静寂の祈り、鋼の決意
王都に『魔王暦』が導入され、街の時間がアルバスの呼吸に合わせられた翌日。
俺は王都の最高級宿舎――もとい、接収された大貴族の館で、窓の外を眺めていた。
街は奇妙な静寂に包まれている。
だが、その静寂を切り裂くように、街の中心にある大聖堂から巨大な鐘の音が響き渡った。
ゴーン、ゴーン、ゴーン。
重厚で荘厳な音だが、今の俺には頭に響く鈍器のような衝撃だった。
(……あ、頭痛がする。転生してからずっと緊張しっぱなしなんだ、少しは休ませてくれ)
俺はこめかみを押さえ、隣で熱心に『魔王聖典(仮)』を執筆しているアイザックに、力なく呟いた。
「……アイザック。あの鐘の音……少し、耳に障るな。……静かになれば、いいんだけど」
実際には「耳栓をくれるか、窓を閉めてくれ」という程度の、切実な安眠への願いだった。
だが、アイザックが持っていた羽ペンが、パキリと音を立てて折れた。
「……っ! 陛下、ついに……ついにその領域へ踏み込まれるのですね!」
「えっ、いや、ただうるさくて――」
「わかります! 痛いほどに!」
アイザックが、血走った瞳で窓の外の大聖堂を指差した。
「あの鐘は、神の声。人間どもが空虚な神に縋り、現世の王である陛下を無視して天を仰ぐための合図……! 陛下は、その『天の騒音』を不快だと仰った! つまり、神の権威そのものを沈黙させろという宣戦布告……!」
(違う! 安眠妨害だって言ってるんだよ!)
「……承知いたしました。セシリア、お前の出番だ。……元聖女として、あの偽りの鐘を叩き割り、大聖堂を陛下の『静寂の神殿』へと書き換えてこい」
ゼノビアが、冷酷な命令を下す。
「……御意。神の沈黙こそが、魔王様の望まれる平和の形。……行って参ります」
セシリアは、もはや聖女というよりは「神殺しの執行官」のような冷ややかな笑みを浮かべ、部屋を出て行った。
俺は、去っていく彼女の背中に向かって、震える手を伸ばした。
(待って! セシリアさん! 鐘を壊すんじゃなくて、鳴らす時間を変えてもらうだけでいいんだよ!)
だが、その言葉は俺の口から出ると、「……徹底的に、頼むぞ」という重低音の激励に変わってしまった。
その日の夕刻。
王都から、数千年にわたり響き続けていた教会の鐘の音が消失した。
それどころか、大聖堂の十字架は引き倒され、代わりに「沈黙する魔王の横顔」を模した漆黒の紋章が掲げられた。
「神は死んだ。これからは魔王の静寂が世界を統治する」
という過激な教義が、元聖女セシリアの手によって広まり始めたのだ。
一方で、王都から遠く離れた北の辺境。
雪深く、険しい山脈に隠された『聖剣の里』。
一人の青年が、凍てつく滝に打たれながら、鋭い剣気を放っていた。
彼の傍らには、古びた、しかし神々しい光を放つ一本の剣が突き立てられている。
人類の最終兵器――聖剣『エクスカリバー』。
そしてそれを扱うことを許された唯一の男、勇者カイト。
「……カイト様! 伝令です!」
一人の兵士が、雪を蹴散らしながら駆け寄ってきた。
カイトは静かに目を開け、滝の中から歩み出る。
その肉体は鍛え抜かれ、瞳には揺るぎない正義の炎が宿っていた。
「……王都が、落ちたのか?」
「はい! 魔王は、一歩も動かぬまま王都の経済を掌握し、時間を書き換え……さらに、大聖堂の鐘をも破壊しました! 聖女セシリア様も、洗脳され魔王の傀儡になったとの噂です!」
「…………魔王、アルバス」
カイトは、聖剣の柄を強く握りしめた。
彼の拳は、怒りと、そして得体の知れない「強者への戦慄」で震えていた。
「『争いは好まない』と言いながら、一国の秩序を根こそぎ破壊し、民の信仰を奪う。……なんと冷酷で、恐ろしい策を弄する男だ。……僕が今まで戦ってきたどんな魔王よりも、奴は『深淵』に近い」
カイトは、聖剣を力強く引き抜いた。
その刀身が、魔王の闇を払うかのように白銀の輝きを放つ。
「……行こう。これ以上、彼に『静寂』を許してはならない。……僕がこの命を賭して、魔王の喉元に、人類の『叫び』を届けてみせる!」
勇者の覚醒。
それは、アルバスが「ようやく静かになった、さあ昼寝だ」とベッドに潜り込んだ、まさにその瞬間の出来事だった。




