6. エドワード・ヴィクター伯爵令息2
狩猟祭は夏の盛りに催される。
空は雲一つなく快晴で、太陽は遠慮なく輝いて熱と光を降り注がせている。こんな中を制服の上から革製の防具を身につけて馬に乗り魔物を追い回すなんて、男子は本当に元気だなと思う。
「あぁ、エアコンもどき、最高……」
「はしたないぞ……」
「今だけは許して下さい。この服、すごく蒸すんです」
森の近くということもあり、狩猟祭の会場周辺は王都の中心より比較的涼しいけれど、癒し手の服は真っ白な服をふんだんに重ね着したヒラヒラふわふわしたもので、夏の快適とは無縁のデザインである。おまけに頭からすっぽりと透けないベールをかぶっているので、はっきり言ってすごく暑い。
神聖な癒しの力を操る癒し手にはハッタリも必要なのかもしれないけれど、怪我や病気を治す立場としてこの機動力の無さと汚れやすさはどうなんだろう。公爵家のテントにエアコンがついていなければ本気でやさぐれていたかもしれない。
そう、公爵家の観戦テントには贅沢にも氷の魔石による冷風機が稼働していて、テントの中は涼しいのだ。おまけに、望めばメイドさんが氷の浮いたドリンクを持ってきてくれたりする。
権力と財力ってすごい。野外テントなのにソニアの寮の部屋より確実にホスピタリティが上である。
と言ってもいいことばかりというわけもなくて、筆頭公爵家の天幕ということもあり、ひっきりなしに公爵家、侯爵家の令嬢や令息が挨拶にくるし、いちいちその対応をエヴァとヘンリーがしているのもお疲れ様だ。
そして私は新たな客が天幕に入って来るたびに、誰だこいつはというような目を向けられている。
癒し手の白いだぼっとした服で体を覆い、真っ白なヴェールを被っているので体形から顔立ちまで隠れていて、親が見たって私がソニアだとは分からないだろう。
まあソニアの父親は娘の顔を覚えているかも、大分怪しいけれど。
エヴァは自分に近い高位貴族としか付き合ってこなかったし、ヘンリーはちょっと前まで左右に女生徒を侍らせるプレイボーイだった。その二人の傍に侍ることを許されているなんてこいつは何者だろう。よほど凄腕の癒し手なのか? 公爵家の子息令嬢、どちらかの体調が良くないのだろうか。取り入る価値があるのかどうか。単純に気に入らないなど、値踏みされているのがベール越しにもひしひしと感じられる。
高位貴族って大変だなあと冷たいレモン水を飲んでいるうちに狩猟祭が始まるラッパの音が響き、来客も波が引くように途切れてくれてほっとする。
「やっぱり、エイドリアン様は不参加なのね……。このような催しをないがしろにされる方ではないはずなのに」
ぽつり、とそう呟くと、エヴァは気欝にため息を吐く。
将来の王国の治安を担う騎士のスカウトの場でもある狩猟祭は、王家も注目しているという体裁のために毎年王族が観戦に来るのが通例だ。特に現在は皇太子であるエイドリアンが学園に在籍しているので、少なくとも三年間はエイドリアンが観戦席にいるのが暗黙の了解になっているはずなのに、今は王族の中で比較的若い二人が代理で来ているようだった。
天幕から外を覗くと、続々と馬に乗った生徒たちが集合している。
学園の制服はそれぞれ学年によってジャケットの襟の色が違っていて、現在は一年が緋色、二年が濃緑、そして三年が青藍で、それに白銀のラインが入っている。遠目から見ると二年生が一番多く、次が三年生、一年はほんの数人というところだ。
王族も観戦にくる、優秀な成績を残せば高位貴族の私設騎士団や国の中枢への取り立てもある将来を見据えた腕の見せ所だ、そうなると、下手なところは見せられない。
入学したての一年生は観戦しながら会場の空気を掴む人がほとんどで、逆に二年生である程度の成果を出せば三年でそれ以下の結果を残すことを忌避して参加は見合わせるので、一番多い参加者は自然と二年生に固まるのがスタンダードな流れになる。
その中で颯爽と緋色の襟を見せつけているエドワードは、かなり目立つ存在と言えるだろう。
さすが攻略対象。一途で熱血で私の好みとは大分外れるけれど、きりっとした表情で馬を巧みに操っていると、五割増しでかっこよく見える。
「それで、いつ頃そのトラブルとやらは起きるんだ?」
「うわっ」
来客がいなくなったのをいいことに、こそこそと天幕の隙間から外を覗き見していると、後ろからずいっとヘンリーが身を乗り出してくる。
「うわっとはなんだ……」
「びっくりしただけです。ていうかヘンリー様、今日すごくいい匂いがしますね」
「……質問に答えてくれ」
褒めたんだし、そんなあからさまに嫌そうな顔しなくてもいいじゃんとは思うけれど、高位貴族のヘンリーにいい匂いがするとあけすけに言うのは確かによくなかったかもしれない。
「うーん、多分そう時間はかからないと思います。始まって三十分から一時間くらいかな」
狩猟大会は午前中に始まって昼下がりに終了のラッパが鳴り、そこから優勝者を決めて王族からのありがたい祝辞や優勝者を称える時間が取られる。全行程は八時間くらいなので、かなり序盤に問題が起きるはずだ。
「トラブルが起きたらあとは狩猟大会が終わるまでずっと討伐ですね」
「あの体力の怪物が立ち上がれなくなるまで疲労するなら、そうだろうな」
「今のうちに軽食を済ませておいたほうがよさそうね。ソニア、こちらにいらっしゃい」
エヴァに呼ばれていそいそと向かうと、ヘンリーも渋い顔でついてくる。
「当たり前のように姉上の横に座るようになったな」
「あら、ソニアはわたくしの友人なのだから、当たり前ではなくて?」
「姉上も、みだりに人を傍に置くものでは……」
「口うるさい弟でごめんなさいね。ソニア、この焼き菓子は公爵家の自慢の料理人が焼いたものよ。バターと砂糖をたっぷりと使っているからわたくしは普段はあまり食べないのだけれど、今日は特別に焼かせたわ」
「わぁ……あまーい! あ、口の中でとけちゃった」
エヴァの先端まで整えられている指先でつままれたクッキーを口元に運ばれて、ぱくりと食べると、舌先から至福が広がっていく。
表面に粉砂糖をまぶしたクッキーはがつんと甘いのに、口当たりはさっくりとしていて口の中でほろほろと崩れていく。勧められて紅茶を飲むと、香り付けされたアールグレイの華やかな香りと僅かな渋みがふわぁっと広がっていつまでも浸っていたい余韻だけが残る。
「うわあ、幸せ」
「ふふ、こちらも美味しいわよ。ビターなチョコレート味なの」
「姉上……姉上が食べさせるなど、おやめください」
「この子を見ていると、昔父上が遠征のお土産に連れてきてくれた小鳥を思い出すのよね。寂しがりで食が細かったけれど、私が差し出した果実はよく食べていたわ」
「ああ、あの濃いめの青の羽をした」
「ソニアの瞳の色によく似ていたわ」
「ふむ……確かに似ていますね……おい、なぜ顔を背ける」
ヘンリーのじっとりした目で瞳を覗き込まれる。美形すぎる顔の至近距離は目が潰れるのでやめてほしいだけだ。
「ヘンリー様、そういうのやめたほうがいいですよ」
「ん?」
「もう女性をタラしまくる気はないんですよね? 誤解されますよ。ただでさえ顔が良すぎるんだから、私は誤解しませんけど、好きになられて困る相手には適切な距離を取って下さい」
「……どう反応するのが正解か、わからない」
「適切な距離を取るのが正解です!」
びしっと言うと、口の中にサクホロなクッキーが突っ込まれる。
「このクッキーにはコーヒーも合うのよ。シャーリー」
「はい、ただいま」
エヴァが軽く声を掛けると、すぐに温かいコーヒーが出てくる。ふわふわのソファ、絶世の美女が食べさせてくれるサクホロのクッキーとほろ苦いコーヒー。
なにこれ天国?
「私の人生のピーク、今かも……」
「ほほ、狩猟祭が終わったら領地で育てている最上級の牛を使ったローストビーフを出してあげるわ。サシの入りが最高で、その脂は甘いとまで言われているのよ」
「ふわぁ……」
「畜産が有名でね。豚もとても美味しいの。最上級のシュニッツェルも出してあげましょうね」
なんたるご褒美。今が天国ならそっちは極楽というところだろうか。そんなことを考えていると、にわかに天幕の外が騒がしくなってきた。
「そろそろ始まるか? 姉上は念のために避難を」
立ち上がり、自前の剣の鞘をベルトに装着し、きりっと言ったヘンリーにエヴァは緩く首を横に振る。
「参加者と護衛たちが抑えるので、天幕までは魔物は来ないのでしょう?」
「ですが、確実な安全を取るならば……」
「ヘンリー、「歯車」がある限り、すでに国家を揺るがす事態の渦中にあるわ。どこにいても安全ではないのよ」
皇太子から国を代表する高位貴族の意思や立場をゆがめてシナリオを進める目に見えない「歯車」は、エヴァの言うように大いなる国の脅威だろう。
それも、その存在を信じてくれるのは実際に「歯車」に操られ、解放された人だけというのだから、味方の数はごく少数だ。
「できることは少ないけれど、私は必ずソニアを支えるわ。ヘンリーあなたもそのつもりで動きなさい」
「――分かっています」
真顔で視線を交わし合う姉弟の迫力はすさまじく、口の中のクッキーを飲み込む音が響きそうで怖いくらいだ。
「問題が起きても力尽きたエドワードがこのエリアまで引きずられて回収されるには時間がかかるはずですから、それを待ちましょう!」
重い空気を変えたくてお道化て言うと、エヴァとヘンリーは同時にこちらを振り向いて、ふっ、とそっくりな笑みを――失笑かもしれないけど――を漏らす。
「そうね。気を張っていざというとき動けないのがもっとも愚かだわ。ソニア、こちらのマドレーヌもお食べなさい」
「僕も軽く腹に入れておくか……。シャーリー、ソルトクッキーかチーズクッキーはあるか?」
「ご用意いたしております」
ヘンリーは甘すぎるクッキーはそれほど好まないらしいけれど、しごできなメイドさんはさっと新しいボックスを用意する。
「今年の春の紅茶はどれも出来がいいですね」
「ええ、フレーバーティーもいいけれど、これだけ質が高いとストレートが一番ね」
外では段々キャーとかうわー! という悲鳴が響いてきているけれど、何かあっても中から声を掛けるまでは周囲の護衛を務めるように言い含めてあって、天幕の中はなんとものんびりとしたものだ。
これでいいのかと思わないでもないけれど、あーんと運ばれてくるお菓子はどれも至上の味で、まあ、いいかという気持ちになる。
「こんなに食べたら、太っちゃいそう」
「ソニアはちょっと太っていても可愛いと思うわ」
「えへへ、そうかな」
エヴァほどの美女がそう言うなら、そうかもしれないという気持ちにさせられるから危険だ。
甘い時間はこうして過ぎていくのだった。