、だよなー」

「それに美咲くん、ちいさいから。こんな人の多いところで見失ったら、探すの一苦労です」

「だぁれがちいさいってぇ!」

「お、おい美咲? なに話してんだよ。サッカー行かねえの? つーかその子……」

 嫉妬の炎をメラメラ燃やしている仲間たちを見かねて、真太郎がおずおずと口をはさんできた。「妹ちゃんにしか興味ないー」と豪語している真太郎はともかく、ほかの男子は、まぎれもなく思春期真っ盛り。服部は、性格はともかくまがいもない美少女だし、美咲みたいな、こんな女の影がちらとも見えない男と一緒にいたら、そりゃあ不自然だろう。

「お、おまえら、ちょっと先行って――」

「あ、美咲くんのお友だちですか? こんにちは、1‐Aの服部律子です」

 先手を打たれた。とりあえず、この場で血を見ることになるのだけは避けようと、あいつらを追いはらうべく口を開いたら、それを阻止するかのごとく、光の速さで服部がわりこんできた。

『おまえは黙ってろ』

 アイコンタクトすれば、『ナニ言ッテルノカ、ワタシ、ワッカリマセーン』みたいな表情で、彼女は首を竦める。

『っ、てっめ』

「し、知ってます! 服部さん、か、かわいいし。違うクラスだけど有名だよ!」

 うわずった声で叫んだのは橘だ。例の儚い系男子。美咲ほどではないが、小柄で、少し長めのサラサラの髪と、「おまえ、ほんとに男か?」と言いたくなるほど薄い体。物腰も柔らかく、男女ともに人気が高い少年である。

「ありがとうございます。あなたも有名ですよ、橘晴一くん。優しいって」

「え、そんな……」

「おいっ服部! のんきに話してねぇで、と、とにかく場所変えようぜっ」

 これ以上、話が長引くのは「やべぇ!」と判断して、美咲は掴まれていた腕を振り払って、みんなとは反対方向を指さした。しかし服部がそれを華麗にスルーしてくるので、今度は美咲の方が、服部の腕を握って引っ張ることになった。周囲の視線が痛い。刺さる勢いだ。痛すぎる。

「服部、もう、行こうって」

 息もたえだえにそう言うが、服部の足は、「釘にでも縫いつけられてんのか?」っていうくらい、まったく動かなかった。いくら自分より大きいとはいえ、女に力負けすることに美咲はショックを隠せない。

『もーしかたねぇ! おまえら集合! 作戦会議っ』

 わらわら集まってくる天使みさきと悪魔みさき。

『はい議題っ、服部をここからどう動かすか!』

『おーっす』

『どうぞ、悪魔みさき』

『美咲が、バレエやることに決めたから人のいないところで詳しく話聞きてぇな、って言うー』

『はい却下―』

『なんでだよ!』

『んなこと言ったら、ほんとにバレエ、やんなきゃなんなくなるだろ!?』

『やりたいんじゃねえのか?』

『べ、別に!』

『じゃーあ』

『なんだよ、天使みさき』

『悪魔みさきのいいとこだけ取って……人のいないところで詳しく話聞きてぇな、きのうのつづき、しよーぜ? って言うー』

『却下ぁぁぁぁ!!』

『えー? なんでー?』

『最後の一言なんだよ! そんなん言ったら、なおさら誤解されんだろっ』

 意見がまとまらなくて、美咲はぐわあっと頭をかき乱した。はたから見れば面白いやつだ。

 けれど、そんな挙動不審な彼を、服部は眉尻を下げて優しげな眼差しで見つめていた。恍惚とした笑みというよりは、もっと他意のない、思わずこぼれてしまったような、そんな微笑だった。

 ヘッドバンギングでもするみたいに、頭を抱えてうんうん唸っていた美咲は、残念ながらそれを見逃してしまった。なぜか慌てて口元を覆った服部に、首を傾げて暗に「なんだよ?」と問いかけてみるが、返事はない。

「……仕方ありませんね」

「へ?」

 鳥の巣みたいになった頭のまま、突然、服部に手を取られて、美咲は顔を上げた。

「ふふっ、ひどい間抜けづら」

「るっせぇ! だれのせいだとっ」

「みなさん」

 手を引いて数歩、歩いたあと、途中からすっかり静かになって様子を窺っていた聴衆に、顔だけを向けて服部は破顔した。「本当は秘密にしておきたかったんですけどね」なんて、つづけて言い出すので、なにを言われるのか、と美咲は身構える。

「実はわたしたち、幼なじみなんです」

「はぁっ?」

『黙ってください、美咲くん』

 服部の眼光が鋭い。

「きょうの放課後、わたしの親が、美咲くんに会いたいって言っていて……いま、返事待ちだったんです。だから少しだけ、そのことで美咲くん、借りますね」

 それだけ言って、服部が奥の方に歩き出したので、手を繋いでいる美咲も、必然的に引きずられる。そんな美咲の頭の中は、「実はわたしたち、幼なじみなんです」っていう服部の衝撃的発言がぐるぐるしていて、ほかになにも考えられない。

「お、おいっ、服部! いいのかよ、あんなうそついて」

「……嘘?」

 急にトーンの下がった「……嘘?」に、美咲の体にザッと悪寒が走って、「お、おう」と、美咲はどもるしかなくなった。

「お、怒ってんのか?」

 なにが起こっているのかイマイチわからないが、

『女にはときどき、訳もなくムシャクシャするときがあるのよっ』

 と言っていた母さんの言葉通り、「なんかあんだろーな」と思って、おずおずと、ななめ上の、服部の整った横顔を見上げた。その顔に浮かんでいるのは〝無〟で、なんの激情も読み取れない。感情の欠片すら見受けられない。

 視線がかち合って数秒、服部が、ため息ともつかない息を、ふっと漏らした。

「そんな可愛い顔しないでください。わたしの方が悪いみたいに感じます」

「かっ!? 可愛いってなんだよっ! 人がせっかくまじめにっ」

「ふふっ、すみません。でも、変なうわさをたてられるより良かったでしょう? わたしみたいな美少女と付き合ってる、なんてことになったら、ただでさえ美咲くん、モテないのに、中学三年間、彼女の一人もできないまま卒業になっちゃいますよ?」

「よけいな世話だよ! わるかったな! モテなくてっ」

「いえ、それはもう、どうしようもないことですからね。仕方ありません」

「おいっ」

「それに、さっきの発言ですが、あながち嘘でもありませんよ? 母が会いたがっている、というのは本当です」

「はぁ?」

「それと放課後、母に会いにいくって言うのも」

「ちょっと待て! なに勝手にっ」

「まあまあ、落ち着いて」

「落ち着けるかぁっ」

「ねえ、美咲くん」

 空き教室の手近な机の上に腰掛けた服部が、おかしそうにちいさく笑った。その意味を図りかねて、美咲はわずかに眉を寄せる。

「きのうのきょうですが、少しはバレエのこと、好きになってくれました?」

 美咲は呆れに呆れた。紙切れで脅すことから始まって、あんなに強引にレッスンを見せておきながら、「この女は、よくもまあこんなぬけぬけと言えたもんだな」と思う。

けれど服部は、自信満々に「わたし的には手ごたえあり、なんですけどね?」と、つづけて言った。その表情は、まるでいたずらの成功した子どもみたいな無邪気な笑顔だった。

「……どういう意味だよ」

「そのまんまです。美咲くん、いまちょっとバレエやってみたいなって思ってるでしょう?」

「はぁ? おまえ、なに言って」

「だって、きのうのわたしのダンス見てから、美咲くん、わたしを見る目、変わりましたし」

「へ?」

 美咲は耳を疑った。見る目? そんなもの、変えたつもりはない。

「ぶっは! なんだそれ!」

「絶対変わりましたよ! なんというか、こう、憧れというか好奇心というか、そんなものが瞳に宿った気がします」

 自覚があったので、美咲は押し黙った。もう無視することは叶わないらしい。たしかにきのうの服部は、格好良くて綺麗で、「おれもあんな風に輝けたら」と一瞬でも思わなかったといえば嘘になる。

「……んなわけねぇだろ」

「こんなときにツンはいりませんよ?」

「だれがツンデレだよ! だれがっ」

「きのう、美咲くんのお母さんにも言いましたけどね?」

「あ!?」

「怒らないでくださいって。美咲くんはまぎれもなく――生まれながらの演技者、ですから。舞台に、踊りに、焦がれずにはいられないんですよ、きっと」

 彼女のその言葉に、美咲は、今度ははっきりと自分の中のくすぶっていた星が、眩い光を放つのを自覚した。もう溢れんばかりにキラキラと、だ。

 そんな美咲を見透かしたように、服部が「早く放ってあげないと、かわいそうですよ?」なんて眉尻を下げて言う。

「うっせ」

「はいはい」

 それから数分の間、二人は訪れた沈黙にたゆたった。ふと、思い出したことがあって、美咲は「あっ」と口を開く。

「きのうの夜さ、おまえがうちに来たとき」

「嫌がる美咲くんをむりやり荷台に乗せて、家まで送ったときのことですね?」

「わざわざ言うんじゃねぇよ! ……帰るとき、母さんとなに話してたんだ? なんか親しそうだっただろ」

 一瞬、ほんの一瞬だけ、服部が虚をつかれた顔をした。「やべぇ、聞いちゃいけねぇことだったか?」と反省して、「別に言いたくねぇんだったらいいけどよ」と美咲が取り繕えば、

「そんなんじゃありません。少し……昔話をしただけです」

「はぁ? 昔話?」

「そう、七夕の話。織姫と彦星のランデブーの話です」

「らっ!? ばっか、てめぇ、なんて話……」

「いいじゃないですか、女同士なんですし」

「……やっぱおまえ、電波だよな。いや、こういうのってポエマーって言うのか?」

「失礼な。わたしのどこが電波でポエマーだって言うんです?」

 そのときの服部の瞳は、きのうの、月へ帰らねばならなくなったかぐや姫のソレと酷似していて、ひどく美咲の心をざわつかせた。けれど、それを指摘できるだけ美咲と服部の距離はまだ近くなくて、美咲は「ぜんぶだよっ」と笑うにとどめることしかできなかった。

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