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4話 予感

ーーーー


「あー、忌々しい! これ見よがしに見せ付けやがって!」


 グラスに注いだばかりの赤々と揺らめく葡萄酒を睨んでいたパトリックが不意に癇癪を起こした。


 普段から彼とつるんでいる柄の悪い冒険者たちに酒を注いで回るアルを見つけるなり呼び付け、顔面にグラスごと酒を浴びせた。


「うわぁ、ひっでぇ。可愛い弟だろうに」

「はっ。こいつは俺の奴隷だ。主人の憂さ晴らしに付き合うのも奴隷の役目だろうが」


 事も無げに言ってのけるパトリックの様子に肩を竦めて視線を交わし合う冒険者の男たち。

 昼前に屋敷に着いたミランを迎えてからすぐに自室に籠っては、晴れ晴れしく出世街道を行く弟への愚痴を肴に酒盛りを始めたクズのお手本のようなパトリックを信頼する者はここにはいない。


 日々魔物の討伐や危険地での護衛任務や土木作業に勤しむ彼らにとってパトリックという無知で傲慢な貴族のボンボンなど、死と隣り合わせる日常に「贅沢」という淡い色を添える程度の存在でしかない。

 身の丈を超えた高い酒と旨いつまみが手に入りさえすれば誰が出資者であっても構わないのだ。


「これで良い女でも抱ければ最高なんだけどなぁ!?」

「げへへ。違ぇねぇや!」


 この部屋において赤の他人の兄弟が日常的に見せる茶番などには目もくれず、男たちは下卑た笑いを響かせる。


「おお、可哀そうなアル。こっちにおいで。おじさんが慰めてあげるから」


 そんな中、一際気色の悪い猫撫で声でずぶ濡れのまま飛散したグラスを片付けるアルに近付く男がいた。


「かーっ! いいなオメェは! こんなに可憐な『お姫様』をいつでも抱けるんだからよぉ!」


 周囲の冷やかしなど物ともせずそっとアルの手を取り、見詰め返す健気な少年に火照った頬を寄せる男。


「ああ……なんて可愛いんだ――」


 堪え切れなくなった男が事を起こす寸前、アルと男との眼前に酒瓶が割って入る。


「悪いが今日はお預けだ。バレると後が面倒になる」


 パトリックは言うなりアルにしがみつく憐れな男の肩を瓶底で押した。


「い、いやだっ! 今日こそ、俺はアルと結ばれるんだ!」

「イチャつくのは勝手だけどよ、忘れちゃいねぇと思うがそいつはあの男のお気に入りだぜ?」


 尚も食い下がる男に向けて群れの内から誰ともなく声が上がった。

 言葉を受けた男は突如全身を硬直させ、震え怯えるアルを床に放り出した。


「あの姉ちゃんも黙っちゃいねぇだろうな!」


 異質ではあるが少年のことを可愛がるもう一人の人物ネーレについて言及され、男は先までの威勢を完全に失い一目散に群れの内へと紛れ返った。


「心配するな。今日はあれをもてなす晩餐会だ。その間あの女は好きに使っていい」

「ひゅーっ! そうこなっくちゃな!」


 気を取りなすように放ったパトリックの一声に歓声が上がり部屋中が色めき立つ。


「いつまで呆けてるんだ! さっさと失せろ!」


 状況が理解できずおずおずと立ち尽くしていたアルは力一杯蹴飛ばされ、逃げるように男たちの臭気が充満した部屋から抜け出す。


 騒々しい部屋の雰囲気とは対照的に静まり返る広い廊下に出て初めてアルは人心地つく。

 西側にある僅かな窓からは傾き出した日が差し込む。


「アル様。ご主人様より、ご夕食前にお召し物を整えよと申し付かっております」


 出てくるタイミングを予期していたかのように扉の横で待機していた家政婦長がアルの視線を遮るように歩み出る。


「でも僕なんかが出たら、みんなに迷惑ですよ。片付けが終わってから、いつも通り控室でいただきます」

「そうは参りません。今晩はアダン様の歓待とミラン様の祝賀会を兼ねております。ご主人様のご命令は絶対ですよ」


 一歩後退るアルの手を強引に取った婦長は小走りになるアルのことなどお構いなしに足早に廊下を進み始める。


「あらら? そんなに慌ててどうしちゃったの?」

「!? アダン様、申し訳ございません!」


 日頃アルが寝食に使う小部屋への移動の最中、廊下の角で不意に遭遇した男の姿を見るなり婦長は血相を変えて頭を垂れアル諸共壁の隅へと身を寄せた。


「いったいどうしちゃったのよ。私にもみんなと接するときみたいにしてちょうだい――例えばそうね。いつもアルちゃんにしているときみたいにお願いするわ」

「お、恐れながら、お客様にそのようなご無礼はいたしかねます」


 額に汗を浮かべ小刻みに震える婦長をアダンはまじまじと眺める。


「そう言えばハルちゃんが見えないようだけど。あなたってアルちゃんのお世話、したことあるの?」

「はい。アル様が幼い頃に少しだけ……」


 未だ十分に幼いアルを前に苦し紛れの言葉を吐き俯く婦長は最早生きた心地がしなかった。


「ふーん。それで、アルちゃんの大事なお世話役のハルちゃんは今どこにいるのかしら?」

「あの、アダン様。ハルは水回りの掃除をしていると思います」

「アルちゃんを放ってお掃除? こんな時間に?」


 ダヌリス領は南東大陸において東側の辺境に位置している。

 しかし領内は山林から採れる魔鉱石や木材などの資源が豊富で、比較的気候にも恵まれているため農産物の出荷量も多く隣国との交易も盛んに行われている。

 何より、代々勇者を輩出する家系の公爵家ヌアザタートの後ろ盾もあり周辺領に比べれば格段に裕福である。

 領内の冒険者ギルドを牛耳れるのも公爵家の威光があってのことだ。


 故に辺境領の一邸宅にしては屋敷は広く、そこで働く使用人の数は常に五十を下らない。

 それだけの人数がいれば掃除に割ける人員も多く、午後には日が陰りがちな水回りなどは優先的に片付けられているのが普通だ。


 しかも、ハルは元々アルのお目付け役としてあてがわれたはずである。


「ハルは皆さんより仕事が遅いですし、夜目も利きます。いつもは皆さんが使用された後にするお仕事なんですが――そ、それに、僕のそばにずっといる必要もありませんし」

「うん、もう分かったわ。アルちゃんが弁明することなんてないのよ」


 額に手を当てたアダンは固く目を閉じ言い訳を続けるアルを制止する。


「つまりアルちゃん。ハルちゃんは何か特別な用事があってお仕事を先に片付けているのね?」


 自身の失言とアダンの指摘に「はっ」と息を飲んだアルは観念し、躊躇いながらサティスと交わした夕食の約束のことを打ち明けた。


「そんな大事な約束があったのね! すぐにハルちゃんを連れていってらっしゃい」

「え――?」


 予想に反して優しく背を押されたアルはアダンに対する義理と申し訳なさからすぐに立ち止まり、婦長の前に立つ彼を顧みた。


「早くお師匠様のところに行ってあげて。行ってたくさん甘えてくるのよ」

「――ありがとうございます、アダン様! 祝賀会には必ず戻ります!」


 深々と頭を下げたアルは手を振り微笑むアダンの姿を夕日と共に焼き付け、早足で廊下を進んでいった。




*アルベロン・ファン・ダヌリス(5)♂

<種族>ヒューム

・南東大陸シウテロテ王国ダヌリス伯爵領ダヌリス家五男

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