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亡き英雄たちの墓標に誓う  作者: ルベン


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第2話:未来への積荷と、違和感の芽

 ガタゴトと、規則正しい振動が全身を揺らし続けている。


 街道を往く馬車の窓から見える景色は、十年後の世界では魔族の軍勢に踏みにじられ、灰色の荒野と化していた場所だ。しかし今、レオンの瞳に映るのは、午後の陽光を浴びて黄金色に輝く小麦畑と、遠くに見える街道沿いの宿場町の煙だった。


「……生きている。本当に、みんな生きているんだ」


 レオンは何度目かもわからない独り言を飲み込み、膝の上に置いた自分の拳を見つめた。


 十七歳の、まだ節くれだってはいるが若々しい手。あの日、仲間の血で汚れ、絶望に震えていた手ではない。


 馬車の中では、カイトが鼻歌交じりに大剣を磨き、アリサは難解そうな魔導書をめくり、ミラは小窓から外を眺めて穏やかに微笑んでいる。この、かつては当たり前だった――そして、失って初めてその尊さに気づいた光景が、今は何よりも眩しい。


「レオン、さっきから黙り込んで。まだ気分が悪いのか? ほら、水でも飲めよ」


 カイトが革袋を差し出してくる。その何気ない気遣いさえ、今のレオンには涙が出るほど愛おしい。


「いや、大丈夫だ。……それよりカイト、もうすぐリュミエールに着く。街に入ったら、まず俺は市場に行ってくるよ。今回の旅で必要な備品がいくつか足りない」


「え? 予備のポーションならさっき確認したぜ? レオンは相変わらず心配性だなぁ」


「予備の予備が必要なんだ。……それに、あの街の特定の商人からしか買えない『いいモノ』があるんだよ」


 レオンは嘘ではない範囲で言葉を返した。


 交易都市リュミエール。大陸北部の物流の要所。


 かつての歴史では、この街を離れた直後に最初の大きな挫折を味わうことになる。レオンは、その運命をねじ伏せるための準備を、この街で完了させなければならない。


 馬車が城門をくぐると、そこにはむせ返るような活気があふれていた。


 商人たちの野太い呼び声、家畜の鳴き声、鉄を打つ鍛冶屋の音。レオンはこの街をよく知っている。十年後、この街は魔王軍の幹部『死霊の王』によって一夜にして「死の街」へと変えられた。その際、レオンは壊滅したギルドの地下で三日間、泥水をすすりながら生き延びた記憶がある。


 しかし、今は違う。


 人々の顔には笑顔があり、希望が満ちている。


「よし、俺たちは宿の確保とギルドへの挨拶に行ってくる! レオン、買い出しは任せたぞ!」


 カイトが爽やかに手を振り、女性陣を引き連れて人混みの中へ消えていく。


 レオンは彼らの背中が見えなくなるまで見送り、それから表情を引き締めて、メイン通りとは逆の、薄暗い路地裏へと足を進めた。


 向かった先は、古びた看板が吊り下がった小さな薬草店だ。


 店主のゾランは、気難しそうな偏屈な老人だ。しかし、この老人は数年後に「伝説の調合師」として王都に招かれることになる隠れた賢者であることを、レオンは知っていた。


「……なんだ。小僧、ひやかしなら帰れ」


「店主、あんたが奥の棚の裏に隠している『月見草の根』。あれを、今あるだけ全部売ってほしい」


 ゾランの手が止まる。彼は怪訝そうにレオンを見た。


「……月見草の根だと? あんなもん、ただの雑草だ。家畜の下剤にしかならん。それを全部だと? 気が触れたか」


「今はそう思われているだけだ。……あんたなら知っているはずだ。これが、ある特殊な処理を施せば、魔力枯渇による脳へのダメージを防ぐ『霊薬の核』になることを」


 ゾランの瞳に鋭い光が宿った。


 この理論が確立されるのは、今から五年後のことだ。現在、月見草の根は道端に生えているゴミ同然の扱いだが、数年後には金貨一枚で数本しか買えないほど高騰する。


「……貴様、どこでそれを聞いた」


「旅の途中で死にかけの老魔導士から教わった。嘘だと思うなら、試してみればいい。……俺は、この根を全部買い取る。代金は、この『火トカゲの皮』でどうだ?」


 レオンが差し出したのは、前回の依頼で密かに入手していたレア素材だ。ゾランはしばしレオンを凝視し、それから鼻を鳴らして奥へ消えた。


 戻ってきた彼の手には、薄汚れた麻袋が握られていた。


「面白い小僧だ。……いいだろう。どうせ俺も、この『雑草』の真価を証明したいと思っていたところだ。……だがな、小僧。知識は刃だ。使い道を誤れば、お前自身を滅ぼすぞ」


「……わかってる。俺は、守りたいだけなんだ」


 レオンは重い麻袋を背負い、店を後にした。


 月見草の根。これは、将来的にアリサが「禁忌魔法」の負荷で倒れた際、彼女の命を繋ぐための唯一の手段となる。


 その後、レオンはさらに市場を回り、特殊な研磨石――『竜骨の砥石』を入手した。


 これを使ってカイトの剣を研いでおけば、あの日、敵の攻撃を弾いた瞬間に剣身が砕け散るという悪夢のような事態を回避できる。


 荷物持ちの仕事は、単に荷物を運ぶことではない。


 パーティの「生命線」を維持し、起こりうる最悪の事態を予測して、そのすべての芽を事前に摘み取ることだ。


 宿に戻ると、カイトたちが食堂で地図を広げていた。


 カイトは興奮した様子で、一枚の依頼書を叩いた。


「おい、レオン! 見てくれよ。運がいいぜ、いきなりBランク相当の『キマイラ』の討伐依頼が回ってきたんだ。ちょうどこの街の近くに現れたらしい。これをこなせば、俺たちのランクも一気に飛び級だ!」


 その言葉を聞いた瞬間、レオンの背中に冷たい汗が流れた。


 これだ。この依頼だ。


 かつての歴史において、『蒼天の翼』が初めて直面した「現実」だった。


 キマイラ。本来ならCランクの彼らが挑むべき相手ではない。しかし、当時の彼らは若く、そして自分の力を過信していた。この依頼を受け、カイトたちは辛くも勝利する。だが、その代償として聖女ミラは右足に消えない呪いの傷を負い、パーティ全体の機動力は永久に削がれることになった。


 そして何より、その怪我こそが、十年後の「黒の断崖」で、彼女が回避を遅らせ、死に至る直接の引き金になったのだ。


「……ダメだ。カイト、その依頼は受けちゃいけない」


 レオンの静かだが重みのある声に、食堂の空気が凍りついた。


 カイトが驚いたように顔を上げる。


「……レオン? お前、どうしちまったんだよ。チャンスだぜ? 俺たちならやれるって、いつも言ってるじゃないか」


「今の俺たちの装備じゃ、キマイラの猛毒と腐食の牙には耐えられない。……カイト、リーダーとしての君の判断を疑うわけじゃない。でも、荷物持ち(ロジスティクス)として言わせてもらう。この依頼を受けた場合、薬草の消耗だけで利益は赤字になる。それに、ミラの杖の魔力伝導率が、今の気候と湿度のせいで数パーセント落ちている。……この状態でキマイラと戦えば、十中八九、誰かが欠ける」


 レオンは淀みなく、かつ論理的に言葉を重ねた。


 本当の理由は「ミラの死を防ぐため」だが、そんなことを言っても信じてもらえない。未来の知識を、現在のデータと理屈に置き換えて説得する。


「……そんなに細かいことまで、気づいてたの?」


 アリサが眼鏡の奥の瞳を細め、レオンを観察するように見つめた。


 彼女はパーティの中で最も鋭い。レオンの言葉の中に含まれる、異常なまでの「確信」を嗅ぎ取っているようだった。


「レオンさんの言う通り、少し準備不足かもしれませんね……」


 ミラが申し訳なさそうに言った。レオンは彼女の綺麗な右足を見つめる。


 (そこには、傷一つ残させない。二度と)


「……わかったよ。レオンがそこまで言うなら、何か理由があるんだな。お前、たまにそういう勘が当たるしな」


 カイトは少し不満げだったが、最後には笑って依頼書を戻した。


 代わりにレオンが提示したのは、地味な『薬草採取とゴブリン退治』の連続依頼だった。


「その代わり、この依頼を三日以内に終わらせる。……効率的に回れば、ギルドマスターへの信頼度はこっちの方が高く稼げるし、何よりリスクが低い。……いいだろ?」


「ああ、いいぜ! よーし、明日はゴブリン狩りだ! 期待してるぞ、戦略家レオンさんよ!」


 カイトがレオンの肩を叩く。


 レオンは小さく息を吐いた。……一つ目の「死の分岐点」を、回避した。


 その夜、宿の一室で仲間たちが寝静まった後。


 レオンは一人、音もなく部屋を抜け出し、宿の裏手に広がる深い森へと向かった。


 月明かりが差し込む広場。レオンは古い革袋を地面に置き、呼吸を整える。


 (意識は二十七歳。だが、肉体は十七歳。……どこまで通用するか)


 レオンが狙っているのは、未来の自分が命懸けで習得した高等技術――『魔力圧縮・縮地しゅくち』。


 魔力を足裏の一点に集中させ、爆発的な推進力を生む移動術だ。これがあれば、敵の懐へ一瞬で潜り込み、守られるだけの荷物持ちから、仲間を守るための「盾」になれる。


「……スゥ、ッ!」


 全身の血管が浮き上がるほどの集中。魔力が経路を逆流し、筋肉を内側から引き裂くような激痛が走る。


 ドォン、という地面を蹴る音とともに、レオンの体が視界から消えた。


 数メートル先の樹木。そこへ激突する寸前、レオンは辛うじて体勢を立て直したが、そのまま地面に転がり落ちた。


「ガハッ……! ゲホッ、ゲホッ……!」


 喉の奥から鉄の味が込み上げる。


 十七歳の体は、未来の洗練された魔力操作に耐えうる強度を持っていなかった。筋肉が悲鳴を上げ、魔力経路がオーバーヒートを起こしている。


「……まだ、だ。この程度で、何が守護者だ」


 レオンは震える腕で自分を抱きしめるようにして、地面を這った。


 十年前の自分は、ただ荷物を背負い、仲間の背中を追いかけるだけで精一杯だった。しかし、今は違う。自分だけが知っている地獄がある。自分だけが知っている、あのみんなの最期の表情がある。


 (カイトの腕が斬り飛ばされる瞬間。アリサが呪文を唱えられず絶叫する瞬間。ミラが……。あんなものを、もう一度見るくらいなら、体が壊れる方がマシだ)


 レオンは痛む体に鞭打ち、再び立ち上がった。


 何度も、何度も。


 朝焼けが空を白ませ始めるまで、彼は孤独な特訓を繰り返した。


 少しずつ、肉体が未来の技術に「適応」していくのを感じる。かつての自分が決して手にできなかった「力」の断片が、今、手のひらに宿りつつあった。


 翌朝。


 予定通り、レオンたちは薬草採取のために森の深部へと足を踏み入れていた。


 カイトが先頭を歩き、レオンがそのすぐ後ろで周囲を警戒する。


「おーい、レオン。本当にこんなところにゴブリンなんて……」


 カイトの言葉が途切れた。


 レオンの鼻が、微かな異臭を捉えた。


 腐敗した肉の匂い、そして――硫黄のような、魔族特有の禍々しい気配。


 (おかしい。……何かが違う)


 レオンの記憶では、この時期のこの森に魔族が現れるはずはない。魔王軍の本格的な活動が始まるのは、もっと後のはずだ。


 だが、前方の茂みが揺れ、そこから姿を現したのは、緑色の肌をしたゴブリンではなかった。


 漆黒の甲冑に身を包み、赤く光る眼を持つ人型の魔物――魔族の斥候スカウトだ。


「なっ……なんだ、ありゃ!? ゴブリンじゃないぞ!」


 カイトが剣を抜く。アリサが詠唱を開始し、ミラが身構える。


 レオンは震える手でナイフを握り締めた。


 (まさか。……俺が過去に戻って、本来受けるはずの依頼を拒絶したせいか? 運命を少し変えただけで、世界が『調整』を行おうとしているのか……!?)


 目の前の魔族は、本来の歴史では二年以上後にレオンたちが戦うはずだった敵だ。今のCランクのパーティでは、全滅してもおかしくない強敵。


 しかし、レオンの瞳には、恐怖ではなく冷徹な決意が宿っていた。


「……カイト、指示を出す。アリサ、詠唱は三節で切り上げろ。ミラ、浄化の結界をカイトの三歩前に展開して。……来るぞ!」


 レオンは走り出した。


 荷物持ちの袋を放り捨て、未来の技術をその身に宿して。


 予定より早すぎる「死」との邂逅。


 だが、今のレオンには、それをねじ伏せるための準備と、何よりも死んでも守り抜くという執念があった。


 歴史の歯車が、大きな火花を散らしながら、新たな軌道へと弾け飛んだ。

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