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亡き英雄たちの墓標に誓う  作者: ルベン


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第1話:慟哭の丘と、逆行の光

 空は、あの日と同じように高く、透き通るような青だった。


 吹き抜ける風は冷たく、枯れ草の匂いを運び、荒れ果てた断崖の縁を撫でていく。


 大陸北西部に位置する「黒の断崖」。かつてここは、人類の希望と呼ばれたSランクパーティ『蒼天の翼』が、魔王軍幹部との激闘の末に散った終焉の地である。


 今では訪れる者も稀なこの場所に、一人の男が膝をついていた。


 レオン・ベルク。御年二十七歳。


 かつて『蒼天の翼』で「荷物持ち」を務めていた男だ。


 彼の背負う大きな革袋の中には、もう主を失った予備の剣や、使い道のない魔力ポーション、そして仲間の遺品が詰まっている。十年前から、彼の時間は止まったままだった。


「……また、来たよ。カイト、アリサ、ミラ」


 レオンは震える手で、地面に突き立てられた三つの粗末な石碑の汚れを拭った。


 石碑は長年の風雨に晒され、刻まれた名前さえ判別しにくくなっている。英雄と称えられた彼らの最期は、この断崖から突き落とされるという、無惨なものだった。遺体さえ見つからず、ここにあるのは彼らの折れた武器と、レオンが死に物狂いで回収した衣服の切れ端だけが眠る、形ばかりの墓だ。


「カイト、お前が言ってた通りだよ。世界は平和になった。……でも、そこに君たちはいない。僕だけが、君たちが命を懸けて逃がした『ただの荷物持ち』だけが、こんなに醜く生き恥を晒している」


 レオンの左頬には、十年前の戦闘で負った深い傷跡がある。魔族の爪がかすめたその傷は、癒えることなく疼き続け、彼に「生存者の罪」を思い出させる。


 あの日。レオンはただ、仲間に守られるだけの足手まといだった。


 リーダーのカイトが「レオン、走れ! 振り返るな!」と叫び、血を吐きながら魔族を押し留めた背中。


 魔導士のアリサが、最後の一滴まで魔力を振り絞って障壁を張り、「……生きて、レオン」と微笑んだ、あの絶望的な美しさ。


 聖女のミラが、自らの命を削る禁呪でレオンの傷を癒やし、光の中に消えていった温もり。


 すべてが、鮮明すぎるほどに脳裏に焼き付いている。


 レオンはこの十年間、酒に逃げることも、剣を置くこともできなかった。ただひたすらに、あの日の自分を呪い、もし自分に力があれば、もし自分がもっと賢ければと、数え切れないほどの夜を後悔の海で泳いできた。


「……もう一度、戻りたい」


 レオンの瞳から、熱い雫がこぼれ落ち、石碑を濡らした。


 声にならない慟哭が、冷たい風に混じって虚空へと消えていく。


「戻って、僕の好きだった……僕のすべてだった、君たちを守りたいんだ。君たちが笑って、英雄として、一人の人間として、天寿を全うできる世界へ……! そのためなら、僕の命なんて、魂なんて、いくらでも差し出す。だから……ッ!」


 レオンは石碑に額を押し当て、祈った。


 それは魔法でもスキルでもない。ただの、壊れた男の届かぬ願い。


 だが、その時。


 ――カチリ。


 何かが噛み合うような音が、世界の底から響いた。


 レオンが目を開けると、視界が真っ白な光に染まっていた。


 石碑の影が伸び、天を突く光の柱へと変わる。周囲の風景が、絵の具をぶちまけたように歪み、溶け始めた。


「……な、なんだ!? これは……」


 体が浮き上がる感覚。内臓が裏返るような激しい眩暈。


 レオンの意識は、強烈な奔流に飲み込まれていった。


 十年の重みが、刻んできたシワが、左頬の傷跡が、パチパチと弾けるような音を立てて剥がれ落ちていく。


 聞こえるはずのない、仲間の笑い声が耳元をかすめた。


『おいレオン、いつまで寝てるんだ?』


 その声に、心臓が跳ね上がった。


 懐かしくて、愛おしくて、最も聞き進みたかった声。


 次に目を開けた瞬間、レオンの鼻腔を突いたのは、冷たい枯れ草の匂いではなかった。


 それは、使い古された馬車の革シートの匂いと、街道の砂埃、そして――焚き火で焼いた、安っぽい干し肉の香りだった。


「……っは、ひゅ……っ!?」


 レオンは勢いよく身を起こした。


 視界に入ってきたのは、揺れる馬車の幌。


 そして、自分の「手」だった。


 節くれ立ち、数々の苦労を物語っていたはずの手は、白く、瑞々しい若者のものに戻っている。使い慣れたはずの大きな背負い袋が、なぜか新品同様の革の硬さを保って足元に置かれている。


「レオン? 変な夢でも見たか?」


 横からかけられた声に、レオンは息を止めた。


 ゆっくりと、首が軋むような音を立てて隣を向く。


 そこには、赤いバンダナを巻き、悪戯っぽく笑う青年がいた。


 背中には大剣。鍛え上げられた体躯。太陽のような眩しい笑顔。


 十年前、黒の断崖で自分を逃がし、死んだはずの男――カイトがそこにいた。


「……カ、イト……?」


「なんだよ、幽霊でも見たような顔しやがって。昨日飲みすぎたのは俺だぞ? お前は一杯だけで顔真っ赤にして寝ちまったじゃないか」


 カイトがレオンの肩をガシガシと叩く。その重み。温もり。


 夢ではない。死者が放つ冷たさなど微塵もない、確かな生命の鼓動がそこにあった。


「カイト、静かにしてあげて。レオン、顔色が悪いわ。まだ馬車酔いしてるの?」


 向かい側の席から、本を閉じる音がした。


 藍色のローブを纏い、眼鏡を指で押し上げる仕草。アリサだ。


 彼女の膝の上には、後に伝説の魔導具と呼ばれることになる未完成の魔導書が広げられている。


「……アリサ。ミラは……ミラはどこにいる!?」


 レオンが叫ぶように問うと、アリサは驚いたように目を丸くした。


 隣の席で静かに祈りを捧げていた少女が、ゆっくりと顔を上げる。


 柔らかな金髪。慈愛に満ちた碧眼。彼女が微笑むだけで、周囲の空気が浄化されるような錯覚を覚える、聖女ミラ。


「ここにいますよ、レオンさん。……まあ、本当に真っ青。カイト、レオンさんをからかうのはおやめなさい。ほら、レオンさん、深呼吸してくださいね」


 ミラが優しくレオンの手を握る。


 その瞬間、レオンの目から堰を切ったように涙が溢れ出した。


「おいおいおい!? なんだよ、本当にどうしたんだレオン!」


「ミラ、何か治癒魔法を! レオン、どこか痛むの!? 毒? 魔物の仕業!?」


 慌てふためく仲間たちの声。


 レオンは言葉にならず、ただミラの小さな手を、壊れ物を扱うように両手で包み込んだ。


 温かい。生きている。みんな、生きている。


 十年前。いや、今この瞬間の時間軸で言えば「昨日」のことだ。


 彼らは、王都のギルドで正式にパーティ登録を済ませたばかりだった。


 『蒼天の翼』。


 未来においてSランクまで上り詰め、そして滅びたパーティ。


 レオンが加入したのは、彼らがまだ若葉マークのCランクだった頃。戦闘能力の低いレオンを、「お前は俺たちの世話を焼くのが上手いからな!」とカイトが笑って拾ってくれたのだ。


 レオンは袖で乱暴に涙を拭った。


 仲間たちが心配そうに顔を覗き込んでいる。


「……悪い。……本当、なんでもないんだ。ただ、すごく……すごくいい夢を見て、それが覚めたのが嬉しくて」


「なんだよ、驚かせるなよ。夢で泣くなんて、お前は本当に繊細だなぁ」


 カイトが笑いながらレオンの頭を撫でる。


 レオンは、自分の胸の内側で、静かだが消えることのない炎が灯るのを感じた。


 これは、神が与えてくれた慈悲か。それとも、執念が生んだ奇跡か。


 どちらでもいい。理由など、どうだっていい。


 (今度は……今度は、絶対に死なせない)


 レオンは馬車の窓から外を眺めた。


 そこには、かつて見た懐かしい景色が広がっている。


 だが、今のレオンはあの頃の「無知で無力な荷物持ち」ではない。


 十年間、地獄のような後悔の中で磨き続けた知識がある。


 魔族の弱点、罠の配置、裏切り者の正体、そして――荷物持ちの身分では決して得られなかったはずの、未来の魔力操作技術。


 これからの十年で起こる悲劇のすべてを、レオンは知っている。


 誰がいつ怪我をするのか。どの依頼に罠が仕掛けられているのか。


 そして、あの「黒の断崖」で、何が彼らを全滅に追い込んだのか。


 レオンは密かに、自分の胸に手を当てた。


 心臓の鼓動とともに、体内に眠る魔力が脈動する。


 未来で独り生き延びるために、血を吐くような思いで独学し、完成させた『極限魔力操作』。


 十七歳のこの体にはまだ馴染んでいないが、確かにそこにある。


「レオン? またぼーっとして。……本当に大丈夫?」


 アリサが心配そうに覗き込んでくる。


「ああ、大丈夫だ。……それよりカイト、次の街に着いたら、装備のメンテナンスをさせてくれ。それと、薬草の買い出しも。今のうちに揃えておきたいものがあるんだ」


「ははっ、さすがレオン! 仕事が早いな。頼りにしてるぜ、俺たちの『優秀な荷物持ち』さん!」


 カイトの言葉に、レオンは力強く頷いた。


 だが、心の中で誓う。


 (ああ、任せてくれ。……でも、これからは荷物だけじゃない。君たちの『命』も、全部僕が背負っていく。たとえ、この世界の歴史をすべて書き換えることになっても――)


 馬車はガタゴトと音を立てて、陽光溢れる街道を進んでいく。


 絶望の十年を越え、レオンの「二度目の人生」が、今ここから始まった。


 誰も死なせない。


 誰も欠けさせない。


 あの丘に、墓標を建てるような真似は二度とさせない。


 レオンは、隣で笑うカイトの横顔を焼き付けるように見つめ、拳を強く握りしめた。


 物語の歯車が、運命に抗うように、逆向きに回り始めた。

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