巻貝ダンジョン
短編集の中から抜粋しました。浦島太郎的な発想です。
海を目の前にして、カネは思った。
なんて大きな水たまりなんだろう。
この水を全部汲み出そうとしたら、いったい何日、何年かかるのだろう。
風が塩辛くて、髪の毛までじゃりじゃりになりそうだ。
そして、驚いたのは、海岸がどこまでも真っ白だったことだ。
「お嬢ちゃん、ここは江の島だよ」
白いひげを生やしたおじいさんが、優しく話しかけてくれた。
「浜全体が、金魚鉢の底に敷く玉砂利でできているんだ。それは、この浜に流れ込む川の上流にある、いろんな石のせいなんだよ。山の方には水晶みたいな岩とか、瑪瑙めのうやジャスパー、長石ちょうせき、緑石みどりいしとか、たくさんのきれいな石があるんだ」
おじいさんの声は、優しく静かで、心地よく耳に響いた。
「だから、この浜には玉砂利だけでなく、いろんな珍しい石が混ざっていて、まるで宝石みたいな砂利なんだ。お嬢ちゃんも、気に入った石があったら拾っていくといい。なにかのお守りになるかもしれないね」
カネは、真っ直ぐな背中を見せて去っていくおじいさんの後ろ姿を見送った。
けれど、カネが興味を持ったのは、玉砂利よりも貝殻だった。
内側が虹色に輝く貝や、丸くて平べったい「かしパン」みたいな貝、薄いピンクの二枚貝、変わった形の巻貝……。
そのとき、向こうの方で何かが光った気がした。
近づいてみると、ドッジボールのように大きな、トゲトゲだらけの巻貝があった。
カネはこんなに大きな貝があるのかと驚いた。中をのぞき込むと空っぽなので、やはり貝殻なのだろう。でも、これはきっと貝の王様なんだな、もう死んでしまったけれど。
「えっ?」
カネは驚いた。なぜなら、カネは巨大な貝殻の中に立っていたからだ。
貝殻の入り口は巨大なトンネルのようで、象に乗った大男が楽に通れるくらい大きかった。それも、横に二列並んでも通れるほどに。
だが、カネは思った。この貝が死んでいたというのは間違いだ。この大きな貝殻は生きている。生きて、僕を飲み込もうとしているんだ。
カネは振り返って出て行こうとしたが、外の景色は見えなかった。まるで曇りガラスの向こうをのぞいているようだ。
それでも出て行こうとすると、何か空気の膜のようなものがあって通れない。
「出て行きたかったら、中に進め」
大きな貝がしゃべっているような声が、あたりに響いた。
仕方がない。カネには前に進むしかなかった。
再び振り返り、貝のトンネルの中に入っていく。
巻貝の中だからだんだん狭くなるかと思いきや、そんなことはなかった。
通路は緩やかな螺旋階段になっていて、下へ下へと降りていく。重力は常にカネの足の下に働くようで、階段も幅が変わることはなかった。
「なんだか変だよ。これ、本当に貝の中なの?」
何度、階段の螺旋をグルグル回ったかわからない。いくら巨大な貝の中だとしても、とうに先っぽに着いているはずなのに、その10倍は歩かされた気がする。
そして、ようやく行き止まりの大きな扉にたどり着いた。
「やった!これで貝の外に出られるぞ!」
カネは喜んでその大きなドアを押し開けて外に出た。
「えっ?」
またカネは驚き、その場に固まってしまった。
そこは、小学校の体育館の何倍も広い場所だった。
何十メートルもありそうな高い天井。奥の壁まで走れば100メートル競走ができそうだ。
それだけではない。そこにいたのは、カネと同じくらいの背丈の、ハゲ頭の変な子どもたちだった。
パンツ一枚を履いただけの、全身緑色の子供たち。尖った耳に、下に垂れた天狗てんぐのような鼻。
「もしかして、ゴブリン?」
カネがびっくりしていると、その中の一人が歩いてきて言った。
「お前は男か女か?」
カネはショートカットなので男の子に見えなくもないが、女の子だ。
「僕がもし女の子だったら、どうするんだ?」
「俺たちの子供を生ませるに決まってるだろう」
「げぇっ!」と思ったカネは、そんなことされてたまるかと大声で叫んだ。
「僕は男だっ!」
するとそのゴブリンは仲間の方を振り向いてうなずき、言った。
「男なら、俺たちと勝負しろっ」
カネは考えた。
よく見ると、指先には鋭い爪があり、開いた口の中の歯は全部尖った犬歯だ。爪で肉を切り裂かれ、歯で噛みつかれたら肉をごっそり持っていかれそうだ。
そうだ。勝負の仕方を決めればいい。
「勝負はしてもいいけど、一対一サシの勝負だ。そっちが勝負を挑んできたんだから、やり方は僕が決める」
「何を言っている。勝負にやり方もクソもあるか」
「ゴブリン同士ならそれでいいかもしれないけど、僕は人間だ。人間のやり方で勝負を受ける」
カネはあたりを見回した。うまい具合に、ロープがたくさん落ちている。
「そのロープはなんだ?」
「これか?獲物を縛るためのロープだ」
カネはロープを手に取り、自分の指先から肘までの長さに合わせてナイフで短く切った。
そして、中指の先から手首までの長さをパンツの後ろに入れる。
「これで尻尾の出来上がりだ。お前も同じようにやれ。待って、僕が教えてやるから」
ゴブリンの爪や指はカネより長いので、パンツに入れる部分も長い。しかし、腕もチンパンジー並みに長いので、外に出す尻尾も長くなる。
「それでは勝負の仕方を説明する。相手の尻尾を先に取った方が勝ちだ。僕が勝った場合は、ここを通らせてもらう。じゃあ、勝負!」
ゴブリンは爪を出して歯をむき出し、恐ろしそうに向かってくるが、カネから見ると動きが鈍い。
さっと後ろに回ると、相手の尻尾を奪ってしまった。
「僕の勝ちだ。ここを通るぞ」
「待て」
負けたゴブリンが言った。
「俺は負けたから邪魔はしないが、残りの奴らはそうはいかないぞ」
「なんだってっ!」
「「「勝負だっ!!!」」」
カネは思わず後ずさりした。100人近いゴブリンが一斉に勝負を挑んできたからだ。
「お前たちが勝ったら、どうするつもりなんだ?」
そういえば、ゴブリンが勝った時のことは聞いていなかった。
最初の勝負に負けたゴブリンが笑いながら言った。
「もちろん、お前を生きたままバリバリと食べてしまうのさ」
「ええええっ!ちょっと待ったぁ!お前たち全員でやるつもりか?一対一の勝負じゃないのか?」
「当たり前だろう。勝負を挑んだのは残りの全員だ。最初からそうすればよかったんだ」
最初のゴブリンはゲラゲラ笑った。
「お前が負けた時は、俺も一口食べさせてもらうけどな」
カネは思った。まず、時間稼ぎをしなくてはならない。
「待て、お前たちの尻尾の分のロープは全員分あるのか?」
そう言いながら、最初にゴブリンから取った尻尾のロープを手に取り、ゴブリンたちに見せる。
「これと同じ長さのロープを使わないと、勝負に参加できない」
カネはロープを集め、長すぎるロープはゴブリンが両手を広げた長さに切った。
そうするとロープが5本できた。そして、中途半端なロープは遠くに投げた。
「まず、この長さからどれだけ尻尾が取れるかだ」
すると、1本から2本分の尻尾が取れた。半端なロープはすべて投げた。
「できたロープは10本だけだ。これをパンツの後ろに入れるんだ。自分の手首までの長さ分をな」
10人のゴブリンは言われた通りにロープを尻尾にした。
そのうちの一人の尻尾が長いを見て、カネは感心してみせた。
「へぇ、お前の尻尾は長くて立派だなあ。まるでゴブリンの王様みたいだ」
それを聞いた他のゴブリンは、こっそり尻尾を長くした。
そして、カネはこっそり基準にしていたロープを切って遠くに投げた。それを使ってしまうと、一度に11人を相手にしないといけないからだ。
「さあ、それじゃあ、そろそろ始めてもいいんじゃないか?」
最初に負けたゴブリンが言った。
「どうしてお前が仕切るんだ?お前はここの代表か?」
「そうだ。俺はゴブリンのボスだ」
カネは最初からこのゴブリンが気に入らなかった。そこで、天井に向かって大声で叫んだ。
「おい、聞いてるか、巻貝ダンジョンの主よ」
「わしのことか?」
巻貝の家が返事をした。その大ホール全体に響き渡るような声だった。
「あんたは自分を立派なダンジョンだと思っているみたいだけど、これじゃあまだまだ一流のダンジョンじゃないな」
「どういうことだ?」
「一流のダンジョンだったら、勝負に負けたモンスターはすぐに消えるもんだ。そして、その後にドロップ品を残すもんだよ」
「ドロップ品とはどんなものだ?」
「中に入った人間が欲しがるようなものだよ。たとえば、今僕が頭の中で考えているようなやつだ」
「ふーん、なるほど」
すると、今まで目障りだったボスゴブリンの姿がパッと消え、その後にお菓子の袋が残った。
袋には『速豆はやまめ』と書いてあり、「食べると動きが速くなる。たくさん食べるほど速くなる」という説明も書かれていた。
早く勝負をしたがっているゴブリンたちに、カネは言った。
「待て待て、お前たちが勝ったら僕を食べるつもりだろう?だったら僕もおいしいものを食べて栄養をつけなきゃいけない。だから、僕の肉をおいしくするために、少し時間をくれ」
そう言うと、カネは袋を破って、中の豆をボリボリと食べ始めた。
全部食べると、体が軽くなって速く動けそうになった。
「よし、じゃあこれから勝負だ。さっきボスが消えたように、勝負に負けた者から消えていく。ただし、僕が負けた場合は消えない。尻尾がなくなったら尻尾取りの勝負はなくなる。爪と歯を使って僕を食べればいい。けれど、僕も黙って食べられはしないぞ」
すると、尻尾がなくて勝負に参加できないゴブリンの一人が言った。
「尻尾がない俺たちはどうするんだ?」
「誰かが消えたら尻尾が残るから、それを使えばいい。それじゃあ、始めるよ」
そう言うと、カネはゴブリンたちから遠ざかるように走り始めた。
ゴブリンたちは団子だんごのように固まって追いかけてくる。
壁に向かって突進したカネは、直前で急角度に曲がって壁を避けたが、追いかけてきたゴブリンたちは壁に激突した。
その拍子に尻尾がとれたゴブリンが2人ほど消えた。
その後に、尻尾のロープと小さなお菓子パックが残る。
ノロノロと起き上がったゴブリンからも尻尾を奪ったカネは、ドロップ品のお菓子パックを拾い、残った尻尾は別の方向に投げてやる。
バラバラに投げられた尻尾を、待機組のゴブリンが争って拾いに行く。
拾ったお菓子パックは、5個ほどしか豆が入っていない小さなものだが、小さい字で「元気豆げんきまめ=たくさん食べると疲れづらくなる」「気配豆けはいまめ=たくさん食べると目をつぶっていても敵の気配がわかる」と書いてあった。
カネは走りながらポリポリとそれらの豆を食べた。
そのため、いくら走っても疲れないし、後ろから襲われてもうまく逃げることができた。
その後のドロップ品はすべてこの「元気豆」と「気配豆」ばかりだったので、後続のゴブリンが必死になって追いかけてきても、すべて返り討ちにした。
気がつけば、ゴブリンは一人もいなくなっていた。
「ダンジョン主の貝の家、これで終わりか?僕は外に出られるんだな」
カネが叫んだ。
「ふははははは!出られるはずがないだろう。そこにある階段を降りれば、第二階層があるんだ。そこでお前は死ぬ運命になる」
「ところで、このダンジョンは全部で何階層あるんだ?」
「地下3階層まであるぞ」
「ふーん、じゃあ、2階層には何がいるんだ?」
「オークだ。いくらお前がすばしっこくても、100人のオークに捕まれば終わりだろう」
「ドロップ品はないのか?」
「なんのためにドロップ品を用意する必要がある?お前はそこで死ぬんだからな」
「それなら、僕は2階層には行かない。ご褒美ほうびがないのに、わざわざ危険な階層に進む者はいないよ。ここでゴブリンがリポップするのを待って、周回クエストをした方がましだよ」
「待て待て、じゃあ、速豆はやまめと元気豆と気配豆を……」
「そんなものはここでも食べられる。2階層にはもっと素敵なエサが必要だよ。たとえば……」
カネは頭の中に、欲しいドロップ品を思い浮かべた。
「わかった、わかった。それは用意するから、先に進んでくれ。そこに居座られても困るんだ」
結局、カネは階段を降りて第2階層に向かった。
2階層に降りると、そこに待っていたのは相撲取りのような体格をした100人ほどのオークだった。
その中でもひときわ大きなオークが、奥の方から大声で叫んだ。
「今入ってきたのは、男か女か?」
カネも声を張り上げて言った。
「僕がもし女だったら、どうする?」
「もちろん、子供を生ませるに決まってるだろう」
「僕は男だっ!」
「男なら、こいつらと戦って死ね」
「ということは、僕と手下を勝負させるのか?」
「当たり前のことを言う。そのあと、バリバリと食べるのさ」
「それじゃあ、勝負を申し込まれた僕の方で、やり方を決める」
「はっはっは、面白い人間の小僧だ。どっちでもいい。食事前の座興ざきょうだ。誰か相手になってやれ」
カネはあらかじめ考えていた方法を言うことにした。
「一対一の勝負だ。どちらかが倒れるか、壁に体をつければ負けだ。つまり、このホール全体が土俵どひょうの相撲の勝負だ」
これにはボスのオークが大笑いした。
「がはははは!こいつは愉快だ。どう考えても勝負は俺たちの勝ちだ。おい、野郎ども、一人以外は邪魔にならないように隅っこに引っ込んでいろ」
そして、カネの前に現れたのはごく普通のサイズのオークだったが、それでも身長2メートル、肩幅も普通のドアの横幅より広かった。きっと体重は200kg以上はあるだろう。
「俺はオークの格闘家、キューだ。チビめ、軽く吹っ飛ばしてやる」
キューはカネを張り飛ばそうと突進するが、カネはからかうように、何度もぎりぎりのところで体をかわす。そして、背後に回って膝の裏を蹴ったりして、ガクンとバランスを崩させる。
「おい!相撲では蹴ったりするのはないんじゃないのか?」
キューが口を尖らせて文句を言う。
カネは笑いながら言った。
「もともと相撲は、字を見ればわかるように、お互いを撲なぐったり、蹴ったりするものなんだよ」
「そうか!それなら俺の得意とするところだ。チビ助、覚悟しろっ!」
キューは力を全開して、カネにキックやパンチを浴びせかけてきた。
だが、わずか1センチほどの差で、それがカネに届かない。空振りばかりで、少しもヒットしないのだ。
「もう動きが遅くて話にならないね。ここまでおいで、キュー!」
「おのれぇぇぇぇええっ!」
キューより少しだけ速めに壁に向かって走ると、キューは全力疾走で追いかけてくる。
カネの背中と、振り返ざまに舌を出してからかうところばかり見て、怒りに我を忘れて突進していったのだ。
すると、突然カネの姿が消え、目の前に壁が現れた。
ドーンとキューと壁が衝突する音が響き渡る。
そして、キューの姿が消え、後にお菓子の袋が残った。
そこには一口大のお餅が入っていて、袋には「力餅ちからもち=たくさん食べると力が強くなる」という説明が書いてあった。
カネはそれをパクパクと食べると、体に力が湧いてきた。
ボスのオークが怒り狂って叫んだ。
「ずる賢い人間のチビに騙された。もう構うことはない。全員でかかれ!ただし、壁に向かって走るときは、待ち伏せして囲んでしまえ!撲っても蹴ってもいい。ひき肉にしてしまえ!」
隅っこで待機していたオークたちは、全員ホールの真ん中に出てきた。
だが、カネの姿が見えない。
「どこだ?どこに行った?」
「お前の後ろにいるぞっ!」
「えっ、俺の?うわぁぁぁぁああ」
カネはそのオークの片足をつかんで前に持ち上げた。
すると、オークは仰向けに倒れて、背中を床に打ち付けた。
ドーン!
倒れたオークは消え、その後にお菓子の包みが残った。
今度は「重餅おももち=たくさん食べると体が重くなる」と書いてあった。
それを食べると、体がずんと重くなり、走るスピードがオークたちと変わらなくなった。
「しまった。いくら力が強くても、上向きの力以外の力はパワーにならないと思って、この餅を希望したけど、スピードが落ちるとは……」
カネはあっという間に囲まれて捕まってしまった。
「仕方ない。こんなことはしたくなかったけど」
ずんっ、ドンッ!
「ぎゃぁぁぁぁあああ!」「いぎゃぁぁああ!」
カネは、正面から自分を捕まえていたオークの股間を蹴り、背後から掴んでいたオークの足の指を思い切り踏んだ。
そして、体重の重さを元に戻して、オークたちの足元をくぐって逃げた。
「そっちだ!」「逃がすな!」「捕まえろ!」
蹴られたり踏まれたりしたオークは倒れなかったので消えなかったが、戦いはますます難しくなった。
ボスオークが叫んでいたからだ。
「一度引っかかった手には、二度と引っかかるな!二人一組になって、足を持ち上げられたら転ばないように支えるんだ!片方が攻撃して、もう片方が防御しろ!えっ?」
ボスオークが作戦を大声で叫んでいる間に、いつの間にか座っていた椅子が後ろに倒れた。
それは、背後に回ったカネが椅子の背を後ろに引き倒したからだ。
ゴロンゴロンとボスオークは後ろに転がって、壁にぶつかった。
倒れても壁にぶつかっても負けなので、ボスオークは消え、代わりに今までとは違った菓子袋がドロップした。
しかし、カネはそれを食べずにポケットに入れて、再び戦いの輪に飛び込んでいった。
指揮官がいなくなってからは、あるオークは壁にぶつかり、あるオークは思い切り転んで、どんどん消えていく。その代わりに「力餅」や「重餅」がどんどんドロップし、カネはそれを片っ端から食べて、ますます力が強くなる。
そして、「重餅」の体重増加スキルはアクティブスキルなので、普段はオフにしておき、ここぞという時にオンにして突き飛ばしたり、抱き着いたまま仰向けに倒したりしていった。
気がつけば、オークは一人もいなくなっていた。
すると、2階層の天井から、貝の家の声がした。
「ははははは!もうお前は周回クエストもできないぞ。なぜなら、もうゴブリンもオークもリポップするのをやめて、全てのパワーを3階の階層主に注いだからだ。ワシ自身も3階のボスに、自分の命を吹き込んだ。教えてやろう。最終階層で待っているのはキングバイパーだ。それ以外の雑魚はいない。だから、ドロップ品は期待しないことだ。キングバイパーを倒しても、ドロップ品は一つも出ない。その代わり、もし倒したら、この貝の家から出ることができるだろう。だが、それはできない相談だ。なぜなら、いくらお前の力が強くても、キングバイパーの力は今のお前の10倍はあるからな。さあ、わずか0.001%の可能性にかけて生き残ってみろ!」
しかし、カネは慌てずに言った。
「言いたいことはそれだけか?僕は必ずお前を倒して、ここから出てみせる」
そして、3階へと続く階段を降りていった。
「はははは、一度最終階層に足を踏み入れたら、引き返すことはできないぞ」
最終階層で待っていたのは、ホールいっぱいに巨体を埋めている巨大な大蛇だった。
頭だけでもトラックのような大きさで、胴の太さはカネの背丈よりも大きい。
広いホールが狭く感じるほどキングバイパーは大きく、どこに逃げてもモンスターの体にぶつかる。
一枚の鱗が大きな団扇うちわほどもあり、それがこすれ合ってバリバリと音を立てた。
気がつくと、カネはバイパーの体で締め付けられ、身動きができなくなっていた。
「はははは!生意気なチビ猿め、このまま締め付けて全身の骨を粉々にしてやる!」
カネはそのとき、ポケットから出した菓子袋を破いて、中身を飲み込んだ。
その袋はヒラヒラと下に落ちた。
袋には「ヌルヌルゼリー=これ一つ食べると、体がものすごく柔らかくなり、ヌルヌルして掴むことができなくなる」と書いてあった。
「ふふん、こんなこともあろうかと、2階層のドロップ品に、2階層には必要のないこれを希望しておいたんだ。3階層のモンスターが何かは知らなかったけど、この能力があれば大抵のことができると思ったんでね。結果はビンゴ!この通り、僕はバイパーに捕まらないぞ」
ヌルリ、スルリと、カネはキングバイパーの締め付けから逃れていく。
「おのれ!それじゃあ、一思いにパクッと飲み込んでやる!いくらヌルヌルしていても、一口で飲み込めば、お腹の中で溶けて死んでしまうだろう。無駄だ!いくら速く逃げようとも、体の大きな我の速さはお前よりも速い!」
しかし、カネは平気で追いかけてくるキングバイパーの凶悪な口から逃げ回る。
そして、だんだんキングバイパーの動きが鈍くなってきた。
「どうしたことだ?なぜ体が動かないんだ?動こうとすればするほど、体が締め付けられて苦しい!」
「何がどうなったか教えてやろうか?僕はこいつから逃げながら、自分で自分の体を縛るように誘導ゆうどうしたんだよ。今のキングバイパーは、絡まって解けなくなった毛糸と同じ状態さ。動けば動くほど締め付けられて、元に戻すことができなくなる」
「おのれぇぇぇ!わる賢いチビ猿めぇぇ!おや?何をしている?」
「何をって?たしか蛇は首が急所だから、こうやって、首を捻って回せばどうなるかなって」
「やめろ、やめろぉぉ!」
「じゃあ、やめるから、ギブアップして。というか、もうこうなったら、このキングバイパーは一生このままだから、食事もできずに飢え死にしてしまうよ」
その一言で、キングバイパーの巨体はパッと消えた。
そして……
カネは、足元に落ちていたピンポン玉くらいの巻貝の殻を見ていた。
「なんだ……本物はもっと小さかったのか」
カネはそれを手に取り、怪力で海の沖の方に思い切り投げた。
それは点のように小さくなって、水平線に向かって消えていった。
「それにしても……」
カネは浜辺をきょろきょろと見回した。
真っ白い玉砂利でいっぱいだった江の島の海岸は、灰色の砂浜になっていた。
すると、背後から声が聞こえた。
「お嬢ちゃん、この江の島は、ほんの数年前までは真っ白な玉砂利だらけの美しい海岸だったんじゃ。けれども、ここを訪れたよそ者たちが、みんな玉砂利を少しずつ持ち帰ったために、もう玉砂利は一個もなくなって、この通りの砂浜になってしまったんじゃ」
振り向くと、つい数時間前にカネに話しかけた白ひげの老人だったが、様子はすっかり変わっていた。
以前は真っ直ぐだった背中も丸くなり、杖をつきながらやっと立っている。
あれから、どのくらいの時間が経ったというのだろうか?
カネが老人を見つめていると、彼は言った。
「おや……前に会ったことがあったかな?いやいや、あれから何年も経ったから、今ならとうに大人の女性になっているはずじゃ。それにしても、あの時の嬢ちゃんによく似ておるのう。いやいや、なんでもない。昔会った女の子のことを思い出しただけじゃ」
老人は曲がった腰で、ゆっくりと立ち去っていった。
カネ、本名・近江おうみ兼かねは、浦島太郎のように、わずか半日ほどしか貝の家の中にいなかったのに、外に戻るともう何年も歳月が経っていたことに唖然とした。
どうしよう?自分の家に戻ったら、どうなっているだろう。
その後、カネは知ることになる。
自分の家はとうになくなっていて、20年前に小学生だったカネが江の島に行ってから行方不明になり、戻らなかったのだと。
落胆した家族は、カネがいつか戻れるようにと、ずっとその家に住んでいたが、やがて病気で両親は相次いで亡くなってしまったのだと。
一人っ子だったカネは、孤児になってしまったのだった。
了
読んでくれてありがとう。