潤いへの希求
神々を「静音担当のペット」として屈服させ、ようやく静かな眠りを得た俺だったが、新たな問題に直面していた。
……乾燥だ。
神々が必死に雲を払い、余計な気象変化を抑え込んだ結果、王都の空気はカラカラに乾ききっていた。
(……喉が痛い。それに、心なしか肌もカサついてきた気がする。転生して美形になったのはいいけど、メンテナンスが大変なんだよな……)
俺は鏡の前で自分の頬を指で突きながら、部屋に入ってきたゼノビアとフェリスに、切実な悩みを漏らした。
「……ゼノビア。最近、少し空気が乾いているな。……潤いが、あればいいんだけど」
(加湿器が欲しい。あるいは、ちょっと雨でも降ってくれないかな、という程度の呟きだった)
だが、俺の顔を至近距離で観察していたフェリスが、その金色の瞳を大きく見開いた。
「……『潤い』。……陛下、まさか……あそこまで?」
「えっ、いや、ただ喉が――」
「わかります、陛下!」
フェリスが影から這い出し、地図を広げた。
「現在、大陸の三分の一を占める『死の砂漠』……。陛下は、あそこが世界の『渇き』の根源だと仰っているのですね! あの広大な砂漠を一夜にしてオアシスへと変え、大陸全土に湿潤な魔力風を循環させろという、まさに『天地創造』の御意志……!」
(違う! 自分の部屋を潤したいだけなんだ! 砂漠のことなんて一ミリも考えてない!)
「……承知いたしました」
ゼノビアが、不敵な笑みを浮かべる。
「……アイザック。天界から降伏した水神を呼び戻せ。……陛下の『肌(世界)』を潤すために、大陸の地下水脈を全て組み替え、砂漠の中央に『巨大魔王池』を建設するぞ」
「……ククク、砂漠を水槽にするというわけですな。……陛下、魚は何を入れましょうか?」
俺は、去っていく彼らの背中に向かって、必死に声を絞り出した。
「……何でもいい。……とにかく、しっとりさせてくれ」
(保湿クリーム的な意味で言ったんだ! 魚の話じゃない!)
だが、俺の口から出た言葉は、「……生態系など些末な問題だ。この大陸を、私の水槽へと作り変えろ」という、創造主としての非情な宣告に他ならなかった。
その数時間後。
大陸の歴史上、一度も雨が降ったことのない『死の砂漠』に、天界から強引に引き摺り下ろされた水神たちの号泣と共に、未曾有の大豪雨が降り注いだ。
地下では、四天王たちの魔力によって岩盤が砕かれ、眠っていた古代の水脈が地表へと噴出する。
「……な、なんだ!? 砂漠が……砂漠が飲み込まれていく!」
「砂の巨神が、魔王の『潤い』によって泥人形にされているぞ!」
砂漠の民たちはパニックに陥ったが、すぐに気づいた。
噴き出した水は、飲むだけで病を癒し、魔力を回復させる「魔王の聖水」であったことに。
翌朝。
俺が目を覚ますと、部屋の湿度は完璧に保たれていた。
窓の外を見ると、遠くにあるはずの砂漠の方向から、涼やかで心地よい風が吹き抜けてくる。
「……ああ、しっとりする。最高だ。……これで喉も痛くない」
俺が満足げに伸びをしていると、勇者カイトが、びしょ濡れの姿で部屋に駆け込んできた。
「陛下!! 驚きました! 大陸の地図が、たった一晩で完全に書き換えられました!」
「……はぁ!? 何の話?」
「『死の砂漠』は消滅し、今やそこは大陸最大の肥沃な大地『アルバス大湿地』となりました! 世界中の船乗りたちが、砂漠の真ん中に突如現れた『魔王の海』を目指して出航しています! 陛下……貴方は潤いを求めただけで、数百万の民を飢えから救い、同時に敵国の天然の要塞(砂漠)を消し飛ばしてしまったのですね!」
俺は、窓の外で虹がかかっているのを見て、完全に思考を停止した。
(……保湿クリームが欲しかっただけなのに。なんで地形が変わっちゃうんだよ……)
「……陛下、素晴らしい。……次は、この『水槽』に何を放しましょうか?」
アイザックが、深海に住む伝説の海龍を捕獲するための網を準備しながら、不気味に微笑む。
俺は、潤った自分の肌をさすりながら、力なく呟いた。
「…………金魚、とか……」
(癒やしが欲しいな、と思って言ったんだ)
「……『金魚』。……なるほど、伝説の『黄金の魔魚』を世界の海に放ち、富を泳がせるというわけですね! 流石は陛下、経済と自然の融合!」
こうして、世界中の海には「黄金の魔魚」が溢れ、人類は魔王の「趣味」によって、無限の資源と潤いを得ることになった。
俺は、加湿器いらずの部屋で、また一歩「人智を超えた何か」へと近づいていくのだった。




