30. 皇太子・エイドリアン・ヴァレンティン・ラヴェンステッド7
「殿下と接触の機会、ですか……」
「歯車」から解放されて以来学園内で積極的に暗躍していたらしいトリスタンが、久しぶりに公爵家に来ていた。
ここしばらくは本当に忙しかったらしく、前回会った時より心なしか少し痩せた気がする。それでも暗躍の結果「討議会」はかなりいいところまで追いつめたらしく、機嫌そのものは悪くなさそうだった。
「殿下は人目のない場所で誰かと二人きりになること自体が、まずあり得ない。今の状況は相当なイレギュラーであり、最大のチャンスだとは思うのだが……やはり、強引にいくにはソニア嬢のリスクが高すぎるのが問題になってしまうな」
エイドリアンは皇太子であり、次期国王という身分だ。あちらから触れてくるのはともかく、ソニアからガバッといくのは不敬罪として、下手をすれば最悪の事態になりかねないことはすでに警告されていた。それもあって、強引な手段に出ることができない状態なのだ。
「女性ならば、寝所に呼ばれるのが最も確実なのだが……いや! もちろん! 殿下はそのようなことは決してなされないお方だが!」
エヴァの冷たい視線に気づき、トリスタンは慌ててそう言葉を付け足す。
私だってそれで「責任」を取られるのは、何重にもごめん被る展開だ。
「そんな発想が出てくるなんて、トリスタン。あなたもしかして、殿下に愛妾の斡旋でもするつもりなのかしら」
私たちはまだ学生なので、そういう話自体身近なものではないけれど、臣下や友人から愛人を斡旋されることは、貴族の世界では珍しくないのだという。
特に高位貴族や王族になると愛人にも格のようなものが求められるらしく、女性側も自分を囲う男性をきちんと選ぶのだという。むしろ我がシュレジンガー家の父のように使用人に手を付けて妊娠させて、という方が珍しいくらいらしい。
「私もそこまでは考えていないし、殿下もお望みにならないだろう。なによりソニア嬢には私も恩義がある。彼女がそれを望むならばともかく、そうでないならソニア嬢の身柄を利用するような真似はしませんよ」
「そう、賢明なことね」
エヴァが扇を開いて口元を隠し、目を細める。優雅に笑っているけれど、これは「怒」であるのはソニアにも分かる。
トリスタンは作中屈指の頭脳派キャラであるはずなのに、エヴァの前だと全然そうは見えなかった。エヴァが迫力ありすぎるせいかもしれない。
「……「歯車」がほとんどの人間には見えないなら、それを壊すところも人目を憚る必要はないのだろう? その上で責任が発生しない状態で体を密着させるならば、やはりダンスが一番手っ取り早いだろうな」
「そう思ってダンスの練習に誘えないかなと思ったんですけど、全然そんな空気になりませんでした」
「殿下は慎重なお方だ。学園の端の廃温室とはいえ、いつ誰が通りかかるか分からない場所で誤解を招くような振る舞いをするはずがない」
そこだけ切り取れば、ダンスの練習に付き合っているのか抱き合っているだけなのかなんて区別はつけられないし、どんな話にも尾ひれはつけようと思えばつくものだと、トリスタンは続ける。
そこで自慢げに胸を張るのは、エイドリアンに対するトリスタンの忠誠心の現れなのだろう。他の人には何かと厳しいエヴァもエイドリアンには心を砕いているので、元々のエイドリアンはきっと、本当に素晴らしいひとなのだろうと思う。
今の振る舞いには多少の反感を覚えてしまうけれど、それが「歯車」に歪められた結果なら、やっぱり早く元に戻してあげたい。
「これまで壊した「歯車」は、エヴァが一番大きかったけど、殿下の「歯車」って、それ以上なんですよね。数秒では壊しきれないかもしれませんし……。あ、でも、キスは避けたいです」
「当たり前だろう!? 君は何を言っているんだ!」
それに大きく反応したのは、ヘンリーだった。不本意な口と口の接触を思い出して腹が立ったのか、頬も耳も真っ赤に染まっている。
そんなヘンリーを見ると、こっちまでちょっと頬が熱くなってしまった。あれはただの事故だと分かっているし、基本的に紳士であるヘンリーにとっては不本意だったこともちゃんと理解しているけど、そんなに嫌がられるとちょっと拗ねたような気持ちになってしまっても、仕方ないと思う。
「ヘンリー様の「歯車」を壊した時が、一番手ごたえがあったんですよ。感覚としては密着する面積と時間が大事ですけど、その深さみたいなのも、結構関係あるのかもと思って」
「いや、いやいや、いやいやいや」
「だから、私も嫌なんですってば! 有効な方法なのはそうだけど、エヴァの婚約者とキスなんてしたくないから、その方向で考えてほしいってことです!」
エヴァがエイドリアンを本当に大事に想っているのはちゃんと判っているし、私だってそんなことはしたくない。
乙女としては唇を大事にしたい気持ちだってある、一応!
「――初夏を迎える舞踏会で、ダンスを踊るのはどうでしょう。学園に復帰していないにも関わらず足しげく廃温室に通っている以上殿下がソニア嬢をいたく気に入っているのは間違いないでしょうし、夜会に参加していればダンスを申し込んでくる可能性はかなり高いと思いますああもちろん! ソニア嬢を気に入っているのは「歯車」に操られているからですけれど!」
「私に忖度する必要はなくてよ、トリスタン」
「いえ、エヴァ様のような素晴らしい婚約者がおられるのに殿下が他の女性に目移りするなど、断じてあり得ませんので」
「ふん……」
エヴァはあまり愉快ではない様子で顔を逸らした。大丈夫だろうかと心配していると、その視線に気づかれて、そっと微笑まれてしまう。
「とりあえず廃温室での密会は続けて機会を探りながら、舞踏会でのダンスも視野に入れましょう。あなたのドレスも用意しなければね」
「うん。まあ私、ダンスあんまり踊れないんだけど、結果的に「歯車」を壊せさえすればいいから、近づくきっかけになるならいいかな」
「ダンスは授業で学ぶし、学園に入る前に家庭教師にもついてもらったんだろう?」
「いやあ、授業では組んでくれる人がいないので……それに、ああいうのって踊っていないうちに、忘れませんか?」
ステップの基本は習ったけれど優雅さに欠けると言われてしまったし、ああいうものは体にリズムを覚えさせるのが大切なので、そもそも場数を踏んでいない私としては、今すぐダンスをと言われたら踊れるかどうかはかなり怪しいところだ。
「……王宮の舞踏会で王族を相手に不格好な真似をすれば、その後が目立ちすぎる」
「あー……あはは」
「私が特訓してやる。心配するな。悪目立ちしないところまでは、必ず身につけさせてやるから」
恥をかかせまいと思ってくれているのは伝わるし、力強く言うヘンリーに、いえ、卒業後に必要な技術ではないのでほどほどでいいですとは言いにくい。
「じゃあ、お願いします」
こうして学園生活の傍らエドワードから逃げ回り、時間がある午後は廃温室でエイドリアンと密会しつつ放課後はジュリアン先生の話し相手をし、夕食後はヘンリーとダンスの特訓をすることになってしまった。
私って、ちょっと働きすぎではないだろうか。
なぜか一番甘やかしてくれるのが悪役令嬢だったエヴァということも含めて、私の立場はどんどん混沌となっている気がした。




