おやつへの執着
世界樹の苗が王都の空を貫き、クリーンな魔力が街を満たしてから数日。
俺は、自室のソファーでぐったりとしていた。
魔王なんて、なるもんじゃない。
毎日毎日、四天王や勇者が入れ替わり立ち替わりやってきては、「陛下、次の方針を!」と目を輝かせて迫ってくる。
(……糖分が足りない。何か、甘くて美味しいものが食べたい)
俺は、部屋に現れたゼノビアとアイザックに、力なく呟いた。
「……アイザック。最近、なんだか口寂しくてな。……みんなが、もっと自由に、甘いものを手に入れられるようになればいいのに」
(近くに駄菓子屋とかケーキ屋があればいいな、という切実な食欲だった)
だが、アイザックが持っていた銀の眼鏡が、キィンと不吉な音を立てて光った。
「……『自由に』。……『手に入れられるように』。……ほう、なるほど。陛下、ついにその領域へ……!」
「えっ、いや、ただお菓子が――」
「わかります、陛下!」
アイザックが、鼻血を拭うのも忘れて手帳を叩いた。
「現在、大陸の流通は各国の関税とバラバラの通貨によって停滞しています! 陛下は、それを『口寂しい(停滞している)』と仰った! つまり、大陸全土の通貨を統一し、関税を撤廃……。誰もが自由に、魔王領の富を享受できる『アルバス経済圏』を設立せよという御神託ですね!」
(違う! どこの店でもチョコが買えるようにしてほしいだけだ!)
「……承知いたしました。……ゼノビア、直ちに魔王軍の軍事ネットワークを、物資輸送の『物流網』へと転換せよ。……陛下は、武力による制圧ではなく、富の循環による『真の支配』を望まれている」
「……御意。王都の商人たちを一人残らず召集し、陛下を唯一の銀行とする『魔王銀行』の設立を開始します」
俺は、去っていく彼らの背中に向かって、震える手を伸ばした。
(待って! セシリアさん! 銀行を作るんじゃなくて、美味しいパティシエを連れてきてほしいだけなんだ!)
だが、その言葉は俺の口から出ると、「……徹底的に、広めてくれ」という、富の独占を宣言する冷徹な激励に変わってしまった。
その日の午後。
王都の広場では、商会長たちが涙を流しながら「これまでの通貨の廃棄」と「アルバス金貨」への両替を宣言していた。
「魔王様が、俺たちの商売の壁を取り払ってくれた!」「これからは、魔王様の信用一つで、大陸のどこへでも品物を届けられるんだ!」という、凄まじい商業革命が爆速で進行し始めた。
数日後。
俺が部屋でぼーっとしていると、セシリアが山のような「お菓子」を持って現れた。
「陛下、おめでとうございます! 大陸全土の関税が撤廃された結果、北の氷菓から南の果実まで、全ての『甘いもの』が王都に集結いたしました! これが、陛下の望まれた『アルバス・マルシェ』の成果です!」
「……は、はぁ!? なんだこれ、全部俺の?」
俺が差し出された最高級のチョコレートを一口齧ると、そのあまりの美味しさに、つい「……ふぅ。……悪くない。……これで、みんな幸せになれるな」と呟いてしまった。
(美味しいものを食べれば、みんなハッピーだよね、という純粋な感想だった)
だが、その言葉はアイザックたちによって「大陸全土の富を掌握し、民を魔王の恩恵で飼い慣らす、究極の統治哲学」として記録された。
「……『みんな幸せになれる』。……なんと恐ろしい。富を独占するのではなく、あえて分配することで、人類を自発的な服従へと導く……。まさに、黄金の首輪をはめる天才的な策……!」
アイザックが、恍惚の表情で地面に這いつくばった。
「素晴らしい……! 武力で奪うのではなく、経済で生かす。……陛下こそが、この世界の真の『主宰者』だ!」
俺は、口の中のチョコを咀嚼しながら、窓の外で活気付く王都の市場を眺めていた。
(……なんか、みんなすごく楽しそうだけど。俺、ただお菓子が食べたかっただけなんだよね……)
王都の空には、魔王の経済圏を象徴する黄金の旗が翻っていた。
それは、人類が数千年にわたり争い合ってきた「富」という名の支配から、一人の凡人の「食欲」によって解放(あるいは征服)された瞬間だった。




