針の停止は、旧世界の終わり
王都の象徴、中央時計塔。
かつて人類が「秩序」の証として築き上げたこの巨塔の展望台に、俺は立っていた。
眼下に広がる街並みは美しく、風が心地よい。
だが、俺の背後には四天王という名の「歩く災厄」たちが勢揃いしている。
(……ようやく少し落ち着けた。やっぱり高いところはいいな、誰も寄ってこないし)
俺は、ふと時計塔の巨大な文字盤を見上げた。
そこで一つの事実に気づく。
長針が、ピクリとも動いていない。
(……あれ? もしかして、壊れてるのか?)
俺は、せっかくの観光気分を削がれたような気がして、つい口を突いて出た。
「……ゼノビア。あの時計、少し遅れていないか?」
実際には「あ、止まってる。電池切れかな?」という程度の軽い指摘だった。
だが、俺の横で熱心に手帳を広げていたアイザックが、眼鏡をバネが弾けるような勢いで跳ねさせた。
「……なっ! 陛下、そこまでお見通しで……!」
「えっ、いや、ただ時間が――」
「わかります、陛下!」
アイザックが、狂気すら感じる手つきで手帳を叩いた。
「この時計塔の『時間』は、人間側の教会が定めた『聖刻』に基づいています。……つまり、この世界の『法』と『正義』の基準そのもの。……陛下は、それが『遅れている(古臭い)』と断じられたのですね!」
(違う! ただの物理的な故障の話だろ!)
「……なるほど。古い秩序など、もう必要ない。……この時計を止め、陛下の望む『新たな刻』を刻め……。これは、全大陸の法律と倫理を、魔王様の定めた新法に書き換えろという御神託ですね?」
ゼノビアが、納得したように深く頷く。
「承知いたしました。……フェリス、アイザック。直ちにこの時計塔の管理権を接収。……教会の定めた旧法を廃し、陛下の呼吸を基準とした『魔王暦』の制定を開始せよ」
「……御意。王都の法官たちを一人残らず『掃除』し、新法への署名をさせましょう」
フェリスが影の中へ消えていく。
俺は、口を半開きにしたまま固まった。
(電池を替えてほしいだけなんだ。法とか暦とか、そんな大層なものはいらない!)
俺は必死に否定しようとしたが、その時、時計塔の下から民衆のどよめきが聞こえてきた。
どうやら「魔王が時間を止めた」という噂が、すでに街中に広がっているらしい。
「……ああ、そうだとも。……新しい方が、気持ちいいからな」
(古くて壊れた時計より、新しくて正確な時計の方が、気分がいいだろうし……)
という、俺なりの精一杯のフォローだった。
だが、その言葉はアイザックたちによって「人類の歴史を上書きする、冷徹な勝利宣言」として記録された。
「……『新しい方が気持ちいい』。……なんと恐ろしい、神をも恐れぬ傲岸不遜な御言葉……。過去の英雄たちが築いた歴史など、陛下にとっては『古い埃』に過ぎないというのですね……!」
アイザックが、恍惚の表情で地面に這いつくばった。
「素晴らしい……! 私も、この腐り切った旧世界の法など、もう飽き飽きしておりました! 陛下の気まぐれ一つで、明日から『殺人が合法(ただし魔王への反乱のみに限る)』になろうとも、私はそれを真理として受け入れましょう!」
(極端すぎるだろ! 誰がそんな法律作るか!)
その日の午後。
王都の広場では、教会の神官たちが涙を流しながら「旧法の破棄」を宣言していた。
代わりに配布されたのは、アイザックがアルバスの「お茶を飲むタイミング」や「沈黙の時間」を解析して勝手に作り上げた、超難解な『深淵魔王暦』だった。
「今日から、一日は十二時間ではなく、陛下の『ご機嫌』によって決まることになった……」
「古い法律は全て無効だ。これからは、魔王様が『不快』と感じる全ての行為が罪となる……」
民衆は、恐怖と混乱の中で、しかしどこか晴れやかな顔をしていた。
「自由だ……」「もう高い税金や教会の教えに縛られなくていいんだ」「魔王様が、俺たちの時間を解放してくれたんだ!」という、凄まじい逆転の発想が生まれ始めていたのだ。
俺は、展望台から降りる途中で、セシリアが持ってきた新しい時計を見つめていた。
(……なんか、目盛りが一つもついてないんだけど。これ、どうやって時間を読むの?)
「陛下。……新たな『刻』の始まり、おめでとうございます」
ゼノビアが、完璧な礼を捧げる。
俺は、手元の「時間がわからない時計」を握り締め、力なく微笑んだ。
(……俺のニート生活の時間が、どんどん削られていく気がする……)
王都の空には、魔王の到来を告げる漆黒の旗が翻っていた。
それは、人類が数千年にわたり守り抜いてきた「時間」という名の支配から、一人の凡人の「勘違い」によって解放された瞬間だった。




