21.トリスタン・エドモンド侯爵家令息7
さすが次期王妃と高位貴族の後継ぎ二人が揃っているだけあって、そこから先はかなり専門的な話になってしまい、私にはついていけない展開になっていった。
「討議会」の最終的な目的がクーデターである限り、体制側である三人にとっては今の時点で国賊も同然だ。けれどすでにトリスタンは「討議会」とかなり深く接触してしまっていて、今彼らを捕縛すればそのメンバーの一人として捕らえられてしまいかねない。
高位貴族は絶大な権力と財力を持っているけれど、それだけに敵も多いのだという。どこで足元を掬われるか分からないので常に警戒が必要だし、反体制組織との関りは一族郎党連座もあり得る大問題だ。
私を含むエヴァやヘンリーは、それが「歯車」に操られてのことだと分かっているけれど、他の人には説明のしようがない。現状でトリスタンは、親兄弟にすらその秘密を知られたら、家に累が及ばないよう毒杯を渡される立場になりかねないらしい。
嫡男でもトカゲのしっぽみたいな扱いされちゃうんだ……なんとも世知辛い世界だ。
「その状況を避けるには、なんとしてもそれ以上の成果が必要だ。しばらく学園から足が遠のいていたが、明日からさりげなく登校回数を増やし、慎重に接触しながら証拠が出そろったら、殿下に献上しよう」
「いや、それは殿下の「歯車」を壊した後の方がいいだろう。「歯車」に操られている以上、明らかなクーデターの証拠が揃っていたとしても、殿下がどう判断されるか、予想ができない」
ヘンリーの言葉にトリスタンが不快げに眉を顰めるけれど、エヴァもそれに同意したことから、渋々だが納得した様子だった。
「そもそも、どうしてあなたは……エイドリアン殿下は、学校に来なくなってしまったの? これまで顔を出していた行事への参加もほとんどなくなってしまったし、今日のパーティの主賓にもいなかったわ」
「殿下は、気鬱の病なのだそうだ。二年ほど前からふと落ち込まれることが多くなっていって、最近は人の多いところは特にお嫌いになる。公務はきちんとこなされているので主治医は遠からず回復するだろうと言っているが……」
このあたりの理由は聖プロで語られていた。
エイドリアンはこの国の第一王子であり皇太子に定められているため、将来は国王になることが決定しているし、そのために周囲を次期宰相のトリスタン、騎士団長のエドワードといった優秀な……一応優秀らしい側近で固められている。
公爵令嬢であるエヴァという婚約者もいて、一見なんの陰りもない皇太子だけれど、いつも完璧な王子として振る舞っていることが、エイドリアンには重荷だった。
公務をやるだけなら、血筋のいい令嬢と結婚するだけなら、別に自分でなくても構わないのではないかという気持ちが常に心にあり、腹違いの弟たちが優秀であることも相まって、じわじわと追い詰められているのだ。
「殿下が王宮に籠られている以上、接触できるのはトリスタンとエドワードを含むほんの数人ね。外に連れ出すことはできそうかしら?」
「いや……外交が絡むようなよほど重要な公務ならばなんとかなるかもしれないが、しばらくその予定もない」
「殿下を人気の少ない、こちらの事情を知っている者しかいない場所に連れ出して、「歯車」を壊すチャンスを作るか。……そもそも殿下の周りに侍従や召使がいない状態は学園くらいしかないから、学園にお出ましいただくのが最も確実だろうが」
「今の殿下には、学園は決して重要な場所ではないのでしょうね。……わたくしとの仲が良好ならば、口実をつけてモンターギュ家に来ていただくことができたかもしれないけれど」
僅かに肩を落とすエヴァの手をとっさに握ると、エヴァはこちらを見て、優しく目を細めた。
「あのっ、それなら私がなんとかできるかもしれません」
「――それは、君の予知能力によるものか?」
ヘンリーの問いかけにこくりと頷く。
エイドリアンが攻略対象で、いまだ「歯車」に操られている状態ならば、彼のルートは生きていて、ある程度シナリオに沿った動きをするはずだ。
それならこの冬、皇太子エイドリアンはヒロインであるソニアと出会う可能性が高い。
人の多いところを苦手としているのは、その人々の未来を自分が支えていく自信のなさの表れで、エイドリアンは決して人間を嫌っているわけではない。
むしろそんな風に悩むのは、この国を強く愛しているからだ。
学園に滅多に姿を現さないので、攻略難易度は最難関だけれど、ソニアとは王都で開催される冬まつりに、お忍びで出かけた際に出会うことになっている。
将来は市井に下ることになっているソニアはあまり買い食いはできないけれど、せめて冬まつりの名物であるライトアップを見ようと広場に出かけ、財布を摺られてしまうのだ。
月々の支給金が少ないソニアにとっては年内いっぱいの食費が入った大切な財布である。そんなものをぶら下げて人ごみにいかないでよと、実際その立場になった私なんかは思うわけだけれど、ともあれシナリオではそうなっていた。
そうして心細さにオロオロとしているソニアに手を差し伸べ、王都の治安の悪化を詫びて、その手に金貨を一枚落とし、エイドリアンは姿を消す。
ソニアはその洗練された仕草に憧れ、いまいち馴染めなかった貴族学園での生活に懸命に馴染もうとするのだ。
というわけで、このルートは学園生活の一年生中盤まではほとんどイベントがなく、ソニアも成績のパラメーターはイマイチに抑えなければならないと、色々と発生条件が厳しい。
ただその分後半から春にかけてのイベントはてんこもりで、身分を隠しているエイドリアンと懸命に生きている子爵令嬢のソニアは次第に心を通わせていく。
元々平民育ちのソニアを嫌っていた悪役令嬢のエヴァは、それに気づいてさらに過激ないじめをソニアにするようになって――というのが大まかな流れだ。
「それは、金貨に惹かれたわけではないんだよな?」
「そんなわけないじゃないですか! そりゃあ金貨は魅力的ですよ。魅力的ですけど、そんなわけないです!」
「情報が増えていないな……」
「この子が金貨目当てなら、もっと楽だったのでしょうけどねえ」
エヴァは片手で扇を持ち、もう片手でなでなでと頭を撫でてくる。
「それならば、冬まつりの会場でなんとかなるか?」
「冬まつりはかなりの人混みだ。そんな中で抱擁などして、学園の生徒に見られてしまったらエイドリアン殿下の悪評につながる。なによりメアリー嬢の将来は、最悪の展開になるだろう」
重たく告げるトリスタンの声は、決して冗談を言っているものじゃない。思わず息を呑んだあと、おそるおそる挙手をする。
「あのう、参考までに、誰かに見られたらどうなるのか教えていただけますか?」
「貴女が貴族の身分のない女ならば、公衆の場で王族の体にみだりに触れた罪で投獄、さすがに斬首はないだろうが、重い罰金刑というところだろうか。……正直、女囚、特に平民に対して、この国の扱いは決して人道的とはいえない状態だ。その間、多くは官吏たちのなぐさみも――」
「もちろんそんなことは我々がさせないがな! ない場合を考えていては、いざという時に恐怖心で動けなくなるだろう!」
突然大声を出したヘンリーに驚いたものの、いつもなら大声を出すのではないわ、と冷静に告げるエヴァは、珍しくそれを咎めなかった。
「えーと、後学のために、もし、もしですよ? 私に貴族籍があった場合は」
「手を付けた女性の身分を保証するのは、男としての当然の役目だ。国の代表である王族がその原則を破れば下の者への示しがつかない。エヴァリーン嬢との婚姻が済み次第、身分によっては第二妃か、愛妾のどちらかになるだろう」
私は愛人否定派である。「歯車」を壊した後であっても、相手が王族だろうとも、第二妃も愛妾も、超バッドエンドだ。
「大丈夫よ、ソニア。勿論そんなことにはさせないわ」
先ほどのヘンリーとまったく同じ言葉をエヴァは繰り返し、宥めるように背中を撫でてくれた。
「その時は、わたくしの持つ全てを使って、貴女を助けてあげる。だから貴女はなにも恐れる必要はないわ。その時がきたら、チャンスは必ず掴みなさい」
「エヴァリーン嬢、それは」
黄金の薔薇のようなエヴァは、ふっと優しく微笑んだ。
本当に綺麗な笑みなのに、なぜかトリスタンはぶるっ、と身震いする。
「トリスタン、わたくしは殿下を心からお慕いしているし、殿下とともにこの国を支えていくためにこれまで生きてきたわ。けれどこの可愛い菫も、とても気に入っているの」
そうして、扇で口元を隠し、ほほ、と短く笑う。
「可憐な花を徒らに手折るような方に、わたくし、お仕えする気は起きないと思うわ」




