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010 緑色のキャップ

「って、遊園地に来たはいいけどよ、マジで中まで入んのかよ」

 入園ゲートの前で、美咲はそうぼやいた。夏休みなこともあり、人が尋常じゃない。家族連れ、カップル、友人同士。楽しそうな笑い声が、あちこちから聞こえてくる。

「あったりまえよぉ! 中に入んなきゃ、なにかあったとき妹ちゃんを守れないじゃんか」

「なにかってなんだよ……」

 正直、美咲の気は重くなるばかりだ。周囲の雰囲気が明るいだけ、よけいにつらい。

 意気揚々と前もって買っておいたチケットを片手に門の前に並ぶ真太郎を一瞥して、美咲は「お手上げだぜ」と両手を広げ――はたと気づいた。これは服部がよくする仕草だ。気障なポーズ。

『さて、世界征服に行ってきます』

 きのう、服部はレッスンのあと、屋台で買ったコロッケを一齧り、二齧りしてから拳を振りあげ、そう言っていた。

『は? 世界征服?』

『はい。あしたは運命の日ですから』

 ときどき、服部は訳のわからないことを唐突に言い出すので、美咲は内容を理解するのに、非常に苦労する。世界征服? 運命の日? なにが言いたいのか、まったくわからなかったが、

『なんで……震えてんだよ』

『…………』

 しばし沈黙したあと、『さあ? 武者震いですかね?』なんて、ガラにもなく緊張している様子の服部が、暗闇に慣れた美咲の目の前に立っていて、美咲はなんだかゾワゾワした。

 こういうときに女にかける上手い言葉を、美咲は知らない。だから、ただ『おう、楽しんでこいよっ』と、鈍いふりをして笑うしかない。

『……楽しめ、か』

 けれど鈍さは、常に間違いでもないのかもしれない。服部は瞠目してからカラになった紙袋をくしゃりと力強く握って、いつもみたいに笑っていた。服部の笑顔はドヤ顔に見える。聞いてみたら無意識らしいが、美咲はこの顔がその実、嫌いではなかった。なんとなく服部らしい気がするからだ。

 堂々とした、彼女らしい。

『美咲、電話鳴ってんぜ?』

 悪魔みさきに言われて、美咲はポケットの中をまさぐった。液晶画面に表示された名前は新見のもので、一瞬、服部かと思った美咲は言いようもない羞恥心に駆られる。

「どした? 美咲」

「なんでもねぇよっ」

「なんで半ギレ!?」

 真太郎に雑に返事してから、乱暴に画面をタップする。恥ずかしいのだ。通話画面に切り替わって、

「よぉ、新見、どうした?」

『あ、みさきち!』

〝みさきち〟もまた、新見がつけたあだなだ。さすがにちゃん付けじゃない分、マシな気がするが、そもそもあだなで呼ばれ慣れていない美咲は、これを聞くたびに他人が呼ばれているように感じる。

「新見? 駅にいんのか?」

 向こうで、「まもなく電車がまいります。黄色い線の内側に下がってお待ちください」と聞き慣れたアナウンスと、電車がゴーッと、ホームを揺らす音が聞こえた。

『あ、そうそう! よくわかったねえ』

「まぁな。で、なんの用だよ」

『いやさ、もし時間あるなら律子と姫子の応援、一緒に行かないかと思って』

「応援?」

 なんの話だかさっぱりわからない。新見は「えっ、アンタ律子から聞いてないの!?」と素っ頓狂な声を出した。

「うるっせえよ! 叫ぶなっ……聞いてねぇってなにが?」

『アンタの方がよっぽどうるさいって! あのねえ、きょうコンクールの予選なんだよ。律子も姫子もジュニア部門のソロで出るの。律子がアンタには自分が言うって言ってたけど?』

「はぁ!?」

 思い出すのは、あの服部の「はい。あしたは運命の日ですから」という発言だ。

「そういう意味かぁ」と美咲がため息交じりに呟けば、新見が「なんかよくわかんないけどさ」と耳元で囁く。

『暇なら見に行くぐらい、いいでしょ? あたし2番ホームで待ってるからさ』

「おい! おれは行くなんて一言もっ」

『バレエ見るのも勉強になるでしょ。アンタだって、この先コンクールに出ることになるかもしれないし』

「でねぇよ! おれは男だっつってんだろ! それに……」

 いま美咲は一人じゃない。動機は不純とはいえ、真太郎と一緒に遊園地に来ているのだ。

 美咲は一度言葉を区切って、ちらと真太郎の方へ視線を投げた。楽しみにしているには違いないのだ。鼻歌交じりにチケットを弄っている友の姿に、美咲は肩を竦めて「こりゃ、断るしかねぇな」と目線を前方に戻す。ゲートにぶら下がる、珍妙な帽子をかぶったくまのキャラクターと目が合った。

「あー新見、わりぃけど、きょう――」

 二の句が継げなかったのは、数人先に見知った顔を見つけたからだ。

「橘!」

「あ、おい! 美咲!?」

 急に列から抜けて走り出した美咲に、真太郎が驚いて声を上げたが、美咲はそれをスルーしてクラスメートに駆け寄った。このスルースキルは女どもに囲まれる中で習得した自衛手段だ。まさかこんなところで活かされるとは思っても見なかった。

 再度「橘!」と叫べば、美咲の姿を視界に捉えた橘は「ひえっ」と奇声を上げた。なんだかわたわたしている。

「なんだァ?」

「さ、里谷くんっ、あの、これは、べ、別に来たくて来たんじゃないんだからね! た、たまたまだから! たまたま!」

「は? なに言ってんだ、おまえ」

 自分より橘の方がよっぽどツンデレらしいセリフを吐くじゃないか、と美咲は思った。

「だ、だからっ、いつもは一人で遊園地なんて来ないから!」

「っしゃあ! やっぱ一人なんだな、橘っ」

 開いている方の手で思わずガッツポーズを作った。なにも、尾行のお供は美咲じゃなくてもいいのだ。幸い橘は一人らしいし、美咲も気乗りしていなかったから一石二鳥ってもんだ。

「なぁ橘、おれの代わりに真太郎と遊園地まわってくんね?」

「えっ」

 橘が驚愕した。「そりゃ、いきなりそんなこと言われたら驚くよな」と思って、セリフをつけ足そうとしたら、どうやら橘が驚いていたのはそのことではないようで、

「……里谷くん、鈴木くんと二人で遊園地来たの?」

「は? そうだけど」

「そ、そうなんだ……」

「おい、橘?」

「う、ううん、なんでもない! いいよ! 僕もちょうど一人だし」

「おぉ! さんきゅっ、真太郎にも言ってくるわ」

「あ、ちょっと待って、里谷くん!」

「あ?」

「ぼ、僕がきょう、一人で遊園地来てたこと、誰にも言わないで……」

 駆けだそうとした美咲を引きとめた橘は、そう言って顔を赤らめた。なんか恥じている様子だが、考えてもわからないので、とりあえず「おーいいぜ」とだけ言っておいた。間髪入れず、天使みさきと悪魔みさきが揃って『ばか!』と言ってきたが、殴り飛ばすことで脳内から追い出す。

「真太郎っ」

「美咲! どこ行ってたんだよ!」

「ちょっとおれ、行くとこあっから。真太郎、橘と中、まわれよ!」

 純粋に楽しみに遊園地に来ている橘と一緒ということは、真太郎も自由に尾行することが出来ない。真太郎がデートを邪魔することも防げたし、本当にラッキーだった。

「あ、おい! 美咲っ」

「わりぃ! この埋め合わせは必ずすっからっ」

 ダッシュで人ごみを駆け抜け、大通りに出る。走るのは好きだ。風景が早送りしたテレビみたいにどんどんうしろに流れていく、この疾走感が好き。

耳元でバタバタ風が鳴っていて、なにも聞こえない。だから美咲は、叫ぶみたいに大声で電話口に告げた。

「見に行ってやるよっ」

 そのあと、ブレる視界の中、波打つ指で無理やりインターネットを起動させたら、きょうの運勢は1位で、ラッキーカラーは緑だった。緑色のキャップをかぶってきて正解だった。

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