17. トリスタン・エドモンド侯爵家令息3
パーティは、絢爛豪華の一言だった。
アーチ状の高い天井には緻密な天井画が描かれ、キラキラと輝くシャンデリアが等間隔に並んでいる。床はピカピカに磨き上げられ、その上を色とりどりのドレスを着た淑女とそれをエスコートするジュストコールに身を包んだ紳士が背を伸ばし颯爽と進む。
身分が高い順に会場に呼ばれるので、待ち時間も結構発生する。今回は若手だけのパーティということもあり、招待客は六十人程度、侍女やシャペロン、侍従といった付き人を合わせると二百人から三百人ほどの参加者というところだろう。
多いなと思ったけど、有力な貴族は有事の際にどんな事態にも対応できるよう人と予備のドレスやジュストコール、宝飾品などの用意もあるので、それを管理する使用人の数も増えるのだそうだ。令嬢や令息に従う使用人以外のそうした人たちは、それぞれ宮廷に与えられた居室で待機しているとのこと。
有力貴族になると宮殿内にその家が利用できる控室兼専用の居住部屋があるし、モンターギュ公爵家は当然、広い居室を持っている。
ちなみにこれは、タウンハウスの維持と同じ程度の賃貸料を払う必要があるらしい。
招待客が入場し終えると、国王陛下の祝辞とパーティ開始の合図が出される。ざわざわと周囲のざわめきが増していく中、ヘンリーにエスコートされたエヴァは颯爽と一人用にはかなり大きなソファに腰を下ろした。
パーティのメインは社交であるけれど、そこら辺にいる人とのべつ幕なしにお喋りをするというものでもなく、筆頭公爵家ともなれば会話をする相手を選ぶ権利はエヴァやヘンリーの方にある。こうして決まったソファに腰を下ろし、あらかじめ侍従に申し出のあった貴族の中から身分の高い順に訪ねてきて談笑をし、それが終わったら次の予約した人が、という形なのだそうだ。
一対一の場合もあれば、四、五人で椅子を囲んで会話をすることもあるらしい。当然というべきか、人数が多いほど身分は下がり、一対一はよっぽどの場合、相手が王族の一人であるなどに限定されるのだという。
「予約制なら、別にパーティでやる必要ないような」
「王家主催のパーティに参加することの可能な身分で、かつ相応しい装いをしている方の選別も兼ねているのです」
談笑中の侍女の仕事はほとんどないので、シャーリーさんに小声で教えてもらう。パーティで毎回同じドレスを着るだけであの家は妻や娘にドレスを買い替えてやる余裕がない、愛情がないと判断されてしまうらしい。
結婚は政略的なものであっても、娘の嫁ぎ先が妻を大事にしない家であるのは当主にとっても面白いことではないらしい。両家のつり合いは大事でも、同じ条件ならより娘や孫を大事にしてくれそうな家を選ぶのが人情というものなのだそうだ。
すごい。シュレジンガー家の当主――まあソニアの実父のことだけれど――にも爪の垢を煎じて飲ませたい心意気だ。
もっとも、貴族の見栄や体面を重んじるあまりドレス代や宝飾品で財政が悪化する家も少なくないのだとか。
女性側も同じドレスを着ていると思われないよう一部が取り外しできて入れ替えてパターンを作ったり、仕立て直しをするというのも頻繁に行われているらしい。
貴族については詰め込み教育で最低限のことしか知らない上に私服が少なく、どこにいくのも制服を着ている私にシャーリーさんは色々と教えてくれた。
「ええ、今年は葡萄がとても豊作だったようね。収穫に人が足りないという話は私も耳に入っていますわ」
「豊作なのはとても良いことなのですが、その分葡萄の病気も多く出てしまっていて。大量のワインを仕込んだ一方、品質は去年より少し下がるのではないかと父が懸念していましたわ」
「何事もいい面と悪い面があるのねえ。冬の間は私も領地に戻ると思いますが、あなたの領地はその通り道ですし、よろしければ数日滞在させていただけないかしら。新酒の味見もしてみたいわ」
「まあ、是非おいで下さい。両親にも伝えておきますわ」
「あら、それでしたらうちの領もいかがでしょうか。海が近いので冬の海鮮が特に美味なのですよ」
「春になったら是非我が領にも足をお運びくださいませ。採蜜用ですが、花畑がそれは素敵なのですよ」
「あら皆様、わたくしはひとりなのですから、順番ですわよ」
「あら、おほほ」
うーん、エヴァは本当にすごい。あの圧倒されるような美しさながら、丁寧に話を聞いて相手に言葉を返す。強引に迫ってくる相手がいればそれをさりげなく躱すのも上手だ。
この二年くらいのエヴァは気位が高く高慢な態度も多くなっていて特定の取り巻き以外は近づけさせなかったと聞いているけれど、今回のパーティでは取り巻き以外の貴族の令嬢たちの挨拶を多く受けているらしい。最初はおっかなびっくりだった令嬢たちも、エヴァが優しく、丁寧に返事をしてくれるので、段々緊張感が取れてきたようだった。
「エヴァ様、最近は随分雰囲気が柔らかくなられたのね。ようやく危機感が芽生えたのかしら」
妙に棘のある言葉に驚いてそちらを見ると、エヴァのソファの横の令嬢がいつの間にか入れ替わっていた。
癖のある赤い髪を高く巻いて、金の櫛で留めそこから真珠を垂らしている。エヴァに勝るとも劣らない細やかな刺繍の入った豪奢なドレスを身に纏い、鳥の羽をあしらった扇で口元を隠している令嬢だ。
あの人は私も知っている。魔法学園の三年生、つまりエヴァと同級生にあたる先輩で、シャンピニオン公爵家の令嬢マデリーンだ。
なぜ知っているのかといえば、学園の中でもすごく目立つ人だからだ。サロンや高位貴族用のテラスでのんびりと過ごすことを好むエヴァと違い、マデリーンは後ろに取り巻きをぞろぞろと従えて風を切るように学内を歩き回っている。廊下ですれ違いそうになると相手に道を空けるようにきつく言うので、一年生や二年生は彼女を見かけるとそそくさと別の道を選ぶくらいだ。
「ここ数年は、エイドリアン殿下と個人的な交流も絶えているというではないですか。ところで、今夜はどなたのエスコートでこちらにいらしたのかしら」
婚約者にエスコートしてもらえないのは、令嬢としては大きな恥になるらしい。この口ぶりだとエヴァがヘンリーのエスコートで参加していると知っていて、意地悪を言っているのだろう。
なんだこいつと思っても、侍女が食って掛かる訳にもいかない。そんなことをしたら、エヴァに迷惑が掛かるだけだ。
ヘンリーなんとか言ってやってよと視線を向けると、ちょうどあちらもこちらを見ていたらしく目が合う。意図もはっきり伝わったと思うけれど、それにヘンリーは小さく、周りには分からない程度に首を横に振った。
「大丈夫ですよソニア様。エヴァ様は――」
「あら、ほほほほほ」
エヴァは扇を畳み、笑みを周囲に見せる形で高らかに笑う。普段は強い感情は扇で隠しているエヴァにはとても珍しい態度で驚いていると、畳んだ扇をぱん、と手のひらで鳴らす。
「なにが、おかしいのかしら」
「ああ、ごめんなさいねえ。シャンピニオン公爵家はモンターギュ公爵家よりも随分後の入場ですものね。わたくしをエスコートしたのが誰か分からなかったことを笑うなんて、失礼な振る舞いでしたわね」
「な……」
「どうかお怒りにならないで、マデリーン様。私も驚きましたの。入場の呼び方は我が家に続いていつも三番目だったのに、今回は公爵家の中で最後になられていたでしょう? そちらに気を取られてしまって、配慮が足りませんでしたわ」
入場は身分が高い順に呼ばれ、それは専門家によって順番が厳密に定められている。
身分が同じならば、その家の権勢や国家にどれだけ貢献しているか、当主や一族に名声の高い者がいるなど、様々な基準が設けられていて、その中で前後が変化する。
上がるのは名誉で、下がるのは不名誉だ。
「お許しくださいね、マデリーン様」
エヴァはにっこりと微笑む。
お前ごときに扇で表情を隠してやる必要もないと言わんばかりだ。
「ふふ、確か二番目のお兄様が決闘で敗北なさったのでしたかしら。しかも騎士の婚約者に、わたくしたちが口に出すのも憚られるようなことをなさった上での決闘裁判だという話でしたわね。本当にお気の毒。命を落とさずに済んだそうで、良かったですわ。ああ、剣だけ代理の騎士に渡して代わりに決闘してもらったのでしたかしら?」
「な……」
「追って、モンターギュ公爵家からお見舞いの品を贈らせていただきますわね。我が領で採掘される上等な鉄から打った剣などいかがかしら。決闘で折れてしまったと聞きますし」
「……、失礼、お話の途中ですが少し気分がすぐれないので、これで退出させていただきますわ」
「あら大変。どうか気を確かにもたれてくださいね。回復をお祈りいたしておりますわ」
マデリーンはきつくエヴァをにらみつけると、それ以上何か言うことはなく、侍女を連れてそそくさと立ち去っていった。
「――エヴァ様は、負けられませんから」
「みたいですね。というか、全然相手になってませんでしたね」
途切れた言葉の続きを言ったシャーリーに、頷く。
ヘンリーも加勢は必要なかっただろうというようにこちらを見ていたので、頷いた。
エヴァは女神のようだけれど、多分その女神は美の女神兼軍神だったりするのだろう。誰かに負けるエヴァは、正直想像もつかない。
それからしばらく令嬢たちの談笑タイムが続き、立ち続けてるのも少し疲れてきたころ、さり気なくソファから立ち上がったヘンリーが垂れ下がるカーテンの向こうから声を掛けてきた。
「十分ほど前にトリスタンが会場から姿を消して、まだ戻ってこない。探しに行くぞ」
人がいっぱいいる会場の中で、きちんと今日の標的の動向を目で追っていたらしい。
シャーリーに合図して私もその場から離れる。パーティ会場はこうした垂れ幕があちこちにあることと、回廊沿いに宮殿内の移動ができるのだそうだ。
「サマーヴィル家の居室は南側だ。とりあえずそちらに向かおう」
「はいっ」
迷路のように入り組んでいる宮殿の中もヘンリーは熟知しているようで迷うことなく足早に進んでいる。
――もしかして、今夜一番役に立っていないのは私なのでは?
いやいや、私の仕事は「歯車」を壊すことだ。
活躍はこれからである。
私とヘンリーはそうして、明かりが灯され煌びやかなホールから一転して薄暗い通路を、二人で足早に移動することになった。