11. ジュリアン・オーガスタス貴族学園教諭3
いくつかの罠を避けて塔の前にたどり着く。
遠くから見ると細長い鉛筆のようなシルエットだったけれど、近づいてみると意外と大きい建物だ。石造りの四階建で、石の表面は黒く煤けている。大きな木製の扉があって、ノブを引くとギィ……と軋みを立てて簡単に開いてしまった。
「鍵も掛かってないなんて、不用心ですね」
「訪ねてくる者もいないんだろうな」
中は薄暗いもののぽつぽつと魔法の光が点灯していて、階段を上るのに困らない程度の明るさだった。階段の横幅は狭く、二人が並んで歩くのは難しい。
一階は資材置き場になっているようで、少し覗いただけで木箱や本、よく分からない実験器具が積み上がっていて少し埃っぽく、薬品の鼻を突く臭いがする。
「私が先に行く」
そう言って階段を上り始めたヘンリーについて進む。二階は一階より本が多く、実験器具のようなものは見当たらない。窓にはカーテンが掛かっていて明かりも消されているため、すごく古い図書館のような雰囲気だった。
「ここにもいないようだ。先に進むぞ」
上に登っていくほど後戻りができなくなっていく雰囲気があって、ヘンリーの声にも強い緊張が滲んでいた。ほんの小さな音も石造りの狭い通路の壁に反射してやけに大きく響くので、自然と息さえ潜めるようになってしまう。
うう、こういう緊張感、苦手だなあ。通路を進んだ先に見たくもないものが待っている感じがする。
これじゃ恋愛シミュレーションゲームじゃなく、ホラーゲームだ。ジャンルが変わっちゃうよ。
足音を殺してゆっくりと階段を登り、三階までたどり着く。ここのドアは最初から少し開いていて、中を覗き込むと長身に白衣を着た男性が、こちらに背中を向けて立っていた。
カラスの濡れ羽色のつややかな黒髪を長くのばしていて、肌は抜けるように白い。今は背中を向けているから見えないけれど瞳は水色で、銀縁の眼鏡を掛けているはずだ。
「あれ、「歯車」がない……?」
けれど、その人には「歯車」らしいものが見当たらなかった。
「もしかしてジュリアン先生じゃなく、助手さんとかですかね」
「いや、あれがジュリアン教諭だ。よく見ろ、うなじのところだ。かなり小さいが……」
「んー?」
ヘンリーに言われてぐっと目を凝らし、言われたうなじの部分を凝視すると、黒いロングヘアを背景に、灰色の「歯車」が見えた。
「……ちっちゃ!」
硬貨くらいのサイズの「歯車」が三つくらい噛みあっている。もしかしたらもう少しあるかもしれないけれど、この距離だと細かいところまでは確認できそうもない。
見上げるほどのサイズに聳え立っていたエヴァの「歯車」と比べるとあまりに小さい。エヴァの取り巻きのほうがまだ大きくて、複雑な「歯車」を持っているくらいかもしれない。
これは想像だけれど、「歯車」のサイズは主人公であるソニアとの関りや因縁に、その複雑さは「歯車」に操られているキャラクターの性格に比例している気がする。
例えばヘンリーは、元々の真面目で真摯な性格からチャラ男キャラになるよう操られていたので、エヴァよりサイズは小さかったけれど細かい歯車がびっしりと組み合わさっていて、怖くなるくらい精密な姿をしていた。
一方エドワードといえば、現在は多少視野狭窄になっているようだけれど、素も熱血でちょっと思い込みが強い性格みたいなので、「歯車」も大きな歯車と中くらいの歯車で構成されていて、ヘンリーやエヴァの「歯車」と比べるとすごくシンプルな形をしていた。
それでも、見れば一目で異物である「歯車」を背負っているのが見て取れたのに、攻略対象であるはずのジュリアンのあのサイズはどうだろう。壁掛けの時計の方がまだ大きくて複雑な歯車を仕込んでいるんじゃないだろうか。
「あのくらいのサイズだと、行動を操るのは多分無理ですよね」
「考え方に僅かに指向性を与えるとか、その程度だろうか……」
室内のジュリアンはよっぽど何かに集中しているらしく、ぽしょぽしょと小声で話していても少しもこちらに気づく様子がない。あれだけ無防備なら、不意を突けばガバッと行ける気がする。
「なんか、これまでで一番、簡単に壊せそう」
ぽつりと呟くと、隣のヘンリーが囁き返してくる。
「ならば、ハグはしなくてもいいんじゃないか」
「うーん、でもジュリアン先生って、ストーリーの中でもキーマンだし、一応確実を取った方がいいかもしれません」
魔法に長けて変人ながら学内でも一目置かれているジュリアンは、他のルートでもちょいちょいソニアに関わって来るキャラクターだ。課金アイテムだけれど、見た目が変わる薬や子供になる薬なんかも融通してくれる。
――教師が学生からお金を取ってアイテムを売っていたって、自分の立場になると倫理的にどうなのかとなるし、学生を実験材料にしているという噂もそういうところから派生しているんじゃないだろうか。
とにかく、放っておけばどう関わってくるか未知数なのがジュリアン・オーガスタス・ボーフォートである。結構怖い思いをしつつここまで近づいたんだから、思い切って行っておきたいところだ。
「……怖いんだろう、無理はしなくていい」
「……ヘンリー様、今日は妙に優しいですね。どうかしたんですか?」
ヘンリーは高位貴族の一人としてこの国の王侯貴族を恣意的に操っている「歯車」を放置するわけにはいかない義務感と、姉であるエヴァの縁談も掛かっているから協力してくれているだけで、私の市井仕込みの仕草には結構否定的だし文句も言ってくる。
「歯車」を壊すのはソニアとしての私の未来のためでもあるけれど、ヘンリーにしてみれば貴族として行う義務のような位置づけだと思っていたので、無理をしなくていいという言葉はかなり意外だった。
「別に……お前もレディだろう。嫌じゃないか、複数の男とハグなんて」
「そりゃあ、好きこのんでやってたら痴女ですよ。うっかりキスされるのも困りますし」
「嫌ではなく、困る、なのか」
「いやいや、嫌ですけど」
「嫌なのか……」
ヘンリーは妙に落ち込んだ顔をするけれど、嫌じゃなかったらそれこそ痴女だろう。
でもあれは事故のようなものだったと思っているし、「歯車」が影響していたのだろうし、今更ヘンリーを責めるつもりもない。
何よりこれから先も、いちいち思い出されて落ち込まれたらちょっと面倒だ。
「いや、でもヘンリー様のあれは、嫌とかではないですよ。ヘンリー様みたいな人とキスなんて人生に二度とないでしょうし、ファーストキスがヘンリー様みたいな綺麗な顔なのは、ちょっといい思い出、かも、しれません?」
乙女が気を遣ってフォローしているというのに、ヘンリーの雰囲気はどんどん暗く重くなっていく。これは変に気を遣うより、スルーするのが正解だったのかもしれない。
「あれは出会い頭の衝突事故みたいなものですし、忘れましょ。私も忘れますから」
あえて軽い口調でそう言うと、肩に腕を回されて、がしっと掴まれる。
ヘンリーの大きな手にぐっ、と力が込められた。
「ん?」
「……私は、忘れられない」
「えっ?」
「ソニア、私は――」
真剣な表情で、ヘンリーが何か言いかけた。いや、というか顔が近い。いや、近い近い。
目が潰れそうな整った顔は間近で見ても毛穴ひとつ見当たらない。一体どうなっているんだろう。
「私は――」
緊張に強張ったヘンリーの顔から目が離せずにいると、不意にぬっと、背後から……それこそヘンリーの顔より近い距離から、声を掛けられた。
「なになに、こんなところで、なんの話をしているのかな?」
「―――ッ!?」
ホラー映画のいちゃついているカップルが後ろから襲われるシチュエーションそのものに心臓が跳ねる。ついでに体もちょっと跳ねて、とっさに腕を突き出して、背後から声を掛けた――さっきまで室内にいたはずのジュリアン先生とヘンリーの両方を、突き飛ばしていた。