13. ジュリアン・オーガスタス貴族学園教諭5
そこから根ほり葉ほり、あれやこれやと聞き出され、研究塔を出た時には、夕焼けが空を赤く焼いていた。
「ふぅん、君の説が正しいとすれば、「歯車」は個人への影響にとどまらずこの世界に干渉しているなにかってことになるね」
「いや、人を何人か操ったくらいで世界そのものに影響があるとは思いにくいから、この場合干渉しているのは「君」という人の運命に対してなのかな。ははははは! 運命なんて曖昧な言葉を僕が口にする日がくるなんて、なんて愉快なんだろう!」
「でも「君」自身が「歯車」に操られていたというなら、やっぱり中心地は君ではないのかなあ。正直一人の少女の運命をいじってなんのメリットがあるのか分からないね。この辺りは重点的に検証していきたいところだなぁ」
「ところで君は「歯車」を壊して回っているみたいだけれど、「歯車」が復活することは無いと言い切れるのかい?」
身を乗り出してきたり、突然笑いだしたり、そうかと思ったら猛烈な速さでノートに書付けを始めたりとジュリアンの行動は突飛そのもので、その相手をしているとすごく体力を消耗する。
それだけに今日はもういいよ。また明日ねと言われて解放された時には腰が抜けそうだったし、来るときはあんなに不気味に思えたブラック・クロウの鳴き声もなんだか可愛く思えてくるのだから、不思議なものである。
鬱蒼とした木々の小道を抜けて見慣れた学園の庭園が見えたところで、安堵にどっと肩から力が抜けた。なんとなくだけれど「助かった」という気持ちがすごく強くて、じわりと涙すら浮いてくる。
「つ、疲れたぁ」
貴族学園には部活動はないし、領地が遠方の学生がほとんどでタウンハウスを持っていない学生の半分ほどが寮生活だ。この時間になると学園の中を歩き回っている人はほとんどいないようだった。
「明日も行かなきゃなのかぁ。やだなぁ。本当に行かなきゃ駄目かな」
「あの呼び出しを無視したら、何をしでかすか分かったものじゃないけどな」
「うう……」
ヘンリーの言葉はもっともだ。逃げるなんて怖いこと、できるわけもない。
怖いからと逃げたらもっと怖いことになるって、ソニアはホラーゲームのヒロインではないはずなのに、理不尽だ。
とぼとぼと歩いていると、ヘンリーがそれにしても、と取ってつけたように話しかけてきた。
「しかし、ジュリアン教諭のお陰で色々と考えることができたのは有益だった。私は「歯車」とは人を操るなんらかの力という認識で、それ以上深く考えていなかった」
「だねえ。私も壊しちゃえばそれで終わりだと思っていたから、「歯車」の復活の可能性までは考えてなかったよ」
どのみち聖プロの舞台は魔法学園なので、卒業さえしてしまえば「歯車」が導きたいシナリオからは外れるはずだ。
取り返しがつかないくらいストーリー展開から離れてしまえば「歯車」が導きたいシナリオ自体がなくなってしまうし、その場合はたとえ「歯車」が復活しても、ただそこにあるだけで動いたりはしないんじゃないだろうか。
「私の場合「歯車」は自動的に壊れるから復活の心配はないけど、一番怖いのは私の「歯車」が他の女の子のところに復活することだよね」
ヒロインがヒロインの役割を果たさなくなった場合、代わりが用意されるなんてこともあるのだろうか。ヘンリーは渋い表情で考え込むように黙り込み、重たげに口を開く。
「その場合、また僕も「歯車」に操られて、あんな醜態を繰り返すことになるのか……」
「その時は、また私がぶっ壊してあげますよ。ヘンリー様の「歯車」」
「それは助かるが、何か根本的な解決策はないのか?」
「うーん」
そもそも本当に「歯車」が復活するかも分からないし、今の時点では考えても仕方がないことのような気がする。
「「歯車」を背負っている人の誰かと私が結ばれれば、多分他の歯車は動きを止めると思うんですけど、そういうわけにもいかないですしねぇ」
「歯車」があくまで聖プロのストーリーをなぞらせるための物なら、誰かのルートを選んでそのストーリーをエンディングまで持っていけば「歯車」は役割を終えるだろう。
「君、それは……」
「ああもう、頭使い過ぎてお腹空いたー! 屋台で買い食いしたいなぁ」
うーんと腕を伸ばしてそうボヤくと、まるでそれに反応したみたいにぐぅ、と腹の虫が鳴く。さすがに同級生の男の子にお腹が鳴る音をきかれたのはバツが悪く、えへへと笑って隣を窺うとヘンリーは眉間を指でぐいぐいと押していた。
「……その制服で買い食いしようとするな」
「やっぱりダメですかね。長期休暇になったらバイトもしたいんですけど」
「バイト……?」
「その期間だけ働いてお賃金を頂くことです。まかないが付くところだといいなあ」
オシャレなカフェとかより町の食堂とかがいいな。安くて量がたっぷりで、美味しいとなお嬉しい。
パン屋さんもいいけど、この世界には総菜パンというものがない。繁盛している屋台もいいな。
「長期休暇の間は寮がしまっちゃうから、食事は死活問題なんですよね」
「君の実家は、食事も出さないのか」
「出るけど不味いんです。使用人に嫌われてるんで、私」
「主家の人間をあからさまに嫌う使用人がいるのか?」
「いやあ、使用人が奥様を大事にしているほど、私って敵みたいなものですしね」
貴族の家の内部を統括しているのは正妻で、シュレジンガー家も例に漏れずだ。そうした家庭の中で、三年後には追い出される予定のソニアの存在は扱いにくく、煙たく、余計な仕事を増やす存在だ。
掃除をしないとか食事を抜かれるということはないし、衣食住が保証されているのはありがたいけど、居心地は良くない。
最低限の世話はしてくれるけど、最低限以上のことはしてくれないというところだ。
「……学園は行儀見習い――つまり無賃以外の「労働」を禁止している。奉仕活動なら可能だろうが」
「え、ええ!?」
「そもそも貴族は働かないもの、という建前だろう。学園の品位を落とすと問題になる可能性が高い」
ショックを受けていると、ヘンリーはやや気まずげに言った。
「マジですか……卒業後の貯金を殖やしておきたかったのに」
「……そんなに手切れ金とやらは少ないのか?」
「平民の感覚だと、部屋を借りた後は一年くらい余裕で食べていける金額ですかね。貴族学園に入れる入学金とか、なけなしの寄付金や制服や学用品や寮費のほうがずっと高くつくと思います」
「一年……それ以後は自分で稼いでいかなければならないということか」
「そうそう。今のうちにどんな仕事があるかとか偵察しておきたいんですよね。ヘンリー様は何かやりたい仕事とかあります?」
夕焼けに染まる庭園を校舎の方角に向かっててくてくと歩く。傾いた夕日に、影が長く伸びていた。
「考えたこともない」
「公爵になるんですもんね」
「そうだな。領を守り、産業を保護し、名産品を商会や貴族にそれとなく売り込む大事な役割だ。……ソニア」
影を見ながら脚がものすごく長くなったみたいでちょっと嬉しいなーなんて思っていると、神妙な声で名前を呼ばれる。地面から顔を上げて隣を振り向くと、ヘンリーはやけに真面目な顔をして足を止める。
「食事に連れて行ってやる。屋台がいいなら着替えてから、食べに行っても構わない」
「えっ、いいですよ。ていうか、この後上手くいったってエヴァに報告に行くから、何か食べさせてくれると思いますし」
そう、今日も寮には外泊届けを出してお泊りなのだ。
なんだかすっかり餌付けされている気がするけれど、美味しいご飯と広いお風呂には抗えない。
「それに、女の子に謝ってこれまでの行動も改めている最中なんですよねヘンリー様。女の子連れて街を歩いているところを誰かに見られたら、またチャラついてるって思われますよ」
「チ……いや、そうはならないだろう」
「まあ、私相手だとデートしているっていうより、たまたま隣を歩いてるようにしか見えないかもですけど……でもヘンリー様って有名人だからなあ。一人で歩いてるように見えるとそれはそれで声を掛けてくる女の子とかいそうじゃないですか? 折角身を慎んでいるところだし、その邪魔はしたくないですよ」
ヘンリーの性格で「歯車」に操られてチャラ男をしていたのは、何重にも不本意な記憶だろう。お腹の虫を気に掛けてくれるのは嬉しいけど、折角正気に戻ったんだから無理はしてほしくない。
「……ならば、公爵家内でならいいだろう」
「へっ?」
「庭に屋台を並べるから、クレープでもワッフルでもチップスでも、好きなものを食べればいい」
「え、ヘンリー様、どうしたんですか?」
思わず真顔で聞いてしまう。
「そんなに気を遣ってくれなくて大丈夫ですよ。ご褒美の規模が大きいなーもう」
「僕は本気だ。姉も反対しないだろう」
「私が反対です。えーと、エヴァのお菓子を分けてもらうとか、食事に交ぜてもらうのとは、明らかに違うじゃないですか。いやそれもものすごく得させてもらっているなぁって思ってますけど、私のために屋台を呼んで並べるとか、駄目ですよ、そういうのは」
高位貴族の跡取りであるヘンリーにとって、それくらいのねぎらいは大したことではないのかもしれないけど、私にとってはそうじゃない。
身の丈に合わない贅沢を覚えたって、ろくなことにはならないのが目に見えている。
「……そうか」
「でも気遣いは嬉しかったです!」
「シャーリーに、今日のステーキは特にいい部分を使うように言っておこう。ソースも三種類用意する」
「あ、それは嬉しいです!」
ものすごく嬉しかったのにヘンリーは微妙に納得できていない様子のままで、モンターギュ家の馬車が待っている馬車止めまでの道のりの間、黙り込んでしまったのだった。