第7話:血に染まる街道と狂った予言
『忘却の聖域』を後にして二日。
一行は、王国最大の物流を支える「青風街道」へと降り立っていた。
かつての歴史、つまりレオンが歩んだ「一周目」のこの時期、レオンたちはまだリュミエール周辺でゴブリン退治に明け暮れる駆け出しに過ぎなかった。しかし今、街道を歩く四人の姿は、熟練の傭兵団さえ道を譲るほどの威圧感を放っている。
先頭を行くカイトの背には、鈍く黒光りする魔剣『バルムンク』。
アリサは『賢者の法衣』の裾を風に靡かせ、その瞳には高密度の魔力を制御する知性の光が宿る。
最後尾を守るミラは、聖女としての慈愛を保ちつつも、周囲の殺気に敏感に反応する鋭さを備えていた。
そして中心に立つレオン。彼の白銀混じりの髪と左頬の傷跡は、彼が単なる「荷物持ち」ではないことを無言で物語っていた。
「……なぁ、レオン。さっきから一人の行商人ともすれ違わないな」
カイトが低く、警戒を孕んだ声で言った。
その言葉に、レオンは足を止める。
本来なら、この「青風街道」は王都エリュシオンへと続く大動脈だ。ひっきりなしに馬車が行き交い、商人たちの喧騒が絶えないはずの場所である。しかし、目の前に広がるのは、不気味なほどに静まり返った一本道だけだった。
「ああ、おかしい。僕の記憶が確かなら、この時期の街道は王国軍の第三騎士団が厳重に警備しているはずなんだ。魔族の小規模な略奪さえ起こらない、この国で最も安全な場所の一つだった」
レオンは、こめかみを指で押さえた。
聖域で見た『真理の鏡』のヒビが脳裏をよぎる。
自分が過去を変えたことで、因果の連鎖が狂い始めている。それは理解していた。だが、これほどまでの「変化」が既に起きているというのか。
「……風が、臭うわ」
アリサが鼻を微かに動かし、杖を握り直した。
「鉄の匂い。それから、腐った内臓のような……ひどい死臭よ」
四人は視線を交わし、無言で速度を上げた。
緩やかな坂を登り切った先、彼らの目に飛び込んできたのは、地獄をそのまま地上に写し取ったかのような光景だった。
街道の真ん中で、数台の大型馬車が横転していた。
馬車はただ破壊されたのではない。何らかの巨大な力で「引き千切られた」かのように、木材と鉄の補強材が無残にねじ曲がっている。
その周囲には、護衛の兵士や商人、そして幼い子供を含む乗客たちの遺体が、モノのように散乱していた。
「……っ、これはひどい……」
ミラが口元を抑え、膝をつきそうになる。
遺体の損壊は激しく、まるで飢えた獣に貪られたかのようだった。だが、野生の魔物の仕業ではないことは明らかだ。遺体の断面は鋭利な刃物によるものであり、かつ、死後も執拗に傷つけられた跡がある。
レオンは一人の兵士の遺体に歩み寄り、その首元を調べた。
「……即死だ。王国軍の制式鎧が、紙細工みたいに両断されている。これだけの膂力、並の魔族じゃない」
レオンの背筋に冷たい氷が押し当てられたような感覚が走る。
彼は知っている。この切り口、この破壊のパターン。
それは、前の人生で王都が陥落する際、最前線に投入された魔王軍の主力部隊のものだ。
「あり得ない……。あいつらが現れるのは、あと二年は先のはずだ。どうして、こんな辺境の街道に……!」
「――『不純物』を見つけたぞ」
霧の中から、地を這うような重低音の響きが届いた。
街道の先、白い靄を切り裂くようにして、それは姿を現した。
全身を漆黒のフルプレートで固めた、人型の魔物。
身長は二メートルを超え、その手には身の丈ほどもある巨大なハルバードを握っている。鎧の隙間からは紫色の魔力が蒸気のように噴き出し、周囲の草木を一瞬で枯らせていく。
魔王軍・魔装重歩兵。
一体ではない。霧の中から、次々とその黒い巨躯が現れる。その数、一個小隊規模の十二体。
本来なら、一個大隊の王国騎士団が死力を尽くしてようやく対抗できる、魔王軍の精鋭中の精鋭だ。
「レオン、あいつらか……? お前が言ってた『未来の敵』ってのは!」
カイトが大剣を引き抜き、切っ先を黒い軍勢に向けた。
「……そうだ。だが、時期が早すぎる。早すぎてもほどがある! カイト、逃げろとは言わない。だが、あいつらの一撃は絶対に受けるな! 防御の上からでも骨を砕かれるぞ!」
レオンの声に、魔装重歩兵の一体が、感情の失せた紅い双眸を向けた。
「……報告通り。銀髪の男を確認。……抹殺対象。……実行する」
魔装重歩兵が動いた。
その巨体に似合わぬ爆発的な踏み込み。石畳が粉々に砕け散り、ハルバードの先端が空気を切り裂いてカイトの脳天へと振り下ろされる。
「カイト!!」
レオンの悲鳴のような警告。
だが、カイトの反応はレオンの予想を超えていた。
「――バルムンク、最軽量!!」
カイトが叫ぶと、背中の魔剣が青い光を放ち、その質量を極限まで減少させた。
ハルバードが振り下ろされる寸前、カイトは紙一重の回避ではなく、あえて敵の懐へと飛び込んだ。
ガギィィィィィィィン!!
カイトの魔剣が、重歩兵の脇腹にある装甲の継ぎ目を捉えた。
前の人生のカイトなら、ここで力任せに斬りつけ、逆に弾かれていただろう。だが、今の彼はレオンに叩き込まれた「一点集中」の要諦を理解している。
「重力倍加!!」
斬り込んだ瞬間に、剣の重量を数倍へと跳ね上げる。
爆発的な遠心力と重量が一点に乗り、魔装重歩兵の頑強な漆黒鎧が、まるで薄い氷のように砕け散った。
「グガァッ……!?」
「アリサ! 氷結だ、関節を狙え!!」
「わかってるわよ! ……『永久凍土の楔』!」
アリサが杖を一振りする。詠唱などという悠長な段階は既に卒業していた。
彼女が放った氷の杭は、バランスを崩した重歩兵の足元で爆ぜ、その巨大な脚を石畳ごと凍りつかせた。
「ミラ、障壁を二重に! カイトを囲むように!」
「はいっ! ……『聖なる二重盾』!」
ミラの放つ黄金の障壁が、周囲の他の重歩兵が放とうとした援護の衝撃波を完璧に遮断する。
彼女はもう、背後で守られるだけの聖女ではない。戦場全体を俯瞰し、仲間の「死角」を埋める守護の要だ。
「……すごい」
レオンは一瞬、呆気に取られた。
自分が教えた。自分が鍛えた。
だが、彼らはレオンが想定していた「一年後の実力」を、この数日間で既に超えようとしている。
「レオン! 指示をくれ! 俺たちはまだ、こいつらの倒し方を全部は知らないんだ!」
カイトが叫びながら、二体目の重歩兵の連撃をバルムンクで受け流す。
レオンは、自分の震える手を見つめ、それから力強く拳を握った。
予言が狂った? 未来が早まった? だからどうした。
知識が通用しないなら、この手で、この仲間と共に、新しい戦術(未来)を書き上げるまでだ。
「全メンバーに告ぐ! 奴らの動力源は胸部中央の魔核じゃない。……首の後ろ、排熱孔の奥にある第二魔核だ! アリサ、カイトが隙を作る。そこに『貫通系』の火炎魔法を叩き込め!」
「了解!」
「任せろ!」
レオンの指揮が、戦場を支配し始めた。
かつては人類を絶望させた魔王軍の精鋭部隊が、Cランク(実質は既にSランクに近い)パーティの完璧な連携によって、一体、また一体と「解体」されていく。
最後の魔装重歩兵が、ミラの浄化の光を浴びて、その巨躯を仰向けに倒した。
激しい戦闘の余韻が街道に漂い、黒い霧が少しずつ晴れていく。
「……はぁ、はぁ、はぁ……。勝てた、のか? あんな化け物たちに……」
カイトが剣を杖代わりにつき、荒い息を吐く。
アリサもミラの肩を借りながら、魔力の消耗に耐えていた。
レオンは一人、沈黙を守りながら、倒れた重歩兵の死骸に歩み寄った。
(……おかしい。さっきの個体、戦い方があまりにも『人間慣れ』していた)
レオンは、重歩兵の砕けた胸甲の破片を拾い上げた。
そして、その裏側を見た瞬間、彼の呼吸が止まった。
「……何よ、レオン。そんなに青い顔をして」
アリサが不審そうに覗き込む。
レオンの手の中にあったのは、魔族が自ら鍛造したはずの漆黒の金属片。
だが、その裏側には、はっきりと刻印されていた。
『王国王立錬金術工房・試作第零号』
そして、その横には――。
冒険者ギルドの最高機密を示す、黄金の獅子の紋章が刻まれていた。
「……魔族が、王国の装備を、身につけている……?」
カイトの声が、恐怖で震えた。
「逆だ、カイト」
レオンの声は、地獄の底から響くように低かった。
「王国の一部とギルドの上層部が……魔族に装備を『提供』しているんだ。……前の人生では、こんな協力関係は王都が落ちる間際まで表面化しなかった。……でも、今はもう、組織の根底まで腐敗が回っている」
レオンは、王都エリュシオンがある北の方角を見据えた。
そこには、透き通るような青空が広がっているはずだった。
しかし、レオンの鋭敏な感覚は捉えていた。
水平線の彼方から立ち昇る、微かな、けれど確かな「黒い煙」を。
「……レオンさん、あれは……?」
ミラが指差す。
王都の方角から、黒い鳥の群れが飛び立っていた。
いや、鳥ではない。それは王都から避難しようとする、伝令用の魔導通信鳥の群れだった。
「三ヶ月後のはずだった『王都大火災』……。魔族の潜入によるテロが、もう始まろうとしている」
レオンは、傍らに置いた革袋をひったくるように背負った。
頬の傷が、熱を帯びたように疼く。
「急ぐぞ! 運命はもう、僕たちの予習を待ってはくれない。……王都が灰になる前に、あそこにいる『裏切り者』の首を獲る!」
「予定」という名の安寧は、完全に崩れ去った。
レオンが過去に戻ったという一石が、歴史という名の巨大な水面に、予想を遥かに超える大津波を引き起こしていた。
だが、レオンの横を走るカイトたちの顔に、絶望の色はなかった。
彼らは、自分たちが手にした「伝説の武具」の重みを知っている。
そして、自分たちのためにすべてを投げ打って戦ってきたレオンという男の背中を、今度は自分たちが守るのだという、強い意志がその瞳に宿っていた。
「レオン! 予言が外れたってんなら、俺たちが新しい『正解』を書くだけだ!」
カイトが笑いながら叫ぶ。
「……ええ。あなたの知らない未来を、私たちが作ってあげるわ」
アリサが風を操り、一行の足を加速させる。
レオンは前だけを見据え、その心臓を突き動かす怒りと愛を、魔力へと変えた。
(魔王、そして運命よ。……加速させてみろ。どれだけ絶望を前倒しにしようと、僕の執念がそれを追い越してやる)
血に染まった街道を駆け抜け、一行は王都へとひた走る。
空は高く、風は冷たい。
だが、彼らの胸に灯る火は、決して消えることはなかった。




