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【プロローグ】思いつき

ニィは木材を運んでいた。

背は高いが、細身の彼女には不釣り合いな、ごつごつとした大きな木を肩に担ぎ、前を歩く自分と似たような服装の男性の後に続く。

「なにしてんだ!もっと早く歩け!今度の納品日が近ェんだぞ!」

ニィはそれに返事をしない。ただ、黙って少しだけ足を速めた。

ジャリ、ジャリ、足元の砂が規則的に足を運ぶ度に静かに音を立てる。頭が揺れるごとに頬にかかる自分の長い黒髪をぼうっと見つめながら、ただ、歩く。辺りを見渡すと、西の森に太陽が隠れようとしているところだった。今日は眠れるか分からないなあと黒髪を揺らす彼女は思った。

二ィは、木材を運ばされていることに対しては特に何も感じない____むしろ、こんな簡単な「仕事」なら大歓迎であった。以前、死体処理の仕事を任されたときは、さすがに仕事といえども気持ちが悪かった。思い出しても脳裏に浮かぶのは、どろどろした血と、生暖かい内臓と、虚ろな瞳、腐った匂い。新しいモノならまだしも、数日経過したモノなんて最悪で、自分の不健康に細い指にまとわりつく虫たちの感触が未だに手に残っている。けれどどうせ自分がやらなければこれと同じモノにされてしまうのだし、そうでなければ他の人が同じことをするだけだし、これは“仕方ない”ことなのだと割り切っていた。その時の「雇い主」はあくどい商売をしていたが、性格ももちろん良い人物ではなく。二ィが死体に触ることにためらいをみせると、「奴隷のくせに、俺たちの与えてやった仕事もできないのか」と、道端に落ちている死にかけの虫でも見るのかのような目で彼女をはたいた。以降、そんな真似は止めた。

二ィたちは奴隷だ。高貴な奴隷。生粋なる奴隷。虫けらのような奴隷。美しい奴隷。貴族奴隷。…言葉尻を奴隷に変えるだけでわりと楽しい言葉遊びになることは、二ィのようにある程度の知能を持った奴隷たちには常識である。

奴隷は村の公共のものでもあった。奴隷の収容所があり、そこから村人は届け出の提出さえすれば、好きなときに好きなだけ奴隷を連れ出し、好きなように働かせることができる。隷属制度。だから、雇い主はころころ変わるし、仕事も同じことをそうそう何度もやることはなかった。それに、ニィたちの村___マルワ村はこの豊かな海辺の平等主義のルーロニ王国では珍しく、異人種に対しての根強い差別が残っている地域であるために、奴隷は“奴隷の一族”として生まれ、死ぬ。つまりはこの世に生を受けたその日から人間は“村人”か“奴隷”になることが定められており、その絶対数が減ることはない。奴隷はいくらでもいるのだった。

____だから、疲れて足の動きが鈍くなり始めたニィがうっかり転んでしまった今、ここぞとばかりに怒鳴り散らしてぐいぐいニィを踏みつけてくるこの村人は、当然のことをしているだけ。

村人は村人、奴隷は奴隷。役割が違うのだ。村人は村の為に貢献するし、奴隷は村人の為に働く、それだけ。

これだけ根強い差別制度が残っているなら、この自分たちを罵る村人も、きっと更に上にいる村長だとか、そういう人物たちにいいように使われて、苛立つこともあるのだろう。自分たちは村人の為に働く存在なのだから、そう、つまりこれは“仕方のない”ことなのだと納得した。

「ぅ………あ」

ニィがわざと辛そうにし、すみませんと掠れた声で言えば村人はにんまりと笑って「もっとちゃんとしやがれ!」と言い、ニィを一蹴りしてから他の奴隷の方へ去っていった。

彼女はそろりと起き上がり、背を屈めながら、落ちた木材を拾い集め、再び列へ戻った。



これが、彼女の日常。



しかしそれは、日常というにはあまりに過酷だった。

“仕方のない”こと、なんて。

いつか、耐えられなくなる日が来る。


森の泉から湧き出る清水を汲む、という仕事で、森の奥の方までニィはやってきた。水を汲もうと泉へと身を乗り出したとき、気がついた。

「…………あれ」

自分の頬がげっそりと痩せこけ、さながらゾンビのようになっていた。浅黒い肌が不健康に光っている。水浴びもあまりしていないから臭うし、髪は無造作に束ねただけだし、遠目から見ればそのものだったに違いない。

何故だ、おかしい。彼女は思考する。

自分たち奴隷の食事がまともでないことなんていつものこと、それぐらいでここまで急激に痩せるまい。第一、今は春で、食物が豊富のためどちらかというと食物は多い季節だった。

自分の外見なぞ今更気にしているわけではないが、さすがにここまで弱々しくなると仕事にも支障が出てくる。何かの病気だろうか?今までは持ち前の背の高さと体力で男のやるような力仕事もこなしてきたが、このままでは報酬____有体にいえばパンなどの食べ物がほとんとだが____が貰えなくなってしまう!それこそ命の危機だ。ニィたち奴隷は弱肉強食、働かざるもの食うべからず。寝床という形では収容所があるが、食物は自力で、というスタンスのため、報酬が貰えなくなると野性の木の実などを食べるしかない。野性の木の実でも食べられるが、万一それで菌を摂取してしまい、流行り病などに倒れたら待ち構えているのは『死』の一文字____と、そこまでネガティブな思考をしてから、彼女は一つ思い当たることに気がついた。

春だから食物が豊富?

それはつまり、最近は食料を沢山食べているということ。

沢山食べるということは。

成長する、ということ。

身長の高いニィが、更に伸びるということは。

食物がそれだけじゃ足りないということ。

ニィは、はっとして思わず立ち上がった。ここの泉はよく水汲みにくるため、ニィにとっては非常に慣れた場所である。したがって、景色も慣れ親しんだものであるはず____なのだが。辺りを見回すと、今までは見上げていた小さな木を、いつの間にか見下ろすような形になっている____これは。

「…また、背、伸びたのかな」

体が大きくなるということは、体力も上がるということでニィにとっては喜ばしいことでもあるはずなのだが、素直に喜べなかったようだ。奴隷の食べ物の栄養状態と量を考えると、彼女がこんなに成長するのは少々人間として異常ともいえて。例えば彼女はくるみを好んで食べる。森によく落ちているからだ。いつも十ほど拾っては、仕事の合間にかじる。先日、重過酷労働の仕事があったため、それをたまたま二十ほどに増やして食べていたところ、同年代の男性を追い抜くほど急激に成長した。ニィ自身、あまりの伸びっぷりに、ぞっとした。

ニィには、知識がある。

奴隷だから読み書きができない…という状況は、まだ今より幼い頃の彼女の好奇心と負けず嫌いの精神をたいへんくすぐるものだった。収容所の他の奴隷たちだって読み書きはできないし、村人は会話をすることすらさせてくれないだろう。自分で読み書きができるようにするしかなかった。読み書きが出来るのは地位が高い、生活苦の無いものだけ____ニィは、静かな外見からは想像がつかぬ程に、尋常でない程に負けず嫌いなのであった。逆境にこそ、燃える。

村人の落とした新聞や、本の端くれを拾い、収容所にこっそり持ち帰る。ペンをゴミ箱から拝借するのも忘れない。まず、なんて書いてあるんだかさっぱり検討もつかない新聞と本を見て、“違う形をした文字”を、全て抜き取る。もちろん彼女は全ての文字の数など知らないので、本と新聞に載っているもの限定ではある。そして次に、本を読む。なんて書いてあるかはさっぱりだ。けれど、読む。見るのではなく、読んで、文字の組み合わせのパターンを覚える。新聞に載っている写真やなんかを見てどんな記事なのかというのも予測する。これを毎日、毎日続けた。すると次第になんて書いてあるのかがわかるようになってきた。それが嬉しくてたまらなくて、ニィは村中の読み物をとにかく漁った。彼女の読み書きができる知識は、彼女の元来の知能の高さと努力に由来するのだろう。

しかし村人たちにとって、奴隷に知識があるというのはあまり良くないことである為、隠し通している。仲間にも、もちろん。頭の良いニィには分かるのだ____村人たちにこの事を知られたら、反逆だといって処分されてしまう事を。仲間たちにこの事を知られたら、村人たちに密告されてしまうだろう事を。

そして、このまま背が異常に伸び続ければ、きっと食物の摂取量が足りなくて、待ち受ける暗闇が彼女を呑み込むだろう事を。

「どうしよう、かな」

何をすべきだ?この状況から脱する為には、一体何を____。



「あ」



「ああ、そう、それがいい。ただそれだけの事だわ____」

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