22.閑話・男の意地と可愛い子たち
元気に振る舞っていても、慣れない服と場所、緊張感の連続で疲れていたのだろう、途中からウトウトしはじめたソニアをシャーリーに任せ、居室にある使用人用のベッドまで連れていくよう指示を出す。
先ほどから弟のヘンリーはソニアの様子が気になって仕方がない様子だ。大方、寝顔をトリスタンに見られたくないとでも思っているのだろう。
――本当に、随分可愛くなってしまったこと。
ヘンリーは昔から、賢く器用な子供だった。反面純粋さや純朴さといったものからは遠く、物事に冷めた目を向けるような、そんな弟だった。
それに関してはエヴァリーンも人のことをどうこう言えた義理ではない。自分もまた、筆頭公爵家の娘として周囲から期待される自分として振る舞い続けてきたので、結局は似たような姉と弟だったのだろう。
今後の動き方をまとめ、トリスタンが退出した後は、どこか気の抜けたような空気になった。身内だけの気安さといえばそれまでだけれど、そんな気安さを弟に感じるようになったのも、ソニアと出会ってからだ。
「今頃、小鳥たちが木陰でけたたましく囀っているでしょうね。早々に場内から姿を消した、弟にエスコートされてきた公爵令嬢のことで」
「家内の者に情報は収集させています。あまりに目に余る発言は、きちんと記録していますので」
多少の悪口も社交のうち、そして度が過ぎれば警告を受けるのも、これまた社交のうちである。老獪な貴族たちはそのギリギリのところでダンスを踊るようなやり取りを楽しむ余裕すらあるけれど、今日は若手の貴族ばかりが集められているパーティだ。
どこまでが許容範囲でどこからが禁足地なのか、まだ曖昧な小鳥たちには時々こうした学びの場が与えられ、巣立ちもまだなのに好奇心強く巣から飛び出した小鳥の行く末は、本物の小鳥と大して変わらない運命だろう。
「お疲れ様。正直小鳥の囀りくらい放っておきたいところだけれど、どこから火種が燃え上がるか分からないのだから、疲れる話よねえ」
弟を労い、扇で口元を隠し、ほう、と息を吐く。
「あなた、そういうところはちゃんと貴族らしい小器用さがあるのに、どうしてソニアに対してはああも上手くいかないの?」
急にソニアの話を振られるとは思っていなかったのだろう、ヘンリーはぎょっとしたように顎を引き、それから渋面を作ってみせた。
先ほどまでの怜悧で冷静な「公爵家の後継、ヘンリー・マクシミリアン・モンターギュ」の顔がぼろぼろと剥げ落ちたようだ。
「……それは、私も知りたいくらいです」
「まあ、特別な相手というのは、そういうものなのかしらね。――それで、脚はもう大丈夫なのね?」
本人は無意識なのだろう、トラウザーズの上から軸足である左脚の腿の上に、手を添えている。視線を向けるとヘンリーは苦笑して、そっと手を退かした。
「多少痛みますが、控室で癒し手に治してもらったので、大分マシです。むしろ今より、明日から数日がひどく痛むでしょう。今から憂鬱ですよ」
「その程度で済んでよかったわ」
身体強化は、肉体に魔力を流し込み強引にその機能を底上げするものだ。一時的に脚力や腕力を高めても、人間が普段使っている以上に筋肉が増えるわけではない。
無茶を強いられた筋肉は多くの場合強く損傷し、場合によっては断裂することもある。
そうした傷は癒し手の力によって修復が可能だが、強力な癒し手というのはそう多くはない。王宮に勤めている癒し手でも、ある程度の修復と痛みを和らげる程度だ。
「それで、ここまでソニアを抱いて運んだのだから、見上げた男意気ね。そこは褒めてあげる」
「……彼女のドレスを血で汚してしまいましたがね」
「ふ、ふふっ。折角格好つけたのに、あなたときたらどうしてもソニア相手には抜けてしまうのねえ」
ヘンリーがやらなければトリスタンがそうしていただろう。ヘンリーは男の意地を見せたというわけだ。
ソニア自身がかなり強い癒し手の力を持っているようなのに、そこで君に癒してほしいと言えないところが減点ではあるけれど、それもまた、男の意地というものなのだろう。
「姉上。笑いごとではありません」
「笑っていたほうがまだマシよ。あなただって、そろそろあの子の異常さに気づいているのでしょう」
「………」
いくら初めての恋に目がくらんでいても、ヘンリーは高位貴族の後継者として育てられている。とりわけ人間関係に関しては鼻が利くタイプだ。そうでなければ「歯車」に操られていた上での不本意な行動だったとはいえ、貞操に厳しい貴族学園の中に於いて複数の女生徒とチャラチャラとした距離感を持ち、かつ問題になるギリギリのラインで、令嬢たちの家が出てこないバランスを保ち続けられたわけもない。
本人は後悔しかない二年間のようだけれど、あれもまたヘンリーの貴族としてのバランス感覚の成せる業だった。
そんなヘンリーが、ソニアを中心に起きている変化に無頓着でいられるわけもない。
「あの子は「歯車」を壊すことで、自分は晴れて自由の身になれると思っているみたいだけれど、あなたには恋慕、エドワード・ヴィクターは執着、ジュリアン・オーガスタスは好奇、そしてトリスタン・エドモンドは庇護欲かしら? 「歯車」を壊された後だって、それぞれがあの子に強い執着を見せているじゃない」
ソニアがそれに無頓着でいられるのは、エドワードの奇行にはエヴァリーンが裏で手を回しソニアと接触させないようにさせて、研究塔には常にヘンリーが同道しているからだ。
それでも、とうとうエドワードと出会ってしまい、案の定迫られたのだという。
トリスタンの方はまだ家の断絶さえ視野に入るような問題を前に多少の自制が利いている様子だけれど、それが終わったらどう出るかはわからない。
誰も彼も未来の国の重鎮、高位貴族の子息たちだ。ソニアが愛らしい容姿をしているからといって、これはさすがに異常だろう。
「これは確認なのだけれど、あなた、本当に「あの子」が好きなの?」
「歯車」を壊しても、それ以外の何かに操られているのではないか。それを自覚できるとすれば、魔眼の持ち主であるヘンリーだけだ。
「……自分の気持ちの真贋など、自分で分かるわけもありません。ですが、そうであると思っています」
「ふぅん……ならばいいのだけれどね」
「そういう姉上はどうなのですか。らしくなく、随分大事にしているではないですか」
やられっぱなしであることが悔しかったのだろう、果敢に言い返してきたヘンリーに、くすりと笑う。
「わたくしは、そうね。あえてソニアへの感情に名前をつけるとしたら友愛……いえ、愛着というところかしら」
「愛着、ですか?」
自分がソニアに抱く感情に、適当に名前を付けようとしてみたものの、思いのほかしっくりときてしまって扇で口元を隠す。
小さくて、ころころと表情を変え、自分の感情を隠すのが下手な女の子。美味しいものを食べて美味しいと笑い、傷ついている人がいれば慰め、自分の将来のためだと言いながら過剰な欲は全く持ち合わせていないらしい。
貴族社会の中においてはあまりに無防備に過ぎるけれど、そうでなければ「歯車」を背負っている王家や公爵家に対してなんとかしようなどという発想さえ出てこなかっただろう。その家の圧倒的な力におののき、一人で遠くに逃げてしまったほうがよほど安全というものだ。
けれど無邪気で無鉄砲で飾り気のない、そんなソニアだから、自分はこんなにもソニアを気に入ってしまった。
「わたくしは、生まれたその日から次期国王である殿下を支えるべく教育されてきたわ。子供っぽく母上に甘えることも、あれが欲しいと父上にねだることも憚られて、常に最高の令嬢として振る舞うことを求められてきた。ああ、それを恨んでいるわけではないのよ。私にはそれをやる義務があったし、能力もあったと思っているもの」
それは本当のことだ。
エヴァリーンは昔から「できない」と言うのが嫌いだった。
皇太子であるエイドリアン自身が完璧な皇太子であろうと努力していることを知っていたから、他の誰かにできることが自分にはできないならば、彼の隣に立つ資格などないのだと思っていた。
「――でも、きっと心の中にいる小さな子供のわたくしは、可愛らしいぬいぐるみを抱きしめたり、懐いてくる子犬を思い切り可愛がったり、そんなことをしてみたかったのね」
「姉上……」
その代償行為としてソニアを可愛がっているのだと言われれば、そうなのだろう。
ソニアが現れなければ、エヴァリーン自身が一生、そんな自分の欲に気づくことはなかったはずだ。
「わたくし、ソニアのことが可愛いわ。あの子は幸せになってくれなければ嫌よ。大好きな相手に大切にされて、この世界のどこかであの子は今日も幸せに暮らしていると思いたいの。そうでなければ、多分私は、最高の令嬢にも立派な王妃にもなれないわ」
「……姉上も、幸せにならなければなりませんよ。姉上とソニアの幸せは違う形をしているでしょうけれど、姉上が幸福でないと知れば、どこかにいるソニアも心を痛め、幸福とは言えないでしょう」
「……ふ、生意気だこと」
「姉上、殿下を「歯車」から解放しましょう。この馬鹿げた茶番劇を終わらせ、全てを元に戻すのです。――ソニアの争奪戦に関しては、私も努力しますので」
「……殿下がソニアを見たら、どんな感情を抱いてしまうのかしらね」
きりりとやけに格好よく宣言した弟に、くすっと笑う。
「殿下は昔、妃はわたくしだけでいいと言ってくださったけれど、正直わたくしはソニアとなら上手くやっていける気もするわ」
「姉上!」
慌てて立ち上がり、脚が痛んだのだろう、うっと顔を顰めた弟に、笑う。
貴族らしい弟は大変頼もしいけれど、やはり自分は、この「可愛い」弟も気に入ってしまっている。
「がんばりなさいなヘンリー。そのためならわたくしもあなたにどんな力だって貸してあげる。女官も第二妃も悪くはないとは思っているけれど、わたくしもソニアは、妹であるほうが嬉しいもの」




