第6話:遺された叡智と、地獄の育成計画
ヴォイド・イーターという絶望の化身が消滅した後の聖域は、耳に痛いほどの静寂に包まれていた。
崩れかけた大理石の柱、蔦に覆われた祭壇。そして、何よりも異質なのは、銀髪が混じり、左頬に痛々しい「未来の傷」を刻んだレオンの姿だった。
「……さて、いつまでもここで休んでいる暇はない」
レオンは、ミラの治癒魔法で辛うじて動くようになった体を奮い立たせ、神殿の最奥にある、巨大な石扉の前に立った。
そこには、六芒星をかたどった複雑な紋章が刻まれている。本来なら、王国の高位魔導士が数人がかりで数ヶ月かけて解読し、ようやく開くかどうかの禁忌の扉だ。
「レオン、そこは……?」
朽ちた大剣の柄を握りしめたまま、カイトが問いかける。
「聖域の『武装庫』だ。前の人生で、僕らがSランクに到達した後、ようやく立ち入りを許された場所。……でも、今の僕らなら、ここにある力を使いこなす権利がある」
レオンは迷いなく、自身の指先をナイフでかすかに切り、滲み出た血を紋章の中央へ押し当てた。
本来なら「特定の魔力波形」が必要だが、未来のレオンは、この扉をバイパスするための「裏技」を、かつての宮廷魔導士から伝授されていた。
ゴゴゴゴゴ……。
重厚な石の擦れる音が響き、扉がゆっくりと左右に開いた。
中から溢れ出したのは、数千年の時を経てなお色褪せない、圧倒的な「神威」を帯びた光の粒子だった。
「嘘……これ、全部……」
アリサが絶句し、眼鏡をずり上げた。
そこには、かつての英雄たちが使い、あるいは神々が地上に遺したとされる伝説級の武具が整然と並んでいた。
レオンは迷いなく、奥にある三つの品を選び取った。
「カイト、これを。魔剣『バルムンク』。……以前の君の剣は、重さに頼りすぎていた。この剣は君の『闘気』に呼応して、硬度も重量も自在に変える。……君の直感を、そのまま物理的な破壊力に変換できる剣だ」
手渡された漆黒の剣を受け取った瞬間、カイトの体がビクリと震えた。剣身から放たれる青い稲妻が、カイトの魔力と共鳴を始めたのだ。
「すげぇ……。まるで、剣が俺の一部になったみたいだ」
「アリサには、この『賢者の法衣』。ヴォイド・イーターとの戦いで分かっただろう? 外部の魔力環境に依存する魔導士は脆い。この法衣は、内側に独立した魔力回路を持っている。たとえ魔力真空地帯でも、君は普段通り魔法を撃てる」
「……これ、国が買おうと思ったら、城一つ分じゃ足りないわよ。いいの?」
「城よりも、君の命の方が重い。……ミラには、この『星霜の首飾り』。治癒魔法の射程と効果を三倍に引き上げる。……何より、これには『自動防御』の結界が付与されている。君を狙う不意打ちを、一回だけ無効化する」
三人に与えられたのは、本来なら物語の終盤で手にするはずの「神器」の数々だ。
レオンは、自分用の武器は手に取らなかった。彼には、この手に残る「経験」と、先程手に入れた『聖槍の核』があれば十分だった。
「……装備は整った。次は、情報の共有だ」
聖域の広場に焚き火を起こし、一行は円になって座った。
レオンは、懐から取り出した羊皮紙に、記憶にある限りの「未来の年表」を書き出し始めた。
「いいかい、みんな。僕が知っている歴史では、これからの一年で世界は急激に加速する。……まずは三ヶ月後。王都『エリュシオン』の中央区で大火災が起きる。死者は三千人を超える」
「三千……!? レオン、それは……」
ミラが悲鳴に近い声を上げた。
「事故じゃない。魔王軍の潜入部隊による、陽動作戦だ。……そしてその混乱に乗じて、冒険者ギルドの総帥が暗殺される。犯人は、彼の右腕だった副総帥……人間側の裏切り者だ。これで、王国とギルドの連携は完全に崩壊する」
カイトたちは、言葉を失ってレオンの話に聞き入った。
あまりに具体的で、あまりに凄惨な未来。
レオンの瞳には、かつてその火災の煙の中で、救えなかった人々の叫びを聞いた時の絶望が宿っていた。
「そして一年後の冬……僕らが全滅した『黒の断崖』の戦いが起こる。……でも、さっきヴォイド・イーターが現れたことで、この年表はもう半分以上壊れた。……敵は、僕という『不純物』を認識した。だから、魔王軍も計画を早めてくるはずだ」
「……待ってよ、レオン。それじゃ、私たちは何をすればいいの?」
アリサが、震える声で尋ねる。
「簡単だ。……未来を先回りして、絶望の芽をすべて刈り取る。……そのために、まずは君たちを『Sランク以上』の実力にまで、最短で叩き上げる」
翌朝。
レオンの優しかった面影は、そこにはなかった。
聖域の広場に立つレオンは、かつての戦場で新兵を死ぬ気で鍛え上げた「鬼教官」の顔をしていた。
「カイト! 剣の振りが〇・五秒遅い! バルムンクは『重い』と念じれば重くなるが、振る瞬間は『羽のように軽い』とイメージしろ。……闘気を一点に集中させるんだ、全身で振り回すな!」
「う、うおおおおっ!!」
カイトが死に物狂いで剣を振る。だが、レオンは「縮地」を使ってその攻撃を軽々といなし、逆にカイトの脇腹へ鞘を叩き込む。
「アリサ! 詠唱に呼吸を混ぜるな! 魔法は心臓の鼓動と同調させるんだ。……無詠唱とは、声を消すことじゃない。己の意識そのものを魔法に変えることだ。……撃て! 連続で十発、一秒以内に!」
「無理よ、そんなの……っ、ハァッ、ハァッ……!!」
アリサの額から滝のような汗が流れる。だが、レオンの手加減のない圧力が、彼女の「限界」を強引に押し広げていく。
そして、最も過酷だったのは、回復役のミラへの特訓だった。
「ミラ。治癒魔法は『起きた怪我を治す』ためのものじゃない。……『怪我が起きる瞬間』を予測して、その空間に魔力をあらかじめ置いておくんだ。……殺気を感じろ。敵がどこを狙っているか、僕の視線を読め!」
レオンは、容赦なくミラへ向かって小石や訓練用のナイフを放つ。
彼女が防壁を張るのが一瞬でも遅れれば、その細い肌に傷がつく。レオンの心は痛んだが、戦場での「一瞬の遅れ」が死に直結することを、彼は誰よりも知っていた。
「……あ、足がもう動かない……」
夕暮れ時、三人はボロボロになって地面に倒れ込んだ。
「休憩は十五分だ。その後、僕と実戦形式の模擬戦を行う。……三人同時でいい。僕に一太刀でも入れられたら、今日の晩飯は肉を増やしてやる」
レオンの冷徹な言葉に、カイトが這いずりながら立ち上がった。
「……へっ。言ってくれるじゃねぇか、レオン。……今の俺たちは、昨日までの俺たちじゃねぇぞ」
カイトの瞳には、かつての「熱血」だけでなく、レオンに叩き込まれた「冷徹な集中」が宿り始めていた。
その変化を見て、レオンは心の中で小さく笑った。
(……よし。このペースなら、間に合うかもしれない)
特訓の合間、レオンは一人で聖域の奥にある『真理の鏡』の前へ向かった。
これは、世界の因果関係を映し出し、未来の可能性を断片的に示すとされる遺物だ。
レオンが鏡の表面に、白髪の混じった頭を近づける。
(……今の僕たちの行動で、未来はどう変わった?)
鏡の表面に、波紋が広がった。
映し出されたのは、燃え盛る王都……そこまではレオンの知る未来と同じだ。
しかし、その火の粉が舞い上がった先。
そこには、レオンの記憶には存在しない光景が広がっていた。
青い空。雲を突き抜け、天空に浮かぶ巨大な岩の島。
そこから降り注ぐ、無数の光の矢。
「……なんだ、これは? 『天の浮島』……?」
レオンの背筋に、凍りつくような悪感が走った。
前の人生で、魔王軍は地上を侵攻した。空を制圧するような兵器は、持っていなかったはずだ。
いや、そもそもそんな地名、どの古文書にも記されていなかった。
――ガギィィィン!!
鏡の表面に、ヒビが入った。
まるで、その未来を見ることを「何者か」が拒絶しているかのように。
「……歴史が狂っただけじゃない。……何かが、追加されている」
レオンが過去に戻ったことがバタフライ・エフェクトとなり、魔王軍側にも「本来はあり得なかった進化」を促してしまったのではないか。
もしそうなら、レオンの持っている「未来の知識」という最大の武器は、逆に自分たちを嵌める罠になりかねない。
「レオン、どうしたの?」
背後から、アリサが声をかけた。
彼女は、タオルで汗を拭いながら、鏡のヒビを見て怪訝そうな顔をした。
「……いや、なんでもない。……アリサ、予定より早くここを発つ。……特訓の仕上げは、移動中に行う」
「え? まだここに来て数日よ? 身体が持たないわ」
「身体は、戦いの中で作り変えるんだ。……急ぐぞ。……嫌な予感がするんだ」
ところ変わって、北の果て。
常に吹雪が吹き荒れる極寒の地にある、魔王城『アイアン・フィスト』。
暗黒の玉座に座る「魔王」の前に、一人の影が跪いていた。
それは、聖域でレオンたちに倒されたはずの『斥候』と同じ装束をまとっていたが、放つ魔圧は桁違いだった。
「……報告せよ」
地を這うような低い声が、広間に響く。
「ハッ。……聖域に派遣したヴォイド・イーターが、消滅いたしました。……『蒼天の翼』を名乗るCランクパーティの手によって」
「……Cランク、だと?」
魔王の周囲にある魔力が、不機嫌そうに渦巻いた。
魔王の手元にある「因果の盤面」の上で、一つの駒が勝手に動いた。
「本来なら、あやつらはあそこで全滅し、荷物持ち一人を残してこの世から消えるはずだった。……盤面が、勝手に書き換わっておる」
魔王が、空いた手で虚空を掴む。
すると、そこには聖域で槍を振るう、白髪混じりのレオンの姿がぼんやりと浮かび上がった。
「……この男か。……魂が、この時代の器に入り切っておらぬ。……『逆行者』か、あるいは『不純物』か」
魔王の口角が、凶悪に吊り上がった。
「面白い。……予定通りに滅びぬ世界など、久しく見ていなかった。……伝令を送れ。王都への侵攻計画に、第七軍団を加えよ。……さらに、『天の浮島』の起動プロセスを三段階早めろ」
「はっ! ……しかし、それでは人間どもの絶望が早すぎるのでは……」
「構わぬ。……あの『荷物持ち』が、どこまで絶望の速度に追いつけるか、試してやろうではないか」
魔王の哄笑が、冷たい城内に響き渡った。
それは、レオンというたった一人の男が、歴史という巨大な海に投げ込んだ一石が、あまりにも大きな津波となって跳ね返ってきた瞬間だった。
翌朝、聖域の入り口。
カイト、アリサ、ミラは、数日前とは見違えるようなオーラを纏って立っていた。
それぞれの伝説の武具を使いこなし、その瞳には「自分たちの運命」を背負う覚悟が宿っている。
「……行こう。目指すは王都、エリュシオンだ」
レオンは、かつての仲間の墓標があった丘の方角を一度だけ見やり、それから前だけを見据えた。
頬の傷が、疼く。
だが、その痛みこそが、自分が今、この時間を生きているという唯一の証明だった。
「……今度は、誰も死なせない。……魔王だろうが、運命だろうが、まとめて僕が背負って、叩き潰してやる」
銀髪を風に靡かせ、最強の荷物持ち――レオン・ベルクの、本当の意味での「逆転劇」が幕を開けた。




