16. トリスタン・エドモンド侯爵家令息2
「もう少しアクセサリーを増やしたほうがいいかしらね。あらソニア、あなたピアスの穴は空いていないのね」
エヴァに顎を取られて耳を覗き込まれる。この距離の近さにも段々慣れてきたけれど、美しすぎる顔面が傍にあるのはまだまだ落ち着かない。
「だって、宝飾品なんて着ける機会なかったし」
「まさかデビュタントもまだなの? ……十六歳ならギリギリまだの子もいるけれど、大抵は貴族学園に入学前に済ませておくものよ。卒業記念のパーティはどうするつもりだったの」
「卒業した後はパーティに出ることはないだろうし、卒業記念のパーティは、サボろうかなぁって」
エヴァは綺麗な顔をむっとしかめて、一度離れると扇を開いて口元を隠してしまう。
エヴァは比較的喜怒哀楽が分かりやすい人だと思うけれど、あまり強い感情を表に出すのははしたないと感じているらしく、そういうときは扇で顔を隠してしまう。
今のはちょっと不愉快だ、くらいだろう。
「なら、やっぱり今日はこの役回りでよかったようね。デビュタントについては改めて考えましょう」
「する予定ないけど」
「あらためて考えましょう」
同じセリフを二度繰り返し、シャーリーさんにイヤリングを何点か選ばせて、その中から青い石を使ったものを選ぶ。宝石は付いているけど小ぶりだし、何より傍に超がつくほど美しく着飾ったエヴァがいるのだから、私の存在は霞んで消し飛んでしまうはずだ。
「こんなドレス着るの初めてで、よごさないかドキドキしちゃうなぁ」
くるりと半円を描くように動くと、それに合わせてスカートがひらっと舞う。ダンスの時はこれがひらひらと動いて、円舞を二階のテラスから見ると広間にたくさんの花が咲いているように見えるらしい。
柔らかいドレスの下に鎧を着こんでいるようなコルセットは苦しいけれど、背筋が伸びて気合が入る気がする。
シャーリーさんも石の色が違う私と同じデザインのイヤリングを揃いで着ける。ドレスも同じデザインなので、ちょっとした双子コーデみたいだ。
準備が万端に整ったところで、控室のドアがノックされて、ヘンリーが入室してきた。今日は彼も制服ではなくジュストコールと呼ばれる宮廷における男性用の正装をしている。
制服姿でも十分かっこいいけれど、そういう服を着ているとまるで絵本の中から出てきた王子様みたいだ。ヘンリーは公子様なんだから、似たようなものかもしれない。
「姉上、そろそろ参りましょう、か」
エヴァを迎えに来たヘンリーは、言いかけて、言葉を呑みこみじっと視線を動かさずにいた。しばらく姉弟でにらみ合うような時間が過ぎたけれど、やがてエヴァが扇で口元を隠し、こほん、と咳払いする。
「なんとか言ったらどうなのかしら、ヘンリー」
「あ、いえ、申し訳ありません。その……あまりの可憐さに見とれて、言葉を失いました」
「よろしい。――次はもっとスマートになさい」
「……はい、姉上」
どうやらドレスを着て宝飾品をしっかりと身につけたエヴァに見とれていたらしい。
うんうん、今日のエヴァは女神様のようにきれいだ。淡く輝くような青のドレスが良く似合っているし、一段淡い青で染めたレースがひらひらと揺れているのも素敵である。身につけている宝石はエヴァの髪と瞳の色に合わせて、黄金の土台にエメラルドがあしらわれていた。
可憐というよりゴージャスのほうが似合うと思うけど、緊張して語彙力が消失したのだろう。そういうこともある。
「ヘンリー様って可愛いところありますよね」
「左様ですね。――私も最近知りましたが」
エヴァの後ろに並んで控えているシャーリーさんに小声で言うと、小さく頷いてくれる。
昔からエヴァは恐ろしいくらい美少女だったと思うけれど、「歯車」の関係もあってあまり傍にいられなかったのかもしれない。
姉弟仲がいいのはいいことだと微笑ましく思っていると、ヘンリーのエスコートでエヴァがしずしずと控室を出て、私とシャーリーさんもその後に続く。
貴族の社交シーズンは初夏から夏の盛りまでとされていて、それまでの間は王都のタウンハウスに滞在して社交を行い、秋が深まりかけた頃にそれぞれの領地に戻り、冬から春にかけては領地で過ごすのがこの国の貴族の主な過ごし方だ。
今夜は社交シーズンの締めくくりになる王家主催のパーティのひとつで、若手の貴族だけを集めたものらしい。筆頭公爵家であるモンターギュ家は貴族の中では真っ先に呼ばれ、主催である王族の最も近い位置に立つことになる。
主催である国王陛下と王妃殿下が椅子に座り、エヴァは婚約者であるエイドリアンがエスコートするのが一般的な流れのはずだけれど、エイドリアンからの申し込みが来なかったため、弟であるヘンリーがエスコートすることになった。
エヴァは平気そうな顔をしているけれど、きっと傷ついているだろうし、悲しんでもいるはずだ。
この二年ほど、皇太子殿下と婚約者のエヴァリーンの不仲説が流れていて、それがまた人の口に上るようになるだろうと、ヘンリーも忌々し気にこぼしていた。
こうした正式なパーティでは、男性はしっかりとした身分と社会的な地位が必要になる。逆に言えばそうした男性にエスコートされている限りは女性の出自はあからさまには問題にされなかったりする。
極端な話を言えば、男性側が正装をして確たる身分を示していれば、女性は口紅を塗るだけで会場に入れてしまうらしい。
実際にする人はいないにしても。それくらい貴族社会は男性の身分を中心に回っているということだ。
ソニアは現在子爵家の令嬢なので、身分の上ではこうしたパーティに出ても構わないけれど、エスコートの相手がいないこととデビュタントもまだであること、あまり目立たないほうがいいというエヴァの助言もあって、シンプルなドレスに身を包んでシャーリーと共にエヴァの侍女枠で侵入することにした。
「トリスタンは侯爵家の令息で、次期宰相という立場もあって、王家主催のパーティには必ず顔を出すはずよ。そこを狙いましょう」
「まず、人気がないところにあいつをおびき出す。君は貧血を起こしたふりをして倒れてくれ。奴はそうした女性を放っておける性格じゃない。必ず助けようと駆け寄ってくるはずだ」
「そこをガバッしてパリーンですね。わかりました」
「……無理はするな」
「いえ、頑張ります!」
いつもはエイドリアンにべったりだけれど、パーティには侯爵家の子息という身分で出るので公務はお休みらしい。
エイドリアンから離れ、死角の多いパーティ会場で、かつ彼より身分の高い次期王妃のエヴァと筆頭公爵家令息のヘンリーのアシストがある。これから社交パーティが激減する季節に入る前の、最大のチャンスだ。
トリスタンルートは正規攻略しようとすると彼と打ち解けるまでに時間がかかって面倒な上に、流れによっては「討議会」の手によって私自身にも危険が及ぶ可能性がある。
ただでさえジュリアン先生の話を延々と聞かされ、意見を求められて、ほとんど毎日日が暮れるまで拘束されているのだ。これ以上人の話を聞くキャパシティは私にはないし、サクッと解決してあまり時間をかけたくないというのが偽らざる本音である。
「ソニアが頑張ると言っているのだから、あなたは彼女の安全を守るために立派にアシストなさい」
「……わかりました」
「よろしい」
ヘンリーと腕を組んだまま、エヴァがちらりと振り返り、笑みを浮かべる。
隅々まで磨き上げ、飾り付けられたエヴァは、大きな黄金の薔薇の花束のような、圧倒される美しさだ。
「ここからは戦場よ。その時まではわたくしが守ってあげる。あなたはわたくしの傍にいなさい、ソニア」
そうして頼もしく、囁くように言った声にかぶさるように、ヘラルドと呼ばれる入場の身分を宣言する役職の男性が、高らかに告げた。
「ヘンリー・マクシミリアン・モンターギュ公爵令息、ならびにエヴァリーン・アンジェリカ・モンターギュ公爵令嬢、入場いたします!」