15.トリスタン・エドモンド侯爵家令息1
空を見上げると星がきらきらと瞬いていた。
王都の中心街は魔力を利用した街灯があるので夜もそれなりに明るいけれど、魔法学園の中はところどころに常夜灯が灯っているだけなので、日が落ちると基本的には真っ暗だ。人気もないので静かだし、星が良く見える。
「日が暮れるの、早くなってきましたねぇ」
「次からはもう少し早めに帰してもらおう」
「ジュリアン先生、聞いてくれますかね……」
返事がないのは、ヘンリーも無駄だと分かっているからだろう。思わず遠い目をしながら、はは、と乾いた笑いが出る。
次は宰相家の子息であるトリスタン・エドモンドの「歯車」を壊す算段をつけたいところなのだけれど、それは遅々として進まず、季節はいつの間にか秋に差し掛かっていた。
その間、平日はジュリアン先生の研究塔に呼び出されてくたくたに疲れ、休日はエヴァがねぎらいも兼ねて美味しいものを食べさせてくれるので、公爵家にお泊まりの日々が続いている。
エドワードが瀕死の重傷を負った折に彼を救い、見返りも求めずに立ち去った運命の乙女を探しているという噂は収まることがなく、エドワードの強い意志に自分たちも協力してやろうという生徒まで現れてきて、どんどん頭の痛い事態になっている。
幸いなのは運命の乙女は小柄で華奢で可憐、そして絶世の美少女という尾ひれ背びれ胸びれその他ひれひれが付いていることだ。
あのとき頭から被っていたベールがひらひらだったおかげだろう、多分。
悲しいことに噂の運命の乙女像と私とでは、チビというところしか合っていないので、ソニアと通りがかりの癒し手を連想する人はまずいないと思う。そうは思ってもエドワード様を見かけるとギクッとするし、できるだけ今後も関わらないようにしたいところだ。
吊り橋効果って怖いね、本当。
私も気を付けよう。
「私としては、明るいうちはどこでエドワード様と鉢合わせするか分からないのでこの時間になってもいいんですけど、ヘンリー様はそこまで付き合わなくてもいいですよ?」
ジュリアンの「歯車」は壊したので、今研究塔に通っているのは拒否するとあの得体の知れない魔法オタクが何をしでかすか分からないので、飽きるまで付き合おうという理由だ。公爵家令息のヘンリーはそれなりに忙しいはずだし、毎日同道する義理はないだろう。
それにまかり間違ってこんな時間に二人で歩いているのを誰かに見られては、また要らない憶測を呼ぶだろうし。そう思ったけれどヘンリーは毅然とした声で言った。
「女子生徒をあんな奇人と二人きりにして、こんな時間に一人で帰すなど、できるわけがないだろう」
「おお……」
「……なんだ」
「いやあ、本当に素のヘンリー様は紳士だなあと感動しました。それに、女の子扱いされるとちょっとくすぐったいというか」
「君は、女性だろう。他の何にも見えない」
真顔で言われて、ちょっとドキッとする。
なにしろ意識の上ではちょっと前まで地味で平凡な日本人女性だったから、エスコートや紳士的な女性扱いとはあまり縁がなかったし、ソニアの記憶の中の市井の男の子たちは日本の少年たちと同じく、女の子を女の子として扱うのを恥ずかしがってぶっきらぼうに振る舞っていた。
貴族学園に来てからは勿論淑女として扱われるようになったけれど、そもそもあまり他の生徒と接点がない。無視やいじめに遭っているというわけではないけれど、貴族として育てられていない愛人の子供は一時的に父親側に引き取られて貴族学園に通っていても卒業後は平民に戻るのが一般的なので、付き合っても利益にならないと思われている節があって、ソニアは微妙にぽっち気味なのだ。
それも仕方がないかなぁと思っている。彼らは気楽な学生生活を送っているわけではなく、将来関わりが深くなるだろう同世代の貴族たちと、今のうちに人脈を作っているんだから。
卒業したらつながりが切れることが確定しているソニアに関わっている時間があるなら、その分結婚したり爵位を継いだりした後も繋がっていられる相手と交流したいはずだ。
「やー、あはは。将来結婚するなら、ヘンリー様みたいにずっと女性扱いしてくれる人がいいですね。誕生日にはお花をくれたり、ちょっとした重いものをさりげなく持ってくれたりするような」
「……そうか」
「ヘンリー様は将来はどんな人と結婚したいですか?」
「私は……素朴な、野に咲くすみれのような女性がいい」
「清楚系ですね。白いワンピースに麦わらの帽子みたいな」
「帽子はわからんが、白い服は結構いいと思う」
「いつか出会えるといいですね」
「ソニア、僕は――」
何か言いかけたヘンリーに、しっ、と小さく人差し指を立てて唇に添える。それからヘンリーの腕を引っ張り、ちょうど近くにあった木の陰に引きずり込んだ。
「な、ななな、そに、ソニア」
「しっ……静かに」
「そ、ソニア、その、こういうことは私から言わせてくれ……!」
「あれ、トリスタン様じゃないですか?」
「あ?」
何かわたわたと腕を振っているヘンリーを放っておいて、校舎の方に視線を向ける。
こんな時間、人気のない学園の中だ。動いている光はとても目立つ。
灰色の長い髪を後ろでポニーテールに括り、手に持ったランプに銀縁のメガネがキラリと光を弾いている。
なにより、その背中にそびえる「歯車」は間違いなく攻略対象であることを示していた。
「「歯車」がかなりせわしなく動いています。間違いなく、操られている最中ですね」
「普段はエイドリアン殿下にぴったりくっついているのに、こんな時間にひとりで何をしているんだ?」
「……たぶん」
それを言葉にしていいのか迷ったものの、全部を明かして協力してもらった方が、いい結果になるだろう。
聖プロの中でも攻略難易度が最も高いのが宰相家の子息、トリスタン・エドモンド・サマーヴィルだった。シナリオが厚い分、「歯車」の大きさはエヴァに勝るとも劣らない大きさである。
「クーデターの準備です」
ゆらゆらと光るランプの明かりが、校舎の中に入り、見えなくなる。
ヘンリーは息を呑んで、しばらく無言のままだった。
* * *
「クーデターですって!?」
人目を避けて公爵家に戻り、顛末を報告した途端エヴァの悲鳴のような声があがる。
淹れてもらった温かいミルクティーを飲みながらこくりと頷く。
「といっても、そういう思想のある生徒たちに利用されているようなものなんですけど」
「ソニア、詳しく教えなさい」
将来は王国の体制の頂点の片割れに立つことになっているエヴァには到底聞き捨てならないことだったのだろう。
もっと早いうちにトリスタンの「歯車」を壊せていればよかったけれど、現在学園にほとんど顔を出していない皇太子エイドリアンと共にトリスタンも半ば休学状態であることと、ジュリアンに時間を取られていたため出遅れてしまった。
「トリスタンは学園にもまともに通わず婚約者であるエヴァにも冷淡な態度をとっている殿下に、ずっと思うところがあったんです。それでも宰相家の嫡男に生まれた以上は殿下を支えて生きていくのが当たり前だと思っていたんですけど、根っこにはずっと殿下や王家にうっすらとした不信感があって、そこを「討議会」につけこまれました」
「討議会……噂は聞いたことがあるな。有志の学生が集まって政治や経済、社会構造について討論をする集まり程度だが」
「紳士クラブのようなもの?」
「紳士クラブほど明確に誰かが主催しているというものではなく、子弟たちが持ち回りで開催している私的な集まりのようなものらしいです。らしいというのは、私もその、人づての噂しか、聞いたことがないからで」
ヘンリーのいつにない自信なさげな様子に、エヴァは柳眉を顰めるともう一度パシン、と扇を鳴らす。
「なあに、歯切れが悪いわね」
「その、少し前によく話をしていた女性が、婚約者が討議会に参加するようになってから変わってしまった、あまり関わらないようにしたほうがいいのではと忠告すると、体制に飼いならされた家畜のような女だと言われたと……」
「ああ、あなたの取り巻きだった子のひとりということね」
「ぐ……」
「それにしても、婚約者に対してなんて口の利き方なのかしら。紳士の風上にも置けないわね」
扇を畳み、ぱしん、と手のひらに叩きつけて音を立てる。エヴァが苛立っているときにたまにしている仕草だ。
「「討議会」は既存の体制や政治について批判的な切り口で討議を行うことが多くて、参加していると段々、今の体制は強欲で醜悪な王家と貴族が私腹を肥やすために行っていて、民衆を家畜化しているだけだと刷り込まれていきます。トリスタン様も最初は懐疑的だったのですが、傍にいる殿下の様子に覚えた違和感を押し殺しているうちに、どんどん深みにハマっていって……」
聖プロでは、ひょんなことからソニアと知り合ったトリスタンは、貴族学園で浮いている市井育ちのソニアこそがこの国の歪みの縮図だと思い込み、「討議会」に引き入れるべく近づいてくる。
けれど逆に、ソニアはトリスタンの話を聞くことを嫌がらず、会話をしているうちに段々洗脳じみた「討議会」のやり方こそおかしいのではないかと気づきはじめる。皇太子の側近であるトリスタンは、クーデターを目論む「討議会」にとっては重要な存在だ。「討議会」はソニアを排除しようとし、その動きに気づいたトリスタンはソニアを守るべく夜中に馬を駆って飛び出して――。
というのが、聖プロのトリスタンルートのおおまかなあらすじだった。トリスタンと関わっていない現状では「討議会」に命を狙われることはないと思うけど、ソニアにとっても中々ハードなシナリオである。
「でも、トリスタンがそんな集会にかぶれたりするものかしら。彼、子供の頃からエイドリアン殿下のためなら死ねるくらいの崇拝ぶりだったのだけれど」
「それが「歯車」の影響何でしょう。僕たちも本来ならやらないようなことを散々したではないですか」
「ああ……そうね」
エヴァは眉根をきゅっと寄せて、渋面を作る。美人はどんな表情をしていてもしみじみ、美人だ。
「口うるさくて殿下の傍にぴったりついていて離れなくて、邪魔な人ではあるけれど、幼馴染と言えなくもないわ。あの忠誠心を歪められて逆賊として討たれることまでは望めないわね」
「有能な男です。必ず殿下の治世の役に立つでしょう」
「ええ……ソニア」
「任せてください! 必ず「歯車」をぶち壊しましょうね!」
エヴァはふっと笑うと、扇をソファに置いて立ち上がり、ぎゅっと抱きしめてくる。
「はわ、はわわ……」
甘い甘いものすごくいい香りと柔らかくぽよんぽよんとした感触に慌てていると、優しく耳元で囁かれた。
「可愛いソニア。これ以上弟がヘタレるようなら、私があなたを連れていくわ」
「あ、姉上!?」
「え? ヘンリー様、ヘタレてたんですか? いつ?」
「トリスタンのことをお願いね。私も彼に近づけるよう、最大限に協力するから」
「! はいっ!」
ヘンリーがヘタレているという話はそれで流れて、基本的に王宮にいるトリスタンにどう近づくか、あわよくはエイドリアンもまとめてなんとかできないかと相談が始まった。
なぜかこの夜、ヘンリーはずっとそわそわしていてしきりに目をぱちぱちとさせていた。
長すぎるまつ毛が入ってしまったのかもしれない。痛いよね、あれ。