第8話:炎上の王都裏切りの刻印
視界の端から端までが、不吉な朱色に染まっていた。
王国が誇る白亜の王都、エリュシオン。かつて「世界の光」と称えられたその街は今、天を突くほどの猛火に包まれ、悲鳴と黒煙を吐き出す巨大な炉と化していた。
「……嘘、だろ」
カイトの声が、絶望に震えていた。
街道を駆け抜け、ようやく辿り着いた高台から見下ろす王都の惨状。それは、レオンの脳裏に刻まれた「最悪の記憶」を遥かに凌駕する絶望だった。
「三ヶ月後のはずだった……。それも、真夜中の、人の寝静まった時間帯に静かに始まるはずだったんだ。……それなのに、どうして」
レオンは、血が滲むほどに拳を握りしめた。
真昼時。最も人出が多い中央広場から火の手が上がっている。崩れ落ちる時計塔、逃げ惑う群衆。火の粉は風に乗り、王城までもを焼き尽くそうと勢いを増していく。
「レオン、後悔してる暇はないわ!」
アリサが、レオンの肩を強く掴んだ。彼女の瞳も恐怖に揺れている。だが、それ以上に「戦う意志」が彼女を支えていた。
「予定が狂ったなら、今ここでできることをやるだけよ。……私たちは、そのために強くなったんでしょ?」
アリサの言葉に、レオンはハッと顔を上げた。
左頬の傷が、熱を帯びたように疼く。そうだ。未来を嘆くために戻ってきたのではない。未来を「殺す」ために、僕はここにいるのだ。
「……すまない、みんな。僕が一番、動揺していた。……行こう。目指すは王都中央、魔力増幅炉。この火災の規模はおかしい……。誰かが人為的に魔力を供給して、火を煽っているはずだ」
「おうよ! 救助は俺とミラでやる。アリサとレオンは、その根源を叩いてくれ!」
カイトが魔剣バルムンクを抜き放つ。四人は、死の匂いが立ち込める炎の街へと、一気になだれ込んだ。
王都の正門に辿り着いた一行を待っていたのは、魔物ではなく「味方」であるはずの軍勢だった。
「止まれ! ここから先は封鎖区画だ! 副総帥バルトス閣下の命により、何人の出入りも禁じられている!」
冒険者ギルドの紋章をつけた衛兵たちが、避難しようとする民衆を槍で突き戻している。門の向こう側では、まだ幼い子供を抱えた母親たちが、熱風に煽られながら涙ながらに門を開けるよう懇願していた。
「何を言ってるんだ! 中にまだ人がいるのが見えないのか!?」
カイトが激昂し、衛兵の胸ぐらを掴み上げる。
「これは命令だ! 感染症の拡大を防ぐため、火災区画は隔離する! 逆らう者は国家反逆罪に問うぞ!」
「感染症……? 街が燃えてるのに何を……」
レオンは、衛兵たちの瞳を見た。
その瞳は濁り、首元には「魔装重歩兵」と同じ、不気味な黒い紋章が浮かび上がっていた。
「……手遅れだ。カイト、そいつらはもう『人間』じゃない」
レオンの声が響くと同時に、衛兵の一人が人間とは思えない咆哮を上げ、カイトに斬りかかった。
「ちっ……! バルムンク、硬化!!」
カイトが剣を盾のように構え、衛兵の一撃を弾き飛ばす。
レオンは仲間に向かって短く指示を出した。
「殺す必要はない、戦闘不能にしろ! ミラ、あいつらの紋章を浄化で封じろ! アリサ、風で火を抑えつつ、道を切り開くぞ!」
「任せなさい! ……『暴風の道』!」
アリサが杖を振ると、猛烈な突風が火の壁を割り、民衆を救い出すための安全な回廊を作り出した。
ミラはその横を駆け抜け、傷ついた人々を『星霜の首飾り』の恩恵を受けた広域治癒で次々と救い上げていく。
封鎖を強行突破し、一行は火の海と化した中央区へと突き進んだ。
王都の地下を流れる巨大な魔力ライン。その集積地である「魔力増幅炉」へと近づくにつれ、空気の温度は常軌を逸したものに変わっていった。
「くっ……暑いわね。法衣がなかったら、魔力酔いで倒れているところだわ」
「アリサ、右だ!!」
レオンの叫びと同時に、煙の中から数条の漆黒の糸が飛び出した。
音もなく現れたのは、黒装束を纏った十数人の集団。ギルド直属、そして今はバルトスの私兵と化した「魔導暗殺部隊」だ。
「……不純物ども。閣下の計画を邪魔させはしない」
暗殺者たちは、魔族の組織を自らの肉体に移植した「半魔」の戦士たちだった。彼らは炎を操るのではなく、炎の中に「溶け込む」ことで、視覚的な隠密を可能にしていた。
「ミラ、僕を中心に防御障壁を! 反半径三メートルだ!」
「はいっ! ……『聖域の盾』!」
ミラの黄金の障壁が展開されると同時に、周囲の炎の中から無数の苦無が降り注いだ。
レオンは目をつむり、肌を撫でる熱風の「微かな乱れ」に神経を集中させた。
「……そこだ。アリサ、二時の方角、上空十メートルに氷結弾! 三連射!」
「了解! ……『穿つ氷礫』!!」
アリサの放った氷の弾丸が、煙の中に潜んでいた暗殺者の胸を正確に撃ち抜いた。
一人、また一人と、レオンの指示によって「見えない敵」が引きずり出されていく。
カイトは崩落しかけた建物の柱をバルムンクで支えながら、逃げ遅れた老人に叫んだ。
「今のうちに走れ! あとは俺たちがどうにかする!!」
カイトの怪力と聖剣の特性によって、本来なら押し潰されるはずだった人々が次々と救い出されていく。
レオンは、かつての人生では成し得なかった「救済」が目の前で起きていることに、震えるような喜びを感じていた。
だが、その喜びを、最奥から現れた「影」が打ち砕いた。
「……素晴らしい。実に素晴らしい連携だ」
魔力増幅炉の制御室。
その扉を蹴破ったレオンたちの前に、一人の壮年男性が優雅に腰掛けていた。
冒険者ギルド副総帥、バルトス。
かつての歴史では、全滅した『蒼天の翼』の慰霊碑の前で、誰よりも深く頭を下げていた男。
「バルトス……!! 貴様が、これを仕組んだのか!?」
カイトが激昂し、剣を向ける。
「仕組んだ? 心外だな。私はただ、『淘汰』を早めただけだ。……脆弱な人間が支配するこの王都に、魔王陛下の慈悲を与えてやっているのだよ」
バルトスが立ち上がると、彼の身体から黒い魔力の触手が溢れ出した。
彼の胸元には、巨大な「魔核」が埋め込まれ、脈打っている。
「歴史の知識に縋る哀れなレオン君。……君が何をしようと、この世界は既に陛下の指先の上にある。……この火災は、単なる掃除に過ぎない」
「黙れ。……お前の『癖』は知っているぞ、バルトス」
レオンが、低く冷徹な声で言った。
「お前は炎の魔力を吸収して自分の力に変えるが、その際、心臓の魔核が再起動するまで『コンマ五秒』のラグがある。……前の人生で、君の戦い方を徹底的に分析した者がいたんだ。……僕の、かつての戦友たちがね」
バルトスの表情から余裕が消えた。
「……何だと?」
「カイト、アリサ! 僕が合図を出す。一瞬の隙も逃さず、全力の一撃を叩き込め!」
「了解だぜ、レオン!!」
「最高の一撃を食らわせてあげるわ!」
戦闘が始まった。
バルトスは周囲の猛火をその身に纏い、巨大な炎の魔神へと変貌した。
一振りごとに床が溶け、空気が発火するような絶望的な熱量。
だが、レオンは一歩も引かない。
「今だ!!」
バルトスが広範囲の爆発を引き起こそうと、魔力を一気に吸い込んだ瞬間。
レオンが指摘した「コンマ五秒の空白」が訪れた。
「バルムンク……極大重量!!」
「『焦熱を穿つ氷の審判』!!」
カイトの重力の一撃と、アリサの極低温の魔法が同時に、バルトスの胸の魔核を捉えた。
熱膨張と急激な冷却。物理法則をも超越した破壊力が魔核を内側から粉砕する。
「グアァァァァァッ……!? バカな……なぜ……この私がッ!!」
バルトスの身体が、光の塵となって弾け飛んだ。
制御室に、束の間の静寂が戻る。増幅炉の暴走も止まり、猛火の勢いが微かに弱まった。
「……やった、のか?」
ミラが安堵の息を吐き、レオンの隣に駆け寄る。
だが、レオンの表情は晴れなかった。
消滅する直前、バルトスが浮かべた「勝ち誇った笑み」が、脳裏にこびりついて離れなかった。
「……喜ぶがいい、不純物め。……『天の浮島』の起動は、もう止められん」
その言葉の意味を理解する間もなく、王都全体が、これまで経験したことのないような巨大な振動に見舞われた。
「な、なんだ!? 地震か!?」
カイトが足を踏ん張り、周囲を警戒する。
いや、それは地震ではなかった。
上空から、物理的な「重圧」が降り注いでいたのだ。
レオンたちは、壊れた天井から空を見上げた。
そして、全員が言葉を失った。
王都を覆っていた黒煙が、一瞬にして四散する。
雲を突き破り、そこに現れたのは、一つの「島」だった。
いや、それは巨大な岩の塊に、幾千もの魔法陣が刻まれた、天空に浮かぶ要塞。
「……『天の浮島』」
レオンがその名を呟いた瞬間、浮島の下部にある巨大な魔力充填口が、白銀の光を放った。
キィィィィィィィィン!!
鼓膜を劈くような高周波の後、空から「光の杭」が降り注いだ。
それは無差別の爆撃ではなかった。
騎士団の拠点、魔導師組合の塔、そして王城。
王国の要となる重要施設が、まるで見えない巨大な神の指で突かれたように、一瞬で蒸発していく。
「嘘だろ……。あんなの、どうやって戦えばいいんだよ……」
カイトの手にあった魔剣が、震えていた。
レオンは、空を見上げたまま、動けなかった。
自分の知っている「未来」は、もうどこにもない。
魔王軍は、レオンというイレギュラーを排除するために、歴史を百年単位で飛び越えた「オーパーツ」を戦場に投入したのだ。
地鳴りのような咆哮が、浮島から響き渡る。
それは、人類に対する死の宣告。
「……みんな、諦めるな」
レオンは、左頬の傷を強く押さえ、仲間たちに向き直った。
その瞳には、絶望を通り越した、狂気にも似た「執念」が宿っていた。
「未来が加速したなら……僕たちが、それよりも早く強くなるだけだ。……あの浮島に乗り込むぞ。あそこが、僕たちの新しい『黒の断崖』だ」
炎上する王都の真ん中で、少年たちは、空に浮かぶ絶望を見据えた。




